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2025年3月

2025/03/30

1995年・最後の長い汽車旅【5】磐越西線をたどる

 前々回の続き。


 船室に一斉に明かりが灯ったのは、朝5時前。それで目が覚めた。にわかに船内の人の動きが慌しくなった。
 5時半、およそ19時間の航海を終えた「フェリーしらかば」は新潟港に到着、下船となる。小樽よりひと回り以上小さいフェリーターミナルを出ると、小粒の雪がしんしんと降っている。それほど気温が低くないのか、道路に落ちた雪はすぐに溶け、路面は濡れた状態になっている。
 新潟駅までは3kmほどで歩けない距離ではないが、私はタクシーに乗った。新潟駅までは10分ほどだった。


1995012601  新潟発6時29分の磐越西線の津川行き普通列車は、キハ40系と呼ばれる旧国鉄型ディーゼルカーの2両編成。キハ40系は近年急激にその数を減らしているが、この時期は全国の非電化区間ならどこにでもいた。国鉄時代に「タラコ色」に統一されていた塗色はJRになって地方ごとに塗り替えられ、ここの車両は白・紺・赤を配した「新潟色」になった。前寄りのキハ40形は片引きドアのデッキ付き、後ろ寄りのキハ47形は両引きドアのデッキなしと、細部に違いがある。キハ40形が喫煙車になっているが、6時52分着の新津までは新潟近郊の禁煙区間、その後7時から通勤通学時間帯の禁煙タイムになっており、喫煙可能な時間は8分間だけである。いっそ全車全区間禁煙の方がすっきりするのに、と思う。


19950126 新潟に向かう通勤・通学と逆方向のせいか、さほどの混雑ではなかった。乗客の中心だった通学生があらかた下車した東下条あたりから、工事中の高架橋が見え隠れし始めた。「磐越自動車道」と書かれたイラスト入りの看板が掲げられている。この当時、高規格道路は幹線区間の供用をほぼ開始して、ローカル鉄道線の独壇場であった地方にまで入り込み始めた。この区間に当たる安田IC-津川IC間が開通したのが翌1996年で、1997年には西会津IC~津川間の供用開始により、磐越東線・磐越西線に沿って走る磐越自動車道は全線開通となり、鉄道の凋落は加速した。


1995012602  終点の津川は、駅が川を挟んで町の対岸にある。会津若松方面の列車まで1時間余りあるが、朝8時ではまだ町が営みを始めておらず、ストーブが燃えている待合室で煙草を吸いながら待つ。同じ列車で到着した何人かの高校生が、ほどなくやって来たバスに吸い込まれると、あとは地元のおばさんが数人、ストーブの周りを囲んで、時折、ちらりちらりとこちらを見やる。どうにも居心地がよくない。


 8時40分頃、大きな荷物を残して待合室を出る。雪は上がっており、阿賀野川に架かる橋を渡って、信号を左折。これが津川町(現:阿賀町)のメインストリートのようである。20分弱歩いた通りの左手に、ちょうど営業開始したばかりの津川郵便局を見つけて旅行貯金をする。昨日立ち寄った小樽桜町郵便局でもしているので、この旅2局目の旅行貯金になる。

 ⇒旅行貯金とは?


1995012603  津川郵便局を出て駅方向に少し戻ると仲町バス停があり、ちょうど津川駅行きのバスがやって来た。「新交貸切バス」と書かれたバスに他に乗客はなく、駅まではほんの数分。待合室にいたおばさんたちの姿は消えていた。新潟方面行きの列車に乗ったのだろう。
 9時17分発の会津若松行き快速「あがの2号」は新潟始発。JR東日本が1990年代に地方線区へ投入を進めたキハ110系ディーゼルカーの3両編成。ロングシートと、4人用・2人用のボックスシートを組み合わせた車内は座席が半分ほど埋まっている。深い山の中を心地よい加速で走っていくまだ新しい列車の車内は、大きな窓のおかげで明るく、時々訪れる睡魔が心地よかった。



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2025/03/24

雪との戦い、パソコンとの戦い

 この冬、札幌では、年明け以降積雪量が平年を大きく下回る状況が続き、札幌市中心部の1月の降雪量は、平年と比較して57cmも少なかった。それでも月間で80cmは降っており、中心部から離れた我が家の場合はこれよりもう少し多くなるのだが、それでも除雪の肉体的負担が例年と比べて軽くなっているのは間違いなかった。


