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2024年5月

2024/05/26

2023 いい日旅立ち・西へ【16】舞台は西から東へ

 前回の続き。


 ところで、3回前の記事で、熊本駅で乗車券を手配した話を書いた。
 私の行程は、上熊本から久留米、夜明を経て、BRTひこぼしラインで添田へ。そこから小倉、広島方面へ乗り継ぐことになっている。このうち、BRTひこぼしラインは、災害運休となっている日田彦山線の代替ルートとはいえ、独自の運賃が設定されていて、鉄道扱いで通しのきっぷを購入することはできない。鉄道からBRT、またはBRTから鉄道にまたがる乗車券は購入可能だが、JR側の発着駅は限定されており、上熊本も熊本もその対象には入っていない。


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 普通に考えれば、上熊本-夜明の乗車券(2,530円)を買い、夜明-日田のBRTの運賃(660円)を現地払いとし、添田からはまた別の乗車券を購入するところである。上熊本-夜明-添田の合計は3,190円である。ただし、鉄道とBRTを通しで利用する場合、BRTの運賃が100円割引になる。別に100円が惜しいわけではないけれど、こういう局面でいろいろ調べてみたくなるのが私の性である。


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 上熊本-夜明のきっぷを、途中のうきはで分割して2枚のきっぷにすると、上熊本-うきはが2,170円、うきは-夜明が230円で計2,400円と通しで買うより130円安くなる。JRの運賃は一定のキロ刻みで設定されるので、駅間の距離によっては時折こういうことが起こる。さらにうきははBRT接続きっぷの購入が可能な駅なので、うきは-夜明-添田の通し切符を買えばBRTの運賃も100円引の560円。合計2,960円と230円安くなった
 初日の武雄温泉のホテルで就寝前にこんなことを考えて、私はひとり悦に入っていたのである。


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 閑話休題、添田からは12時52分発の日田彦山線普通列車に乗る。この列車は途中の田川後藤寺止まりである。初日以来のキハ47形2両編成のディーゼルカーは空いており、すすけた感じの車内もあいまって、たいそうわびしい感じである。まばらな住宅と田圃を眺めながら走り、13時06分、田川後藤寺着。乗り継ぎの小倉行き、後藤寺線新飯塚行きと、構内にキハ47形3編成が集結している。乗り継ぎ時間に駅前へ出ると、33年の間に駅舎も建て替えられて雰囲気は一変している。


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 13時23分発の小倉行き普通列車の乗客も少ない。発車してすぐに後藤寺線が、そしてほどなく金田・直方方面への平成筑豊鉄道糸田線が左へと別れていく。こちらは田川市の市街地を大きく囲むように右へと曲がっていく。左手から直方からの平成筑豊鉄道伊田線が寄ってきて田川伊田着。発車すると、今度は行橋への平成筑豊鉄道田川線が右へ分かれていく。近隣で採掘される石灰石や筑豊炭田からの石炭運搬の要衝であったが、炭鉱も貨物列車もすでになく、1915年の開業以来の駅舎が残る採銅所駅付近でわずかに石灰石が採掘されている。


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 早朝からの移動で疲れたせいか、また窓の外の陽気のせいか、つい眠くなり、気が付くと日豊本線との接続駅、城野に到着するところだった。日田彦山線という路線は私を睡魔に襲わせる傾向があるようである。知らぬうちに高校生を主体に乗客が増え、座席がほぼ埋まる状況になっている。6分停車の間に、博多行き特急「ソニック」の濃紺のボディーが、古びたディーゼルカーの脇を駆け抜けていった。



 14時14分、小倉着。ここからは一気に新幹線で本州へ入る。食事をとっている暇もなかったので、売店で「小倉かしわめし」を買ってホームへ上がる。行程表では14時31分の「のぞみ36号」に乗る予定だったが、臨時列車だが運転日に当たっていた1本早い14時23分発の「のぞみ168号」に乗れた。食事と喫煙(今年4月で車内の喫煙室は廃止された)で、くつろぐ暇もなくあっという間の15時11分、広島着。わずか48分で、今朝から6時間かかってやって来たのとほぼ同じ距離を稼いだ。新幹線は実に早い



