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2025/10/05

1995年・最後の長い汽車旅【23】途切れたレールの行方

 前回の続き。


 9日目、2月2日の朝は、ぐっすり眠って8時過ぎにすっきりと目覚めた。朝食と朝湯を満喫して、9時半にチェックアウトと、今日もまたのんびりした出発になった。天気の方はあまりぱっとしないが、どんよりと重いわけでもなく、雨の心配はなさそうである。小浜郵便局に立ち寄った後、小浜温泉バスターミナル内の喫茶店で、島原鉄道の終着駅、加津佐方面へ向かうバスを待った。


1995020291  11時10分発の長崎県交通局バスは、加津佐の少し先、口之津行き。ちょっとそこまで、といった感じのおじさん、おばさんで、そこそこの乗車率になっているが、ほとんどの乗客は途中の停留所で下車していった。長崎、諫早へは半島西岸を北上するバスが早く、島原方面へも雲仙経由の方がはるかに速い。島原鉄道は、加津佐から島原半島をほぼ4分の3周して諌早へ向かう線形で、しかも途中区間が不通になっている。


 11時45分頃、加津佐バス停で下車。島原鉄道の加津佐駅へ歩く。時刻表を見ると次の列車は13時11分発でしばらく時間がある。昼食を求めて街を彷徨うが、なかなか食堂やレストランの類が見つからない。いい加減諦めかけた頃、国道から少し外れた商店街の中に、どうもこの街には似つかわしくない、おしゃれな感じのレストラン「鴻助」を見つけた。ハヤシライスと食後のコーヒーを注文する。他に客はいない。店内には、テレビでおなじみの「フレンチの鉄人」坂井宏行からの年賀状が貼ってあったりする。少し待って出てきたハヤシライスは、意外と量もあり、たいそうおいしかった。


 13時11分発の深江行き列車は、昨日と同じキハ20形の単行である。進行方向右手、最前部の席は、運転士のほぼ横に当たる「展望席」になっており、ここに陣取る。学生も乗っており、なかなか混雑しているが、やはり1駅ごとに下車して、車内が空いてゆく。少しうとうととして目が覚めると、お客は数えるほどしか残っていなかった。加津佐から1時間弱で深江に到着。ここから先の島原鉄道は普賢岳災害の影響で不通となっており、島原外港のひとつ先、南島原(現:島原船津)までがバス代行区間となる。


1995020201  深江駅前で待っていた列車代行バスは、バスとは名ばかりの8人乗りのワゴン車。正面ガラスに「列車代行 南島原駅←→深江駅」の張り紙がある。車体横には「島鉄タクシー」と記してあり、運転手も島鉄タクシーの人だった。乗客はたったの4人で、深江までの列車の運転士と車掌も乗り込んで発車する。島原外港で1人降ろし、14時20分頃、南島原に到着した。何台かで不通区間をピストン輸送しているようだが、昼間の閑散時間帯とはいえ、乗務員まで含めて8人乗り1台で用が足りてしまうとは、高架化工事を進めて、数年後の再開を期している不通区間の今後に不安が残る。


1995020202  南島原のホームで島原外港行きの列車を待っていると、鮮やかな黄色に塗られたディーゼルカーが目の前に入ってきた。「島原の子守唄」をイメージしたイラストが大きくかかれたこの車両は、1ヶ月半ほど前にデビューしたばかりの新車、キハ2500形である。つい誘われるようにふらふらと乗り込んでしまったが、この列車は逆方向の諫早行きである。まだかすかに新車の香りが残るデビューしたての車内には、運賃箱や運賃表が設備されているが、まだカバーが掛けられていて使われていない。近々ワンマン化に踏み切るということなのだろう。合理化のためのワンマン運転は、JRのローカル線も含めて当然の風潮になっており、鉄道維持のためには仕方のない施策になっている。


 島原で列車を降り、1kmほど離れたバスターミナルまで歩いて、島原外港へ戻るバスを探すが、しばらくない様子。ぼんやりと待つのも癪なので、タクシーを拾って港へ向かう。600円だった。港のターミナルでお土産を買い、実家宛てに宅配便で送っておいた。


 島原鉄道は島原外港ー深江間の復旧工事が1997年に完成し、およそ4年ぶりに全線での運転を再開した。けれども、そこから10年の間に、島原外港-加津佐間の沿線の大半を占める南島原市の人口は1割近く減少した。長期間にわたった運休は旅客離れを加速させ、皮肉なことに、復旧区間の設備にかかる固定資産税の負担が経営を圧迫した。南島原市の自家用車保有率は世帯当たり2.3台と県内トップクラスに高く、利用者の増加が見込めない状況にあった。島原外港-加津佐間は2008年、災害復旧からわずか11年で廃線となった。先を見る目がなかったと言ってしまえばそれまでだが、鉄道の存続にこだわり続けた人々のことを思うと、非常に複雑な気持ちになる。



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コメント

小浜温泉は一度行きましたが、諫早駅からのバス往復でした。
そこから南下されたなんて化されたなんて凄いです!
路線バスも廃止多数で、今では回りにくい地域ですね。

投稿: キハ58 | 2025/10/08 21:47

 キハ58さん、ありがとうございます。お返事が遅れて申し訳ありません。
 やっぱり当時は鉄道があったからこそ、でしょうね。今だったらバスで諫早へ抜けるだろうと思います。線路がなければ行かなかっただろう場所に行けるというのは、この趣味ならではなんだろうと思います。

投稿: いかさま | 2025/10/19 23:44

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