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2020年8月

2020/08/24

1990年春・九州一周の旅【9】「オランダ村特急」とオランダ村

 前回の続き。


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 翌朝、赤間で下車した3人を見送って、7時12分着の終点、門司港まで乗車。重要文化財にもなっている1914年完成の風格ある駅舎だが、行き止まり式のホームに客の数は少なく、心なしか寂しい。ここから7時50分発の「オランダ村特急」に乗る。JR九州の観光車両の嚆矢である全面展望席付きのディーゼルカー4両編成の列車は、赤・白・青のトリコロールカラーをまとったおしゃれな車両である。この車両は今も現役で、この2年後に「ゆふいんの森」に転用された後、長崎→大分と渡り歩いて、現在は豊肥本線の特急「あそぼーい!」に使用されている。前日乗車した「SLあそBOY」の後身に当たる列車である。


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 「オランダ村特急」はディーゼルカーだが、門司港~鳥栖間では電車特急「有明11号」と連結して走る。私が確保した1号車6番D席の前方、フリースペースの展望席の前には「有明」ののっぺりとした顔があって景色は見えない。ビュッフェの営業も博多からである。
 ガラ空きだった車内が一気に混んだのは博多から。私の席の前、5番にも私と同じ年頃の少女が座った。かと思うと、背もたれの向こうから少女の顔がにょっきりと現れ、「向かい合わせにしていいですか?」と言うなり私の答えも待たずに座席をくるりと回転させた


 人懐っこく話しかけてくる彼女は、千葉県から知り合いのユースホステルを訪ねて観光に来たというKSさん。今度高校2年だというから私のひとつ年下である。今日はオランダ村から長崎へ抜けるとのことで、私が佐世保に着いた後は夜に長崎に入るまでノープランだと言うと、半ば強引にオランダ村へ連れていかれる羽目になった
 10時57分着の早岐で下車し、8分後の西肥バスでオランダ村へ向かう。西海橋の渋滞につかまり、本来30分ほどで到着するオランダ村まで1時間半近くを要して、12時半過ぎ、ようやく到着した。


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 高い入場料を払って園内に入る。無数のチューリップが園内いたるところに色とりどりの花を開いており、すっかり春の装いである。赤いレンガ造りや、緑に塗られた三角屋根の建物など、これがオランダか、という印象である。立ち並ぶ建物はどれも土産物屋や飲食店になっており、お金のない私たちはただ眺めるばかりだった。私が実際にオランダを訪れて街並みを見るのはこれから18年後のことになるのだが、実際のアムステルダムは確かに同じような建物が並んでいたものの、もう少ししっとりとした印象を受けた。オランダ村の発展形として「ハウステンボス」がオープンするのは1992年のことである。


 ぐるりとひと回りしてしまえば特にすることもなくなり、14時半過ぎに私たちはオランダ村を出た。長崎行きのバスに乗るKSさんと別れて佐世保行きのバスに乗ろうとすると「長崎に行くんでしょ?バスの方が早いじゃん」」と執拗に同行を求められたが、この一連の流れにより、佐世保線・早岐~佐世保間を乗り残したままとなっており、片付けておかないことには具合が悪い。とは言ってもこの話が鉄道に興味のないKSさんに正しく通じるとは思えず、適当な理由を付けて私は佐世保行きのバスに乗った。KSさんはご不満の様子であった。


 続く。



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2020/08/19

1990年春・九州一周の旅【8】九州横断・ふたつの観光列車

 前回の続き。


 上り急行「日南」で迎えた3月31日の朝は、しっかりと自力で目を覚ました。6時58分に博多着。駅に隣接する博多駅交通センターへ移動し、名古屋から夜行高速バスで到着した鉄道仲間の先輩、NさんとOさんに会った。Nさんは2018年の私の鉄道完乗の際、はるばる名古屋から立会に来てくれた人である。3人で博多駅構内の喫茶店に入って朝食をとり、篠栗線経由で平成筑豊鉄道へ向かうというお二人と別れて、私は構内でもう少し時間をつぶし、9時20分頃3番ホームへ上がった。