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2024/05/19

2023 いい日旅立ち・西へ【15】レールの剝がされた線路~BRTひこぼしライン

 前回の続き


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 上熊本からJR鹿児島本線の電車を大牟田で乗り継ぎ、久留米からは久大本線に入る。33年前、初めてこの路線を訪れたとき、私は上りの夜行急行から、機関車が牽引する始発の普通列車に乗り継いた。小雨に煙る明け方の車窓を眺める余裕はなく、そのまま眠りに落ちた。日田彦山線との乗り継ぎ駅である夜明で下車する予定だったのだが、私はそのまま天ヶ瀬まで寝過ごし、行程の大幅変更を余儀なくされた。
 今回は眠ることなく、車窓の風景を楽しみながら、11時13分着の夜明でしっかり下車した。風情のある駅名だが、山裾の駅ホームから階段を下りていくと、三隈川との間に2車線の国道386号が走るだけの殺風景な立地である。


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 この駅は、久大本線と、小倉方面を結ぶ日田彦山線の分岐駅である。とはいえ、今、この駅に日田彦山線の列車はやって来ない。2017年7月の豪雨により、日田彦山線は被害が甚大だった添田-夜明が運休となり、2020年に地元がBRT(バス・ラピッド・トランジット)での復旧に合意、2023年8月に「BRTひこぼしライン」として再開業した。東日本大震災で被害を受けたJR東日本大船渡線・気仙沼線と同様の方式で、既存の線路敷を活用したバス専用道路と一般道路を組み合わせたシステムである。夜明駅の停留所は、駅下の国道脇に立っている。


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 11時33分、夜明駅前の小さなバス乗り場に、日田からの添田行きBRTが到着した。中国製の小型のバスで、昨今の路面電車と同じく、運転席が一段高い場所にある。6年前までディーゼルカー2両編成が走った区間の代替としてはあまりにも小さいが、当時から該当区間の輸送密度は、131人/km/日ときわめて小さく、これで十分なのだろう。
 私とともに久大本線の列車から降りた2名の女性客が一緒にバスに乗り込み、総勢10名程度の乗客で発車。三隈川の支流、大肥川を渡ったところで右に折れ、国道211号を北へ上がる。日田彦山線の旧線路は大肥川の対岸を走っていた。


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 一般道を走る区間にはいくつかの新設停留所が設けられている。どこも乗客の姿はなく、10分足らずで国道を外れて右折し、大肥川を渡って鉄道駅のあった今山に停まる。駅前に新設された真新しいバス停に乗客の姿はない。使用されなくなった列車用のホームはそのまま残っているが、レールはホームの前を除いて剥がされている。駅前でバスはくるりと回って、再び国道へと戻る。


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 次の鉄道駅、大鶴は駅前に入らず、線路と離れた通り沿いのバス停を通過する。大鶴の先でもう一度国道から外れて大肥川を渡り、新設停留所をいくつか過ぎ、みたび国道へ戻った後、左折して大肥川の右岸に移っていた日田彦山線の鉄道駅、宝珠山に停まる。県境を超えて大分県から福岡県に入ったここからが旧線路敷を活用したBRT区間である。
 11時53分、遮断機を抜けて専用道に入る。もともと単線区間だったバス専用道は狭く、行き違いはできないため、運転手が無線で連絡を取りながら専用道に入っていく。


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 次の大行司の手前で、並走していた国道211号が大きく左へ離れていく。国道は飯塚・直方を経由して北九州市へ向かい、わがBRTは鉄橋とトンネルを交えてその東側を直線的に抜ける。昭和30年代と開業時期が比較的遅いこの区間の旧日田彦山線は、比較的線形がよい。日田地区から北九州へショートカットし、かつては急行列車も走った日田彦山線の役割を忠実に果たしている。沿線に住宅も少ないから一般道を経由する必然性も薄い。そのあたりが、この区間が線路敷を利用したBRT区間になった理由なのだろうと思う。


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 山間に立派な駅舎が建つ筑前岩屋で、日田行きのバスとすれ違う。こちらのバスは緑色に塗られた中型車両である。駅の向こうにぽっかりと口を開ける、長さ4,378mの釈迦岳トンネルで、山の中を直線的に抜ける。筑前岩屋-彦山は、BRTで7.9kmだが、同じ区間で山の中を蛇行しながら進んでいく福岡県道52号経由では14km以上となり、BRTの威力が最も発揮される区間である。


