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2024年7月

2024/07/28

2023 いい日旅立ち・西へ【25】DMV・行ったり来たり(その2)

 前回の続き。


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 さて、無事鉄道モードになったDMVは、9時34分、阿波海南を発車。車体前方が持ち上がっている感覚は、遊園地の乗り物ほど強烈ではないにせよ感じられる。レールの上を滑るように、といいたいところだが、ディーゼルエンジン特有のびりびりと小さく震える感覚と、車体が軽いせいか横揺れも伝わってくる。阿佐東線を以前走っていた軽量ディーゼルカーのASA-100形の自重27トンに対し、マイクロバス使用のDMVの自重はわずか5.85トンである。しかも乗客はたったの2人である


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 周囲に山もない、世にも珍しい短いトンネルを抜けて、海部着。高架上の駅である。鉄道仕様の旧ホームの手前側がDMV用に一段低くなっている。もともとは線路2本・ホーム2本の駅だったはずだが、反対の山側のレールとホームが一部撤去されて、そこに、阿波海南方面行きの、基本がバス仕様で進行方向左側にしか扉のないDMV用の低いホームが短く新設されている。予約客がひとり乗ってきた。駅の先には、お役御免となったASA-100形ディーゼルカーが、すすけた様子でぽつんと置かれている。

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 ここからは1992年に開業した新しい区間である。線形は比較的よく、短いトンネルが数珠つなぎになって、海岸線の少し内側を抜けていく。トンネルとトンネルの間では、いくつかの小さな島を伴った複雑な海岸の地形を垣間見ることができる。
 最後のトンネルを抜けて、左手に小学校が見えると宍喰。阿波海南から乗ったひげ面の若者が下車する。ここはもともと単線だったが、海部同様、ホームの反対側にDMVの上り列車用のホームが新たに設けられている。ここも駅の先にかつての車両がとまっている。ASA-301形といい、廃線となった九州の高千穂鉄道から移籍してきた車両だとのこと。


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 宍喰を出ると、長いトンネルで一気に徳島県と高知県の県境を抜け、甲浦に着く。鉄道用の古いホームの前でいったん止まるが、このホームは現在使用されていない。ホームの先にインターチェンジが設けられており、ここで鉄道モードからバスノモードへの切り替えがおこなわれる。再びドンコドンコというBGMとともに、持ち上がっていた車体の頭が少しずつ下がりゴムタイヤが地面に接する感触がわずかに伝わって来た。もともとは高架橋がこの先でぶっつりと切れていたのだが、そこにハーフループのスロープが設けられ、DMVはそれを下って、駅舎の目の前に設置されたバス停にとまる。海部から乗った客が下車し、再び車内は私ひとりになった。


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 再び普通のバスに戻ったDMVは、甲浦駅周辺の住宅地の中を抜けて、国道55号に出る。海の駅東洋町での乗り降りはない。土曜・休日には1日1往復だけが、この海の駅東洋町で折り返して室戸岬方面へ運行されるが、あいにく今日は最も運転本数の少ない火曜日である。
 トンネルを抜けて、国道沿いに設けられた道の駅宍喰温泉で終点となる。10時04分着。阿波海南から34分の旅であった。DMVは6分ほど停車して、阿波海南へ引き返していく。乗客はわずかだった。


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 道の駅には地元の名産品を中心にお土産品が並んでいるが、その中に、DMVを置いたジオラマがある。DMVの先頭には小型カメラが搭載されており、吹き抜けに面した2階に置かれたシミュレーターのようなものを操作すると、カメラの映像が正面に映し出される仕組みになっている。
 土産物売り場で、阿南のホテルで受け取った地域クーポンを使ってDMVのクリアフォルダなどお土産を購入する。ポスター、のぼり、土産物と、沿線はDMV一色である。DMVにかける期待の高さの現れだと思うが、一方で気になることもある。今日は時間に余裕もあり、もう少しDMVの様子を見てみようと思う。



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2024/07/21

2023 いい日旅立ち・西へ【24】DMV・行ったり来たり(その1)

