上岡龍太郎さん…尊敬する「奇才」
上岡龍太郎という名前が報道に大きく出るのは相当久しぶりのことだったと思う。その久しぶりの報道は本人が亡くなったというものだった。
上岡龍太郎が「横山パンチ」の名前で、横山ノック(故人)、青芝フックと「漫画トリオ」を組んでいたということは、かなり後になって知った。私が物心ついた頃はすでに上岡龍太郎として人気司会者の地位にあった。全国的には「探偵!ナイトスクープ」や「EXテレビ」で爆発的に有名になったのではないかと思うが、私が住んでいた岐阜県(東海広域圏)では、当時から関西エリアの番組が多数放送されていたために、目にする機会が非常に多かった。「ラブアタック!」「花の新婚!カンピューター作戦」「ノックは無用!」など、小学生・中学生の頃はよく観ていた記憶がある。
さらに、名古屋ローカルのラジオ昼番組「ばつぐんジョッキー」を長年担当するなど、名古屋自体との縁も深かった。この番組は以前に触れたレイルウェイライターの種村直樹も一時担当していたが、木曜担当の上岡龍太郎と月曜担当の板東英二との「阪神・中日対決」が名物だった。平日昼間でそれほど聴く機会が多かったわけではないが、「芸は一流、人気は二流、ギャラは三流、恵まれない天才、阪神タイガースのオーナー、上岡龍太郎です。」という口上は印象深い。17年続いたこの番組で、最初から最後までパーソナリティを務めたのは上岡龍太郎ただ一人である。
とにかく「立て板に水」という言葉がピッタリくる、しゃべくりの「奇才」であったと思う。当時のことを思い出してみると「えー」とか「あのー」とかいったムダな言葉は一切挟まないし、とにかく噛まない。「体脂肪率ゼロの喋り」と評した人がいたとかだが、実に的を射ている。子供心にその凄さは感じていたが、高校・大学と進み、人前でしゃべる機会が増えてくるにつれ、これはとんでもない人だ、という思いを私は強くしていった。「EXテレビ」や「鶴瓶上岡パペポTV」など、動画サイトで今も観ることができるので、興味のある方はぜひ検索してみていただきたい。
「鶴瓶上岡パペポTV」は、高校時代、「ながら勉強」で毎週観ていた。二人でただトークをするだけなのだが、例によってたどたどしい喋りの笑福亭鶴瓶に上岡龍太郎が容赦なく突っ込みを入れ、感情的になる鶴瓶を上岡が理論でねじ伏せる図式は、いつ見ても新鮮で、とにかく面白かった。北海道へ渡ってこの番組が見られなくなるのが非常に残念だったが、のちに北海道でもネットされるようになった。
「ゴルフは嫌い」「マラソンは嫌い」と豪語しながらその後両方にストイックに取り組む「ぶれた姿勢」とそれをまた屁理屈で弁明するのもまた面白かったが、「僕の芸は20世紀までのもの」と言う姿勢だけは崩さず、2000年の3月にきれいにテレビの世界から退場していった。
確かに、21世紀に入ってからテレビの世界はコンプライアンスが厳しくなり、ネットの普及もあってちょっとした言葉尻を捕えて炎上させる風潮が強まっていった。上岡龍太郎の喋りのテクニックが錆び付くことはなかったと思うが、窮屈になっていったことは間違いないように思える。
上岡龍太郎の最後の「しゃべり」として今もネット上に存在し、逝去の報道の際にも流れていたのが、2007年に亡くなった元相方・横山ノックを「送る会」での献杯挨拶である。これもまた名作である。毀誉褒貶さまざまある横山ノックを、時にしんみりと、時に笑わせて送る言葉は、上岡龍太郎の「話芸」の終着点となった。一瞬、感極まったように声が高くなる瞬間があるのはとても珍しい。
5月19日に亡くなったことは葬儀終了まで伏せられ、6月2日に公表された。
ご子息である小林聖太郎氏の「とにかく矛盾の塊のような人でした。父と子なんてそんなものかもしれませんが、本心を窺い知ることは死ぬまでついに叶わなかったような気もします。弱みを見せず格好つけて口先三寸……。運と縁に恵まれて勝ち逃げできた幸せな人生だったと思います。」というコメントもまた、とても心に響く。
会社員としてはおそらく問題ありだろうと思うが、私が強く憧れた人のひとりである。
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