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2024年10月

2024/10/14

鉄道「再」完乗~宇都宮ライトレール

 2023年に「乗るべき鉄道」の中で唯一乗り残し、越年となった宇都宮ライトレールを訪問できたのは、年が明けてしばらくたってからになった。


 翌日、月曜日の東京での所用にひっかけて、2月18日、日曜日、朝1番の飛行機で飛んだ私は、羽田空港から9時40分発の京急エアポート快特、品川で10時08分発の上野東京ライン小金井行きと乗り継ぎ、大宮で11時01分発の東北新幹線「やまびこ57号」の自由席に落ち着いた。16時頃までには都心に帰ってくる必要があり、時間にあまり余裕がない。それでも東京駅で東北新幹線に乗り換えなかったのは、東京ー大宮の新幹線は騒音対策のため、所要時間が普通列車と7分しか変わらないからである。これで特急料金が640円浮く。ささやかな金額だが、こうした積み重ねが私の旅を支えている。


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 11時30分、宇都宮着。私が今回手にしているのは、首都圏の普通列車が1日乗り放題になる「休日おでかけパス」と、大宮-宇都宮間の自由席特急券である。このきっぷが使えるのは東北本線の自治医大までである。改札口で自治医大-宇都宮間の運賃330円を支払い、東口への跨線橋を歩く。「ライトライン」と愛称表示された案内板に従って階段を降りると、ちょうど黄色い車体に黒のアクセントを入れた電車がホームに入ってくるところだった。どこかスズメバチのようなカラーリングである。


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 電車は日中、きれいな12分間隔のダイヤが組まれている。11時36分発の電車は、立ち客も出る盛況で宇都宮駅東口停留場を発車した。すぐに左にカーブして駅前広場を抜け、東へ延びる県道64号(鬼怒通り)上を進む。開業から間もない線路の状態はきわめて良く、各地の路面電車のようなガタンゴトンという揺れは感じない。駅東公園前を出ると国道4号線をまたぐ。上り勾配だが最高速度は40km/hに制限されており、車両も軌道の状況も能力を持て余しているようである。


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 乗車には交通系ICカードが利用できる。出入口には乗車用・降車用2つのカードリーダーが備えられており、ICカード利用の場合、どのドアからでも下車できるようになっているのは珍しい。わずかな乗り降りを繰り返しながら走り、宇都宮駅東口から10分の宇都宮大学陽東キャンパス停留場で半分近くの乗客が下車した。「ベルモール」と呼ばれる大型商業施設がすぐ近くにあり、家族連れの姿が目立つ。にぎやかだった車内の様子は急に落ち着く。


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 宇都宮大学陽東キャンパスを出てしばらく走ると、線路はゆるやかに高架へ上がって右にカーブし、専用軌道に入る。建物が連なっていた市街地がぷつんと途切れたように、いきなり田園風景に変わる。高架を下って左へ曲がり、ビニールハウスの向こうに休憩中の車両が並ぶ車両基地が見えると平石停留場。折り返し列車の設定もあり、4本のホームを持っている。駅を出るとすぐ、車両基地への分岐線が右へ分かれていく。こちらは立派な専用軌道をそのまま東へ向かう。


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 平石中央小学校前停留場の先で進行方向を東南東に変え、客で賑わう釣り堀を左手に見ながら農村風景の中を走り、鬼怒川を渡る。こんなところまで線路を引いて大丈夫なのか、と思うほど寂しい場所を走るが、緩やかに左へカーブして道路の高架を2本くぐった清陵高校前停留所あたりから、にわかに工場の姿が目立ち始めた。ここから道路と並行して走る。道路との交差部分に踏み切りはなく、信号に従って走るから、併用軌道ということのようである。清原地区市民センター停留所で、残っていた客の半分ほどが下車した。


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 線路はここで左へ折れて、常総・宇都宮東部連絡道路の東側を北へ向かって並走する。住友ベークライト、キヤノン、長府製作所といった聞きなじみのある企業の大きな工場が並んでいる。グリーンスタジアム前停留場の先で工場地帯がいったん途切れると、今度は右手に住宅街が再び広がる。このあたり、線路も道路もゆるやかなアップダウンがある。線路は高架に上がって右折し、再び県道64号と合流して、その4車線の真ん中にするりと入り込む。ここからまた道路上を走る併用軌道となる。「ゆいの杜」と呼ばれるこのエリアの沿線には、大型家電店をはじめ郊外型の店舗が並んでおり、今後まだまだ発展しそうである。ここが宇都宮市の東端になる。


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 ゆいの杜東停留場の先で芳賀町へと入ると、車窓は再び工業地帯になる。芳賀町工業団地管理センター前停留場から左折すると、線路は工業団地の中を進んでいく。坂を下って登り、右手に「HONDA」「GYM」と大書きされた体育館を過ぎると、あとは進行方向右手に本田技研工業の広大な工場が連なり、終点の芳賀・高根沢工業団地停留場に到着した。宇都宮駅東口から14.5km、48分の道のりである。終点で降りた客は、私の他7人ほどだった。


