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2024年8月

2024/08/25

2023 いい日旅立ち・西へ【28】結ばれなかった鉄路~阿佐線の夢

 前回の続き



Dscn5917  岬ホテル前バス停で待つこと5分あまり、14時58分にやって来た安芸営業所行きバスに乗り込むと、またしても車内は空。海岸に沿って国道55号を少し走ってから右へ分かれ、住宅街の中を走っていく。28年前に運転手が交代した室戸営業所前バス停も素通りで通過する。ここからほぼ真西に200mほどの海岸には「海の駅とろむ」があり、土曜・休日に限り阿佐海岸鉄道のDMVが1往復乗り入れてくる。
 再び国道に戻り、途中、ところどころで国道を外れて集落へ入るが乗客はない。校舎の目の前に立派なロータリーが整備された室戸高校も、玄関の目の前にバス停のある室戸診療所も乗客なしで通過である。


Img_5792  私が乗ってから15分近く走った新村バス停でようやくひとり乗客があり、そこからパラパラと乗客があって、最終的には5人ほどが乗って16時ちょうど、奈半利駅に着いた。私はここで下車する。土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線の終点で、立派な高架駅に来たのは12年ぶりである。ここから高知方面へは列車に乗って向かう。


 ごめん・なはり線は、もともと国鉄阿佐西線として建設された。その名のとおり、阿佐海岸鉄道阿佐東線とは対をなしており、本来は阿佐線として、室戸経由で一本につながるはずだった。しかし、奈半利-甲浦間は工事に着手されないまま国鉄は解体され、工事が進んでいた海部-甲浦間は徳島県を中心とする阿佐海岸鉄道が1992年に、後免-奈半利間は高知県を中心とする土佐くろしお鉄道が2002年にと、それぞれ第三セクターが引き受けて開業した。中間を結んだのが高知県交通(現:高知東部交通)バスで、時刻表1995年2月号によれば高知市内-室戸岬-甲浦を直通するバスが1日5往復、安芸-甲浦間4往復(休日2往復)の区間便も設定されている。


 私がこの区間を初めて通過した1995年2月の時点でも、乗客数を見る限り、阿佐線が1本で結ばれる可能性はほぼゼロだった。
 阿佐東線の列車は小学生の社会学習でなんとか体裁をつくり、甲浦から室戸経由で後免町までのバスは、貸切タイプの立派な車両に乗客が10人を超えたのは、夕方通過した安芸付近からのわずかな区間だけだった。それから28年、阿佐東線はDMVという大量輸送性を半ば放棄した形態に代わり、甲浦~室戸~奈半利のバスは大半の区間で私ひとりだけを乗せて走った。


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 奈半利16時03分発の高知行き快速列車に乗ったのは、私の他に2人ほど。たった1両の車内はいっそう侘しい。それでも途中、安芸から学生が大量に乗車して、車内はにわかに活気づいた。沿線にはビニールハウスが連なっている。
 土佐くろしお鉄道は路線ごとの輸送密度を公表していないのではっきりわからないが、ごめん・なはり線と中村-宿毛間の宿毛線を合わせた輸送密度が2019年度で848人。輸送人員はごめん・なはり線の方が宿毛線の倍程度あることから考えても、ごめん・なはり線の輸送密度は1,000人を超えていると思われる。決して安泰な数字ではないが、阿佐東線から比べれば一桁多い


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 少し時間に余裕があるので、16時48分着の夜須で下車。高校生も10人ほどが一緒に降りた。高架式のホームからは、海岸に面して建つ「海の駅やす」が見える。一帯は「ヤ・シィパーク」と称される公園として整備されている。国道55号は線路を挟んだ内陸側を走っており、道路よりも駅からのアクセスの方が近いという珍しい立地である。ごめん・なはり線の駅には、各駅ごとにやなせたかし氏の描いたキャラクターが存在するが、夜須駅前にも「やす にんぎょちゃん」と名付けられた艶めかしい人魚のキャラクターが鎮座している。「ヤ・シィパーク」で毎年夏に行われる「ミスマーメイドコンテスト」にちなんだものだとか。


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 直売所を軽く眺めてから、16時56分発の奈半利行き快速列車で安芸まで少し戻る。2両編成で、こちらも学生がよく乗っている。
 安芸駅の周辺は、前年仕事の関係で訪問しているが、駅に降り立つのは初めてである。駅前では「あき うたこちゃん」が出迎えてくれる。三角屋根の大柄な駅舎は、駅名とともに「ぢばさん市場」と掲げていて、駅舎内には野菜や食品の直売所がある。お土産物もあるが、比較的普段使いの野菜なども置かれており、地元客が立ち寄って買い物をしている姿も見受けられる。


