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2024/06/09

2023 いい日旅立ち・西へ【18】中国山地の思い出の駅、備後落合へ。

 前回の続き


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 明けて11月28日、火曜日。朝6時半過ぎの三次の町はまだ暗く、細かい雨が降っている中を駅まで歩く。6時50分発の備後落合行き普通列車は、ステンレスボディーのキハ120形1両の軽快な姿である。早朝の列車なのに高校生ばかり50人ほどが乗っている。高校生でないのは私とあと一人だけなのだが、三次から3つ目の塩町で下車してしまい、あとは同じ制服の高校生しか残っていない。スクールバスに放り込まれたような気分である。


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 塩町を出ると、右手に福山への福塩線が分かれていく。こちらも寂しい単線である。12年前に三次に泊まった翌朝、朝一番の福塩線の列車にたった一人揺られたことを思い出す。
 備後三日市で十数人が下車するが、同じ制服の学生がまだ車内にたくさん残っている。不思議に思っていると、次の備後庄原で残りの学生がごっそりと下車した。高校が両駅のほぼ中間にあるらしい。カープの選手の人形が飾られた駅のホームに待っていた学生が、行違った三次行き列車に乗り込んでいく。こちらの列車には、別の制服を着た十数人の学生が乗り込んできた。


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 その制服も備後西城で下車してしまうと、車内はついに私一人になった。このあたりから芸備線は、狭い谷あいに伸びる田園地帯をやや登りながら走っていく。
 この区間に乗るのは1995年2月以来である。芸備線には当時まだ急行列車が残っており、そのうちの1本、広島を夕方に出る「たいしゃく」に乗った。4両編成の「たいしゃく」は、大半の乗客が下車した三次で2両を切り離し、備後庄原からはその車内にやはり私一人になった。それから28年、私は再び、たった一人でこの区間の列車に揺られている。


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 比婆山を出ると、列車はひときわうなりながら山間を駆け上がっていく。トンネルを抜けると、左側下方から木次線のレールがせり上がるように近付いてきてこちらの線路に寄り添って来た。ほどなく、列車は深い山の中にぽっかりと開けた備後落合駅に滑り込んだ。8時14分着。3方向の線路が合流する駅は、ローカル線の駅としては破格の広さで、かつては交通の要衝であったことを教えてくれる。


 この駅は、私が様々なところへ鉄道旅行をしてきた中でもひときわ印象深い駅である。28年前、私は先に書いたように、急行「たいしゃく」でたった一人、20時近くにこの駅に到着した。接続列車はなく、この町で泊まることになるのだが、急行列車の終点ということで油断していた私は宿の予約をしていなかった。駅舎内の公衆電話から電話帳を頼りに片っ端から宿に電話しては断られるという作業を繰り返し、10軒目だかでようやく泊めてくれるところを見つけた。駅前にはタクシーの車庫があったが車はおらず、車庫備え付けの直通電話でひと山東側の小奴可から車を呼び、2,000円近くかけてその宿へたどり着いた。

 ⇒いかさまトラブラー【8】珍トラブル編(2)

 
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 線路を渡って駅舎に入ると、無人の駅舎の待合室を地元の人が撮影した列車の写真が飾っていた。駅舎内を見渡したが、公衆電話も電話帳もなくなっている。待合室には30代くらいの男性がひとり、列車を待っていた。新見から始発列車で来たという。この時間に備後落合駅にやって来るには、私の乗った列車の他には新見からの芸備線列車1本しか手段はない。


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 駅の外に出てみる。駅舎を振り返ってみると、「鉄道資産表 鉄停 駅 本屋1号 昭和10年11月」という小さな銘板が取り付けられていた。備後西城から線路が伸びてこの駅が開業したのが1935年(昭和10年)12月であるから、開業当時からの駅舎が残っていることになる。


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 駅前の道路は一応広島県道ということになっているが、国道との交点までわずか100m足らずである。その道路沿いにあったタクシーの車庫の姿は消えている。坂道を少し下ったところにある大きな民家は、当時「大原旅館」という看板を掲げていた。備後落合へ着いた私が真っ先に電話したのがここだったのだが、「すみません、うちはもう廃業しておりまして…」という返事に、思わず受話器を落としそうになった。近づいて窓の中を覗いてみると、曇りガラスの向こうからテレビの光と人の影が見えた。


 さらに下に降りて国道に出るが、商店どころか自動販売機もない。人が住んでいるのかどうか、うら寂れた住宅が数軒、建つのみである。当時私はこの駅前を、夜と早朝にタクシーで通過したのみだったが、確かに当時から何もない雰囲気だった。
 今、備後落合駅から出る列車は、新見方面へ3本、三次方面へ5本、木次線へ3本のみである。1995年当時の半分に減っている。当時の木次線の宍道方面行き始発列車は6時33分発。備後落合周辺に泊まらなければ乗れなかった。今は始発が9時20分。三次に泊まっても十分間に合う。



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コメント

いらっしゃいましたか!
記事拝見し、13年前に訪れたときと状況があまり変わっていないことを知りました。
ニュースになるのももっともです。
それにしても、宿泊の件は、チャレンジャーでしたね(笑)

投稿: キハ58 | 2024/06/20 22:56

キハ58さん、ありがとうございます。
閑散線区の駅はいずこも同じなのでしょうが、交通の要衝だった駅だけに寂しいですね。北海道で言えば、音威子府あたりがそうでしょうか。

宿泊の件は、言い訳がましくなりますが、某氏の著作を頼りにして、行けば何とかなる、と過信していたからに他なりません。今ならできません。というより、ビジネスホテルが確実にある街を選んで泊まる歳になりました。

投稿: いかさま | 2024/06/23 23:07

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