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2020年10月

2020/10/25

コロナ下のJR北海道【3】日高本線(鵡川~様似)の廃止決定へ

 鉄道輸送の需要が落ち込み、鉄道会社の収支が軒並み悪化するなかで、喫緊の課題は支出の抑制を図ることである。とはいえ、先にも述べた通り、インフラを自身で所有しなければならない鉄道においては固定費の比率が高く、コスト削減にも限界がある。

 
 そうした中でJR北海道においては、数年来取り組まれてきたいわゆる「赤色線区」の今後をめぐる動きがにわかに加速し始めた。
 10月23日、日高本線・鵡川~様似(116.0km)の沿線7町長は、同区間廃止の同意書に署名し、JR北海道の島田修社長に提出した。これにより、同区間は2021年4月1日付で廃止、バス転換することが正式に決定した。 
8月12日、日高本線・鵡川~様似間の沿線7町長が臨時町長会議を開き、同区間の復旧を断念、来年3月末の正式廃止に向けてJRとの最終合意を図る方針と報じられた。

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 2015年1月、高波による土砂流出被害を受けた日高本線は、その後一部区間で一時運転を再開したものの、土砂流出の進行により同年3月以降、鵡川~様似間の運休が続いた。年間10億円を超える赤字を生むこの区間の復旧には護岸対策を含めて38億円の費用が掛かるとされ、早期復旧を求める沿線自治体と復旧に消極的なJR北海道の溝は埋まらなかった。2016年秋にJR北海道はこの区間を「維持困難線区」と位置付け、2018年2月の「鉄道ネットワークワーキングチーム・フォローアップ会議」でも5段階評価の中で2番目に厳しい「他の交通機関との代替も含め、地域における検討・協議を進めていく」区間とされた。


 この間、2016年秋には「沿線自治体が廃止容認」と報じられたが、現実には代替交通機関の確保、あるいは比較的被害の少なかった鵡川~日高門別間の扱いをめぐって沿線自治体の意向は必ずしも一枚岩となっておらず、終盤には鵡川~様似間の廃止を容認する6自治体とあくまで鉄道での復旧を主張する浦河町とが対立する図式にもなった。


 浦河町も含めた沿線7自治体がようやく廃止に向けた協議に入ることになった背景には、新型コロナウィルスの影響も加えてJR北海道の収支が著しく悪化する中、議論を先延ばししては、代替交通機関の確保に向けた条件の引き出しに黄信号が灯る可能性も見据えたのではないかと推察される。JR北海道は今年6月の段階で、代行バスの運行費用や施設整備費用として総額25億円の助成金を拠出する案を提示したと報じられており、今回の合意はこの内容が基本になった。25億円は向こう18年間の代替バスの運行費と地域振興費に充てられ、この他に通学定期代の値上がり分の補償や、護岸復旧や線路敷の安全確保策なども講じられる。


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 日高本線・鵡川~様似間の廃止決定で、いわゆる「赤色線区」は残り2区間となった。留萌本線については8月18日、沿線4自治体が一部区間廃止で合意し、JR北海道との協議に入ると報じられた。全線廃止やむなしとする留萌市・秩父別町に対し、鉄路の存続を求める深川市・沼田町という図式になっており、双方の折衷案となった格好である。具体的な廃止区間については示されていないが、通学生などの需要が見込まれる深川~石狩沼田間を鉄道として存続させる考え方だとみられる。一方でJR北海道は全線廃止に向けた姿勢を崩しておらず、この内容で合意に到達する可能性は乏しい。


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 日高本線同様、一部区間で災害運休が続く根室本線・富良野~新得間については現段階で目立った動きは見られないが、新型コロナウィルスによる経営への影響が深刻化するJR北海道としては結論を急ぐ構えである。鉄路の維持を求める自治体の姿勢は理解できないわけではないが、たった1年間、たったひとつの出来事が、鉄道のみならず交通機関全体を取り巻く現況を大きく変えてしまった。そのことを考えた時、鉄路を守るの一点張りでは、大局的に見て守るべきものも守れないという事態にもなりかねない。維持困難路線の問題は正念場を迎えている。



