1995年・最後の長い汽車旅【28】結ばれるはずだったレール~高千穂鉄道
前回の続き。
きっぷのルートから外れた寄り道旅行は、2月4日、高千穂鉄道805列車からスタートすることにした。8時51分の発車に照準を合わせるべく、7時半に起床してシャワーを浴びようとしたらお湯が出ない。フロントのおばさんに申し出ると、「基本的にお風呂は夜のうちに浴びていただくんですよ」とぶつぶつ言いながら、それでもボイラーを動かしてくれた。それならそうと、初めから言って欲しいと思う。
平成元年にJR高千穂線が転換されてスタートした第三セクター、高千穂鉄道の列車は、他の第三セクターと同じくレールバス。車内では沿線の観光案内なども放送されているが、ひととおり見渡したところ、乗客はみな地元の用務客ばかりのようである。川水流と書いて「かわずる」と読む美しい名前の駅で、延岡行き「たかちほ12号」と行き違う。イベント用に特別に用意された立派な車両を使っている向こうの列車は、転換クロスシートを装備していて乗り心地がよさそうである。こちらは普通のクロスシートである。
列車は、日本で一番高いところに架けられた鉄道橋、高千穂鉄橋を渡る。以前聞いた話では、見下ろすとぞっとするようなこの鉄橋の上を通過する時、わざわざご丁寧に停車のサービスをしてくれる運転士もいたと言うが、今日は停車こそしなかったものの、そろりそろりと通過した。単なるサービスなのか、強風に煽られないようにそう決められているのかは分からない。余部鉄橋のときと同じように、覗き込むようにして下を見たが、確かに高い。遥か下の方を綺麗な川が流れているのが見えた。余部は下が民家だったが、いずれにせよ、高いところは怖い。
延岡-高千穂間ジャスト50kmを1時間20分余りで走破し、10時14分、終点の高千穂に到着。小振りな駅舎の正面の階段を上がったところにあった喫茶店に入って遅めのモーニングコーヒーを飲みながら、新聞に目を落とす。
11時過ぎに喫茶店を出て、その道路をまっすぐ10分ほど歩いたところに、高千穂バスセンターがあった。宮崎・熊本の県境を越えて阿蘇外輪山の麓、高森まで向かうバスは12時ちょうど発。まだ40分余り時間があるので、荷物を置いて高千穂峡へ散歩に向かうことにした。案内板によると、距離にして1.5kmほどだから、何とか行って帰って来られるだろう。
カーブの多い道路を下って、高千穂神社のわきを通り、高千穂峡の入口に辿り着いたのは11時40分少し前。15分もあれば大丈夫だろうとの目論見は外れ、距離が長かったのか、こちらの足が遅かったのか、ずいぶん時間がかかった。高千穂ターミナル12時発のバスを逃がすと、次の高森行きは14時30分。何とか12時のバスに乗りたいのだが、ここまで来て高千穂峡の景観を愛でずに引き返すのも癪である。
延長600mという遊歩道を、本人曰く猛烈な勢いで走る。柱状節理の岩に挟まれて幅の狭まった五ヶ瀬川の峡谷は、わずかに差し込む日の光を受けて、不思議な美を醸し出している。せめて記念写真ぐらいは、と、すれ違った若いカップルに写真のシャッターを押してもらい、舗装道路に出た時にはすでに11時45分。高千穂神社を眺める余裕もない。高校時代には1,500mを5分あまりで走ったこともある健脚だが、大学時代はほほとんど運動しておらず、下がアスファルト、靴はスニーカー、背中には小さなリュック。しかも煙草のおかげで肺の中は真っ黒。これでは走れるものも走れない。最後には歩くのとほとんど変わらないスピードになって、ようやくバスターミナルに辿り着いたのは、わずかに発車1分前だった。身体中から一気に汗が噴き出すのを感じた。
高千穂からのバスは、宮崎交通の中型乗合バス。客は10数人で、学生と老人が半々といったところである。おそらく県境までに大半の乗客が下車するだろうと踏んでいたのだが、田原中学校前というバス停までに、大半どころかひとり残らず下車してしまい、県境は運転手と僕の2人きりで越えることになった。バスは途中で時間調整しながらダイヤに忠実に走り、県境を越えて熊本県に戻ると再び幾人かの客を乗せて、13時24分、高森駅前に到着した。
延岡から高千穂までの高千穂鉄道と、高森から立野までの南阿蘇鉄道は、いずれも旧国鉄線である。両線は県境を越える鉄道によって結ばれる予定になっており、日本鉄道建設公団によって工事は開始されたのだが、トンネル工事で異常出水が発生して工事は中断され、計画はそのままお蔵入りとなった。根元の鉄道は旅客の減少と災害に苦しめられ、熊本側の南阿蘇鉄道は、2016年の熊本地震による被災を乗り越えて2023年に全線復旧したが、宮崎側の高千穂鉄道は、2005年の台風14号による被災から復旧されることなく、2008年に全線の廃止が決定した。
鉄道が通るはずだった高千穂-高森間には、1995年当時、1日5往復の路線バスが運行されていたが、現在では熊本と延岡を結ぶ「たかちほ号」1往復だけが行き来するに過ぎない。このバスが高千穂線・高森線が手をつないだ後のルートを具現化したものになるのだが、バス1往復分の需要しかないということは、仮に開通していたとしても鉄道は苦難の道をたどることになったに違いない。何が幸せで正解だったのか、考えれば考えるほどわからなくなってくる。
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コメント
いらしたんですね。
結局私は訪問できていません。
喫茶店での時間との対比が凄かったんですね!
投稿: キハ58 | 2025/11/28 15:07
キハ58さん、ありがとうございます。
もう30年も前ですが訪問しておりました。今ならばいろいろ調べて、列車を降りたら高千穂峡へ直行したのでしょうが、情報の少ない時代でした。喫茶店で悠長にしている場合ではありませんでした(笑)
投稿: いかさま | 2025/12/01 19:10