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2024年4月

2024/04/21

2023 いい日旅立ち・西へ【13】夕暮れの有明海を熊本へ

 前回の続き。


 島原港駅から目の前の道路を進んで島原港フェリーターミナルへ向かう。28年ぶりの風景を懐かしみながら歩きたいところだが、時間的に余裕がない。熊本へ向かう九商フェリーの出航は16時25分。その後に17時50分発の最終便があるものの、できれば明るいうちに海を渡りたい。事前に電話で乗り継ぎ可能なことは確認しているとはいえ、本来の乗船手続は出航20分前までとされているから、急ぎ足で向かわなければならない。


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 速足で歩けばターミナルまではわずか数分だった。立派なフェリーターミナルも、新しく建て替わったらしく、まったく風景に記憶がない。28年前はここから三池港行きの船に乗った。今回は熊本へ向かう。島原から熊本へはもう1社、熊本フェリーが高速フェリーを運航しており、所要わずか30分だが、運賃が安いことと、熊本港から熊本駅までの予約制無料シャトルバスが利用できることから九商フェリーを選んだ。
 受付カウンターへ向かい、乗船手続をすると、シャトルバス利用客専用のパスケースが渡された。


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 ブリッジを渡って「フェリーくまもと」に乗船する。客室内にずらりと並んだ座席は、ざっと見たところ6割方は埋まっている。船尾側のデッキへ出ると、ベンチがかなりの数置かれてあり、灰皿も無造作に何本か置かれている。今時珍しいオープンな環境であり、少し肌寒いのを我慢してデッキ船尾側のベンチに陣取る。


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 ギリギリで飛び込んだ私の後にも乗船客は続いており、定時に出るのかな、と首をかしげたが、何事もなかったかのように16時25分に出航。いったんバックで岸壁を離れ、くるりと回って熊本へ向かう。デッキからはちょうど正面に、あの普賢岳を主峰とする雲仙岳がきれいに浮かんだ。おびただしい数のカモメがフェリーのまわりを飛び交い、船客が差し出す餌をつまんでいる。すこしずつ太陽が低くなっていく夕暮れの有明海を眺めながら、2本ほど煙草を吸ううちに、熊本新港の姿が近づいてきた。


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 熊本港からは、これも事前に予約しておいたシャトルバスで熊本駅へ向かう。一般の路線バスならば熊本駅まで540円かかるところを無料で運んでくれるのは有難い。20人ほどが乗れるマイクロバスはほぼ満席。出口を間違えてシャトルバス乗り場に現れなかった予約客を探すのに若干の時間を要し、17時40分過ぎに出発。熊本港は熊本駅から10kmほど西に離れており、加速度的に暗くなる田園地帯を抜けて、およそ20分で熊本駅新幹線口に到着した。


 さて、今日は熊本市内泊まりなので、行程はこれでほぼ終了であるが、明日から使うJRの乗車券を購入せねばならない。当面必要なきっぷは、上熊本から久留米を経由して久大本線夜明までと、日田彦山線添田から岡山を経由して徳島までの2枚の乗車券である。前者はどうということもないが、後者は途中で1区間、寄り道をするルートになっている。明日の上熊本で購入するのは時間的にも危険だと判断し、時間的にも余裕があり、駅自体も大きくて対応力が高いであろう熊本駅で切符を買っておくことにしていた。


 熊本駅のきっぷ売り場は、新幹線が頻繁に出入りするにもかかわらず窓口を二つしか開けておらず、10人ほどが列を作っている。昨今は自動券売機で新幹線の切符を買うのが容易になったが、長旅の不慣れな人は窓口に並ぶ傾向が強い。列の進みは鈍く、新幹線に乗るのだろう、明らかにイライラしている人もいる。私のきっぷは、寄り道ルートとはいえスマホのアプリでもちゃんと運賃をはじき出してくれる程度のものだから、発券にはそれほど時間はかからないと考えていたが、窓口の若い社員の対応状況を見ていると、若干の不安を覚えた。


 果たして私の番になり、紙に書いたきっぷのルートを見せると、社員は機械に向かって打ち込みを始めたが悪戦苦闘している。そのまま10分余りが経過し、助けに入った別の社員もあまり頼りにはならない。余計な口出しはしないが美徳と思ってはいたものの、後ろに並んだ客のことを考えると、つい口が出る。けれども開始から20分、ついに
「ちょっと発券できません。どうしましょうか?」と、意見を求められた。どうしましょうか、と聞かれても困る。ルートそのものは時刻表の路線図で理解できている様子だから、出札補充券(手書きのきっぷ)でも構わない、と告げると、やってみますが明日の朝でもよろしいですか、との返事。私は明日は熊本駅へ寄る予定はないからそれも困る。今日中ならば遅い時間でも全く構わないが、と告げると、のちほどご連絡しますので、と私の携帯電話の番号を控えた。出発前に札幌で用意しておけばよかった、と後悔したが後の祭りである。