 前回の続き。



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 阿波海南駅でぶらぶらしていると、DMVがやって来て止まった。4年前、京都鉄道博物館で特別展示されていたものと同じ、緑色の車体である。8時09分発の甲浦経由、道の駅宍喰温泉行き103便には、私と同じ牟岐線の列車から降りたその筋の人が2人乗り込んだ。ここまでの風景はただのバスである。私はこの便には乗らず、道路から線路へのモードチェンジの様子を外から眺める。
 扉を閉めて発車したバスは、道路と線路の境目に当たるインターチェンジへと進む。数年前までつながっていたはずの牟岐線のレールとこの先のレールは切り離されている。当然のことだが一般の鉄道とはまったく別のシステムであることを再認識する。


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 インターチェンジで停止して待つことしばし、バスの躯体が前側から持ち上がり、車体の下から鉄道用の車輪が出てきた大きくのけぞった車体の運転席から運転士が出てきて足回りを点検し、再び乗り込んで発車となる。この間約2分。思ったよりも所要時間は短い。
 DMVはのけぞったまま、阿佐海岸鉄道の鉄道線に入って走っていく。その姿は、今までにいろいろな鉄道の姿を見てきた私から見ても、ユーモラスというよりは何とも場違いな雰囲気で、言葉にならない。


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 DMVを見送って、駅から北の方へ10分ほど歩き、国道55号から少し東へ外れたところにある、阿波海南文化村に向かう。DMVの始発はここである。郷土博物館としてはずいぶん立派なたたずまいの施設の手前、駐車場の一角に、DMV乗り場が設けられている。次の便の出発は9時30分といくらか時間があり、9時の開館を待って文化村の中をくるりとひと回りする。地元の出土品や名産である海部刀などが展示されている博物館、「関船」と呼ばれる地元の祭りに出る船形だんじりの展示館などがあるが、気持ちはすでにDMVに向かっている。


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 9時20分頃に到着したDMVは、先ほど阿波海南駅で見た緑色の車両である。1時間ほどで1往復して戻って来たらしい。乗り込んだのは私ひとりである。予約優先のDMVに乗れなかったらまずいと、事前に乗車予約をしてやって来たけれども、これならば予約の必要はなかった。車内は普通のマイクロバスと同じであるが、運転席まわりにはこれでもかというほど機器類が詰め込まれている。9時30分、発車。


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 阿波海南駅で、遍路笠をかぶったヒゲの若者が一人乗車。予約はなかったらしく、「1列目以外で」と運転士に言われて車両中ほどに腰掛けた。すぐに発車して、インターチェンジにかかる。今度は車内からモードチェンジを体験する。
 「モードチェンジ、スタート」の自動アナウンスの後、トンコトンコと鼓を叩く音に合わせて車体前方が持ち上がっていく。このBGMも京都鉄道博物館で聴いた記憶がある。「フィニッシュ」と乾いた放送で終了である。写真を見比べると、こころもち視点が上がっているのがわかるだろうか。ここから、この奇怪なマイクロバスもどきがレールの上を走っていくのである。


 続く。



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2024/07/15

2023 いい日旅立ち・西へ【23】細かい話ですが(3) 阿佐海岸鉄道の0.1km

 前回の続き


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 11月29日、水曜日。この日もホテルを朝6時台に抜け出して、阿南6時22分発の牟岐線阿波海南行き普通列車に乗った。JR四国オリジナルの1500形ディーゼルカー1両の車内には10人ほどの乗客が揺られている。暗かった空が徐々に明るくなっていき、6時51分着の由岐で7分停車。上り徳島行き普通列車の到着を待って発車すると、左手の窓にようやく海が近づいてきた。


