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2025/09/01

1995年・最後の長い汽車旅【19】日本最西端の駅に立つ

 前回の続き。


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 有田からは、松浦鉄道に乗って、伊万里経由で佐世保を目指す。JR佐世保線で乗り進めば佐世保までは5駅、20.6kmの道のりだが、松浦鉄道では海沿いを回って93.8km、4倍以上の旅になる。もともと国鉄松浦線で、特定地方交通線として第三セクター化された路線である。経営環境の厳しさはこことて例外ではないが、国鉄時代よりも大幅に列車本数と駅数を増やし、地域密着を図っている。


 1995013172 有田からの列車は、すべて途中の伊万里で乗り換えとなる。12時19分発の伊万里行きは、MR-100形と呼ばれるかわいらしいレールバス。驚いたことに車内は喫煙可能であった。列車内に割引切符の案内が掲示されており、その中に「金額回数券」というのがあった。100円券12枚、50円券12枚、20円券12枚、10円券16枚の計2,200円分が綴られて2,000円。ちょうどうまく使いきれそうな金額である。列車の終点、伊万里駅で買い求めようとするが、困ったことに券売所に係員がいない。ようやく現れたのは、松浦行き列車の発車3分前だった。せっかくのよい商品なのに、売り手がこれでは困る。


 伊万里から松浦までは、おおむね1時間に2本程度の運転である。12時54分発の松浦行きは、ほんの僅かの乗客を乗せて、2つ目の里の先で海に出た。伊万里湾である。時々内陸に入ったり、また海沿いに出たりを繰り返しながら、13時36分、松浦に到着。30分弱の乗り継ぎ時間に、駅近くのコンビニで昼食を確保し、14時05分発の佐世保行きの列車に乗り継いだ。こちらも空いている。


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 14時29分、たびら平戸口着。2003年に沖縄県に「ゆいレール」那覇空港駅が開業するまで、ここは日本の鉄道最西端の駅であった。当時の東西南北の最端駅は、東が根室本線東根室、南が指宿枕崎線西大山、北が宗谷本線稚内であった。現在は、ゆいレールの開業により、南が赤嶺になり、東根室駅は今年3月に廃駅となって最東端は根室に変わった。30年前から変わらず「最果て」を守っているのは北の稚内だけである。


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 駅前に立つ最西端の碑の前で記念撮影し、せっかくだから平戸の散策を、と、郵便局の目の前にあったバス停から、14時40分の西肥バスで平戸を目指したが、朱塗りの立派な平戸大橋を渡る頃から、しとしとと雨が降り始めた。こうなると、散策をしようなどという気分は吹っ飛び、平戸新町バス停の目の前に平戸郵便局があるのを確認して、終点の平戸桟橋まで乗車、歩いて郵便局まで引き返して旅行貯金をしただけで帰りのバスに乗り込んだ。長い人生、また改めて訪問することがあるだろう、と自分に言い聞かせたが、こういう展開でそれ以降実際に訪れた場所は数えるほどしかない。現にあれから30年、平戸にはまだ足を踏み入れていない。


 平戸口桟橋でバスを乗り換えて平戸口駅前へ戻り、16時02分発の佐世保行き普通列車で、1時間半のロングランとなる。列車は通学客で混雑しており、夕方の禁煙タイムに入っていた。何とか座席を確保したが、高校生を中心に立ち客も出る混雑ぶりである。相席の客は中年の男性と、いかにもガラも行儀も頭も悪そうな高校生が2人。隣のボックスの後輩に向かって大きな声でわめき、威張り散らしている。言われる側も迷惑そうで、見ているこちらも不愉快きわまりないが、巻き込まれるのも面倒なので黙って耐える。彼らは、「今晩、女でも××すっか」とお行儀の悪い言葉を残して、16時58分着の大学で下車していった。


 車内は多少空いたが、それでもまだ立ち客が若干いる盛況である。運転士は前方をきっと見つめ、きびきびとした動作で好感が持てる。そう思った矢先、列車が急にブレーキを掛け、座っていた僕までがつんのめりそうになった。何事か、と思って前方に目をやると、わずか100mほど前方に山の田駅のホームが見えており、そこに子供が2人、呆然と突っ立っている。列車はそろりそろりとホームへ進入して、所定の位置で停車。何人かの客を下ろすと、運転士はホームに降りた。先刻の子供たちと何事か会話した後、2人の頭を撫でて指切りをしている姿が見えた。


 ほどなく運転士が戻ってきて列車が発車させ、「列車遅れまして大変ご迷惑をお掛けいたしました。ただいま線路上に置き石のいたずらがあったため、急停止いたしました」と放送で告げた。このために列車の発車は5分の遅れを出したが、私の気分は悪くなかった。いたずらを厳しく叱りつけるのは簡単だが、子供を諭して頭を撫でて指切りという運転士の対応がとても上品でスマートに見えた。子供たちも、頭ごなしに叱られるより、余程堪えるのではと思う。頭の弱い高校生にも説諭をかましてくれると満点なのだが、客室内には目が届きにくいワンマン運転の限界も感じられた。


 ところで松浦鉄道も、「優等生」と言われた第三セクター鉄道のひとつであるが、利用者数は1996年の年間442万人をピークに、2024年度では289万人まで減少した。増発した列車も、旅客の減少に伴い、伊万里-松浦間の区間便などを中心に減便となった。それでも全区間で1時間間隔程度の運転本数は確保しているが、2000年度まで続けた黒字経営も、以降は沿線自治体の支援により何とか踏みとどまってはいるものの、2024年度の経常損益は約1億8,000万円の赤字と苦境にある。

 


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コメント

私はギリギリ国鉄時代に行きました。
最近、六角さんの呑み鉄で観ましたが、変わっていない印象でした^^

投稿: キハ58 | 2025/09/07 22:19

キハ58さん、ありがとうございます。
国鉄時代というと運転本数も少なかったころでしょうから、行くのも、降りて街を歩くのも大変だったのではないでしょうか。私もこれ以来30年行っていません。今どうなっているのか、気になります。

投稿: いかさま | 2025/09/15 21:04

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