 駅前から熊本市電の満員の電車に乗って水道町で下車し、停留所近くのビジネスホテルに投宿。夕食を求めて繁華街を徘徊するうちに、熊本駅から電話が入った。
「発券できました。差し支えなければ明日、上熊本駅で引き取れるようにいたしますが」とのこと。これは有難い。申し出を受けて電話を切ると、気分が楽になった。ビールを飲みながら馬刺しでも、と考えていたのだが、「ぜんざい」の文字につい引き寄せられるように「大文字」というお好み焼き屋に入った。餅の入ったぜんざいを平らげたらもうおなか一杯になり、馬刺しはどうでもよくなった
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 続く。



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2024/04/07

愛すべき怪物番組「笑点」への思い【episode-4】

 さて、今日はもうこの話しかないだろう(笑)


 私が物心ついた頃から、ずっと「笑点」で与太郎を演じ続けて来た林家木久扇師匠が、昨年夏の24時間テレビで勇退を表明し、放送歴58年を迎える怪物番組は、3年続けて大喜利メンバーが交代するという、かつてない新陳代謝を迎えた。

愛すべき怪物番組「笑点」への思い【episode-3】+α

 前々回、そして前回のメンバー交代は、幾らかのヒントがあり、しかも若手実力者の目星もある程度ついていたから、後任の推理も理論的にできた(外れたが)。今回は皆目見当がつかなかった。
 まず大前提として、木久扇師匠の与太郎キャラは誰がどうやっても引き継ぐことは不可能である。だとすればわざわざ息子に引き継いで世間の批判を浴びるのは政治家のようでつまらない。それに、与太郎に代わるポンコツキャラが定着しつつあることもある。


 所属団体については、前々回が三平(落語協会)→宮治(落語芸術協会)、前回が円楽(円楽一門会)→一之輔(落語協会)とあまり考慮されていないから参考にはならないが、人数のバランスからすれば落語芸術協会のメンバーが入ることは今回も考えにくい。となると、今回も「成金」メンバーが入る可能性は低く、私が前回予想した4人を軸に他の可能性も探ることになる。ここから絞り込むのは困難である。


 そろそろ女流、と考えれば、蝶花楼桃花師匠が筆頭候補だが、本人はわりと最近の独演会の制作発表会で強く否定していた。もっとも、宮治師匠も一之輔師匠も加入の際はかなり強い箝口令が敷かれていたというから、100%信用するわけにはいかない。ただ、女流だとしても、最近では林家つる子師匠とか立川小春志師匠とか元気のいい真打も増えてきている。そういうわけでいろいろ考えてはみたものの、しまいに面倒くさくなって考えるのをやめることにした。


 で、結果、新メンバーは立川晴の輔師匠となった。私が前回予想した5人のうちの一人であるが、正直今回はないと思っていた。なにしろまさかの落語立川流である。入るのならば前回、または前々回に入っていてもおかしくなかった。そういう意味では私は、「笑点」は立川流をメンバーに加えるつもりはないのだろうと勝手に合点していたのである。
 「笑点」を立ち上げたのは故・立川談志師匠である。けれどもブラックユーモア路線を走る談志師匠とそれ以外のメンバーとの対立によりメンバー総入れ替え、そして談志師匠の司会降板を経て、以降一門の落語家は笑点の大喜利メンバーにはなっていない。


 そうした中、立川生志師匠と晴の輔師匠が、「BS笑点」を中心に若手大喜利のメンバーとして、番組との縁を細くとも保ってきた。特に晴の輔師匠は、若手大喜利での宮治師匠との共演も多い。そして今回の起用である。司会を除けば大喜利メンバーは、落語協会2、落語芸術協会2、円楽一門会1、落語立川流1と、東京の4協会のメンバーが揃った。バランスもいい。ルックスも若々しくて良い。


 とはいえ晴の輔師匠は私と同じ1972年生まれ。「キムタク・マツコ世代」である。元気者の宮治師匠を最年少の位置に置いたまま、風貌フレッシュな先輩を新メンバーを入れたというのはなかなか絶妙である。私は高座を見たことはないが、立川志の輔門下で育てられた腕と実力は確かなものなのだろう。
 そして何より、私と同い年ということは、当然ながら私と同じ時代を歩き、同じ視線で「笑点」と触れ合って来た世代である。そういう人が大喜利のメンバーに座るということは、年齢や経験年数がさらに若い一之輔師匠・宮治師匠が加入した時とはまた違った、深い感慨と根拠のない期待感を私に与えてくれている。