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 専用道区間に新たに設けられた深倉停留所を過ぎ、12時21分、定刻より2分ほど遅れて彦山着。3人が下車する。3人ほどがバス停にいたが、BRTの見物客らしく、乗車はゼロである。専用道はここで終わり、バスはこの先、福岡県道52号線を辿っていく。
 日田彦山線の鉄道駅も設けられていた道の駅・歓遊舎ひこさんは、平日ながら駐車場がほぼ埋まる賑わいだが、ここも乗車なし。県道を外れて添田町の中心部に入っていき、病院の玄関前に新設された畑川(医院前)を経由。終始乗客の入れ替わりは少ない状況で12時40分、定刻より2分ほど早く終点の添田に到着した。


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 添田駅の停留所は、日田彦山線の鉄道ホームの対面側に設けられて、乗り継ぎの利便を図っている。これはJR東日本のBRT区間にある気仙沼や盛も同様の構造である。
 東日本大震災で被災し、同様にBRTで復旧した気仙沼線や大船渡線は、BRT開業から7ないし8年を経て鉄道の廃止手続が取られた。日田彦山線については、JR九州は現在のところ存廃について明言をしていない。ただ、線路敷を舗装してしまえば鉄道としての復活見込は限りなくゼロになる。そのうえでBRT転換を判断した思いは地元の人々にしかわからない。相当の葛藤があったであろうことは察せられる。


 日田彦山線・添田ー夜明の輸送密度を考えた時、昨今のJR北海道の例を見ても、この類の路線が災害で休止となった場合、一般路線バスに代替してそのまま廃止というパターンが多い。JR九州が早い段階からBRTでの復旧を視野に入れていたのは珍しいケースではないかと思う。専用道区間の維持をしていかなければならないJR九州がどこまで我慢できるかは興味深いところである。
 JR九州によればBRTひこぼしラインの利用客は開業から6か月間で50,000人超とのことで、1日平均280人程度とみられる。輸送密度ベースでの比較は困難だが、まずは順調な滑り出しと考えていいだろう。この傾向が続くことを願わずにはいられない。 



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2024/05/12

JR北海道決算と北海道新幹線開業延期の余波

 JR北海道は5月8日、2023年度の決算をプレスリリースした
 

 JR北海道グループ全体の当期純利益は33億円となり、前年度の164億円の赤字から改善、4期ぶりの黒字決算となった。JR北海道単体としても8年ぶりの黒字決算となる18億円の当期純利益をあげた。
 もちろん黒字といっても、鉄道運輸を中心とした営業損益が赤字であり、経営安定基金運用益や国からの補助金などの補填を受けての結果である図式はこれまでと変わりはない。経営安定基金運用益は株高により21億円増加、補助金の受入額は減少したものの、前年度に計上されていた留萌本線・根室本線の部分廃止にかかる費用が減少したことなどで、特別損益も139億円改善している。


 一方で、本業である鉄道運輸収入も、コロナ5類移行、円安によるインバウンドの増加、北海道日本ハムファイターズの本拠地移転などを要因として需要が増加し、前年度から113億円改善して698億円となった。コロナ前の2019年度の700億円台には達していないが、明るい兆しは見えつつある。ただし輸送人員では同期比89%と、完全に回復軌道に乗ったとはいいがたい。
 前年関連事業においても、一昨年9月のパセオ、昨年8月のエスタ閉店に伴い不動産収入が前年度より減少したが、小売業・ホテル業は収支改善し、全体の営業損益は前年から72億円改善している。


 鉄道運輸収入のうち、北海道新幹線は77億円で、前年より21億円改善し、コロナ前の2019年度の実績に達した。ただし、その年の路線別収支状況では、93億円の赤字となっており、今年度の数値は未公表だが、「走れば走るだけ赤字」の状況は変わっていない。
 この収支状況を劇的に改善するのが北海道新幹線の札幌延伸であるというのは周囲の一致した見方であったが、5月8日、工事の主体である鉄道建設・運輸施設整備支援機構(鉄道・運輸機構)は、2030年度末までの完成を断念する意向を国土交通省に報告した。


 このこと自体は以前からささやかれており、札樽トンネル(新小樽-札幌)の要対策度の処理をめぐる着工遅れ、羊蹄トンネル(長万部-倶知安)の岩盤除去などで、すでに工期は4年程度遅れていると言われていた。またこの先、工事にかかる人員・機材・資材の不足も工事への影響が想定される。北海道内では、新幹線延伸工事と並行した各駅周辺の再開発事業が本格化している。これに加えて、千歳市では、道内企業としては過去最大の投資となる半導体工場の建設工事も始まっている。現場で工事にあたる作業員の減少は続いており、働き方改革による労働時間制限も、工事にとっては逆風になる。


