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2024年6月

2024/06/30

2023 いい日旅立ち・西へ【21】「奥出雲おろちループ」と木次線

 前回の続き


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 駅前で少し待つと、「奥出雲交通」の文字をまとったワゴン車がやって来た。12時53分発の八川線・三井野原行きのバスである。車内には誰も乗っておらず、乗車したのも私一人だけ。運賃は1乗車200円と安い。民間資本も入っているが実質奥出雲町営のようである。
 小さな車内にはアナウンス放送もなく、次々と停留所を通過していく。乗客の気配はない。運転手によると「おろち号の運転日はそれなりに乗客もいたんですがねえ」とのこと。20分ほどで国道314号に張り付くように立つ出雲坂根駅前を通過し、「奥出雲おろちループ」へ向かう。


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 トンネルを抜けると、バスは緩やかに左カーブを描きながら、道路の下をくぐる。さらに一つトンネルを抜けると、先ほどの道路をまたぐ。右側にかすかに木次線の線路を望み、「道の駅 奥出雲おろちループ」をやはり乗客なく通過し、線路からもくっきりと見えた赤い三井野大橋を渡る。木次線はこの区間を大きな迂回と三段式スイッチバックで抜けたが、こちら国道314号はぐるりぐるりと円を2回描いて同じ標高差を登ったことになる。


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 13時22分、三井野原駅入口で下車。木次線の列車は八川から出雲坂根を目指して登っている頃である。列車なら15分あまりかかる出雲坂根-三井野原間を、バスは6分ほどであっさり駆け抜けた。民家のような瓦屋根の三井野原駅で、40分後にやってくる備後落合行きの列車を待つつもりだったが、時間をつぶすには、スキーのオフシーズンという条件を差し引いても、三井野原駅周辺はあまりにも何もなさ過ぎた。営業開始までまだ間のあるスキー場のゲレンデにはフィルムをはがしたパイプハウスが立っており、駅周辺のレストハウスと思しき店も当然のように休業である。


 居場所がない感じで外に出てふらふらしていると、先ほどのバスが戻ってきた。駅の少し先にある集落まで行って折り返してきたらしい。13時22分発のそのバスに乗り、再びおろちループを抜ける。今度も客は私一人である。


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 13時33分に出雲坂根駅前に着くと、備後落合行きの列車がちょうど入ってきたところだった。出雲横田で21分停車し、タラコ色の1両を切り離して1両編成でやって来た列車は、運行終了前の「奥出雲おろち号」との行き違いがあった関係で出雲坂根でも18分停車する。
 何人かの乗客が、出雲横田で消えたはずの私を見て不思議そうな顔をしている。彼らが列車に乗り続けている間に、私は「奥出雲おろちループ」を1往復してきたのだぞ、と自慢したくなる。


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 出雲坂根駅は、三段式スイッチバックとともに、「延命水」と呼ばれる湧水でも知られている。泉源が駅構内にあり、28年前に来た時には宍道方面行ホーム上で湧水が飲めたのだが、自動車での来客が増えたために駅舎の横に取水場所を移したらしい。道路を隔てた下にも取水場所がある。列車の乗客も、待ち時間の間にのどを潤している。


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 13時50分、発車。再び三段式スイッチバックを抜けて出雲坂根の駅舎を上から望み、さきほど往復した「奥出雲おろちループ」を眺めながら、何もない三井野原を過ぎ、14時33分、備後落合に到着した。この時間は木次線・芸備線新見方面・三次方面の3方面の列車が一堂に会する、山峡の閑駅唯一の「ラッシュアワー」である。木次線からの列車の乗客は、半々ほどの割合で三次方面・新見方面に分かれて向かう。