 さて、56年の笑点出演歴を持って勇退した木久扇師匠。「新メンバーは誰ですか」との問いに「山田隆夫じゃないですか」とすっとぼけ、最終出演となった3月31日の最後には「また来週!」と大ボケをかましたと思いきや、新メンバーの案内役と称してちゃっかり今週も黄色い着物で登場するという、過去の勇退メンバーにはなかった離れ業を演じた。恐るべき与太郎、とてつもない人である。

 



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2024/04/01

「本線」の末路~根室本線・富良野-新得廃止

 3月31日、またJR北海道から歴史ある路線がひとつ姿を消した。根室本線・富良野-新得である。


 道央エリアと釧路・根室を結ぶ鉄道路線は、まず旭川と釧路から整備が進められた。1907年に、狩勝峠を含む落合-帯広が開業して1本につながり、「釧路線」となって、道央と道東を結ぶメインルートが完成した。
 1913年に滝川-富良野が開通して滝川-釧路が「釧路本線」に改称され、こちらがメインルートとなる。旭川-富良野は「富良野線」となって現在に至っている。釧路本線が根室に達して「根室本線」となったのは1923年のことである。


 つまり富良野-新得は、1907年から道央・道南と道東を結ぶ幹線の一部を形成する重要な路線であった。これは1981年10月に千歳空港と新得の間を短絡する石勝線が開業するまで続いた。
 石勝線の開通により、札幌と帯広・釧路を結ぶ特急列車はすべて石勝線経由となった。滝川経由の優等列車は、急行「狩勝」が存置されたものの、1990年に滝川で系統分割されて快速格下げとなり,道央・道東連絡の役割を終えた。


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 滝川ー富良野ー新得は、空知、上川、十勝と三つの振興局にまたがっているが、札幌-帯広・釧路という大需要を失ったこの区間で、それぞれの流動は太くない。特に今回廃止となる富良野ー新得の流動は小さい。
 私は今から11年前、当時日本で最長時間を走る普通列車であった2429D(滝川ー釧路)に通しで乗ったことがあるが、滝川からの50人近い旅行客は富良野ですべて下車してしまい、富良野ー新得は20人たらずの乗客だけを乗せて狩勝峠を越えた。

 ⇒滝川発釧路行き・2429Dの旅(1) 滝川→富良野


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 2016年の8月、相次いで北海道に上陸した3個の台風は,空知川の堤防を越えて南富良野町の市街地を冠水させ,東鹿越と幾寅の間で線路を押し流した。以来この区間を含む東鹿越ー新得はバスによる代行輸送となった。仮の終着駅となった東鹿越は、正面に人造湖のかなやま湖、背後に石灰石の鉱山を背負う寂しい駅で、2016年6月には利用客が少ないため翌年ダイヤ改正での廃駅が地元に申し入れられていたが、台風による大きな被害から辛くも逃れたため、代行バスの乗換駅として生き延びた。
 けれども、特に被害の大きかった東鹿越から先の区間は復旧の手が付けられることはなかった。辛くも生き延びた区間も含め、富良野-新得は、JR北海道の再建に向けた、いわゆる「赤線区間」に含まれており、同様の状況からのちに廃止された日高本線(鵡川-様似)の状況を見る限り、この区間の趨勢は決まっていた。


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 廃止となる区間には、ドラマや映画の舞台になった駅もある。
 富良野の隣、布部は、ドラマ「北の国から」に登場した。連続ドラマの第1話、東京から富良野にやって来た黒板一家が最初に降り立ち、その後も何度か登場している駅である。玉ねぎ畑に囲まれた小さな駅舎の無人駅だが、駅前には、ドラマ原作者、倉本聰さんの筆による「北の国から 此処に始る」の看板が立っている。最終日の31日には倉本聰さんもお越しになられたそうである。


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 幾寅は、映画「鉄道員(ぱっぱや)」の舞台になった。高倉健さん演じる佐藤乙松駅長がが雪の日も列車を直立で送り続けた幌舞駅のロケ地である。南富良野町の小さな市街地に近い駅で、駅前には撮影で使用されたディーゼルカーのカットボディが置かれている。
 現実世界で健さんが亡くなった時には、駅舎の中に献花台が設けられて、たくさんの花に飾られた。布部も幾寅も、駅舎はこの後も保存されるのだろうと思うが、列車がやって来ることはなくなる。


 長い歴史を有し、素晴らしい風景を見せてくれる鉄道路線がなくなるのは非常に寂しい。けれどもそういった情だけを燃料にして列車は走ることはできない。沿線人口は減り続け、布部や幾寅の駅に現れる観光客も大半は車という現実を背景に、鉄道存続を声高に叫ぶことは、所詮夢物語でしかない。仮に私が富豪であれば買い取って列車を走らせることも考えたいが、これもまた夢物語を超えた壮大なホラでしかない。
 最終列車の汽笛を沿線の人々はどんな思いで聴いたのだろうか。



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