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2025/07/28

1995年・最後の長い汽車旅【17】筑豊電気鉄道から「つばめ型」かもめへ

 前回の続き。


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 14時34分、直方着。平成筑豊鉄道を完乗し、次は折尾・黒崎方面へ向かう筑豊電気鉄道の筑豊直方駅を目指す。JR・平成筑豊鉄道の直方駅から、途中郵便局に寄り道しながら歩くと、道路と直角に高架が右方向へ伸びているのが見えた。それが道路に面してぷっつりと切れるような形になっており、その高架下に筑豊直方駅の入口があった。


1995013006 階段を上がったホームには、路面電車然とした電車が発車を待っており、整理券を取って列車に乗り込んだ。運賃の収受方法はワンマン列車並みだが、車掌も乗務しており、ドアの開閉や両替などを行っている。運転業務に専念する運転士は不動の姿勢で前方を見つめ、きびきびとした発声とともに確認を行っており、好感が持てる。運転士につられて行く手を見ると、全線複線の線路が住宅街の中を縫うように伸びている。沿線人口は比較的多いようである。熊西で、折尾からの西日本鉄道北九州線に合流、電車はそのまま北九州線に乗り入れて、直方からおよそ35分で終点の黒崎駅前に到着した。


 折尾と黒崎駅前を結ぶ西日本鉄道北九州線は、かつて門司・小倉(砂津)と折尾を結んでいた路線である。モータリゼーションの進展と北九州工業地帯の地位低下、そしてほぼ並走するJR九州鹿児島本線の駅増設などによる都市型路線化の進捗により、段階的に廃止が進められ、1992年には黒崎駅前ー折尾間のみが残っていた。黒崎駅前から、郵便局に立ち寄りながら停留所ふたつ分歩き、西黒崎電停から再び電車に乗って折尾へ向かう。これで筑豊電気鉄道と西日本鉄道北九州線は完乗となった。この5年後の2000年、折尾-熊西間は廃止、熊西-黒崎駅前間は筑豊電気鉄道となって、西鉄北九州線としての営業は終了している。


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 折尾からは16時13分発のJR鹿児島本線快速電車で博多へ。16時56分に到着した博多では、17時21分発の長崎行きL特急「かもめ31号」に乗り継いだ。発車5分前にホームに入って来た「かもめ31号」は、グレーの濃淡のツートンカラーをまとった787系「つばめ型車両」。1992年、博多―西鹿児島間を走る特急「有明」が「つばめ」と改称された際に投入された電車である。「富士」「さくら」と並んで往年の国鉄を代表する愛称であった「つばめ」を復活させるにあたって、JR九州は、最上級の愛称には最上級の車両を、とのコンセプトで787系電車を製造した。私は初対面となる。一見ガイコツを思わせるいかついフロントマスクは気になるが、車内へ入るとそのスマートさは目を見張る。


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 7両編成の最後尾、喫煙自由席の7号車に入ると、やや抑え気味の間接照明が並ぶ中、モノトーンでまとめられた座席が整然と並んでいる。車両中央に配置された荷物置き場もあいまって、日本離れした雰囲気である。席を確保して、車内の観察に出掛ける。4号車の半室がボックスシートの指定席になっており、グループ客に喜ばれそうである。


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 その先の半室は、「つばめ型」一番の売り物であるビュッフェになっている。飲み物や軽食を立食で提供する設備は簡易といえば簡易だけれども、新幹線を除く昼間の特急から食堂車が消え、寝台特急の食堂車も縮小傾向にあった当時の状況を考えれば、ずいぶん思い切った施策のように思えた。先客が1人いただけで空いていたビュッフェで、たこ焼きとコーヒーを注文し、カウンターで食べる。立ち食いとはいえ、流れる景色を眺めながらのコーヒーはいいものである。


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 当時の「かもめ」は、国鉄型の485系電車と、JR九州最初の特急型電車783系「ハイパーサルーン」が主力で使用されており、1994年から投入された787系電車はひときわ目を引いた。けれども1996年、鹿児島本線の特急電車を787系に揃えるために、「かもめ」からは一時撤退した。九州新幹線の部分開業で在来線特急「つばめ」がなくなった後、復帰するが、すでにビュッフェは普通車に改造されていた。したがって、ビュッフェ車を連結した「かもめ」はわずか2年の命だった。そういう意味では貴重な体験である。


 客が1人、また1人と集まり始めたのを潮に、ビュッフェを後にする。今日の夜は佐賀在住の知人の家にお世話になる予定で、初めての787系電車体験は、わずか39分。あっという間に過ぎた。その後私は全国各地の様々な特急列車に乗ったが、未だにこの時代の787系電車がJR特急電車の頂点に立った車両だと信じている。



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コメント

787系の印象、全く同感です。
かっちりした外観、スタイリッシュな内装、このバランスが最高でした^^

投稿: キハ58 | 2025/07/28 21:25

キハ58さん、ありがとうございます。
ステンレス車両全盛の時代に全鋼製、車内の設備も充実して、まさに在来線のトップランナーだったと思います。往時の輝きは望めませんが、今も九州各地で現役で走っているのは嬉しいですよね。

投稿: いかさま | 2025/08/03 23:47

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