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2025年8月

2025/08/24

たった3時間たらずの小さな旅

 今年の盆休みは、1週間丸々休みをもらって、岐阜の実家に帰省していた。
 実は昨年も同じことを企んでいたのだが、出発前日の夜に突然発熱、抗原検査キットでコロナ陽性が出て、翌日受診し確定。さすがに飛行機に乗って、実家でウィルスをまき散らすわけにはいかず、1週間の休みを札幌の自宅でただただ悶々と過ごすことになった。

 ⇒「流行遅れの。」いかさまトラベラー(2024.8.14)

Nagoya3  今年は幸い、心身ともに疲弊はしているけれど、妙なウィルスを拾うこともなく、8月9日朝の飛行機で中部国際空港へ飛ぶことができた。
 中部国際空港から実家最寄り駅の土岐市までは、名鉄空港線・常滑線の「ミュースカイ」もしくは特急と、JR中央本線の普通列車を乗り継いで1時間半ほどである。基本的にはこのルートを行ったり来たりするしかなく、以前に一度だけ四日市へ船で出たことがあるが、もうずいぶん前に廃止されている。普段は仕事終わりの夜の飛行機で飛ぶことが多く、時間的なことを考えてもまっすぐ帰るより他ないのだが、今回は中部国際空港着が10時半ごろと早い。それで実家へ向かう前に、久しぶりに少し遠回りしてみようと考えた。


 知多半島には、西岸に沿って走る名鉄常滑線の太田川から分かれて、半島東岸へ向かう名鉄河和線と、JRでは東海道本線の大府と武豊を結ぶ武豊線が通っている。中部国際空港からは、名鉄河和線の知多半田駅へのバスもあるが、1日2本のみで、次のバスは夕方である。


 空港ターミナルで早めの昼食の後、11時22分発の新鵜沼行き名鉄準急電車に乗り、11時27分の常滑で下車した。常滑駅前からは、名鉄河和線の上野間駅・知多武豊駅を結ぶコミュニティバス「グルーン」が、それぞれ1~2時間程度の間隔で運行されている。このバスはなかなか異質で、一応常滑市のコミュニティバスの体裁であるが、運行主体は「ボートレースとこなめ(常滑競艇場)」である。競艇来場者のためのファンバスを拡張する形で3エリアに5路線が運転されており、運賃は目下のところ無料である。


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 知多武豊駅行きのバスは11時45分発。BYD製の小型バスで、一昨年日田彦山線BRTで乗ったのと同じ型式の車両である。地元住民10名ほどを乗せて発車。発車してしばらくは、右手に伊勢湾を見ながら南へ下っていく。10分ほど走った古場の先で左折すると、ゆるやかに登りながら知多半島を横断していく。めっきり住宅が少なくなって、その代わりに田畑が増える。乗客は少しずつ出入りしながら減っていき、檜原という集落の先で常滑市と武豊町の境界を越えるころには5人ほどになった。ここから下りに掛かり、また少しずつ住宅が増えていく。


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 終点の知多武豊駅には12時15分着。30分の距離を無料で移動させてもらった。知多武豊駅から名鉄河和線の電車に乗ってもよかったが、私はそこから歩いてJR武豊駅に向かうことにした。駅前のコンビニエンスストアで水分を補給して、東へ向かって歩く。名鉄河和線の踏切で「パノラマスーパー」に出会った。昭和の名車「パノラマカー」の血を引く車両であるが、初登場から30年以上が経過しており、すでに半数ほどの車両が現役を退いている。名鉄が嚆矢となった前面展望席の車両も少しずつ希少価値になってきている。塗装も変更されて、京急の電車のような印象を受ける。


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 知多武豊駅から武豊駅へは歩いて10分足らずである。こちらは終着駅で、小さな駅舎の横のホームの先、南側100mほどでレールは途切れている。この駅に来たのは1989年2月26日以来36年ぶりである。この日、鉄道好き仲間の先輩であるFさんが、この駅でJR全線完乗を達成された。その立ち会いに来て以来である。当時の武豊駅や武豊線がどんな雰囲気だったかは、もはや全く覚えていない。ただ、当時の武豊線はまだ非電化で、ディーゼルカーに揺られてやって来たはずである。今この駅で私を待っているのは、JR東海の標準型となった313系電車2両のワンマン列車である。駅員の姿もなく、合理化は進んだが、武豊線自体は2015年に電化されている。


 12時29分発の大府行き普通列車は、座席が3割埋まる程度の乗車率で発車した。左手には住宅、海に面した右手には工場や倉庫が並んでいる。東成岩の先で右手にも住宅が広がり始めると半田。この辺りは、運転本数でも所要時間でも名鉄河和線が優位に立っているが、JR側もそれなりに乗客がいる。ここで武豊行きの列車と行違う。亀崎を過ぎると周辺に農地が広がるが、どこの駅でもそれなりの乗客がある。石浜で再び武豊行きの列車と行き違い。日中の武豊線はきれいな30分間隔の運転である。最後はいくらか立ち客も出る状況になって、13時07分、大府に到着した。朝夕は武豊線から名古屋方面への直通電車もあるが、日中はすべて大府折り返しとなる。


