コロナ・リベンジの帰省旅【1】メタモルフォーゼ・高山本線の旅
8月のお盆休みに感染した新型コロナウィルスのおかげで断念していた帰省にリトライできたのは1か月後の9月中旬であった。
9月12日、3連休と有給休暇をつなげて少し長めの休みをもらい、私はあらためて実家へと飛んだ。15日まで所用をこなした私は、16日の朝、グンと早起きして、土岐市駅から7時08分発の名古屋行き快速列車に乗った。目的地は上の坊主が住む大阪だが、その前に私には足すべき用事がある。次の多治見で下車し、7時17分発の太多線美濃太田経由岐阜行きに乗り換えた。
高校時代に時々利用した太多線は、当時キハ11という小ぶりなディーゼルカーが主力だったが、久しぶりに乗車すると、313系電車そっくりのキハ25系ディーゼルカーに置き換わっている。2両編成のロングシートの車内には、途中で乗客が入れ替わりながら終始30人くらいが揺られており、7時55分、美濃太田に到着。ここで8時08分発の高山本線下り、下呂行き普通列車に乗り継いだ。こちらは武豊線電化で押し出されたキハ75系ディーゼルカー2両編成である。経年はいくらか古いが、転換式のクロスシートが並んだ快適な車両で、乗客が10人ほどと少ないのをいいことに、クロスシート4人分を独り占めしてのんびりとくつろぐ。
3駅目の下麻生で、特急列車の通過待ちのため15分の長時間停車。何もない駅周辺をぶらぶらしていると、後続の特急「ひだ1号」がさわやかに通過していった。ほぼ定刻通りのようである。ここから白川口までの区間は、チャートと呼ばれるプランクトン化石からなる岩石の層状地層を主体とした「飛水峡」と呼ばれる景勝ポイントである。高山本線は飛騨川の右岸に沿うように走っていく。前日にいくらか雨が降ったせいか、深い緑色の水が岩の間を縫いながら列車とは逆の方向に走っていく。1968年8月、国道41号で身動きの取れなくなった貸切バス2台が土砂崩れに遭遇して飛騨川に転落し100名を超える死者を出した「飛騨川バス転落事故」が発生したのもこの区間である。
8時57分着の白川口で、再び9分の小休止。車内のインフォメーションが、坂上-打保間で列車が動物と接触したことによる遅れを告げている。ここで猪谷始発の美濃太田行き普通列車と行き違う予定になっているが、定刻になっても列車は現れず、「カラ交換」の形になって9時06分、発車する。次の下油井との間にある鷲原信号場は、すぐ目の前に国道41号沿いの「道の駅白川」が広がっており、駅を設けてもいいような立地である。ここで本来なら普通列車の後を追ってくるはずの名古屋行き「ひだ4号」と行き違う。事故現場より手前の高山始発のため、こちらは定刻通りのようである。
9時48分、下呂着。駅周辺の土産物屋街は多くの外国人を含む観光客で賑わいを見せており、駅改札には10時26分発の「ひだ6号」を待つ客が長い列を作っている。それを横目に見ながら、私は10時15分発の富山行き「ひだ3号」に乗るためホームに入った。乗車位置ごとに5~6人の客が並んでいる。8両編成で到着した列車は、前寄り4両が富山行き、後ろ寄り4両が高山止まりである。富山行きの自由席車は1両しかなく、座席にありつけるかどうか不安だったが、比較的空いており、進行方向左手の窓側に席をとることができた。
落ち着いた雰囲気の車内の入口扉の上には、大ぶりなインフォメーションボードがあり、車内案内や次の停車駅の他に、列車の走行状態を表示している。「バッテリーアシスト中」の表示は、この車両が一般的なディーゼルカーではなく、蓄電池を搭載したハイブリッド車両であることを示している。車両の記号もディーゼルカーの「キハ」ではなく、電車の「クモハ」を使っている。1990年に、当時国鉄型のキハ82系で運転されていた特急「ひだ」が、キハ85系に全面置き換えされた際、「メタモルフォーゼ高山ライン」とキャンペーンが打たれたが、それから30年余りを経て、「ひだ」はまた新たな「メタモルフォーゼ」を迎えたことになる。
山に挟まれた狭い水田地帯を走り、10時58分に高山に着くと、ホーム上にびっしりと並んでいた乗客がなだれ込んできて、自由席車は瞬く間に満席になった。おまけに列車はここで4両を切り離して半分の長さになる。三連休の最終日だから、富山方面へ向かう客などわずかだと勝手に想像していたのだが、北関東や関西方面へは、岐阜・名古屋から東海道新幹線経由よりも、富山からの北陸新幹線経由の方が早いところもあるいことに今更気付く。新幹線の波及効果は大きい。
幸い、高山以北のダイヤの乱れは特急列車には大きな影響を与えておらず、JR東海とJR西日本の境界駅、猪谷も定時で発車。富山平野へと入っていく。日産化学の広大な工場が広がる速星を過ぎて、12時32分、定刻に富山に到着した。在来線ホームにJR西日本の香りはすでになく、新幹線開業で第三セクター化された「あいの風とやま鉄道」の駅名標が迎える。
指定席も含めてほぼ満員だった下車客は案の定、8割方が北陸新幹線の乗り換え改札へと向かって流れていった。私もその流れに乗って、北陸新幹線ホームへ移動する。
続く。
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