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 最後は安芸17時40分発の高知行き快速。時刻表上は安芸始発だが、実際は奈半利から1両でやって来た列車にここで1両増結する形である。帰宅の高校生で、2両編成の座席はほぼ埋まり立ち客も出た。駅ごとに少しずつ乗客が減っていき、18時07分着ののいちで下車。ここで5日間続いた乗り歩きの旅は締め括りである。駅前ではピエロのような「のいちんどんまん」が出迎えてくれる。


 私はこれから、高知空港19時30分発のFDAの飛行機で実家に近い県営名古屋空港(小牧空港)へ飛ぶが、のいち駅と空港を結ぶ「空港乗合タクシー」を予約してある。1乗車500円と、高知駅からのバスよりも安い。指定された乗り場へ行くと、普通のタクシーが待っており、私ひとりを乗せて空港まで10分あまりで運んでくれた。あとは飛行機に身をゆだねて、これも20年ぶりぐらいとなる小牧空港から実家を目指すのみである。



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2024/08/18

2023 いい日旅立ち・西へ【27】念願の室戸岬灯台へ

 前回の続き


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 海の駅東洋町で1時間弱を過ごし、12時20分発の室戸営業所行き高知東部交通バスに乗った。中型のバスに乗客は私ひとりである。
 28年前、はじめてこのルートをたどったときは、甲浦駅前から室戸経由高知行きの直通バスに乗った。終点の高知まで3時間余りをかけて走る非常に長い路線バスに10人足らずの乗客が入れ替わりながら乗っていたことを思い出す。海岸沿いを走るバスからの景色は美しいが、途中の停留所でもまったく乗降はなく、寂しい。


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 13時04分着の室戸ジオパークセンターで下車。2011年にユネスコの世界ジオパークに選定された室戸エリアの地形や文化・風土に関する展示がある立派なセンター内に他に客の姿はなく、わずかに建物内のカフェで3人ほどの地元客と思しき人々が談笑している。
 13時25分発の安芸営業所行き高知東部交通バスは、先ほどよりさらに小さい小型のバス。折り返しの始発便で、やはり乗客は私ひとりである。甲浦発の便が室戸市内で内陸の室戸高校を経由するのに対し、こちらの便は海岸沿いに室戸岬を経由する、28年前と同じルートをたどる。


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 10分ほどで到着した室戸岬バス停で下車。28年前はここを素通りで駆け抜けたが、道路を挟んだ山の上にある室戸岬灯台の姿が印象的だった。バス停に降り立つと、その灯台の姿は山陰に隠れて見えない。代わりに、目の前には中岡慎太郎の銅像が立ち、その斜め上方に小さな展望台の姿が見えた。
 5分ほどかけてその展望台へ上る。「恋人たちの聖地」と書かれているが、私には何の縁もない。おだやかな海が180度以上開けている。右下の方には、先ほど見上げた中岡慎太郎の後頭部が見える。


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 それから海岸へ降りて、海辺の遊歩道をしばらく歩いてみたが、やはりどうしても山の上にある室戸岬灯台が気にかかる。次のバスまではまだ1時間ほどあり、案内看板には灯台まで20分とあるから、行って帰ってくることは可能だろう。そう思った私は、登山道のような灯台までの道を登り始めたが、ほどなく後悔の念に駆られた。登山道は想像以上に険しく、無造作な石段が延々と続いている。足はがくがくするし、呼吸も乱れる。そのうえところどころに、得体のしれない獣の糞も転がっている、時々木々の間から見える海岸線は間違いなく遠ざかっているが、二度休憩をはさんでも灯台にたどり着く気配はなかった。


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 20分近く歩いて、分岐点に着いた。左へ行けば100mほどで室戸岬灯台、右へ向かえば最御崎寺(ほつみさきじ)とある。せっかくなのでそちらを先に訪問しておく。最御崎寺は四国八十八箇所の、高知県へ入って最初、第24番札所である。23番が日和佐の薬王寺だから、その間約75kmと非常に長い。歩いて巡礼して、最後の最後にこの登山道とはなかなかの苦行である。めったに来る機会のない場所だろうから、念入りに参拝しておいた。