 大府からは13時11分発の大垣行き快速電車に乗り継いで、金山からはいつものJR中央本線。14時05分には土岐市までたどり着いた。
 中部国際空港からまっすぐ土岐市へ向かっていれば、11時37分発のミュースカイに乗って金山乗換、12時45分には土岐市に着いているから、1時間半ほど遠回りしたことになる。けれども、運賃は、直行した場合、ミュースカイの座席指定料金450円も加えて2,040円。武豊経由では「グルーン」の無料が効いて1,670円と、かえって安上がりになった。ミュースカイの料金を差し引いて運賃だけで比較しても、わずか80円の投資で、普段通らないところや、しばらくぶりの路線に乗ることができた。


 私は1週間の休みの間に、普段なかなか会えない仲間や親族に会って、ここしばらくの仕事で溜まった淀みをかなり浄化してきたが、この3時間足らずの小さな旅もまた、そのことに匹敵するくらい私の気分を愉快にさせた。普段だと時間を無駄にしないためにと夜の飛行機でさっさと飛ぶのだが、たまにはこういうプチ贅沢な時間の使い方も、悪くない。



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2025/08/03

1995年・最後の長い汽車旅【18】阪神・淡路大震災の思わぬ影響

 前回の続き。


1995013191  明けて1月31日、知人に佐賀駅まで送ってもらい、7日目の旅がスタートする。
 今日1本目の列車として照準を当てたのは、10時18分発の特急「さくら」。東京からはるばる走ってくる、長崎・佐世保行きの寝台特急である。長距離を走る寝台特急の一部では、乗客の少ない末端区間で寝台車を座席車として開放し、昼間の乗客の利便を図ろうという、通称「ヒルネ」の制度が設けられている。それを試してみようというわけである。


 ところが駅で知人と別れてよくよく考えてみると、阪神・淡路大震災の影響で、大阪と神戸の間の東海道本線は不通となっている。東京・大阪から九州へ向かう寝台特急は、物理的に運転不可能な状況にある。せっかくの楽しいアイデアだが運休では仕方がない。6分後には普通列車もあるし、と思いつつ、駅改札の発車案内表示を見ると、次の発車欄に「寝台特急あかつき81号 10時18分」と表示されている。「あかつき」は京都ー長崎間の寝台特急だが、臨時列車を表す80番台の号数が付されている。震災不通区間がある中、大阪方面からの夜行列車が、しかも所定なら「さくら」のダイヤで運転しているとはどういうことなのか。ともかく確かめようと思い、ホームへ上がってみた。


 ほどなく青い寝台車を7両連ねた列車がホームに入ってきた。ヘッドマークなし、全てB寝台車の編成である。ホームに出てきた車掌に、ヒルネ乗車の可否を尋ねてみると、ダメとのことである。話を聞けば、大阪と姫路の間で福知山線・播但線を迂回して、姫路以西は「さくら」のダイヤで走る特別ダイヤで、所要時間は通常より2時間以上長くなる。編成が短いのは播但線内の設備の関係だという。もっとも、窓越しに覗き込んだ車内に乗客の姿は少ない。昨日から運行を開始したとのことだが、飛行機などは正常運行のうえ、臨時便の増発も行っているから、周知したところでどの程度乗客が増えるかは疑問である。


 結局、後続の肥前浜行き普通列車に乗り、およそ15分で肥前山口に到着。先行している「あかつき81号」は、この駅で分割されて、4両が長崎へ、3両が佐世保へと向かったはずである。駅の掲示板に、臨時ブルートレインの運転案内が掲示されており、京都―長崎・佐世保間の「あかつき81・82号」のほか、新大阪―熊本間に「なは81・82号」も運転されているようである。山陽本線は復旧した4月以降、ブルートレインの運行はもとどおりになったが、乗客の減少とサービスレベルの低下に歯止めはかからず、本州と九州を結ぶ列車は2009年に全廃となった。2022年の西九州新幹線の開業で列車の運転系統も大きく変わり、「江北」と改称された旧肥前山口駅で分割・併合する列車もほとんどなくなっている。


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 肥前山口からの佐世保行き普通電車は、715系電車の4両編成。4日前に急行「きたぐに」で利用した583系電車を普通列車用に改造した車両である。前と後ろで先頭車両の形状が異なり、片方は583系時代の面影を残しているが、もう片方は短編成化により新設された、真っ平な運転台で、食パンのようである。車内には、寝台の下段をそのまま流用したボックスシートが並んでおり、荷物棚の取り付け方や撤去された洗面所の跡など、随所に寝台電車時代の面影が残っていた。高度成長期に長編成の特急列車として全国を駆け巡ったスターの末路としてはあまりに寂しい。この車両も全廃されて久しいが、足回りの強さを活かして、もっと他に活用する方法はなかったのだろうかと思う。


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 車窓至るところに煙突が見えるようになると有田。私の故郷である美濃と並び称される陶磁器の産地である。ここで途中下車する。
 改札を抜けて、小さな駅舎を背にしてしばらく歩くと、細い川を渡る。橋の上から川の上流を見やると、両岸に家や工場がせり出すように並んでいて、何となく懐かしい気分になる。記念に何か買って帰ろうかとも思ったがやめた。どうせ大量の荷物の中で揺すられて、家に帰るころには原形をとどめていない可能性が高いし、第一、4月からの生活で食器が必要になるのか否かすら定かでない。そもそも、これまでの人生の中で、日用の陶器を金を払って買ったことなどないのだから。



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