愛すべき怪物番組「笑点」への思い【episode-3】+α
夕方5時半になると反射的にテレビの前に座り、5チャンネル(STV=日テレ系)を入れるのが習慣になっている。昨日は年に1度の24時間テレビだった。昨今、24時間テレビを観ることなど稀になっているが、この時間チャンネルを合わせれば、生放送の「チャリティー笑点」の時間である。この中で、「大喜利終了後に木久扇さんから重大なお知らせがある」と聞いた瞬間、ああ、勇退だな、と直感したのは私だけではなかったと思う。
人に寿命がある以上、長年続けてきた仕事でも退かなければならない瞬間は必ず訪れる。ここ何年かで「笑点」はそういう局面を何度か迎えてきた。桂歌丸さんは50周年の節目に自らその大役を降り、二代目林家三平さんは周囲から力量不足を指摘されその座を退いた。六代目三遊亭円楽さんは病に倒れてなお復帰を目指して懸命に戦ったがメンバーのまま昨年の秋亡くなった。
こうした状況を見届けつつ、木久扇さんご本人が自身の進退についていろいろと考えたであろうことは想像に難くない。勇退時期を来年3月としたのも、円楽さんの急逝から新メンバーの決定までに半年余りを要したことが念頭にあったのだろうと思うし、笑点得意の情報の堅固なガードのためにも生放送となるこの日を発表日に選び、リード期間をみるという周到な準備もあったのだろうと思う。
今日まで57年間にわたって続いている「笑点」だが、初代司会者である立川談志さんがブラックユーモア路線を目指したことで、番組開始から3年の1969年春に、それに異を唱えたレギュラー解答者が全員揃って一時降板し、メンバー総入れ替えとなった時期がある。五代目圓楽さんも歌丸さんも三遊亭小圓遊さんも出演しない「笑点」は視聴率の低下を招き、わずか半年間で本人の選挙出馬を理由として談志さんが降板、司会が前田武彦さんに交代して再度メンバーが大幅入れ替えとなった。この時、歌丸さんや三遊亭小圓遊さんの復帰とともに新メンバーとして加入したのが木久扇さんである。以来54年間の出演は、歌丸さんを超えて番組最長となった。
笑点メンバーの人気は、そのキャラ付けの確立に比例するところがあるが、木久扇さんの与太郎キャラは他の追随を許さない。54年間これを一貫して演じ続けてきたということは意義深い。そのキャラクターの周辺を、売れないラーメン屋、答えを客に奪われる、いやんばかーん、ミネソタの卵売り、宇宙人ぼよよよーんといった小ネタやエピソードが絡み合って、まずいと言われるラーメンをはるかに凌ぐ濃厚な美味のキャラクターを確立させて来た。AKB48やKaraなど当時流行(を若干過ぎた)の新しい小ネタを挟んできたのは、ご本人の意欲の表れに他ならないと思う。余談だが、木久蔵ラーメンは以前羽田空港売店でよく売られており、何度も買って帰ったが、決してまずくはない。
木久扇さんが卒業すれば、おそらく新たなメンバーが来春から参入することになると思うが、ここまでにキャラが確立した人の後任は相当プレッシャーもかかるだろう。視聴者もそれなりの期待をするだろうからめったな人選はできない。すでにネット上では後任を巡ってさまざまな予想が飛び交っているが、私は今この段階ではこれに触れないことにする。近くなったらやっぱりいろいろ予想してしまうのだろうと思うが、なにしろ過去2回、偉そうに理屈をこねくり回しながら後任予想を外した前科がある。口は禍の元である。
番組では、木久扇さん卒業発表の後、谷村新司さんの病気についても伝えられた。わざわざアリスのメンバーである堀内孝雄さんや矢沢透さん、昨年コンサート活動を引退した加山雄三さんが出演してコメントしたことで、決して軽い病状ではないことを感じさせられた。
「サライ」は私が北海道へ来た翌年、1992年の曲で、当時の私の立場とも相まって心にしみた曲だった。「陽はまた昇る」などはいまだにしばしばカラオケで歌う。考えてみれば谷村さんも私の父と同じ年。元気になって再び渋くも甘い歌声を聞かせていただけることを祈って止まない。
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コメント
こんばんは。
本筋からは外れるんですが、追伸部分の谷村新司は、大学の1年後輩でした。彼は卒業しなかったものの、身内感があって、「昴」に痺れたものです。勝手なウンチクで、竹鶴正孝が大学の前身の英語学校教師だった時期があって、それでニッカに繋がったんだと吹聴していました。元気な姿を見せてほしいものです。
投稿: 南太郎 | 2023/08/29 22:42
南太郎さん、ありがとうございます。
そうだったんですね。ずいぶん身近なところにいらっしゃったのですから、応援するお気持ちもひとしおだと思います。
私はさだまさしさん経由で谷村新司さんに到達したのですが、何かのトークでさださんが言っていた「小川知子の胸に手を入れる」の話が頭から離れず困った記憶があります。
いずれにしても今のご時勢ではまだまだお若いですから、快癒をお祈りするばかりです。
投稿: いかさま | 2023/09/03 22:41
1985年8月12日、『笑点』の大喜利メンバーは羽田空港にいました。司会の五代目・三遊亭圓楽さん、解答者の桂歌丸さん、初代・林家木久蔵さん(→木久扇)、林家こん平さん、三遊亭小遊三さん、三遊亭楽太郎さん(→六代目・三遊亭円楽)、古今亭朝次さん(→七代目・桂才賀)、そして座布団運びの山田隆夫さんの合計8人。翌日から阿波踊りに参加するため、徳島へ移動するところでした。
ところが、予約していた徳島行きの便に大幅な遅延が発生しており、さらに徳島空港が悪天候のため条件付きでの運航になってしまいました。そこで、「まず伊丹行きの便で大阪へ行き、神戸港から船で四国へ渡る」という代替案が出ます。最終的にはこん平さんの「いいじゃないかい、決まった便でゆったり行こうよ。きっと徳島に着陸できるよ」という一言に他のメンバーも賛成。予約した便でそのまま一行は移動し、同行する予定だった広告代理店の数名は代替案で移動することになりました。
徳島に到着した後、空港から宿泊先のホテルへ向かうタクシーの車中で、一行は衝撃的なニュースを耳にすることになります。東京(羽田)発大阪(伊丹)行きのJAL123便……代替案を選んだ場合に自分達が乗ることになっていた便が、消息を絶っていたのです。
一方、この日秋田へ地方巡業中だった大相撲の七代目・伊勢ヶ濱親方(元・大関の清國勝雄さん)は、JAL123便の事故で当時の妻と長男、長女を亡くしました。その後、再婚相手との間に生まれた次男は、2009年に「林家木りん」の高座名で木久扇さんに弟子入りし、落語家の道へ。2023年9月に真打ちに昇進し「林家希林」に改名します。希林さんの本名「嘉由生」(よしゆき)は事故で亡くなった兄・姉の名前から一文字ずつ取り、「生きる」を組み合わせたものです。
投稿: 龍 | 2023/09/04 14:34