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2020/10/18

コロナ下のJR北海道【2】来春減便ダイヤ改正へ

 JR北海道は14日、来春のダイヤ改正に合わせて、列車の減便・臨時列車化をおこなうことを発表した。


 JR北海道は新型コロナウィルスの影響で大幅減収が続いており、同日の島田社長の記者会見によると、2020年度のJR北海道単体の減収見通しは400億円に上り、うち360億円が鉄道運輸収入とのこと。2019年度の鉄道運輸収入は706億円であったから、前年比49%である。島田社長は、「発足以来の厳しい状況で、ダイヤの見直しや設備などの固定費削減に踏み込まざるを得ない」と述べている(北海道新聞)。減便・臨時列車化はその一環である。

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 今回の減便・臨時化については、対象が特急列車から普通列車に至るまで幅広く、これまで減便に縁のなかった札幌圏にも及んでいることが特色である。
 都市間輸送では、札幌~函館間で1往復減便・1往復臨時化、札幌~旭川間で2往復臨時化、旭川~網走間で2往復臨時化、旭川~稚内間で1往復臨時化となる。臨時化と言っても、年間230日程度運休、すなわち土休日中心の運転となる旭川方面の2往復を除けば、函館方面と稚内方面で年間30日程度、網走方面で50日程度と、運休日数はそれほど多くない。函館方面と合わせて、運転本数に変更のない帯広・釧路方面では、基本編成両数が減らされ、5両編成となる。


 札幌圏では平日10本程度、土休日20本程度が減便となる。減便対象には今年のダイヤ改正で増発された快速「エアポート」も含まれている。「エアポート」の減便はコロナの感染拡大の著しかった今年春にも実施されていたが、運行間隔が11分~13分と不定になったところへ減便が重なったことで運転列車の把握が難しくなった。個人的には元の15分間隔、毎時4往復に戻してもよいように思うのだが、どのようなダイヤ構成になるのかは気になるところである。

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 札幌圏以外では、函館本線(滝川~旭川)、宗谷本線(旭川~名寄)、根室本線(滝川~新得・新得~帯広)、留萌本線、石北本線が減便の対象となっており、各線とも10本程度が減便となる。一律に実施されるのかどうかは不明だし、線区によっては区間運転の列車が多数運転されているところもあるが、例えば滝川~旭川間や留萌本線の該当区間で10本減便となると、運転本数は1日4~5往復となる。これはかなりの大ナタである。


 これらのダイヤ改正によるコスト削減効果は約5億5千万円とされている。JR北海道の2019年度の営業費用は1,397億円で、わずか0.4%に過ぎず、焼け石に水ともいえる金額でしかない。けれども、テレワークの拡大による通勤需要の縮小、WEB会議の急激な普及による出張・ビジネス需要の減退、そしてこれまでJR北海道の旅客需要の底上げに大きな影響を与えていたインバウンド需要の減退など、コロナの影響を受けた旅客流動の劇的な変化は、利便性の確保や改善によってはもはや需要の回復が見込めないという判断をJR北海道にさせたということができる。JR北海道の運行路線の中で唯一収支均衡に近い成績を上げていた札幌圏輸送が一転して社内最大の赤字を出す状況になっていることは、会社運営に大きな影を落とすことは必至である。



 JR北海道で一大需要を誇る札幌圏と都市間輸送に大きなメスが入る一方で、これまで赤字の元凶とされてきた地方の閑散路線における路線維持方策に関する動きが停滞していることに対しては、利用者の間でいくらか不満がくすぶっているとも報じられた。そのあたりが札幌圏以外の減便にもつながっているのだろうと思うが、バス転換を求められているいわゆる「赤線区間」においてもこのところ動きが出始めた。そのあたりについては、次回。



