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2020/06/08

1990年春・九州一周の旅【5】寝過ごし連発で崩れる行程

 前回の続き。


 3月28日、2時14分に下り西鹿児島行き急行「かいもん」が熊本を出発。その2分後、2時16分に上り門司港行き「かいもん」が熊本に到着した。座席は半分強が埋まっており、先客に挨拶して腰を下ろす。その発車を待たずに私はあっという間に眠りこけたが、下車予定の鳥栖の手前で無事目が覚めた。4時51分着。5時35分発の久大本線普通列車に乗って日田を目指す。今日はこの後昼前に小倉へ入り、北九州市民球場でおこなわれる福岡ダイエーvsオリックスのオープン戦でも観戦しようかと思っている。ちなみに当時の私は、南海時代からのホークスファンである。


 雨がしとしとと降る窓の外を眺めるうち、うつらうつら、そのうちに本格的に睡魔が襲ってきた。久留米から久大本線に入ったはずだが、その先のことはほとんど覚えていない。
 ふと目が覚めると、ちょうどどこかの駅に停まったところだった。駅名標が見えた。「あまがせ」と書かれている。
 わずか数秒、私は考えて、それからやらかしたことに気付き、泡を食って列車から降りる。待つほどもなく上り久留米行きの普通列車が入ってきて、7時47分には日田へ戻ったのだが、乗車予定だった日田彦山線の列車は8分前に出発した後。次の列車は9時58分発で、2時間以上も開いている。


 無念の思いにかられつつ駅前を歩くうち、この時間から開店しているうどん屋を見つけた。「朝食・350円」という看板につられて入ると、どんぶり飯、みそ汁、玉子、漬物、魚のフライ、生野菜と満腹ラインナップ。食後にはコーヒーまでついた。
 なんとか時間をつぶして、9時58分発の日田彦山線快速「日田」に乗車。11時04分着の田川後藤寺で下車して新飯塚までの後藤寺線を往復する予定である。野球の試合には間に合いそうもないが、雨は降り続いており、おそらく中止になるだろう。


19900328 日田で買った文庫本と車窓に交互に目をやるうち、またしても瞼が重くなってきた。必死で耐えようと試みるが無情にも重力に逆らえなかった瞼は下へ落ち、次に気が付くと城野。本日2度目、通算3度目の寝過ごしである。やむなく小倉まで乗車し、L特急「にちりん18号」で博多に向かった。


 時刻表をひっくり返しながら再度行程を練り直し、13時36分発の篠栗線普通列車に乗る。終着の篠栗で後続の列車に乗り換え、14時59分に新飯塚着。15時20分発の普通列車で、予定とは逆方向から後藤寺線を往復する。筑豊炭田の面影を残す路線で、鉱山の大きな事業所が車窓に見える。乗客は少ない。


 新飯塚から篠栗線直通の普通列車に乗り、長者原で香椎線香椎行きに乗り換え。さらに香椎で西戸崎行き普通列車に乗り換える。「海の中道線」の愛称がついた路線は、雁ノ巣の先で砂浜の海岸のすぐわきまで出る。博多から1時間足らずの景色とは思えない。西戸崎から折り返し、香椎からL特急「にちりん42号」、博多でL特急「有明51号」と乗り継いで20時39分に熊本着。ここからさらに三角線を往復する。今だったら景色の見えない時間帯に初乗りなど考えられないが、当時は乗車距離を伸ばすことに貪欲だった。いずれもう一度乗り直したいと思いつつ、その機会のないまま現在に至っている。


 23時ちょうどに熊本へ戻り、1時52分にやって来る西鹿児島行き急行「かいもん」を待つ。0時で閉店となる喫茶店で時間をつぶし、駅前をうろうろしていると、客待ちをしていたタクシーの運転手が24時間営業のメシ屋の存在を教えてくれた。関西方面からの自転車サークルの団体で大混雑の店で相席させてもらい、小さくなってご飯と豚汁、それにおでんを腹に流し込む。


 昨日熊本で捨てた「かいもん」に再び乗り込む。これで「はやぶさ」以来4連続の夜行泊である。昨日から続く3度の寝過ごしは反省材料だが、若き日の有り余る体力と好奇心、それに限られた予算がホテルにもぐりこむことを許さない。幸運にも並びで開いていた座席を確保でき、背もたれを大きく倒すと私は即座に眠りに落ちた。熊本を発車したことすら記憶していない。


 続く。



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コメント

こんにちは。夜行4連泊ですか。自分も学生時代は座席夜行を使いましたが、これほどの連泊はしなかったですね。でも、昔はみんなよく無茶して鉄道に乗っていたなと、懐かしく読ませていただいています。

自分のヒヤヒヤ体験は、南東北ワイド周遊券で会津線に乗りに行ったときです。仙台から夜行急行あずまで深夜の郡山へ。ここで上野からの夜行急行ばんだいに乗り換えて5時前の会津若松へ行くという行程でした。郡山で寝過ごしたら、南東北ワイド周遊券の帰路に入ってしまって、今後の予定が全部パーになってしまうという、緊張しながら睡魔に耐える夜を過ごしたのを覚えています。たしか1982年の秋だったと思います。長文失礼しました。

投稿: わらしべ長者町 | 2020/06/08 07:14

 わらしべ長者町さん、ありがとうございます。
 運動神経は悪かったけれど体力は有り余っていた当時、今思えば無茶してるなあ、と思います。当時の鉄道旅行のバイブルだった「鉄道旅行術」には、確か夜行100連泊以上した人の話も載っていましたが、とても真似のできる世界ではありません。
 北海道や九州のワイド周遊券は、夜行で寝過ごしても自由周遊区間からはみ出す心配はありませんでしたが、東北エリアですとそういう心配もあったのですね。夜行「ばんだい」「あずま」の響きがとても懐かしく感じました。

投稿: いかさま | 2020/06/15 00:20

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