 加えて、2030年の札幌冬季オリンピックの招致断念が決まったところで、工事を急ぐ大義名分もなくなり、2030年度の開業延期は既定路線と考えられるようになった。鉄道・運輸機構は「あえて言えば数年単位の遅れ」として、新たな開業時期を明示していない。工事費も資材価格や人件費の増嵩で1.5倍に膨らむ試算が出されている。経済・金融政策も含めて国の無策には腹が立つけれど、現状を冷静に認識すれば致し方ない状況である。


 このことは、JR北海道の自力再建が予定より遠のいたことを意味する。
 新幹線が万能でないことは認めるが、北海道新幹線は札幌までの延伸で初めてその効果を最大限に発揮するのは間違いない。現在の輸送密度は4,000人台だが、札幌延伸で15,000人前後まで上昇するとの試算がある。これは決して無理な数字ではない。鉄道運輸収支の改善はもちろん、小売・ホテル業などの関連事業も含めれば、その影響は計り知れない。


 けれども開業が数年単位で延期となれば、その間、北海道新幹線だけで確実に毎年80~90億円の赤字は垂れ流される。人の流れが変わらなければ、駅前再開発だけが進んだところで経済効果は知れている。建設費の高騰もあり、すでに駅前の再開発ビルは工事期間の延長や規模の縮小が俎上に上っており、JR北海道以外の民間による再開発にもその影響は及んでいる。JR北海道は2031年度を目途としていた経済自立(国の支援を受けずに純損益を黒字化する)目標を見直す方針を固めたと地元紙は報じている。


 私の勤め先は札幌駅に近く、工事の進捗状況をつぶさに眺めることができる。札幌駅東側の空き地には工事業者のプレハブが立ち並び、高架橋周辺では工事が粛々と進んでいる。一方で、2023年度内に解体開始とされた旧エスタビルは、表の看板類は取り外されたものの、躯体に着手する様子はまだ感じられない。とある建設業者からは、「エスタビルの強固な躯体を活用することで工事費の圧縮を図る案が出ている」という怪情報も漏れ聞いた。60歳の定年までに、様相を一変した札幌駅から新幹線で東京出張するのが私のひそかな期待であったが、残り8年、その期待は徐々にしぼんでいる


 もうひとつ気になるのは、並行在来線問題である。新幹線の開業延期で、函館本線・新函館北斗-長万部-倶知安-小樽の寿命はおそらく延びることになるのだろうが、新幹線開業までの廃止が決定した長万部-小樽はともかく、国・北海道・JR北海道・JR貨物の4者協議で2025年度中には結論を出すとされている新函館北斗-長万部については、開業が延期したことで議論がトーンダウンする懸念もある。むしろ時間的猶予ができたからこそ、拙速でなくしっかりと議論をしたうえで方向性を決めてほしいと思う。



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2024/05/06

2023 いい日旅立ち・西へ【14】細かい話ですが(1) 熊本電気鉄道の0.7km

 連休も終わってしまいましたね。暦通りの勤務でしたが、3連休・4連休と、昨今痛めた腰の回復にはいいお休みになりました。


 前回の続き


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 11月27日月曜日は、朝から小雨交じりの天気だった。6時半少し前にホテルを出て、まだ暗いアーケード街を抜けて歩くこと10分、熊本電気鉄道藤崎宮前駅へ向かった。背の高いビルに囲まれるように存在する藤崎宮前駅は、まだ営みを始めたばかりといった風情で、ほのかに蛍光灯が照らすホームに客の姿は少ない。
 ホームには、くまモンを大きく描いた電車が停まっている。一見真新しい電車だが、正体は東京メトロ日比谷線で走っていた03系電車である。地方の小規模会社である熊本電気鉄道は、以前から中古車の導入に積極的である。


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 車内へ入ると、新車のようにきれいに整備された車内のあちらこちらからくまモンがこちらに微笑みかける。我が家の近くに出没するクマは時に狂暴だが、こちらのクマは大変かわいらしい。ただし、熊本県に野生のクマは生息していないのだとか。
 一方で、車内に貼られた広告ステッカーには、東京メトロの「To Me CARD」のものが残っていてお里が知れる。そういえば、12年前に初めて乗った時に走っていた元東急5000系電車のつり革にも、「東横のれん街」の文字が残っていたのを思い出す。