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2020/10/12

1990年春・九州一周の旅【12】都井岬と日南海岸

 前回の続き。


 太宰府天満宮を訪れた後、私たちはバスで香椎線の宇美へ出て、そこからタクシーでTKさんのご自宅にお邪魔し、夕食をごちそうになった。バスで博多へ出て、久しぶりの急行「日南」自由席でぐっすり眠り、宮崎で6時55分の日南線志布志行き普通列車に乗り換えた。サラリーマンで賑わっていた列車はほどなくガラガラになり、行き違いの長時間停車を繰り返しながら走り、9時31分着の串間で下車。大きな荷物をコインロッカーに突っ込んで、10時ちょうどの宮崎交通バスで都井岬を目指した。


 都井岬を目指したのは深い理由があったわけではない。夜行列車でゆっくり眠るために、なるべく南を目指そうと考えたことと、確か小学校の国語の教科書で「都井岬には野生の馬がいる」というのを読んでいくらか興味があった程度である。特段予定を決めていたわけではないし、時間が潰せて変わった景色が見られれば、行先はどこでもよかった。東京から来たという老夫婦ともう一人、それに私の4人を乗せたバスは、45分ほどで終点の都井岬観光ホテル前に着いた。老夫婦はそのまま歩いて灯台を目指し、私はホテルのレストランで食事をとる。このホテルは2010年に閉館し、一時廃墟化したが、解体されて現在は新たな施設が建っているとのこと。


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 1時間ほど休んだのち、都井岬灯台を目指して歩き出す。ホテルの前には「御崎馬」と呼ばれる野生馬が何頭も、人間の姿など興味ないといった風情で往来している。どこか日本離れした光景である。木々に囲まれた道を15分ほど歩くと、先ほどの老夫婦とすれ違った。「あと10分ほどですよ」と教えてくれる。10分足らずで突然、だだっ広い駐車場が開けて、灯台が白い頭をのぞかせている。近くの土産物屋で焼きトウモロコシをかじり、灯台への階段を登った。


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 1929年に完成し、130万カンデラの光度を持つ都井岬灯台は、真っ白な躯体を持つ「いかにも」な感じの灯台。入場は有料のようだが係員の姿はない。逡巡していると後ろから来たカップルがすうっと中へ入っていったので、私もそれに付き従った。海からの高さは255mだが、切り立った断崖の上にあるので灯台そのものは15mと低いので、少し首を上げれば光源が見える。これはなかなかの迫力である。そこから眺める海も美しかった。ぼんやりと遠くに水平線が霞み、足元の岩には波がぶつかっては砕ける。風が心持ち強く吹く中、私はそこに立ち尽くした。


 しばらくそこで過ごした後、私は御崎神社を経由して都井岬観光ホテルへ戻ったようである。当時の記録にはそう書いてある。だが断崖の途中に鎮座する御崎神社の写真は手元にない。風景としてはこちらも灯台に負けず劣らず印象的なはずだが、その記憶も定かではない。ただ、ホテルへ戻ると野生の馬の数が増えており、さらには14時40分発の帰りのバスの窓からは野生の猿の姿も見えた。そのことはしっかり覚えている。


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 串間からは16時25分発の宮崎行き快速「日南マリーン号」で日南線を宮崎へ向かった。途中、ふと思い立って17時53分着の青島で下車し、海岸を少し散歩した。海底から隆起した水成岩が長い年月をかけて浸食されてできた「鬼の洗濯板」と呼ばれる波状岩が夕陽に照らされて神秘的な姿を見せてくれた。
 のちに自宅へ帰って家族と話した際に、両親の新婚旅行先が日南海岸であったという話を聞いた。図らずも私はそのルートを断片的ではあるが辿ったことになる。いろんな話を聞いたはずだが、父が語った、移動の際に寝台特急「富士」のいわゆる「ヒルネ」(寝台列車を日中の一部区間、寝台券なしで利用できること)利用したという話が強いインパクトになって、肝心の日南海岸の話をあまり記憶していないのが残念である。