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 ここから乗るのは9時40分発の久大本線経由別府行き特急「ゆふいんの森」である。前年3月に運転を開始した観光特急は、一般の特急列車とは一線を画した、深いメタリックグリーンのボディーにゴールドの帯が優雅なデザインの車両である。余剰の急行車両の足回りを活用した改造車とは思えない。木目調でまとめられた車内にはカフェテリアもあり、この列車が特別であることがわかる。
 10日前にキャンセル待ちで確保できた2号車窓側の指定席で、ホットコーヒーを飲みながら車窓を楽しむ。数日前に寝過ごしてやって来た天ヶ瀬を過ぎ、由布院駅に到着すると、大半の客が下車。空いた先頭車の先頭席へ移り、大きな窓から全面展望を楽しむ。窓の枠が少し気になるが、右へ左へと曲がるレールの眺めは飽きない。
 

 12時42分着の大分で下車し、30分ほど待って13時15分発の豊肥本線経由熊本行き急行「火の山4号」に乗る。非常に混雑した車内で一つだけ空席を見つけて腰を下ろす。隣席は一見して学生に見える女性だったのだが、声をかけられてお話しすると25歳の保母さんとのこと。国東半島への旅行の帰りだそうである。すっかり楽しくなってしまった私はこのまま「火の山4号」に乗り続けたい衝動にかられたが、今日はもう1本乗っておきたい列車があり、涙を呑んで15時01分着の宮地で下車する。


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 宮地からは15時22分発のSL列車「あそBOY」。8600形という古い蒸気機関車に牽かれたウェスタン調の客車に乗り込むと、車掌からビュッフェの女性係員まで皆西部劇調のファッションでまとめている。
 もうもうと煙を吐きながら豊肥本線を熊本へ向けて走り、立野駅へ入る手前で列車はいったん引き込み線に入って停止する。ここからスイッチバックである。最後部の展望車へ行くと、シューッというエア抜きの音とともに、列車が展望車を先頭にしてゆっくりと走り始めた。緩やかに勾配を駆け上る元の線路と別れてこちらは緩やかに下り、立野に停車。正面へは高森への南阿蘇鉄道が伸びている。「あそBOY」はここでさらに方向転換して、再び蒸気機関車を先頭に熊本へ向かった。


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 豊肥本線は2017年の熊本地震で大きな被害を受けたが、今月、最後まで不通となっていた肥後大津~阿蘇間が復旧し、4年4か月ぶりに全線での運転を再開した。その一方で、久大本線は7月の豪雨による土砂流入や鉄橋流失の影響で今も豊後森~由布院~向之原間が不通となっており、「ゆふいんの森」キハ71系1編成や普通列車数編成が由布院駅に取り残されている。一日も早い復旧を願うばかりである。


 私は熊本からL特急「ハイパー有明43号」に乗り、西鹿児島に20時55分に着いた。コインロッカーに荷物を預けて、前日と同じ「山之口温泉」へ行くと、番台のおばちゃんは私を覚えていてくれた。ひと風呂浴びた後、今日は「かいもん」に乗る、という話をすると、
「さっきもねえ、『かいもん』に乗るちゅう女の子らが3人来たとよ。なんでも屋久島でキャンプしてきたとかで、すごい荷物やったねえ…」
とおばちゃんが語った。


Img_20200819_0001  西鹿児島駅へ戻り、いつものように「かいもん」の4号車自由席に乗り込むと、前寄りの区画に大きな荷物が積み上げられ、3人組の女性が談笑している。通路を隔てた反対側に腰を下ろし、頃合いを見計らって「さっき銭湯に居ませんでしたか?」と声を掛けてみた。
「えっ?やだあ、騒いだの聞こえてた?そんなにうるさかったかしら?」と口々にリアクション。これまた賑やかである。福岡教育大学の学生という3人組と、屋久島でのキャンプの話やこちらの旅の話ですっかり盛り上がり、「かいもん」の夜は更けていった。