 ところが、2月10日以降になって急に降雪量が増えた。私は2月7日から11日まで岐阜の実家に帰っていたのだが、帰りの飛行機は新千歳空港の吹雪のため欠航含みの状況になった。幸い、新千歳からの折り返し便は3時間遅れで到着し、私の搭乗便も同じく3時間遅れて無事新千歳空港に着いたのだが、自宅に帰るとわずか4日の間に30cm以上の降雪があり、除雪後の雪山がうず高くなっていた。2月下旬になると積雪量は平年値を上回った。それでも比較的軽い雪がコンスタントに降っているうちは、除雪作業もさほどのことではなかった。


 3月になって気温が高くなり、意地の悪いことに週末になるとまとまった雪がドカッと降るようになった。この時期の雪は重い。それがひと晩の間に20cmとか30cm積もる状態が3週間ほど続いた。その結果、私の休日は数時間にわたって拘束され、体は悲鳴を上げることになる。
 今週末は幸いさほどの降雪はなく、気温も上がったために道路の雪解けは進んだ。その代わり、駐車場や道路に残った雪をよけてやらないと、シャーベット状になって走りにくく、夜間に気温がマイナスまで下がるからおかしな形で凍って走るのも歩くのも一苦労になる。


 そういう状況で疲労が蓄積したところに、先週日曜日、急に自宅のパソコンが不調を来たした。スイッチを入れると、windowsマークの下で白い輪っかがくるくると2回ほど回って画面が真っ黒になる。何度やっても同じ状況である。緊急避難で「セーフモード」で起動すると、こちらは何とか立ち上がる。


 私のパソコンはいわゆる「自作機」である。もう今から四半世紀前に最初に購入した時、パソコンに強い友人がいて、今後の拡張性のために自作がいいと勧めてくれたものである。以来、一定期間ごとにパーツを入れ替えながら現在に至っている。パーツの故障や、パーツ間の「相性」でしばしばトラブルが起こるため、ある程度のトラブルの修復には慣れていたつもりだった。けれども、ここ5年ほどパーツの入れ替えをしておらず、動きも安定していたために、久々のトラブルで手順を踏み誤った。


 画面が映る、映らないのトラブルだったのだから、私はまずディスプレイかグラフィックボード(ディスプレイに映像を映すためのパーツ)の不良を疑うべきだったのである。それなのに私は真っ先にシステム自体のトラブルを疑ってしまい、何度も同じ症状を繰り返した結果を踏まえて、OS(windows10)を再インストールする、というところから入ってしまったのである。しかし、結果は同じで、やはり立ち上げると同じ症状が繰り返されるだけであった。


 私が「ひょっとしてディスプレイ側の故障では?」と疑うに至ったのは、その翌日であった。試しにDVI-DケーブルでつないでいたものをHDMIケーブルに取り替えてつないでみると、それまでが嘘のようにwindowsの画面がディスプレイに映し出された。1日かけてOSの再インストールをした作業はほぼ無駄になったようである。おまけに、OSを再インストールすると、個人用のファイルはそのまま保管することが可能だが、パソコン上に置いていたさまざまなアプリケーションは消えてしまう。それを再びかき集めてパソコンに再度インストールしていく作業が生じる。


 不調の原因がディスプレイなのかグラフィックボードなのかはわからないが、少なくともHDMI接続すれば普通に使えることはわかった。ただ、私のパソコンのモニターのHDMI端子はDVDレコーダーとつないでTV兼用になっており、こちらが使えなくなると少々具合が悪い。悩んだ結果、HDMI端子が2つ以上ついたディスプレイに買い替えることにした。今のディスプレイは、もはやディスプレイ製造から撤退した三菱電機の品物で、もう14年使っている。当時より少し大きく、機能も少しいい程度の商品なら2万円台で十分手に入る。ネットでポチっとした商品が届いたのが日曜日。ようやく一息つPCの前に座っていられるようになった。


 これがブログの更新が2週間開いてしまった理由である。
 スマホで更新することも可能だったのではないか、と言われればそれまでなのだけれど。



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2025/03/09

1995年・最後の長い汽車旅【4】新日本海フェリー「フェリーしらかば」19時間

 前回の続き。



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 10時頃、案内放送に促されて乗船開始。そういえばいつもは車と一緒に乗り込むので、ターミナルから乗船するのは初めてである。長い通路を歩いた先に待っている本日の就航船は「フェリーしらかば」である。私は2012年の暮れに、苫小牧-秋田-新潟-敦賀便に転配されていた「フェリーしらかば」にもう一度乗船する機会を得ることになるのだが、この時の「フェリーしらかば」は、就航からまだ半年余りの新造船だった。