 JR西日本でも一二を争う閑散線区の木次線は、2022年度の平均乗車人員が全区間で171人/km/日。出雲横田-備後落合間に限ればわずか54人/km/日である。JR北海道ならとうに廃線になっている。もともと薄かった陰陽連絡の役割は、広島方面との直通急行が廃止になった時点で消え、国鉄末期の廃止を免れた理由である「並行道路が未整備」も、1992年の「奥出雲おろちループ」開業をはじめとする道路整備の進捗で、その大義名分を失って久しい。「奥出雲おろち号」に代わって今春走り始めた観光列車「あめつち」は、出雲横田-備後落合には入線しない。


 先日、JR西日本はこの区間について、「地域の利用実態に応じた持続可能な交通体系を地元と相談したい」との意向を表明した。廃止を前提としたものではないと強調しているが、額面通りに受け取る人は少ないだろう。地元自治体は警戒感をあらわにしている。
 なお、私が今回実行した「出雲三成(列車)出雲横田(バス)三井野原(バス)出雲坂根」の往復堪能コースは、今年春のダイヤ改正で列車の出雲坂根停車時間が短縮されたこと、木次線ダイヤの修正に合わせてバス時刻が改正されたことから、現段階では成立しない。もし同じことを考えた人がいたとすれば、ご注意いただければ幸いである
 


 

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2024/06/23

2023 いい日旅立ち・西へ【20】出雲三成の「奥出雲そば」

 前回の続き


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 10時48分着の出雲三成で列車は4分ほど停車し、出雲横田行きの普通列車と行き違う。5日前の11月23日までは、この列車と同じダイヤで、トロッコ客車をつなげた「奥出雲おろち号」が運転されていた。旅客数の少ない木次線では貴重な集客力のある観光列車だったが、車両の老朽化を理由に運行終了となった。タッチの差でお目にかかることができなかったのは残念である。
 駅舎の中には地元農産物や加工品が並ぶ「仁多特産市」がオープンしており、何人かの客の姿も見える。無人駅のきっぷ委託販売もおこなっているようである。


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 備後落合行きの列車までは1時間30分ほどあり、食事タイムとしてはちょうどいい。昼食には早いが、早起きしてコンビニのパンだけで腹を満たしていたから、十分空腹である。
 スマホの情報を頼りに、駅から10分ほど歩いて、出雲三成駅とは斐伊川を挟んだ対岸の集落の中にある「吾妻そば」を訪れる。11時開店の店内にはすでに地元の方と思しき夫婦の先客がいる。テーブル席に案内され、とろろそばを食べる。冷たいそばにたっぷりとろろが乗っており、つゆをかけて食べるそばは、少し柔らかめだがおいしく、あっという間にどんぶりが空になった。1,140円也。


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 列車の時間までまだしばらくあるので、遠回りしながら駅へ戻ろうとすると、雲行きが怪しくなってきた。あっという間の天気の変化である。斐伊川にかかる橋を渡る頃には小雨が降り始め、少しずつ降り方が強くなる。国道314号まで急ぎ足に歩き、三成トンネルに避難。交通量は多くないが、時折ごうごうと音を立ててトラックが走るトンネルの出口近くまで来ると、外には大粒のがぱちぱちと道路にたたきつけるように落ちている。しばらくトンネル出口で待つが、おさまる気配はない。仕方なく100mほど先のコンビニエンスストアまで全力疾走で向かう。顔が痛い


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 コンビニのホットコーヒーで暖をとるうち、ようやく小雨模様に戻ったので、足早に出雲三成駅へ戻る。駅周辺には、春に話題になったドラマ「VIVANT」のロケ地があり、できれば覗いてみたいと思っていたのだが、この天気では散策もおっくうである。
 12時28分発の備後落合行きは、キハ120形ディーゼルカーを2両つないでやって来た。10数人の乗客は、そのほとんどが木次線そのものを目的にやって来たと思われる「その筋の人」である。途中、そば屋が定休日の亀嵩から4人ほど乗客が増えた。


