« 1990年春 九州一周の旅【3】急行「えびの」で大畑ループ越え | トップページ | 1990年春・九州一周の旅【5】寝過ごし連発で崩れる行程 »

2020/06/02

1990年春・九州一周の旅【4】北九州くるっと乗りつぶし

 前回の続き


1990a_20200601234401  当時の九州には博多と鹿児島を結ぶ夜行急行が2系統あった。熊本経由の「かいもん」、大分・宮崎経由の「日南」である。いずれも座席車・寝台車混成の客車急行で、自由席車は「周遊券」で使用できたから、金のない若者は九州旅行の宿代わりによく利用していた。書き忘れていたが、当然私が使っていた切符も「九州ワイド周遊券」である。名古屋市内発の「東京ミニ周遊券」と合わせ技である。
 この両列車は1993年3月のダイヤ改正で電車化され、座席車のみの特急「ドリームつばめ」「ドリームにちりん」となったが、前者は九州新幹線部分開業の2004年、後者は2011年に廃止となっている。


 22時45分、日向沓掛の暗いホームに「日南」が入って来た。厳密には、「日南」は宮崎-西鹿児島間は普通列車として運転されていたので、この時点では厳密には名無しの普通列車である。座席車は当時夜行急行でよく使用されていた12系客車だったが、ボックスシートのはずの座席はグリーン車並みのリクライニングシートに交換されており、指定席車の端にはお茶のサーバーまでついている。案に反して宮崎を過ぎてもガラガラだった車内でぐっすりと眠る。いや、眠りすぎた


 翌3月27日、目が覚めて時計を見ると6時30分。私の計画では6時11分着の折尾で下車して筑豊本線の列車に乗り換え、終着の原田でTKさんと合流する予定になっていた。見事な寝過ごしである。このまま直進して博多に向かってもTKさんとの待ち合わせに遅れることはないが、問題は筑豊本線の乗りつぶしである。特に本数の少ない桂川-原田間を乗り残すと後が厄介になる。悔やんでみたところで始まらない。「日南」は折尾を出ると博多まで停まらない。あきらめてもうひと眠りしたのであるが、今度は博多到着時に車掌に起こされるという恥ずかしい事態になった。


 博多7時30分発のL特急「ハイパー有明5号」に乗り、二日市で後続の普通列車に乗り換えて7時56分、原田着。私が乗るはずだった筑豊本線の列車を恨めしく出迎える。8時22分にやって来た普通電車でTKさんと合流し、鳥栖で長崎本線の電車に乗り換え。まだ発掘・整備が始まったばかりで櫓がぽつんと立つだけの吉野ケ里遺跡を右手に眺めながら佐賀に到着する。


 佐賀からは唐津線西唐津行きのディーゼルカーに乗り、山本で筑肥線に乗り換えて伊万里へ。いずれもキハ40系ディーゼルカーの2両編成である。現在、終焉の日を迎えつつある国鉄型ディーゼルカーだが、当時は全国的に現役バリバリだった。伊万里で昼食をとって折り返し、山本で再び乗り換えて西唐津、そこから筑肥線の電車で博多へ向かった。途中の姪浜から福岡市営地下鉄に乗り入れる。


 予定では博多の先は香椎線、篠栗線と乗り歩くことにしていたが、朝の粗相で乗り残した筑豊本線がどうしても気になり、TKさんと相談してそちらを優先することにした。博多から16時07分発の門司港行き快速電車に乗る。折尾で乗り換えて若松、そこで折り返して直方・原田方面へ、というのが王道だが、TKさんの勧めで折尾を素通りし、戸畑で下車した。


 戸畑と若松の間には若戸大橋という立派な橋が架かっているが、その下を北九州市営の渡船が運航されている。大判時刻表にも掲載されており、10~15分ごとの運航で、運賃は大人20円という安さ。戸畑駅北口から徒歩5分ほどの発着所から乗船すると、小ぶりな船内には座席がなく、吊り革のみである。自転車と一緒に乗っている客も目立つ。わずか4分で若松着。この航路は今も現役だが、運賃は大人100円に値上がりしている。


 若松の渡船発着所からJR若松駅へは徒歩10分ほど。17時54分発の筑豊本線439列車は、ディーゼル機関車が赤い50系客車を牽く「客車列車」。終点での折り返し時に機関車を付け替えなければならない手間もあり、国鉄末期からJR初期にかけて急速に減少していたが、筑豊本線では2001年に折尾-桂川間が電化されるまで現役だった。ガラガラの列車でボックスシートに足を伸ばしてくつろぐ。


19900327  直方で列車を1本落として夕食を調達し、後続の篠栗線経由博多行きディーゼルカーに乗車。そのまま乗り続けて自宅へ帰るTKさんにお礼を述べて桂川で下車し、50系客車の普通列車で寂しい山中を抜けて原田へ着いたのは20時38分。本日打ち止めでもいい時間だが、なにせ若かった。原田から博多、香椎で乗り換えて、香椎線の終点、宇美へ行き、篠栗線経由で博多に戻ったのが23時01分。ととめどなく走り回る。