 ⇒船旅ざんまい【1】新日本海フェリー「フェリーしらかば」(1)

 入口で乗船券のチェックを受け、桟敷の2等船室区画へ向かう。10室以上ある2等船室は、2室を除いて鍵が掛かり、閉鎖されている。乗船客が少ないからだろう。2室の客を比べて、放浪の旅、といった風情の若者がまったりとしている方を敬遠し、老夫婦と、受験生とおぼしき娘とその父親らしき組み合わせという二組が入っている客室を選ぶ。二組は四隅の窓側に陣取っているので、一番離れた入口側の一隅に荷物を下ろす。出航間際になるとどちらの船室も10人ほどの入りになったが、それでも閑散としている。


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 10時半の出航を待って船内の観察に出かける。広いエントランスロビーは適度な照明で、ふわふわのソファに腰を埋めると、そのまま寝てしまいたい衝動に駆られるほど居心地が良い。船客の少なさに比例するかのように乗組員の数もオフシーズン体制らしく、レストランの営業中は売店は閉まっている。小奇麗な喫茶コーナーも営業しておらず、コーヒーも飲めない。ゲームコーナーには数年前に流行った、今となっては時代遅れのゲームと脱衣麻雀ゲームが置かれている。暇つぶしに挑戦してみたが、たちまち1,000円近く飲み込まれた。


 列車と比べても気ままに歩き回れるゆとりの空間だが、何しろすることがない。真冬の日本海を航行中のフェリーのデッキに出る理由も勇気もない。船室に戻って横になり、雑誌などに目を落とすうち、再び睡魔が襲ってくる。列車と違って寝過ごしの恐怖も降り間違いの心配もない。うとうとのつもりがぐっすりになって、次に目が覚めたのは17時過ぎだった。


 18時、レストラン営業開始の放送が入る。朝食も昼食も抜いており、猛烈に腹が減っている。カフェテリア方式のレストランで、肉じゃが、タンシチュー、サーモンマリネ、サラダ盛り合わせ、ライス(大)、フレッシュミルクを盆に乗せ、しめて2,090円。窓際の席に陣取って味わったあと、食後のコーヒーを追加。食事と同じ要領で会計を済ませ、席に戻って一口飲んだところで、ウェイターが現れて、「少々ぬるいかもしれませんので、お取替えいたします」と、熱いコーヒーと取り替えてくれた。さっきのコーヒーもさほどぬるかったようには思えないし、大体猫舌なのだからどっちでもいいのだが、結構なサービスだと思う。


 ひと息つきながらレストラン内を見渡すと、意外とテーブルが埋まっている。2等寝台や1等船室にはそれなりに客がいるのだろう。トラックのドライバーとおぼしき客も多い。関西方面より西へは日本海航路の利便性が高く、貨物トラックの利用が多いようである。さらにこれが夏休みシーズンともなると、北海道を目指すライダーやドライバーの若者で2等船室も芋洗いのような様相を呈する。


 1時間ほど過ごして船室へ戻り、明日の予定を大まかに立てるべく時刻表を眺める。新潟着予定は明朝5時。まずはきっぷのルートに忠実に、新潟から会津若松、只見、小出、長岡と進むことにする。問題は、会津若松から小出までを結ぶ閑散路線の只見線で、直通列車の本数が少ない。ムダのない行程が組めるのは会津若松発6時02分、12時47分、16時20分の3本しかない。このいずれかに乗らないと、途中で足止めを食ったり、何時間もの乗り継ぎ時間を持て余したりすることになる。とりあえず12時47分の列車に照準を定めておく。


 21時半、一日の疲れを落とすべく浴室へ行くが、なんと21時で営業終了している。明日は早朝の到着で船客の大半が早寝だろうとは思うが、いくらなんでも早すぎる。太平洋フェリーでは仙台停泊中の数時間を除き、深夜も含めてほぼ一日中入浴できるのに、なんともせこい。仕方なく部屋に戻って横になる。22時、消灯。


 続く。



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