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 12時50分、出雲横田着。ここで21分の長時間停車となる。まだ小雨がぱらついている駅の外へ出ると、出雲大社に倣った注連縄が見事な神社風の駅舎は、隣の便所までもありがたい造りである。駅前にはこの付近が生誕地とされる稲田姫(クシナダヒメ)の石像も建っている。
 普段であればこうした長時間停車の場合、駅周辺をふらりと散歩して列車に戻るのだが、今日の私は列車には戻らない。ここから少しお遊びをしてみようと思う。


 続く。



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2024/06/16

2023 いい日旅立ち・西へ【19】木次線と三段式スイッチバック

 前回の続き


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 あらためて駅へ戻り、ホームへ上がる。広い構内の向こうの山裾には、詰所とおぼしき建物と、機関車の入替に浸かっていたのだろうか、短いプラットホームが草生してたたずんでいる。さらにその奥には転車台も動くことがないまま残っている。
 1995年当時の備後落合駅には、運転関係職員が数人いて、急行「たいしゃく」がそうだったように、この駅で夜明かしをする車両や職員がいた。駅は2年後の1997年に無人化され、2021年には夜間滞泊する列車もなくなった。


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 9時07分、木次線木次からの列車が到着した。この列車が折り返し木次行きになる。芸備線と同じキハ120形1両のディーゼルカーで、国鉄型ディーゼルカーの象徴である「タラコ色」をまとっているが、軽快な雰囲気の車両には不釣り合いに感じる。復刻、リメイクは結構だが、似合う、似合わないは別問題である。到着した列車から降りてきた数名の乗客は、全員が9時12分発の芸備線三次行きの列車に乗り換える。先ほど私が三次から乗って来た列車の折り返しである。その列車の発車を見送って、9時20分、こちらも発車。乗客は先ほどの青年と私だけである。


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 並行する芸備線の線路が上の方へ隠れていくと、木次線は複雑な谷あいを短いトンネルで抜けていく。並行する国道314号は、クネクネとカーブを描きながら,近づいたり離れたりを繰り返す。国道沿いに一瞬、28年前私を救ってくれた比婆山温泉の小さな建物が見える。
 次の油木を出て西城川の谷あいを登り、県境を越えて視界が開けると、駅前にスキー場がある三井野原。標高726mで、JR西日本で最も高い駅である。備後落合からすでに274m登っている。女性が1人乗って来た。駅を出ると、列車は大きく右にカーブして国道314号と離れる。車窓左手に赤い大きな三井野大橋が見えた。島根県に入って雨は上がり、青空も見えている。


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 木次線は反時計回りに弧を描き、短いトンネルをいくつも抜けながらゆるやかに下っていく。しばらくすると車窓左手にくるくると渦を描く道路橋が見える。通称「奥出雲おろちループ」である。この辺りはかつて道路事情も悪く、それが純然たるローカル線である木次線が国鉄改革の波を乗り越えて生き延びた理由なのであるが、1992年に「奥出雲おろちループ」が開通し、木次線の旗色は一気に悪くなった。不倶戴天の仇であるが、木次線の車窓のハイライトのひとつである。


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 さらに下っていくと、しばらくして左下方から線路がせり上がってきて寄り添い、雪囲いのシェルターの入口で合流する。列車はそのシェルターを抜けた先で停まる。その先の線路は行き止まりになっている。運転士が席を立ち、後方の運転席へ移動する。


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 ほどなく列車は逆方向に動き出し、シェルターの先で右方向に分かれる。先ほど通って来た線路が左上方へ消えていく。下り勾配をゆっくりと走っていくと、今度は右側から別の線路がせり上がってきて、並んで出雲坂根駅のホームに滑り込んでいく。


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 出雲坂根の標高は564mで、三井野原との標高差は162mに達する。両駅間の距離は直線だと1.2kmほどだが、当然鉄道が直線で越えられる勾配ではない。木次線はこの区間を6.4kmと大きく迂回しながら距離を稼ぎ、さらには全国的にも珍しい「三段式スイッチバック」で高低差を埋める。木次線の最大の見どころである。出雲坂根駅の2本のホームの先で線路は1本に合流し、ここも行き止まりとなっている。


