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2024/07/15

2023 いい日旅立ち・西へ【23】細かい話ですが(3) 阿佐海岸鉄道の0.1km

 前回の続き


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 11月29日、水曜日。この日もホテルを朝6時台に抜け出して、阿南6時22分発の牟岐線阿波海南行き普通列車に乗った。JR四国オリジナルの1500形ディーゼルカー1両の車内には10人ほどの乗客が揺られている。暗かった空が徐々に明るくなっていき、6時51分着の由岐で7分停車。上り徳島行き普通列車の到着を待って発車すると、左手の窓にようやく海が近づいてきた。


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 7時09分着の日和佐で22分の大休止となる。反対側のホームに、牟岐線にたった1往復だけ残った特急「むろと2号」が到着し、10人ほどの乗客を乗せて7時13分発に発車していった。日和佐の大浜海岸はウミガメの産卵で名高く、夏のシーズンだったら到着が多少遅くなっても阿南ではなくここに泊まっただろうと思う。残念ながらウミガメの産卵シーズンは5~8月である。海岸に向かってこんもりと張り出した城山の上には天守閣らしきものが見えるが、城跡ではあるものの当時の遺構をほとんど残しておらず、建物も昭和50年代に立てられた模擬天守らしい。


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 駅周辺を少し散策して戻ると、わずかながら高校生が集まってきて列車に乗りこんでいる。反対側の徳島方面行のホームにも学生が並んでおり、ほどなく到着した徳島行きの普通列車に吸い込まれた。7時31分発車。線路は再び内陸に入り、7時48分着の牟岐で高校生の多くが下車すると車内は閑散とした。8時03分に終点の阿波海南で列車から降りたのは5人ほどだった。


 ここまで来たのにもまた理由がある。
 2020年まで、JR牟岐線の終点は阿波海南のひとつ先、海部だった。海部からは第三セクターの阿佐海岸鉄道阿佐東線がさらに2駅先の甲浦まで伸びている。ここも私は1995年に乗車している。この路線は、甲浦から室戸を経由してと高知と結ぶ壮大な計画線だったのだが、この先の工事は凍結され、阿佐東線は行き止まりの閑散路線となった。開業当時から厳しい経営が予測された阿佐東線の2019年度の輸送密度は、開業時の3分の1、135人/km/日まで減少している。


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 並みの路線ならば命脈尽きて廃止、となるところだが、阿佐海岸鉄道は、JR北海道が研究・実用化を目指していたDMV(デュアル・モード・ビークル)の導入に活路を見出すことになった。線路と道路を両方走れる車両を導入し、鉄路のないエリアへの直通運転をおこなうことで利用の拡大を目指すものである。本家のJR北海道は、経営悪化による「選択と集中」の結果、実用化を断念したが、その技術は遠く離れた徳島県で花開くことになったのである。


 線路・道路の接続地点には新たに信号場とモードチェンジ設備を導入する必要がある。ところが、阿佐海岸鉄道は、海部・宍喰・甲浦とすべての駅が高架上にある。
 終点の甲浦は、駅の南側にスロープを設置して線路と道路を接続した。一方、海部駅は周辺の状況からスロープの設置が難しいため、接続地点は1駅手前の阿波海南に設けられることになった。これにより、JR牟岐線の阿波海南-海部間1.5kmが、JR四国から阿佐海岸鉄道に移管され、2020年から運休してDMV導入に向けた工事が始まった。


Asakaigan  阿佐東線がDMVに衣替えして新装開業したのは2021年12月のことである。阿波海南-甲浦間の阿佐東線の営業キロは10.0kmで、DMV化前と変わらない。ところがよく見てみると、阿波海南-海部間は1.4kmと0.1km短くなり、宍喰-甲浦間は2.5kmと0.1km逆に長くなっている。
 この事実に私が気付いたのは2023年初めのことである。鉄道と道路のモードチェンジがおこなわれる阿波海南信号場・甲浦信号場が、いずれも駅の南側に新設された結果、見かけ上、阿佐海岸鉄道の鉄道としての区間が全体的に南へ0.1kmずれた形になったのである。


 もとより、海部・宍喰の2駅はDMV化前の駅ホームをそのまま流用しているから、両端の区間だけ営業キロが変更になったわけだが、このことは、1995年に私が乗車済みである阿波海南-海部間のうち0.1kmが廃止され、阿佐海岸鉄道阿佐東線が南へ0.1km延長された分が未乗区間となったことを意味している。


 私が九州・中国と駆け巡った挙句に四国のここまで流れ着いたのは、DMVそのものに興味があったことももちろんではあるが、この0.1km区間を成敗するためなのである。今回は、西九州新幹線を除けばそんなところばかりを目指してきた。非鉄系の方々から見れば実に馬鹿馬鹿しい話であるが、誰にも理解されなかろうと、これが乗り鉄たる私の矜持である。


 続く。



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コメント

こんばんは。

 0.1kmの新/未乗区間へのこだわりが“矜持”だと言い切るのが凄いです。

 日和佐には、ウミガメのいない磁器に訪れて、蒲生田岬の先端まで行ったことがありました。海の中に続く堤防上の路を車で走るのですが、対向できない幅で、怖かったのだけが思い出です。

投稿: 南太郎 | 2024/07/16 00:21

 南太郎さん、ありがとうございます。
 ほめていただいているのかどうなのか、微妙な感じですが(笑)、一度突き詰めてしまうとこうなってしまうのですね。良くも悪くも私の性格かな、と思います。

 今回の列車は日和佐駅で20分以上停まっていたのですが、さすがに駅を離れて遠くまで散歩するのは厳しかったです。もう少し時間があれば海岸や岬の方まで足を延ばすことも可能だったのでしょうが、次回の楽しみです。

投稿: いかさま | 2024/07/21 22:42

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