 続く。



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2020/08/12

1990年春・九州一周の旅【7】一期二会の旅

 またご無沙汰してしまいました。お盆間際なのになんだか忙しいいかさまです。

 前回の続き


 3月30日金曜日、久々にベッドで眠った朝は7時頃にすっきりと目覚めた。純和食の朝食をたらふく食べ、10時の退出時間までの間にたまった洗濯物を片付ける。
 出発前にホステラーみんなで記念写真を撮り、バイク組の大半が出発するのを見送ると、ひとり残った名古屋人の社会人ライダーが「砂蒸し温泉へ行こう」と声を掛けてくれた。私ももう一度行きたいと思っていたところなので即決で同行する。今度は汗を流すというよりも体をじっくりと温めて体力はほぼ復活。社会人氏を見送ってユースホステルに戻ると、乾燥機に入れておいた洗濯物は十分に乾いていた。


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 当時の日本最南端駅、西大山の写真を撮ったところでフィルムが満杯になり、私はフィルムを巻き取ろうとした。ところが小さなつまみを回しても、どうも手ごたえがない。恐る恐る蓋を開けてみると、まだわずかしか巻いていないはずのフィルムは綺麗に巻かれてカメラの中に鎮座している。つまり最初からちゃんとセットされていなかったらしく、ここまで1週間の旅の記録は1枚も残らなかった。今回の記事でここまで写真がなかったのはそのためである。特に「はやぶさ」の写真が一枚も残されていなかったことについては、未だに悔やまれる。


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 私とO君、それに車内で一緒になった小平市の中学3年生の少年と談笑しながら、開聞岳の麓をぐるりと回る列車に揺られて14時09分、終点の枕崎に到着。今度は失敗しないようにフィルムのセットを確認して記念写真を撮り、港を見に行くというO君たちと別れて、私は15時35分発の伊集院行き鹿児島交通バスに乗った。この路線は、1984年に廃線となった鹿児島交通の鉄道線の跡と並走する。バスから廃線跡をはっきり見ることはできなかったが、途中の主要駅だった加世田では解体中の駅舎を見ることができた。隣接した木造の車庫の中では色あせたオレンジ色のディーゼルカーが、置き去られたようにぽつりとたたずんでいた。


 終点の伊集院駅前でバスの運転手に肩を揺すられて目が覚めた。砂蒸し温泉で体が休まり過ぎたせいか、また居眠りをしてしまったようである。鹿児島本線の普通電車で西鹿児島へ移動し、今夜の宿、急行「日南」の出発まで夕食がてら駅付近を散歩することにしてコインロッカーへ行くと、またもどこかで見た顔に出会う
「また会いましたね」彼が言う。前夜のユースホステルで一緒になった春日井の専門学校生である。彼もまた「日南」に乗るというので、一緒に駅前へ出て、食事をとろうという話になった。ところが、うわさに聞いていた鹿児島ラーメンを食べたい私と、何でもいいから安く済ませたい彼の波長が合わない。結局、別々の行動をとることになる。


 市街地方面へ歩く間、地元の方らしき上品なおばさまに声を掛け、おすすめのラーメン屋を訪ねると、天文館に近い「こむらさき」という店の前まで私を案内してくれた。細い麺を取り巻く白いスープが何とも食欲をそそる。さすがは地元の方のおすすめで、カウンターの隣に座る夫婦も常連の地元民の方だった。今度はその方に、近くの銭湯の所在を訪ねる。ご夫婦は、接客がひと段落した店員さんの助けも受けて、「山之口温泉」という銭湯を紹介してくれた。


 一応温泉らしく効能書きもあった「山之口温泉」でさっぱりし、気持ちの良い夜の街を15分ほど歩いて西鹿児島駅に戻った。宮崎から急行「日南」となる普通列車は20時13分の発車である。4号車に荷物を置いて、ホームから車内を眺めながら歩くと、先ほどの専門学校生が3号車に腰を下ろしているのが見えた。席を引っ越してまで会話したい相手でもなく、そのまま4号車に収まる。
 列車は通勤客を乗せてほぼ満員で発車し、途中入れ替わりながら少しずつ空いていった。私の隣も南宮崎まで通勤客が入れ代わり立ち代わり座ったが、その先はいつものように空席が目立つ車内となり、私はリクライニングシートを向かい合わせにしてぐっすりと眠った。


 続く。



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