 この日の宿もやはり夜行急行。今度は急行「かいもん」の自由席に乗った。朝の粗相があったにも関わらず立派な座席でぐっすりと眠る。それでも1時52分の熊本でしっかり目が覚めた。こんな深夜に降りてどうするんだ、と言われそうだが、ここで30分ほど待てば上り門司港行きの「かいもん」が到着する。当時の若い鉄道旅行者がよく使った「夜行返し」と呼ばれるもので、往復の夜行列車を乗り換えることで地上一泊分の効果がある。ワイド周遊券を持っていれば余計な出費もない。体力の有り余る青春時代ならではの行動であるが、さすがに3夜連続の車中泊は睡眠不足を露呈させ、以降、しばしばやらかすことになる


 続く。

 



ランキング参加中です。みなさまの「クリック」が明日への糧になります。よろしかったら、ポチッとな。

にほんブログ村 鉄道ブログへ にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ 鉄道コム

|

« 1990年春 九州一周の旅【3】急行「えびの」で大畑ループ越え | トップページ | 1990年春・九州一周の旅【5】寝過ごし連発で崩れる行程 »

鉄道の旅人」カテゴリの記事

コメント

いかさまおはようございます。
若かりし日々は眠りが付きまといますね。
mitakeya9時半に寝て3時に目が覚め4時にはスタンバイ!
一日が長く、退屈な毎日です。(^^♪

投稿: mitakeya | 2020/06/02 05:59

私も10代最後の年 友達と夜行電車に乗って
旅した事を思い出しました。
PM 11時30分発の電車を待合室で長々と待ち、
ようやく乗った電車では寒くて寝られず・・・。
スカーフをかけたらようやく眠気が!!!。
それでも 座席が体に合わず。
若き日の思い出です。

投稿: マーチャン | 2020/06/02 08:27

今は車窓を楽しむために、日が暮れたらホテルに直行してしまうのですが、20代の時は食事の時間も考えず始発から終電まで乗りつぶし&わたしの旅スタンプラリーをしていました。18きっぷはまだ健在ですが、周遊券は何かの形で復活してほしいなあと思います。

投稿: かわうそくん | 2020/06/02 21:01

こんばんは!
私は、中学1年生まで若松で生活していました。
若戸渡船はよく利用しましたよ。
私が高校生の頃までは、ちゃんと木製の座席が付いた船でした。
料金も10円だったか5円だったか・・・。
子供の私は、そのお金も勿体なくて、無料だった若戸大橋の人道を渡ってました。
今はその人道もありませんがね。
3~4年前、久しぶりに若松港を訪れましたが、若戸渡船はかなり洒落た船になってましたね。
乗らなかったのですが、きっと座席は無かったのかも知れませんね。
洞海湾も見違えるほど綺麗になってました。
子供の頃、50年くらい前は、汚染されて臭くて汚い茶色い海だったんですよ。


投稿: FUJIKAZE | 2020/06/02 22:26

 mitakeyaさん、ありがとうございます。
 もう30年も前にmitakeyaさんのお膝元を徘徊しておりました(笑)。楽しいことを続けていると眠気などどこかに吹っ飛ぶはずなのですが、若いとはいえ体力には限界があったようです。
 とはいえ体質でしょうか。だいぶ年を取った今でも、深夜に布団に入って昼前まで平気で寝られるのです。

投稿: いかさま | 2020/06/08 01:48

 マーチャンさん、ありがとうございます。
 夜行列車全盛期の旅は、今思えば体によろしくないことばかりだったように思いますが(笑)、妙な格好で寝て朝全身が痛かったりとか、隙間風が容赦なく入ってきたりとか、それも若き日の思い出ですね。

投稿: いかさま | 2020/06/08 01:50

 かわうそくんさん、ありがとうございます。
 以前の記事でも書きましたが、周遊券はその後「周遊きっぷ」という使いづらいものに変わり、それもひっそりと消えていきました。全国各地でフリーきっぷが売られていますが、急行や特急も利用でき、有効期間も長かったワイド周遊券は、今でも復活してほしいきっぷのひとつです。

投稿: いかさま | 2020/06/08 01:51

 FUJIKAZEさん、ありがとうございます。
 若松にお住まいだったのですね。私はこの船の存在を地元の知人に教えてもらうまでまったく知りませんでした。
 船内を眺めればおそらく座席はあったのかもしれませんが、みんなして立ったまま運ばれた風景が印象的でした。もう30年、あの付近を訪れていませんから、今はきっと雰囲気も大きく変わったのだろうなあと思います。100円になった渡船にももう一度乗ってみたいものです。

投稿: いかさま | 2020/06/08 01:53

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 1990年春 九州一周の旅【3】急行「えびの」で大畑ループ越え | トップページ | 1990年春・九州一周の旅【5】寝過ごし連発で崩れる行程 »