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 旅客の乗り降りのない数分間の停車の後、列車はもう一度逆方向、つまり最初と同じ方向に向かって走り出し、ポイントを渡って左手の線路に移り、先ほど下って来た線路を右に分ける。アルファベットの「Z」の文字を裏返しにしたような形で行ったり来たりしたことになる。かつて木次線を走り広島と島根を結んだ急行列車も、ここでは行ったり来たり止まったりを余儀なくされていた。ここから木次線は日本海に向かってゆるやかに下っていく。


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 八川を過ぎると線路は比較的平坦になり、出雲横田で数人の客が乗り込んできた。私の今日の行程は、備後落合へ引き返して新見、岡山へ抜けることになっており、どこかの駅で引き返さなければならない。腹も減っている。木次まで行っても戻りの列車には間に合うけれど、20分ほどしか滞在時間がなく、食事をとるには短すぎる。途中の亀嵩は、駅舎内においしいそばの店が入っており、28年前にも私はここで列車を一本落としてそばを堪能したのだが、火曜日の今日は残念ながら定休日である。考えた末に私は、比較的町が大きそうな出雲三成で列車を降りた。


 続く。



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2024/06/09

2023 いい日旅立ち・西へ【18】中国山地の思い出の駅、備後落合へ。

 前回の続き


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 明けて11月28日、火曜日。朝6時半過ぎの三次の町はまだ暗く、細かい雨が降っている中を駅まで歩く。6時50分発の備後落合行き普通列車は、ステンレスボディーのキハ120形1両の軽快な姿である。早朝の列車なのに高校生ばかり50人ほどが乗っている。高校生でないのは私とあと一人だけなのだが、三次から3つ目の塩町で下車してしまい、あとは同じ制服の高校生しか残っていない。スクールバスに放り込まれたような気分である。


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 塩町を出ると、右手に福山への福塩線が分かれていく。こちらも寂しい単線である。12年前に三次に泊まった翌朝、朝一番の福塩線の列車にたった一人揺られたことを思い出す。
 備後三日市で十数人が下車するが、同じ制服の学生がまだ車内にたくさん残っている。不思議に思っていると、次の備後庄原で残りの学生がごっそりと下車した。高校が両駅のほぼ中間にあるらしい。カープの選手の人形が飾られた駅のホームに待っていた学生が、行違った三次行き列車に乗り込んでいく。こちらの列車には、別の制服を着た十数人の学生が乗り込んできた。


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 その制服も備後西城で下車してしまうと、車内はついに私一人になった。このあたりから芸備線は、狭い谷あいに伸びる田園地帯をやや登りながら走っていく。
 この区間に乗るのは1995年2月以来である。芸備線には当時まだ急行列車が残っており、そのうちの1本、広島を夕方に出る「たいしゃく」に乗った。4両編成の「たいしゃく」は、大半の乗客が下車した三次で2両を切り離し、備後庄原からはその車内にやはり私一人になった。それから28年、私は再び、たった一人でこの区間の列車に揺られている。


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 比婆山を出ると、列車はひときわうなりながら山間を駆け上がっていく。トンネルを抜けると、左側下方から木次線のレールがせり上がるように近付いてきてこちらの線路に寄り添って来た。ほどなく、列車は深い山の中にぽっかりと開けた備後落合駅に滑り込んだ。8時14分着。3方向の線路が合流する駅は、ローカル線の駅としては破格の広さで、かつては交通の要衝であったことを教えてくれる。


 この駅は、私が様々なところへ鉄道旅行をしてきた中でもひときわ印象深い駅である。28年前、私は先に書いたように、急行「たいしゃく」でたった一人、20時近くにこの駅に到着した。接続列車はなく、この町で泊まることになるのだが、急行列車の終点ということで油断していた私は宿の予約をしていなかった。駅舎内の公衆電話から電話帳を頼りに片っ端から宿に電話しては断られるという作業を繰り返し、10軒目だかでようやく泊めてくれるところを見つけた。駅前にはタクシーの車庫があったが車はおらず、車庫備え付けの直通電話でひと山東側の小奴可から車を呼び、2,000円近くかけてその宿へたどり着いた。