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 そこから室戸岬灯台は、軽い下り坂を歩いて5分ほどだった。間近に見る灯台はそれほど大きなものではなかったが、ここまで登って来たという満足感が景色をより美しく見せた。雲の加減で時々色合いの変わる灯台と、そこから見下ろす太平洋の景色に、私はしばらく見惚れた。


Dscn5916  下りの登山道は息切れこそしなかったが、足はパンパンになった。途中、一組のお遍路さんとすれ違った。私がはあはあ言いながら登った登山道を、私より明らかに年配のお遍路さんは淡々と登っていった。
 登山道を降りたところにある岬ホテル前バス停で、安芸方面へのバスを待つ。11月も末だというのに私は汗びっしょりで、バス停脇にべったりと座り込んだ。喉も乾いていたが、バス停のすぐ前にあったホテルは廃墟のようになっている。バスを待つ途中、実家からLINE電話がかかってきたが、電波が悪くてまったく会話にならない。スマホを見ると、電波の表示は「3G」になっていた。


 続く





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2024/08/14

流行遅れの。

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 私の会社は、仕事の性質上、お盆のまとまった休みは設定されていないが、今年は周囲の協力もあり、短い盆休みと有給休暇を組み合わせて1週間の休みをひねり出した。これを使って、大阪の坊主のところと実家に顔を出してくる予定であった。お盆に実家に帰るなど、十数年ぶりのことである。久しく会えていない友人たちに会うこともできる。


 はずであった。


 8日までびっちり仕事をこなし、自宅に帰った私は、その夜、寝苦しさで目が覚めた。札幌でもこのところ気温の高い夜が続いている。そのせいで深夜に目が覚めることもしばしばであったが、この日は少し様子が違った。全身にだるい感じがある。熱を測ってみると37度8分。それが朝を迎える頃には38度5分まで上がった。自宅にあった、少々期限の切れた新型コロナウィルスの抗原検査キットでテストしてみると、説明書に書かれた15分を待つまでもなく、陽性を示すラインがくっきりと浮かび上がった


 これまで家族がかかってもぴんぴんしていた私だが、疲労がウィルスを受け入れやすくしていたのか、いずれにしても5年目にして初めての新型コロナウィルス感染である。再流行中とはいえ、ずいぶん乗り遅れた初体験である。病院へ連絡すると、簡易検査で陽性だったことと症状から疑いの余地はなく、PCR検査は不要、重症でなければ高価な専用の薬も不要でしょう、とのことで、とりあえず出向いて症状の確認と薬の処方をしてもらうことにする。


 この間、当日乗る予定だった大阪・伊丹行きの航空券をキャンセルする。JAL・ANAの場合、感染症等の診断書を提出すれば無手数料で払い戻しを受けられるようだが、今回購入した航空券の払戻手数料は4,500円。診断書をもらうために検査を受ければそれ以上の金額がかかるだろうから、余計なことは考えず、粛々とキャンセル作業を進める。
 それから、当日から2泊する予定だった大阪の坊主への連絡と、3件の飲み会のキャンセルである。ここしばらく会っていない仲間とのものを中心に、楽しみにしていたものばかりであるが、これとて無理押しして周りに迷惑をかけるわけにもいかない。


 加えて、大阪から岐阜の実家へ向かうに際しては、少し遠回りをして、3月に開業したばかりの北陸新幹線・敦賀-金沢間にも足を記そうとひそかに考えていた。また、大阪でも、北大阪急行・千里中央-箕面萱野間が3月に開業しており、そこへも足を伸ばすつもりであった。してみると1週間の間にずいぶん盛りだくさんでいろいろしようとしていたわけだが、すべてパーである。


 不幸中の幸いといえば、規制のために休みを取っていたおかげで、仕事に突然穴をあけることにならなかったことだろう。だが昨年の旅行もそうだったが、今回も連続して日程の変更を余儀なくされ、払わなくてもよいキャンセル料を払って来た。ふらりと休みをとれるような仕事だったら最高なのだがそれほど高等な仕事ではなく、早割やバーゲンでなく通常運賃・料金でふらりと旅に出られるほど懐が潤っているわけでもない。仕方のないことだが、何のために仕事をしているんだろうなあ、という不毛な疑問だけが残る。


