2023 いい日旅立ち・西へ【8】寄り道・軍艦島への旅(4)
前回の続き。
第1見学広場の左手、南側には、第二竪坑坑口桟橋跡がある。軍艦島には4本の竪坑があったが、第二竪坑は閉山まで採掘が続けられ、端島炭鉱を支え続けた。ここで採掘された石炭は良質の原料炭で、海外からの輸入品に劣らない品質を保っていたという。周辺には多くの関連施設があったようだが、そのほとんどは崩壊し、当時の姿をとどめるべくもなく風化している。鉱員たちはここで1日8時間以上、海底の坑道で採掘作業を続けた。地上に出てくると鉱員たちは共同浴場に向かい汗を流した。鉱員浴場の浴槽はいつも真っ黒だったという。
しっかりと整備された見学通路を歩いて第2見学広場へ移動する。正面に、この島では珍しい赤レンガの遺構が残っている。ここは総合事務所の跡である。端島炭鉱の中枢ともいうべき場所で、常時70~80人の社員がいて炭鉱作業の指揮命令をとっていた。周辺に連なるいくつかの建物がまだ形をとどめてはいるが、当時はもっとたくさんの建物があったはずである。総合事務所の建物も、裏側では補強がおこなわれているという。
その事務所の前をコンクリートの通路のような躯体が横切って、島の西側へと伸びている。これはドルフィン桟橋と居住地域を結ぶ唯一の通路であった地下トンネルとのこと。こちらはまだ生きているのだとか。
事務所の奥、丘の上には、灯台と並んでコンクリートの貯水槽が建っている。最盛期の端島にはまだ水道設備がなく、定期的に本土から給水船が運んだ水がこのタンクに蓄えられ、落差圧で共同水栓に供給された。住民は「給水券」と引き換えに水を受け取っていたという。1957年に海底水道が開通したことで取水制限はなくなったが、幹部住宅以外の鉱員住宅に浴室が設けられることはなかった。
第3見学広場まで来ると、島の西側に位置する住宅群のうち、30号棟・31号棟が間近に見えた。7階建ての30号棟は、1916年に建築された、日本最古の高層鉄筋コンクリート住宅といわれている。140戸の鉱員住宅はロの字型で、中央部は吹き抜けになっていた。
そこから岸壁に沿うような形で細く伸びる6階建ての31号棟も鉱員住宅であるが、こちらは1957年建築。1階には郵便局や公衆浴場、理美容院などもあった。水道の整備は遅かったが島内の電化は早くに完成し、当時は高級品だったテレビも多くの家庭が備え付けていたというから、島民が生活に困ることがないよう、当時としては比較的高い水準のインフラ整備が進められていたことがわかる。
30号棟は建築学的に見てもきわめて貴重な史料価値のあるものだというが、コンクリートの躯体は長年の海水や強風で劣化が進んでいる。むき出しになった鉄骨は錆が進行し、令和2年3月の強風で建物の中央部が大きく崩落したとのこと。パンフレットの写真とは形が異なっている。
「先日もお客様がご覧になっている目の前で崩れたことがあります」とガイドの女性が言った。一瞬見物客がしんとなった瞬間である。
「今日の軍艦島は今日だけのものです。次にお越しの際は、きっと形が変わっていると思います」
そう続けたガイドの言葉が印象的だった。
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コメント
旅番組で見たことはありますが、ほんと凄い遺構ですね!
歴史そのものです。
投稿: キハ58 | 2024/02/28 21:29
キハ58さん、ありがとうございます。
歴史と言うには短い期間かなとも思いますが、短期間に発展して、役割を終えて朽ちていく、文明の姿を見ているような気持になりました。
投稿: いかさま | 2024/03/03 23:28