 ⇒いかさまトラブラー【8】珍トラブル編(2)

 
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 線路を渡って駅舎に入ると、無人の駅舎の待合室を地元の人が撮影した列車の写真が飾っていた。駅舎内を見渡したが、公衆電話も電話帳もなくなっている。待合室には30代くらいの男性がひとり、列車を待っていた。新見から始発列車で来たという。この時間に備後落合駅にやって来るには、私の乗った列車の他には新見からの芸備線列車1本しか手段はない。


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 駅の外に出てみる。駅舎を振り返ってみると、「鉄道資産表 鉄停 駅 本屋1号 昭和10年11月」という小さな銘板が取り付けられていた。備後西城から線路が伸びてこの駅が開業したのが1935年(昭和10年)12月であるから、開業当時からの駅舎が残っていることになる。


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 駅前の道路は一応広島県道ということになっているが、国道との交点までわずか100m足らずである。その道路沿いにあったタクシーの車庫の姿は消えている。坂道を少し下ったところにある大きな民家は、当時「大原旅館」という看板を掲げていた。備後落合へ着いた私が真っ先に電話したのがここだったのだが、「すみません、うちはもう廃業しておりまして…」という返事に、思わず受話器を落としそうになった。近づいて窓の中を覗いてみると、曇りガラスの向こうからテレビの光と人の影が見えた。


 さらに下に降りて国道に出るが、商店どころか自動販売機もない。人が住んでいるのかどうか、うら寂れた住宅が数軒、建つのみである。当時私はこの駅前を、夜と早朝にタクシーで通過したのみだったが、確かに当時から何もない雰囲気だった。
 今、備後落合駅から出る列車は、新見方面へ3本、三次方面へ5本、木次線へ3本のみである。1995年当時の半分に減っている。当時の木次線の宍道方面行き始発列車は6時33分発。備後落合周辺に泊まらなければ乗れなかった。今は始発が9時20分。三次に泊まっても十分間に合う。



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2024/06/02

2023 いい日旅立ち・西へ【17】細かい話ですが(2) 広島電鉄の0.2km

 前回の続き


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 舞台は一気に本州・広島へ移る。新幹線で15時11分に広島へ着いた後は、15時15分発の山陽本線岩国行き普通列車に駆け込む。長らく国鉄型のお古が中心だったこの辺りの電車だが、ステンレスのボディに赤いラインをまとった227系電車の導入で一気に近代化した雰囲気である。下校時刻と重なった電車は高校生と地元客でほぼ満員。駅ごとに少しずつ下車客があるものの、3両編成では全員が座れる状況にはならない。15時42分着の宮島口で下車する。


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 駅前を横切る国道2号を渡って200mほど歩くと、正面に宮島へのフェリー乗り場がある。ターミナルに向かって右側がJR西日本宮島フェリー、左側が宮島松大汽船の乗り場になる。私がここを直近で訪れたのは6年前のことであるが、宮島松大汽船の乗り場に直結した大きな土産物屋の建物があって、広電宮島口駅は道路を挟んで西(JR宮島口駅)寄りに建っていた。


 2022年7月、その土産物屋の跡地に広電宮島口駅が移設されて新駅となり、フェリー乗り場にほぼ隣接することになった。移設距離は50mほどで、鉄道乗りつぶしの記録上「付替」と整理するべきか扱いに迷ったのだが、迷ったときは乗っておくに限る。鉄道は生き物であり、高架化や駅移設などで線路位置が変わることはざらで、いちいちすべてに対応しているわけでもないのだが、線路が50mも横へずれるのならば乗っておいたほうがいい。記録上は、宮島ボートレース場(臨)-広電宮島口(旧駅)0.2kmを乗車済み区間の廃止、宮島ボートレース場(臨)-広電宮島口(新駅)0.2kmを新規乗車としておく。


