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2024/04/01

「本線」の末路~根室本線・富良野-新得廃止

 3月31日、またJR北海道から歴史ある路線がひとつ姿を消した。根室本線・富良野-新得である。


 道央エリアと釧路・根室を結ぶ鉄道路線は、まず旭川と釧路から整備が進められた。1907年に、狩勝峠を含む落合-帯広が開業して1本につながり、「釧路線」となって、道央と道東を結ぶメインルートが完成した。
 1913年に滝川-富良野が開通して滝川-釧路が「釧路本線」に改称され、こちらがメインルートとなる。旭川-富良野は「富良野線」となって現在に至っている。釧路本線が根室に達して「根室本線」となったのは1923年のことである。


 つまり富良野-新得は、1907年から道央・道南と道東を結ぶ幹線の一部を形成する重要な路線であった。これは1981年10月に千歳空港と新得の間を短絡する石勝線が開業するまで続いた。
 石勝線の開通により、札幌と帯広・釧路を結ぶ特急列車はすべて石勝線経由となった。滝川経由の優等列車は、急行「狩勝」が存置されたものの、1990年に滝川で系統分割されて快速格下げとなり,道央・道東連絡の役割を終えた。


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 滝川ー富良野ー新得は、空知、上川、十勝と三つの振興局にまたがっているが、札幌-帯広・釧路という大需要を失ったこの区間で、それぞれの流動は太くない。特に今回廃止となる富良野ー新得の流動は小さい。
 私は今から11年前、当時日本で最長時間を走る普通列車であった2429D(滝川ー釧路)に通しで乗ったことがあるが、滝川からの50人近い旅行客は富良野ですべて下車してしまい、富良野ー新得は20人たらずの乗客だけを乗せて狩勝峠を越えた。

 ⇒滝川発釧路行き・2429Dの旅(1) 滝川→富良野


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 2016年の8月、相次いで北海道に上陸した3個の台風は,空知川の堤防を越えて南富良野町の市街地を冠水させ,東鹿越と幾寅の間で線路を押し流した。以来この区間を含む東鹿越ー新得はバスによる代行輸送となった。仮の終着駅となった東鹿越は、正面に人造湖のかなやま湖、背後に石灰石の鉱山を背負う寂しい駅で、2016年6月には利用客が少ないため翌年ダイヤ改正での廃駅が地元に申し入れられていたが、台風による大きな被害から辛くも逃れたため、代行バスの乗換駅として生き延びた。
 けれども、特に被害の大きかった東鹿越から先の区間は復旧の手が付けられることはなかった。辛くも生き延びた区間も含め、富良野-新得は、JR北海道の再建に向けた、いわゆる「赤線区間」に含まれており、同様の状況からのちに廃止された日高本線(鵡川-様似)の状況を見る限り、この区間の趨勢は決まっていた。


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 廃止となる区間には、ドラマや映画の舞台になった駅もある。
 富良野の隣、布部は、ドラマ「北の国から」に登場した。連続ドラマの第1話、東京から富良野にやって来た黒板一家が最初に降り立ち、その後も何度か登場している駅である。玉ねぎ畑に囲まれた小さな駅舎の無人駅だが、駅前には、ドラマ原作者、倉本聰さんの筆による「北の国から 此処に始る」の看板が立っている。最終日の31日には倉本聰さんもお越しになられたそうである。


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 幾寅は、映画「鉄道員(ぱっぱや)」の舞台になった。高倉健さん演じる佐藤乙松駅長がが雪の日も列車を直立で送り続けた幌舞駅のロケ地である。南富良野町の小さな市街地に近い駅で、駅前には撮影で使用されたディーゼルカーのカットボディが置かれている。
 現実世界で健さんが亡くなった時には、駅舎の中に献花台が設けられて、たくさんの花に飾られた。布部も幾寅も、駅舎はこの後も保存されるのだろうと思うが、列車がやって来ることはなくなる。


 長い歴史を有し、素晴らしい風景を見せてくれる鉄道路線がなくなるのは非常に寂しい。けれどもそういった情だけを燃料にして列車は走ることはできない。沿線人口は減り続け、布部や幾寅の駅に現れる観光客も大半は車という現実を背景に、鉄道存続を声高に叫ぶことは、所詮夢物語でしかない。仮に私が富豪であれば買い取って列車を走らせることも考えたいが、これもまた夢物語を超えた壮大なホラでしかない。
 最終列車の汽笛を沿線の人々はどんな思いで聴いたのだろうか。



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JR北海道経営問題」カテゴリの記事

コメント

こんにちは。

毎年北海道にスキーへ行っていました。
飛行機で・・・羽田~新千歳、羽田~帯広、羽田~旭川、
現地の飛行場に着くとバス移動。
ある年、珍しく新千歳から電車で現地に行く工程を取りました。
目的地はトマム。
電車がスムースに走っていたのに、停車。
電車のアナウンスが・・・「線路に鹿がいるので暫く停車です。」
楽しい思い出です。

投稿: マーチャン | 2024/04/01 12:29

軍艦島に続いて、重いお話しですね。浪人中に、釧路から札幌へ向かったのは、確か根室線の寝台車だったと思います。寒いのに、妙に暑い(熱い)車内だったのが記憶に残っています。
 その後にも、幾寅駅とセットの「幌舞駅」の入場券(160円+60円)を買って、鉄道員(ぽっぽや)ロケ地の見学にも行きました。

 北海道の鉄路は、どこまでなくなるんでしょうね。時代でしょうが、こころ寂しい限りです。

投稿: 南太郎 | 2024/04/01 14:00

マーチャンさん、ありがとうございます。
お返事遅れて申し訳ありません。

実はその対動物が、北海道の列車ダイヤの乱れの大きな要因になっています。
野生動物の保護施策から個体数が増加し、ヒグマが市街地に降りてくるニュースは本州でも話題になったと思いますが、エゾシカも同様ですね。
お互い生活が懸かっていますので、困った話です。

投稿: いかさま | 2024/04/10 19:15

南太郎さん、ありがとうございます。
お返事が遅れて申し訳ありません。

いわゆる「赤線区間」は、残り留萌本線だけとなりましたが、こちらもすでに2年後の廃線が決まっています。
これが終わると今度は「黄線区間」の扱いと、北海道新幹線の延伸による並行在来線問題に焦点は移りますが、いずれにせよ先行きの厳しい線区ばかりで、当面重たい話が続きそうです。
せめて旅日記くらいは軽やかに、とは思っていますが…。

投稿: いかさま | 2024/04/10 19:18

代行バスになった2017年に行きました。
災害→廃線の流れが、只見線や肥薩線で少し変わりますね。ただ北海道は厳しいのでしょうね。

投稿: キハ58 | 2024/04/22 22:11

キハ58さん、ありがとうございます。
大変遅くなって申し訳ありません。連休はいかがお過ごしでしたでしょうか?

災害復旧も日田彦山線のようなBRTも含め、いろんな形が出てきましたが、誰が費用負担をするか、その「腹」次第だと思います。経営再建でとにかく余計な費用負担はしたくないJR北海道と、財政難の道をはじめとする自治体。議論は平行線にしかならない気がします。

投稿: いかさま | 2024/05/06 22:46

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