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 その名のとおり工場群の真ん前にある芳賀・高根沢工業団地停留場は、宇都宮ライトレールが公表した1日の乗降人員平日2,600人、休日500人という数字が示すとおり、工場への通勤利用がメインのようである。4月から平日朝の下りに限り運転されるようになった快速電車の存在もそれをあらわしている。
 開業から半年が過ぎ、ご祝儀相場も終わる頃だが、利用状況は順調と報じられている。宇都宮駅西側への路線延長も計画されており、新規路線として開業した日本初のLRT・宇都宮ライトレールは、この先がまだまだ楽しみな路線である。


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 その後私は、再び48分かけて宇都宮駅東口へ戻った。空いた車内で観察してみると、駅の待合室のような椅子が並んだ車内は決して掛け心地がいいとは言えなかったが、車内の落ち着いたデザインや照明の工夫もあって、「居心地のいい電車」に感じられた。
 帰りの電車も末端区間は空いていたが、都心部に入った宇都宮大学陽東キャンパスからはやはり満員御礼の状況となった。宇都宮からは2時間かけて普通列車で東京駅に着いた。所要のついで、といって宇都宮まで乗りに行ったわけだが、宇都宮は意外と遠いよなあ、ということを実感した1日にもなった。



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2024/10/07

還暦の「ひかり・こだま」~東海道新幹線60周年

 「かっぱえびせん」「オバケのQ太郎」「V・ロート」「ホンダS600」「サントリー・レッド」「東京12チャンネル」「マツダ・ファミリア」「平凡パンチ」「デンターライオン」「シオノギ ミュージックフェア」「ホテルニューオータニ」「東京モノレール」「日本武道館」「仙台空港」「佐藤栄作内閣」「味ぽん」…。これらがデビューしたのはすべて1964年、東京オリンピックの年なのだそうである。


P1045415  そしてこの年、日本の鉄道に革命を起こす「商品」が誕生した。「ひかり」と「こだま」である。
 東京オリンピックが始まる9日前の10月1日に誕生したこの「商品」は、6時間30分を要していた東京-大阪間を一気に2時間半短縮し、最速4時間で結んだ。名古屋・京都のみに停車する超特急「ひかり」、各駅停車の「こだま」は、一般公募でそれぞれ1位・10位になったものから選ばれた列車名である。公募の中には「弥次」「喜多」などというものもあったらしいが、最終的に「速いもの」の代表である「光」と「音」のコンビを選んだ人のセンスは秀逸である。鉄道史上最も美しく、ぴたりとはまった愛称だと思う。


 「ひかり」は戦前の南満州鉄道の急行から戦後は九州内急行・準急、「こだま」は史上初の特急電車と、それぞれに愛称としては前史を持っているが、東海道新幹線でコンビを組んで今年で60年。還暦の年を迎える。
 私たちよりも上の世代になれば、未だに東海道新幹線は「ひかり」「こだま」が代表格で、「のぞみ」は遅れてきた若造のイメージなのだが、「のぞみ」の誕生は1992年。実は「ひかり」「こだま」コンビの歴史よりも「のぞみ」を加えたトリオの歴史の方が長い。品川駅が開業した2003年からは、運転本数の上でも「のぞみ」が圧倒的な存在となって、「ひかり」「こだま」は脇役に回った印象がある。


 けれども、子供の頃の憧れは、大人になっても輝き続けている。私が子供の頃の「ひかり」はまさにそんな存在だった。
 今では考えられないが、当時の「ひかり」は、ほとんどの列車で食堂車を営業していた。「ビジネスライク」だといわれて趣味的には一段低く置かれていた新幹線ですらそうだったのだから隔世の感がある。1981年、初めて乗った0系新幹線の、側に通路を配置して通行客を分離した落ち着いた食堂車と、その後デビューした100系新幹線の、2階建てのたっぷり光の注ぎ込む明るい食堂車は、その後いろいろな食堂車を利用した中でも最も強い印象になって残っている。


 新幹線開業から60年。象徴だった丸鼻の0系も、面長の100系も引退して久しく、供食事情の変化もあって食堂車はおろか、車内販売も姿を消した。その代わり、最高速度は210km/hから285km/hまで向上し、4時間だった東京-新大阪間は最速2時間21分まで短縮された。
 私はちょうど10年前、当ブログに「新幹線、満50歳。」と題して、「中央リニア新幹線の開業まであと13年」と書いた。3年後に迫っているはずのリニア開業は、諸々のトラブルに見舞われて見通しが立たない状況になっている。
 還暦を迎えた東海道新幹線は、まだまだ楽をさせてもらえない。リニアが開業した暁には、「ひかり」「こだま」にもまた新たな役割が待っているはずである。
 



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