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 真新しい駅舎に出札・改札口はなく、開放的な駅入り口から、大きなアーチ屋根に覆われた開放的なホームにそのまま進んで乗車する。低床化の進んだ電車ともあいまって、日本の路面電車も大変近代的な姿になったものだと思う。15時55分発の広島駅行き電車は、座席は半分も埋まらない状態で出発。200mほど真新しい道床が伸び、緩やかに右カーブすると、従来線に合流する。旧線のあったあたりは舗装が切れていてそれとわかるが、線路があった面影はない。


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 JR山陽本線よりも駅間距離が短く、途中駅でこまめに乗り降りがある。海岸線近くを走る車窓は楽しいが、広電阿品付近から立ち客も出て徐々に窓の外が見にくくなり、広電廿日市あたりまででかなりの混雑になった。もともと郊外路線だったため、一部の駅には高さのあるホームが残っている。現在宮島線を走る電車は、すべて市内線も走れる路面電車タイプに統一されており、郊外電車専用の高いホームは使用されていない。海外でよく見かけるLRTの雰囲気である。


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 16時32分着の広電西広島で下車。ここも開放的で近代的な雰囲気の駅である。かなりの混雑でしんどくなってきたのと、この先で市街地の道路上を走る広電は広島駅まで40分ほどを要するので、JRの電車で先を急ぐ。もともと己斐と言っていた広電西広島駅前の「KOI PLACE」~「コイプレ」と読むらしい~のおしゃれなテラスを抜けてJR西広島駅へ移動し、16時39分発の白市行き普通電車に乗る。こちらもよく混雑しているが、3両編成とはいえキャパの大きい227系電車ではまだ余裕がある。わずか10分で広島着。ここまで来たらお好み焼きでも食べて体を休めたいところだが、明日の行程上、もう少し先へ進んでおきたい。


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 広島からは、山陽本線を外れて17時03分発の芸備線三次行き普通列車に乗る。九州以来のキハ47形ディーゼルカーは、昔懐かしい通称「タラコ色」の2両編成。ボックスシートが半分以上撤去されて、ロングシート中心の車内は、学生を中心に立ち客も出て、都市近郊路線の雰囲気を出している。広島を出発し、山陽本線から分かれるとほぼ北に向かって走り、安芸矢口・玖村付近では太田川をはさんで可部線と接近する。玖村と次の下深川でまとまった下車があり、広島市最後の駅となる井原市と安芸高田市に入った向原でも学生が下車すると、車内は半分ほどの乗車率になった。


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 数人が下車した志和地で、行き違いのためおよそ8分の停車。小さな駅舎を抜けて外に出てみる。すっかり闇の中に沈んだ駅前には、迎えの車が2台ほど停まっているだけで、広島行きの列車から降りてきた客がその車に乗り込んで出発すると、ディーゼルカーのエンジンのうなる音だけが辺りに響いた。駅舎の前には顔出しパネルが置かれているが、何の説明書きもなく、侘しいを通り越して怪しい


 19時ちょうど、三次着。今日1日で熊本県の「みよし」から広島県の「みよし」までやって来た。この街に宿泊するのは、2011年以来2度目である。前回は、今は亡き三江線の列車で、やはり19時頃にたどり着いた。三次という地方都市に用事があるわけではないが、きわめて列車本数が少ない路線が集まるエリアで、ここに泊まらざるを得ない街というのが存在する。三次という街はそういう街だと思う。


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 2015年に改築され、ライトアップが美しい三次駅のロータリー脇に立つ雑居ビルに、お好み焼き屋が店を開けていた。広島ではお預けだったが、ここで巡り合えるとは有り難いことである。どちらかといえば家族向けだが、おひとり様用にカウンター席もある「たむ商店」で、広島焼きを堪能した。計画段階の行程より1時間早く三次に入ることができており、明日も早起きだからしっかり休んでおくことにする。




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