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2023/10/02

さようなら「札幌エスタ」

 何度も書いたが、私が初めて札幌駅に降り立ったのは1991年2月24日のことである。
 当時のL特急「ライラック」で到着した札幌駅は、1988年に高架化されたばかりで、ホームから改札・コンコースにかけては真新しかったが、まだ仮普請のような風情がそこかしこに残っていた。


 高架ホームの下に位置する西改札口を出て南口へ進むと、動く歩道も設置された連絡通路があった。札幌駅の高架化工事は既存ホームを避けて進められたため、全体的にホームが北側に寄る形になり、ぽっかりと空いた旧ホームの空間はアスファルトで舗装された更地になっていた。当時、この空きスペースは将来的に新幹線を迎え入れるための駅用地だというまことしやかな噂が流れたが、現在この場所には大丸百貨店とステラプレイスが建っている。


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  (開店当時のそごう)       (閉店直前のエスタ)

 連絡通路の先が JR北海道本社も入る青い旧駅舎で、改札口こそなくなったものの札幌駅の「顔」としてまだ健在だった。この駅舎が解体されて再開発工事が本格化するのは1996年頃からのことである。
 この駅舎から出てすぐ左手、真っ先に目に飛び込んでくる大きな建物が、「ESTA」(エスタ)であった。1991年当時のキーテナントは「札幌そごう」。現在「アピア」と呼ばれる、当時の札幌駅名店街と地下街で結ばれた駅前一等地の巨大な百貨店は、田舎からやって来た私にとって最初のインパクトであった。道路を挟んだ南向かいの東急百貨店や五番舘西武とともに、大通エリアの丸井今井・三越とせめぎ合っていた。


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 札幌駅南口の再開発が本格化した1990年代後半、バブル崩壊後の不景気の中でそごうグループの経営悪化が表面化、2000年に民事再生法の適用を申請、札幌そごうも運営会社の破産宣告を受けて閉店した。同じころ、明治以来の伝統を持つ五番舘西武も札幌西武へ衣替えしている。
 キーテナントを失い、一時期は地下1階の食料品売り場、10階のレストランだけが営業する事態となったエスタには、翌2001年7月にビックカメラ札幌店が1階から5階に入居して新たなキーテナントとなり、空いていたその他のフロアにもユニクロやナムコなどが入居。2003年に開業したステラプレイスとは連絡通路で結ばれて、エスタには再び活気が戻った。


 札幌で私を迎えた初めての大きな建物であるエスタにはいろいろと縁がある。
 駅に近いという利便性で買い物によく足を運んだ。3階と4階の間に池をしつらえた吹き抜けがあり、さすが大都会のデパート、と感心したものである。11階には「プラニスホール」と呼ばれる多目的ホールがあって、今思い返すと私はJR北海道の採用試験をここへ受けに行ったJR北海道は私を受け付けてくれなかったが、拾ってくれた今の会社での最初の配属先が札幌駅前だったこともあり、10階のレストラン街には頻繁に足を運んだものである。


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 その後、旭川・岩見沢と転勤して「エスタ」とは疎遠になったが、2009年、札幌に戻ってきて南区に居を構えると、エスタ1階のバスターミナルにずいぶんお世話になった。3つのレーンに各6か所、計18か所のバス乗り場が設けられており、3つのレーンが遮断機付きの横断歩道で平面移動できる構造が珍しかった。
 私はしばしば9番・12番乗り場からじょうてつバスに乗って家路についたし、2014年から4年間の単身赴任では、旭川へ向かう高速バスもここで乗り降りした。仕事終わりでバスに乗る前、エスタ地下1階のドトールでコーヒーを飲みながらこのブログを書いていたのも懐かしい思い出である。
 

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 それから20年が過ぎ、今度こそ北海道新幹線を迎え入れるにあたり、エスタは新たなビルに建て替えられることとなった。地下に設置されたカウントダウンの看板が「0日」を指した8月31日、1978年以来45年間の商業施設としてのエスタは多くの市民に見守られながら営業を終了した。ビックカメラなど一部の店舗は向かいの東急百貨店など周辺ビルへ移転した。
 バスターミナルの供用は続けられたため、一部の通路は残されたが、閉鎖された地下1階の「エスタ大食品街」はフェンスが立てられて通行できなくなり、この1か月間で店舗内の撤収・整理が進められた。


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 エスタのテナントエリアと結ぶ階段のシャッターが閉じられた後もバスターミナルは1か月間、普段通りにその役目を粛々とこなし、9月30日をもってお役御免、供用終了となった。バス乗り場は10月1日から札幌駅南口周辺の路上に分散設置された仮設乗り場に移る。
 集中時には10台近いバスが一斉に吐き出されて行く壮観なターミナルの風景も過去のものになった。出発最終便となったじょうてつバスは車体横に「さようなら 札幌駅バスターミナル」と掲示し、市民やバスファンに見送られてターミナルを出て行ったそうである。


 新しいものを迎える代わりに古いものが消えていくのは当然の摂理であるけれども、その古めかしさが日常に溶け込んで、長年私の中で札幌駅南口のアイデンティティーとして存在した建物の最後を見送るのは誠に寂しいものである。
 札幌エスタの閉鎖により、JR北海道は貴重な収入源のひとつを失うことになるが、5年後に完成する複合ビルは関連事業の新たな「核」となるはずである。建設費の高騰により計画の縮小もうわさされているが、札幌エスタ同様に札幌市民に愛される素晴らしい施設になってくれることを切に願ってやまない。




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