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 7時09分着の日和佐で22分の大休止となる。反対側のホームに、牟岐線にたった1往復だけ残った特急「むろと2号」が到着し、10人ほどの乗客を乗せて7時13分発に発車していった。日和佐の大浜海岸はウミガメの産卵で名高く、夏のシーズンだったら到着が多少遅くなっても阿南ではなくここに泊まっただろうと思う。残念ながらウミガメの産卵シーズンは5~8月である。海岸に向かってこんもりと張り出した城山の上には天守閣らしきものが見えるが、城跡ではあるものの当時の遺構をほとんど残しておらず、建物も昭和50年代に立てられた模擬天守らしい。


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 駅周辺を少し散策して戻ると、わずかながら高校生が集まってきて列車に乗りこんでいる。反対側の徳島方面行のホームにも学生が並んでおり、ほどなく到着した徳島行きの普通列車に吸い込まれた。7時31分発車。線路は再び内陸に入り、7時48分着の牟岐で高校生の多くが下車すると車内は閑散とした。8時03分に終点の阿波海南で列車から降りたのは5人ほどだった。


 ここまで来たのにもまた理由がある。
 2020年まで、JR牟岐線の終点は阿波海南のひとつ先、海部だった。海部からは第三セクターの阿佐海岸鉄道阿佐東線がさらに2駅先の甲浦まで伸びている。ここも私は1995年に乗車している。この路線は、甲浦から室戸を経由してと高知と結ぶ壮大な計画線だったのだが、この先の工事は凍結され、阿佐東線は行き止まりの閑散路線となった。開業当時から厳しい経営が予測された阿佐東線の2019年度の輸送密度は、開業時の3分の1、135人/km/日まで減少している。


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 並みの路線ならば命脈尽きて廃止、となるところだが、阿佐海岸鉄道は、JR北海道が研究・実用化を目指していたDMV(デュアル・モード・ビークル)の導入に活路を見出すことになった。線路と道路を両方走れる車両を導入し、鉄路のないエリアへの直通運転をおこなうことで利用の拡大を目指すものである。本家のJR北海道は、経営悪化による「選択と集中」の結果、実用化を断念したが、その技術は遠く離れた徳島県で花開くことになったのである。


 線路・道路の接続地点には新たに信号場とモードチェンジ設備を導入する必要がある。ところが、阿佐海岸鉄道は、海部・宍喰・甲浦とすべての駅が高架上にある。
 終点の甲浦は、駅の南側にスロープを設置して線路と道路を接続した。一方、海部駅は周辺の状況からスロープの設置が難しいため、接続地点は1駅手前の阿波海南に設けられることになった。これにより、JR牟岐線の阿波海南-海部間1.5kmが、JR四国から阿佐海岸鉄道に移管され、2020年から運休してDMV導入に向けた工事が始まった。


Asakaigan  阿佐東線がDMVに衣替えして新装開業したのは2021年12月のことである。阿波海南-甲浦間の阿佐東線の営業キロは10.0kmで、DMV化前と変わらない。ところがよく見てみると、阿波海南-海部間は1.4kmと0.1km短くなり、宍喰-甲浦間は2.5kmと0.1km逆に長くなっている。
 この事実に私が気付いたのは2023年初めのことである。鉄道と道路のモードチェンジがおこなわれる阿波海南信号場・甲浦信号場が、いずれも駅の南側に新設された結果、見かけ上、阿佐海岸鉄道の鉄道としての区間が全体的に南へ0.1kmずれた形になったのである。


 もとより、海部・宍喰の2駅はDMV化前の駅ホームをそのまま流用しているから、両端の区間だけ営業キロが変更になったわけだが、このことは、1995年に私が乗車済みである阿波海南-海部間のうち0.1kmが廃止され、阿佐海岸鉄道阿佐東線が南へ0.1km延長された分が未乗区間となったことを意味している。


 私が九州・中国と駆け巡った挙句に四国のここまで流れ着いたのは、DMVそのものに興味があったことももちろんではあるが、この0.1km区間を成敗するためなのである。今回は、西九州新幹線を除けばそんなところばかりを目指してきた。非鉄系の方々から見れば実に馬鹿馬鹿しい話であるが、誰にも理解されなかろうと、これが乗り鉄たる私の矜持である。


