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2025/11/16

1995年・最後の長い汽車旅【27】大変貌をとげた5年ぶりの宮崎駅

 前回の続き


 吉松で肥薩線の列車に乗り換え、終点の隼人で12時16分の宮崎行き快速電車「錦江8号」に乗り継ぐ。終点まで乗り通すつもりでいたのだが、乗客のおよそ3分の1が下車した南宮崎でなんとなくつられて下車。宮崎の市街地は、宮崎駅と南宮崎駅の間に広がっており、博多へ向かうL特急「にちりん」をはじめ、優等列車の多くは、宮崎よりひとつ鹿児島寄りのこの駅を発着駅としている。串間・志布志方面への日南線の分岐駅でもあり、バスのターミナルである宮交シティも南宮崎駅の近くにある。両駅の間は鉄道で2.6km。散歩にはちょうどいい距離である。


1995020355  橘通へ出て、ウィンドウショッピングをしながら歩く。道幅が広く、分離帯にフェニックスの植えられた通りは南国ムード満点である。天気がよいこともあって、開放的な気分に浸る。大きな橋でひと跨ぎにした大淀川は、河口に近いため川幅はかなり広く、ゆったりと流れている。洋服屋などを何軒か冷やかし、裏通りへ寄り道したりするうち、1軒の小さなカレー屋を見つけ、引き込まれるように入る。10席ほどのカウンターだけという簡素な造りのその店で、遅い昼食を取った。


1995020304  2時間余りで辿り着いた宮崎駅は、いかにも南国的なイメージを持つカラフルなデザインの駅舎に生まれ変わっていた。県都の玄関とは思えないほどオンボロな、閑散とした駅だった5年前の面影は微塵も感じられない。駅の裏手へ寂しい道を15分ほども歩いて銭湯へ行ったり、夜9時近くに開いていた数少ない店のうちの1軒に入り、誰もいない店内でわびしく食事をしたりといった当時の思い出と、今目の前にある近代的な駅前風景のイメージがどうも一致しない。周辺の風景までまるごと変わってしまったような印象を受ける。駅前をぐるりと見まわすと、一軒の土産物屋が目についた。この店には記憶があり、まだ頑張っていたのか、と何となくほっとした思いになる。


 近代的な駅舎の中のカフェスタンドでコーヒーを飲み、駅舎の改築とともに高架化されたホームへ上がると、18時24分発の小倉行きL特急「にちりん58号」の乗車位置には通勤客の長い行列ができている。25kmまで300円とお値打ちになっている特急券を買えば、定期券で乗車できる仕組みになっているためだろう。西鹿児島からやって来た「にちりん58号」は、JR九州のコーポレートカラーである真っ赤に塗られた485系特急電車の4両編成。全国どこででも見られる国鉄型特急電車の代名詞だが、塗装ひとつで全く別の車両という印象を受ける。昭和の高度成長期のまっただなかに登場した国鉄型特急電車は、九州では2011年の九州新幹線全通まで息長く活躍した。


1995020391  無事着席できたものの、どこまで行くかはまだ決まっていない。きっぷの経路は、日豊本線をまっすぐ進んで、別府から四国へ渡る予定になっている。このまま乗り続ければ21時49分には別府に到着、四国へ渡る深夜便への乗り継ぎも可能である。けれども今日はまだ10日目。切符の有効期間はまだ20日もある。少し考えて、第三セクター鉄道の乗り歩きと観光とを兼ね、まだ未訪の土地である高千穂峡、そして阿蘇山へと足を踏み入れることにし、高千穂へ向かう高千穂鉄道の乗換駅、延岡下車に決定する。


 19時33分、延岡着。ホテルガイドブックを頼りに、駅前の公衆電話から電話をかけて、1泊4,300円のビジネスホテル「白扇」にチェックインした。食事を取ろうと町へ出るが、夜8時を過ぎた商店街はひっそりとしており、部活帰りらしき高校生と何人かの客がいる1軒の食堂へ入り、玉子丼の大盛りを食べてさっさとホテルへ帰った。部屋のテレビは今どき2時間100円のコイン式テレビ。100円玉を投入し、チャンネルを回してみるが、民放が2局しか入らないらしく、諦めて早寝を決め込んだ。




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