 宮崎では9日ぶりに駅裏の「平和湯」を訪れ、2日ぶりの入浴でからだをゆっくり休めた。今日の宿はもちろん、博多行きの急行「日南」である。九州での日程も残り2日となった。明日の予定はほぼ何も決まっていない。私は湯船に浸かりながら、さて残った時間をどう使おうか、どこへ行こうか、と考えを巡らせた。


 続く。



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2020/10/05

1990年春・九州一周の旅【11】博多南線と太宰府天満宮

 2012年2月のスタート以来のアクセス件数が50万件を突破しました。8年半、駄文にお付き合いいただきました皆様に感謝申し上げますとともに、今後とも変わらぬお付き合いをお願い申し上げます。


 前回の続き。


1990040301  九州一周の旅、11日目の4月3日は、10時28分発のL特急「ハイパーかもめ14号」で長崎を後にした。当時のJR九州のエース、783系電車「ハイパーサルーン」で運用されるこの列車にはカフェテリアも連結されており、のちの「つばめ型」へ続く特急列車の設備改善の走りだった。「有明」用と異なり前面に入った水色の帯が特別な印象を与える。
 浦上と喜々津の間で二股に分かれる長崎本線のメインルート、市布経由の線路を走って、12時18分博多着。JR九州は全線完乗となったが、もうひとつ乗っておくべきJR線がある。博多南線である。


 この2日前、4月1日に開業したばかりの博多南線は、当時新幹線の西の終着だった博多から、那珂川市と春日市にまたがる車両基地までの回送線を活用して旅客線化したものである。新幹線の一部でありながら扱いは在来線であること、営業主体がJR西日本であること、全列車が「特急」扱いであること、特急料金は100円であることなど、当時としては異色ずくめの路線であった。


 博多駅の新幹線改札を「九州ワイド周遊券」を見せて通り抜け、13時08分発の列車に乗った。「こだま」用の0系電車6両編成で、車内は空いている。8.5kmを10分と新幹線車両らしからぬゆったりしたペースで走り、進行方向左手に留置線が広がって、13時18分、博多南に到着した。周遊券を見せて改札を抜け、駅の外に出る。小さな駅舎は盛り土の上にあり、開業に合わせて設けられたロータリーへは数十段の階段を降りる。駅舎には「祝・開業」の飾り付けがまだ残っていた。駅周辺には何もなかったが、今回の記事を書くにあたり、あらためてgoogleマップで確認すると、雑居ビルや住宅が広がり、駅舎と目と鼻の先を九州新幹線の高架が貫いている。


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 1時間ほど駅周辺をぶらぶらして、博多行きの列車に乗るため博多南駅の改札を抜けようとしたところで駅員に止められた。博多南線は「九州ワイド周遊券」では乗れないと言う。「博多南線は新幹線の一部ですからねえ」と言うのが駅員の弁だが、先に述べたとおり在来線の扱いで、時刻表にも新幹線の赤い線ではなく在来線の黒い線で描かれている。「それに博多南線はJR西日本ですから」と駅員は更に継ぐが、これとて周遊券には「九州内旅客鉄道会社線全線」と記されており、説明には無理がある。のちに正式にワイド周遊券でも乗車可能と整理されたようだが、開業からわずか3日でまだ現場も混乱していたとみえる。揉めるのも面倒なので190円きっぷと100円の特急券を買って列車に乗った。


Hakataminami  博多駅で一週間ぶりにTKさんと会い、西鉄バスで天神へ移動し、西鉄特急と普通列車を乗り継いで太宰府に着いた。行先はもちろん太宰府天満宮である。1年後に受験を控えている私にとっては鉄道以外では最も欠かすべからざる行先である。私よりひとつ年上で1年後にリベンジを控えているTKさんにとっても同様である。
 心字池の三つの赤い橋を越えて楼門を抜け、本殿で合格祈願。帰り道に神籤を引くと「吉」の文字が出た。だが肝心の学業の欄に目をやると、ひと言、
叶うが遅れる
と書かれていた。私は憮然として本殿を後にし、裏庭を抜けてお石茶屋で梅が枝餅を黙々と食べた。


 続く。



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