 私の初コロナは、幸い熱は11日の昼頃には平熱まで戻り、体のだるさも幾分取れて、咳が少し出る程度まで回復するなど、症状としては軽かったといっていいだろう。することのなくなった休みはあと1日である。



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2024/08/04

2023 いい日旅立ち・西へ【26】DMV・行ったり来たり(その3)

 前回の続き


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 道の駅宍喰温泉から、低い民家が並ぶ住宅地を抜けて10分ほど歩くと、阿佐海岸鉄道の高架橋にぶつかる。そこを左折して、小学校に沿って歩き、宍喰駅に着いた。28年前の初乗車の際には、当時牟岐-甲浦を直通運転していた阿佐海岸鉄道の列車に、阿波海南から小学生の校外学習らしき38人の団体が乗り込んできて、宍喰で降りて行った。当時のメモには「子供たちが将来、鉄道のよき利用者になってくれればいいのだが。」と残してあるが、残念ながらそうなった気配はない。駅舎内においてあるDMVのパンフレットは、英語・韓国語・中国語の繁体・簡体と取り揃えられ、観光客向けにPRされている。


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 宍喰駅は路線唯一の有人駅で、高架下の駅舎の窓口には係員が立っている。その窓口の前には、「駅長室」と札の貼られた水槽が置かれており、中で1尾のえびがじっとこちらを見ている。「伊勢えび駅長」だそうである。人間の駅長がいるのかどうかは知らないが、窓口に立っている駅員は、このえびの部下ということになる。


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 ホームに上がり、あらためて駅構造を観察する。改札からの階段を登った付近が境界線となり、鉄道用の旧ホームから甲浦方向に向かって下りスロープの先がDMVの甲浦行きホームになっている。ホームの先端には踏切があり、反対側に設けられた阿波海南行きホームにつながっている。
 ホームには1組の老夫婦がおり、数少ない乗客かと思って声をかけてみると、DMV見物だけだという。もったいないことである。もっとも私も、先ほど、「ドンコドンコ」を外から眺めたいばかりに阿波海南で乗らずに見物していたから、他人のことは言えない。

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 11時01分発のDMVは、またも緑の車両。ずいぶんよく働くことである。今度は予約をしていないので、前方の空席に座る。中国人と思しき女性団体が10人ほど乗っているが、キンキンと響く声で一斉に喋っているからうるさいことこの上ない。
 再び長いトンネルを抜けて甲浦のインターチェンジでドンコドンコをし、スロープを下ってバス停に着いた。私が降りようとすると、団体が我れ先にとドアに突進して私の道を塞ぐ。添乗員らしき女性がここじゃない、とそれを静止すると、またザワザワと席に戻る。その様子を見て,私はうんざりしながらDMVを降りた。


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 高架脇の可愛らしい旧甲浦駅舎は、駅機能は失ったものの健在で、売店が営業していた。ポスターやパンフレットが賑やかなのはここも同じである。駅の外の階段から旧ホームに上がることができ、阿波海南同様、DMVのモードチェンジを間近で眺められるようになっている。
 28年前は駅舎の目の前、今スロープが設けられたあたりにバス停があり、青春時代の私はここで室戸岬方面へ向かうバスを待った。今この駅に入ってくるのは、DMVだけである。


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 甲浦駅から川沿いに10分ほど歩き、国道55号に出た。右折して室戸岬方面に向かうと、赤いDMVとすれ違った。乗客が乗っている。時刻表にはない便で、団体客対応の特発便らしい。それを見送ると左手に「海の駅東洋町」がある。地元農水産物の直売所と食堂が併設された施設で、私がさきほど乗ったDMVは下車客もなく素通りしたが、駐車場にはたくさんの車が停まっており、盛況の様子である。


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 食堂では、地元産の刺身類を中心に食事ができる。「数量限定1,000円 当店一番人気 日替お刺身定食」と書かれた置き看板に惹かれて注文。店舗の外のデッキに出て、海岸を正面に見ながら食べる。
 日によって異なる刺身の本日のラインナップは、キハダマグロ、モンズマのたたき、ビンチョウマグロ。珍しいのはモンズマで、徳島・高知のこの界隈だけのものらしい。サバ科の魚らしいが、脂のよく乗った刺身はカツオとマグロの間のような食味で非常に美味しかった。ボリュームも看板を裏切っていない。かすかな風は12月が近いというのにほんのりと温かく、旅の終盤にゆったりとした時間が流れた。


 DMVに関する感想は別の機会にまとめたい。

 続く。



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