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2021/02/24

30周年記念。【1】

 またまた多忙につき大変ご無沙汰をいたしました。かろうじて元気です。いかさまです。


 2021年2月24日。この日は、私が北海道に初上陸してからちょうど30年の記念すべき日である。


Hokkaido01_2  1991年2月24日、翌日の大学入試を控えた私は、名古屋空港(小牧)から飛行機で千歳空港へ飛んだ。当時の搭乗券の半券は今も手元に残っており、ANA705便、座席は1Gとある。北海道も初めてならば飛行機に乗るのも初めてで、この時私はささやかな遺書を書いて飛行機に乗った。 その遺書はその後何度か再利用されたが、どこかへ行ってしまった。誰かに読まれていたら実に恥ずかしいレベルの内容しか書いていなかった記憶がある。


 当時の記録を紐解くと、13番スポットからバスで移動して搭乗した705便は、9時47分に移動を始め、その10分ほど後に滑走路を猛然と走り出した。背中を押し付けられるような強い力を感じながらふわりと宙に浮くと、地面から伝わる震動はなくなったものの小さくゆらゆらと揺れ、不思議というか気持ち悪いというか、そんな印象を受けたようである。「到着地、千歳空港の天候は曇り、気温は氷点下3度との報告を受けています」という、とんでもない所へ来てしまった感の強い機内放送は今でも覚えている。



199003106 千歳空港着は11時20分。まだ現在の新千歳空港ターミナルが完成する前の小さなターミナルから、長い通路を歩いて千歳空港駅(現・南千歳駅)へ行った。そこから11時54分発のL特急「ライラック13号」で札幌へ向かった。温かみのある781系電車の車内は飛行機からの乗り継ぎ客で混雑しており、座席には観光バスのような補助席まで付いていた。現在のような快速列車による航空アクセス体系はまだ確立しておらず、本線上を走るすべての列車が千歳空港駅に停車し、乗客は運賃+100円の「エアポートきっぷ」で特急列車に乗ることもできた。


 まだ青い旧ビル時代の札幌駅西通り南口から踏み出した記念すべき北海道での第一歩で、私は凍った路面に足を取られてめでたく転倒、華麗な北の大地デビューであった。宿泊は駅近くの札幌ハウスユースホステルだったのだが、ここの入口階段でも私は転倒した。悪いことはまだ続く。受験会場の下見に行った際、翌日の受験票の他に本来持参しなければならないセンター試験の受験票を自宅に忘れたことに気付いた。


 通りがかりの学生に教えてもらった担当部署で、当日申告すれば大丈夫と言われて安心した私は、その後、当時恒例にしていた受験前のゲン担ぎのため、駅前のパチンコ屋へ行き、汽車ポッポDXという台で1時間ほど遊んでドル箱1箱いっぱいにした。ところが景品カウンターへ向かう途中で椅子につまずいた私は2,000発あまりの玉をフロアにぶちまけ、挙句の果てにユースホステルへの曲がり角でみたび滑って転倒し、手のひらから血を流すことになった。


 記録に頼るまでもなく、初めての北海道、初めての札幌のことは鮮烈な印象となって私の脳裏に焼き付いている。あれから30年、旧千歳空港ターミナルも青い札幌駅舎も跡形もなく、L特急も781系電車も姿を消して久しい。「ゴールデンレジャー」から「パーラー時計台」と名を変えたパチンコ店も10年ほど前に閉店した。私にとってはつい最近のことのように感じるのだが、子供たちや昨今の若者にこんな話をしたところで大昔の話と一笑されるに違いない。私たちが人生の大先輩から街頭テレビで見た力道山の空手チョップの話を聞かされるに等しい。



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コメント

いかさまこんにちは。
今は昔、上陸30年ですか。今は家族と共に北海道の住人としてご活躍ですね。
いろいろ昔の思い、一番良かったのは大学に滑らなかったのがこではないですか。(^^♪
今後もいかさまの歴史を刻んでくださいね。

投稿: mitakeya | 2021/02/25 16:08

自分も札幌ユースホステルの階段で滑ってドリフのコント並みにスライディングしたことがありますよ。

それ以来手すりをつかむようになりました。

投稿: かわうそくん | 2021/02/25 19:19

おめでとうございます!
痛い思い出とはいえ、記念の日、しっかり覚えてらっしゃって素晴らしいです。
小牧、私も1度だけあります。
市内近くて、たしか西春からバス?搭乗券まで、さすがいかさまさんだ~!

投稿: キハ58 | 2021/02/25 21:27

いかさまさん、こんばんは。

いかさまさんは当時からマメだったのでしょうね。あの時の搭乗券をまだ持っていたとは・・・当時から乗り物に興味があったのでしょうか?

私も初めて沖縄を離れたのが、同時スカイメイトで乗った東京での受験でした。このまま東京で学生をしていた兄の元に居候しながら、東京の予備校選びを行いました。

私の初めての飛行機はいかさまさん同様に受験でしたが、羽田に着陸する時に陸地が見えず着水するのではと心配しました。着陸直前に陸地が見え無事着地出来ました。いかさまさんの更に15年前の出来事でした😀

投稿: omoromachi | 2021/02/26 20:48

 皆様、毎度ながらお返事が遅れて申し訳ありません。


 mitakeyaさん、ありがとうございます。
 大学受験のことは事細かに書けばこれまたいろいろとあるのですが、ともあれ両親に迷惑をかけることなく第1志望に一発合格できたのは最大級の幸運であったと思います。
 そうこうしているうちに長男坊も受験の年が近づいてきています。彼はどんな青春を送るのでしょうね。楽しみでもあり、一抹の寂しさもあります。

投稿: いかさま | 2021/03/21 22:49

 かわうそくんさん、ありがとうございます。
 雪のない地域で暮らしているとわからないことが、北海道に来てわかることもあります。手すりのありがたさや、いわゆる「冬底」の靴、スタッドレスタイヤの効果なんていうのもそのひとつですね。
 札幌ハウスもYHの看板を下ろして数年がたち、現在はコロナの影響で休業中です。それでもまだあの当時の姿のまま建っているのはうれしいです。

投稿: いかさま | 2021/03/21 22:52

 キハ58さん、ありがとうございます。
 人生のターニングポイントですから、細かなことまでよく覚えています。私がのんきにパチンコ屋から帰ってくると、YHの部屋で同室の人がみんな赤本を広げていたなんていう光景も、くっきりと思い出されます。
 小牧空港は公共機関だと栄か西春か勝川からバスでしたね。実家から車で送ってもらうことが多かったのですが、勝川と西春からのバスは何度か利用した記憶が残っています。

投稿: いかさま | 2021/03/21 22:54

 omoromachiさん、ありがとうございます。
 闇雲に鉄道グッズを収集する趣味はないのですが、自分が乗った列車などのきっぷはかなりの数が手元に残っています。搭乗券もそのひとつですね。当時、知人が名古屋空港のカウンターにいて、そのご配慮で最前列の座席を確保していただいたものでした。
 当時の私の飛行機に対する恐怖心はなかなかのもので、本当は行きも列車で行きたかったのですが、さすがに両親から「馬鹿か」と怒られて仕方がなく乗ったのです(笑)

投稿: いかさま | 2021/03/21 22:58

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