2023 いい日旅立ち・西へ【9】寄り道・軍艦島への旅(5)
前回の続き。
前にも書いたが、軍艦島へは通常5社のクルーズ船が1日1便ないし2便を運航している。軍艦島の船着き場はドルフィン桟橋1か所だけだから、上陸は交代で行われることになる。したがって1便当たりの上陸時間はおよそ40分。2班に分かれている我がクルーズの場合は、1班およそ30分で撤収となる。後ろ髪を引かれる思いだが、そろそろ船に戻る時間となり、ぞろぞろと来た道を引き返す。
途中、軍艦島を囲う護岸の上に、釣り人の姿があった。そういえば上陸前、桟橋の跡と思われるコンクリートの上にもいた。この人たちはどのようにして島に来ているのだろうかとふと疑問に思い、ガイドに聞いてみた。一般の釣り船でここまでやって来るのだという。護岸までは釣り人が登ってもセーフなのだが、中へ入ると罰せられるとガイドが教えてくれた。自宅に帰ってから調べると、漁業権との兼ね合いで諸々経緯があったようで、現在は護岸の外側の構造物までは条例上認められているらしい。けれども護岸の上はどうやらグレーゾーンのようである。
島に上陸した時にくぐったコンクリートのトンネルを再び通り、ドルフィン桟橋へと向かう。トンネルの中ほど、右側に、格子でふさがれた小さなトンネルの入口があった。これが先ほど総合事務所の前を横切り30号住宅方面へ伸びていた地下トンネルの入口だったのかと気付く。
船に戻り、今度は進行方向左側に陣取る。後ろの班の到着を待って出航。着岸してからわずか40分余りであるが、ずいぶん長い時間を過ごしたような気分になっている。
クルーズ船が出航すると、正面から別の会社のクルーズ船の姿が見えた。これから上陸するのであろう。こちらは軍艦島を右手に見ながら時計回りにゆっくりと島の北西端あたりまで進んだ。正面に見える中ノ島は、端島からおよそ700mほど離れており、明治初期には採鉱も行われていたが、条件の悪さから早々に閉山となり、端島住民の公園として整備された。「島内に何でもある」と言われた端島になかったたった二つの施設、火葬場と墓地(納骨堂)もこの島には設けられていた。端島炭鉱の閉山とともに中ノ島も無人となり、上陸はできない。
船はここでUターンし、私の座る進行方向左側に軍艦島を遠巻きに見ながら、今度は反時計回りに3分の2周ほどして長崎港へと戻る。まずは島の北端に位置する建物群をほぼ正面から眺める。一番左のやや白っぽい建物が先ほど陸上からも見た端島小中学校。最上階の崩れた姿が先ほどよりはっきりと見える。その隣にコの字型の65号棟の北棟、さらに右が4階建ての67号棟(単身住宅)である。65号棟の手前側の4階建ての建物は端島病院(69号棟)で、隣接する白い2階建ての建物(69号棟)は、島内での赤痢の流行を背景に設けられた隔離病棟である。端島病院の設備は総合病院に匹敵するものだったといい、医療水準も先端だったようである。
67号棟から連なる鉱員住宅の奥、丘の上に見えるのは、端島神社の祠である。拝殿は倒壊してしまい、それより一段高いところにあった祠だけが残っている。その麓にも住宅が並ぶ。海岸に近い左の51号棟と右の48号棟、その奥の16号棟から20号棟まで連なる鉱員住宅の間の細い道路は「端島銀座」と言われ、高島などからやって来た行商人が店を開くなど賑やかだったようである。
48号棟の地下にはパチンコ店や雀荘があり、48号棟と先ほど第三見学広場から見た31号棟の間には「昭和館」という映画館(50号棟)もあった。2階建ての建物は下層の骨格だけが残っているが、護岸に阻まれて海上からは見えない。比較的建築年次の新しい31号棟は、その昔鉱員向けの遊郭のあった場所に立てられたものだとという。
「昭和館」の内陸側には、もはや原形をとどめていないが木造の「泉福寺」があった(23号棟)。一応禅宗の寺院だったそうだが、党内唯一の寺ということで、「全宗」と称していたらしい。ガイド氏の談であるが、いよいよなんでもある島である。
端島は地理的に台風の被害を受けることが多く、時には高い波が防波堤を超えて島の中に飛び込んだ。特に西側の一帯は「潮降町」の異名もあった。生活環境としては非常に厳しく、時に外部との往来もままならなくなる端島では、島内で完結できるだけの生活インフラの整備が不可欠だった。それをより高い水準で目指したからこそ、過酷な労働である炭鉱に労働者が集まったのだろうと思う。
島の人口は最盛期に近い1960年で5,267人。人口密度にして東京都の17.5倍に及んだ。私のごとき部外者がわずかな知識と情報だけを頼りに断じるわけにはいかないが、危険と背中合わせの一方で、その家族たちは活き活きと暮らしていたのだろう。残された映像や写真の中の島の人々の表情には、そう思わせるだけのものがある。
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コメント
こんばんは。
端島って、聞きしに勝るすごいとこだったんですねぇ。撮影には条件がよくなかったように思いましたが、40分なんて、あっという間だったでしょうね。よう行かんとの思いで見せてもらいました。ありがとうございました。
投稿: 南太郎 | 2024/03/04 00:54
南太郎さん、ありがとうございます。
わずか40分足らずの滞在時間で、かつ見学通路の制限もありましたが、非常に貴重な体験ができたと思います。
昨今は便利なもので、googleのストリートビューで島の中もくまなく見ることができるようですが、現地の風景はまた格別のものがありました。
投稿: いかさま | 2024/03/11 00:13