 続く。



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2024/07/07

2023 いい日旅立ち・西へ【22】芸備線から伯備線、そして一気に四国まで

 前回の続き


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 備後落合駅に集った3本の列車は、いずれもキハ120形ディーゼルカー1両だが、芸備線三次方面が広島、新見方面が岡山、木次線が出雲と担当が異なるため、それぞれに違う塗装をまとっている。芸備線新見行きはオレンジと赤の帯を巻いた「岡山色」である。
 この普通列車で備後落合に別れを告げる。この先再度訪れる機会があるかどうかはわからない。木次線が存続を巡って揺れていることは前回書いたが、備後落合を挟んだ芸備線・備後庄原−備中神代間もまた存亡の危機にある


 JR西日本が公表した2022年度の平均通過人員によると、備後落合−東城間は20人/km/日とJR西日本で最も低い。東城-備中神代間も89人と100人に満たない。備後庄原−備後落合間が75人、木次線の出雲横田−備後落合間が54人と、3方向いずれも惨憺たる成績である。このままでは10年後には備後落合駅自体が鉄道路線図から消滅する可能性もある。陰陽連絡の拠点としての過去は儚くもかすみつつある。


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 新見行き普通列車には10人ほどの乗客があるが、いずれもその筋の人で、地元客と思われる人の姿はない。28年前にタクシーを呼んだ小奴可、立派な駅舎を持った東城と、比較的まとまった集落での乗り降りもゼロである。備中神代から伯備線に乗り入れて、16時02分、新見に到着。昭和の香りがぷんぷんとする駅舎を出ると、また霧雨が降っていた。


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 16時38分発の岡山行き特急「やくも22号」は、定刻より5分ほど遅れて到着した。自由席は半分以上が埋まっており、通路側の席を確保して、しばし睡眠にあてる。
 381系元祖振り子式電車のデビューは、半世紀前の1973年である。第1陣の中央西線「しなの」からはもう20年以上前に引退し、後継の383系電車も置き換えが決まっている。1982年の伯備線電化時に増備された車両が中心の「やくも」も40年選手で、国鉄型特急電車最後の定期運用となっていたが、今年春には新型車両に置き換えられて、先日、定期列車から引退したところである。


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 終点の岡山にはやはり遅れて17時45分頃着。あわよくば乗り継ごうと思っていた17時42分発の快速「マリンライナー51号」には間に合わず、18時12分発の後続「マリンライナー53号」に乗って瀬戸大橋を渡り、19時11分、高松着。19時17分発の徳島行き特急「うずしお27号」に乗り継ぐと、わずか2両の列車は、16席だけの指定席を除く自由席は通勤客でほぼ満員である。途中駅での下車が想定以上に多く、20時27分に徳島に着く頃には乗客は半分以下になっていた。


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 もう時間も遅く腹も減っているが、もう一息。徳島20時30分発の阿南行き普通列車で先へ進む。芸備線以来のキハ47形2両編成である。初日から毎日、どこかでキハ47形が現れる。最終製造が1981年だからもう40年以上が経過しており、JR東日本・JR東海ではすでに全車が廃車となっている。JR西日本以西の3社では経年の高い車両から徐々に置き換えが進んでいるものの、まだ健在である。
 車内は、意外と言っては失礼だが、この時間にしては混雑している。徳島県の人口は約71万人で、その3分の1超の25万人が徳島市に集中しており、人口7万人弱の阿南市がそれに次いでいる。


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 21時14分着の阿南駅に降り立つ。28年ぶりの駅舎は橋上型の立派なものに建て替わっていた。ホテルまでは徒歩10分ほどで、小さな居酒屋がぽつんぽつんと店を開けている寂しい通りを抜けていく。県道との交差点近くに「コメダ珈琲店」の看板が見えたが、夕食をとりに入る気分でもない。近くのコンビニエンスストアで弁当を物色してホテルにチェックインし、テレビをかけ流しながらぼんやりと食事をとった。明日の朝も早い。


 続く。



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