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 6時55分発の御代志行き電車は、2両編成の車体を窮屈そうに揺らしながら住宅街の中をくねくねと走っていく。10数人の乗客は服装は様々だが学生とみえる。上熊本からの線路が合流する北熊本あたりまでは乗客の動きは少なかったが、その先、駅ごとに学生が少しずつ乗ってきて程よく混雑する。終点の二つ手前、熊本高専前で数十人の学生が下車。この先終点の御代志までの区間が今日の第一目的地である。


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 熊本高専前を出てほどなく、まっすぐ走る国道387号線から右へ分かれる。12年前に訪れた時、熊本電気鉄道の線路は国道に並走してそのまままっすぐ伸びていた。その線路の跡らしきものが左側へ離れていく。再春医療センター前を出ると電車は緩やかに左へ進んで、終点の御代志に着く。ホームにはたくさんの学生が折り返しの電車を待っている。
 12年前、島式ホームの片面を電車乗り場、国道側の片面をバス乗り場にしていた御代志駅は、かつて菊池まで路線が伸びていた頃の面影を残していた。2022年に周辺の区画整理に伴って線路が50mほど東へ付け替えられ、同時に御代志駅は南側へ200mほど下がった位置に移転した。この結果、熊本電鉄の営業キロは0.2km短くなっている


 この区間に改めて乗る必要があるかどうかは、同じ乗り鉄の間でも判断の分かれるところだと思うが、駅の移設を伴う営業キロの変更なので、乗れるのならば乗っておくことに越したことはない。私の記録上は、熊本高専前-(旧)御代志0.9kmは廃止、熊本高専前-(新)御代志0.7kmは新規開業と整理し、乗車記録に残すこととする。


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 新装なった御代志駅にはコンパクトながら駅舎も設置され、もともと線路があった場所の上には駅前ロータリーも設けられた。駅周辺を観察する間にも何本かのバスが現れて、学生が吐き出されてくる。送迎の自家用車の姿も多い。
 ここから北東方向に200mほどの場所にあった旧御代志駅の跡地はきれいに整備されて跡形もない。10月にオープンしたばかりの地元テレビ局の住宅展示場があり、その横ではスーパーとおぼしき新たな建物が建設工事中である。


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 「くまモン」電車の折り返しを見送り、1本落として7時46分発の藤崎宮前行き電車に乗る。同じく元東京メトロの03形電車だが、こちらはシルバーのラインをまとった原型塗装のままで使用されている。車内には学生の姿が多く、ドア横に立つ学生も多い。
 御代志を出て、今度は逆方向から旧線の跡を眺める。再春医療センターの真新しい簡素なホームの右には大きな空き地が広がっており、これから何らかの開発が進むのだろうか。線路はこの先で緩やかに左カーブを描きながら旧線と合流する。


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 熊本電気鉄道の御代志-藤崎宮前は、日中30分間隔だが、平日朝のこの時間帯は15分間隔。黒石ですれ違った電車は、令和4年から導入が始まったばかりの1000形電車で、静岡鉄道からのおさがり。堀川駅では元都営三田線の6000形電車と行違う。都営地下鉄の電車と東京メトロの電車が仲良く同じ線路を走るなど、デビュー当時はお互い思ってもみなかったに違いない。


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 上熊本行き電車との乗換駅、北熊本で下車。ここでは御代志で見送った「くまモン」の03系電車が、藤崎宮前までお先に一往復して来て行き違いとなる。構内の車庫には、同じく03形の予備車と、2016年に退役した元東急電鉄の5000形が止まっている。学生を中心に、予想外に多くの乗客が乗り換えた上熊本行きの電車は、これも「くまモン」を全身にまとった元東京メトロ銀座線の01形電車。電車の博物館状態である。

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 2本の03形電車の出発を見送って発車した上熊本行きの電車は、終点手前の韓々坂で学生がまとまって下車し、空いた状態で上熊本に到着した。小ぶりな駅舎からはみ出すように、折り返しの電車に乗る客が並んでいる。ロータリーを挟んで立つJR上熊本駅は、12年前にはプレハブの仮駅舎だったが、立派な駅舎に変貌している。窓口に立ち寄ると、所望のきっぷがちゃんと用意されていた。ひそかに補充券を期待したのだが、しっかり機械で打ち出されたきっぷが3枚、手渡された。


 続く。



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