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2025/11/30

1995年・最後の長い汽車旅【29】駅内温泉と楽しきユースホステルの一夜

 前回の続き


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 駅前にSLが鎮座する高森からは南阿蘇鉄道の列車に乗って、JR豊肥本線の立野へ向かう。時刻表によると次の列車は14時45分までない。春から秋にかけては、13時36分発の臨時トロッコ列車「ゆうすげ号」があるのだが、この季節では当然運休中。どこかで昼食でも取ろうかと考えていると、13時45分に発車する回送列車に乗車できるというありがたい情報が得られた。立野発14時37分の列車に充当する車両の送り込みだそうで、「ゆうすげ号」運休の際に列車間隔が開いてしまうための便宜措置なのだろう。走らないはずの列車の世話になるのは、鳥取以来2度目である。


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 きっぷを買うために駅の窓口を覗くと、「阿蘇下田城ふれあい温泉駅」の新築記念乗車券を売っていた。もとは単に阿蘇下田と名乗っていた駅を、1993年8月、駅内に温泉を引いて浴場を設置し、駅舎を改築した記念の乗車券で、高森-阿蘇下田城ふれあい温泉、同駅-立野の2枚の乗車券に、1回200円の入浴券2枚が付いてちょうど1,000円。南阿蘇鉄道と地元・長陽村(現:南阿蘇村)のタイアップで、入浴料がいくらか値引きになっているらしい。高千穂峡で汗をかいたことでもあり、また予定より早い列車に乗れるようになったことでもあり、温泉駅を試してみようと、記念乗車券を購入してレールバスに乗った。


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 MT2000型という小振りなレールバスの乗客は少なかった。それでも運転士は、肉声で丁寧な案内放送をする。南阿蘇鉄道は阿蘇山と外輪山の間を縫うようにして走る路線で、景色はよく、遥かに阿蘇の噴煙を望むこともできた。途中の中松で下り列車と行き違い、「南阿蘇水の生まれる里白水高原」という日本で一番長い名前の駅を過ぎて、14時08分、阿蘇下田城ふれあい温泉に到着。駅舎はその名の通りお城のような造りになっている。下車したのは私ひとりだった。


1995020405  浴場のカウンターで入浴券を取り出していると、後から来た地元客らしいめざといおばちゃんが、
「あんたそれ記念乗車券やろ。あんたが使った残りの入浴券、売ってくれんか」と言う。こちらも2枚持っていても仕方がないので、即商談成立。200円を受け取って券を渡し、自分はもう1枚の券をカウンターのおばちゃんに渡して、更衣室へ入る。お風呂にはすでに何人かの先客がいた。浴槽は石で囲まれていて、なかなかゆったりしている。洗い場も広く、快適である。出たり入ったりしながらゆっくり時間を過ごす。


 湯から上がって待合室へ戻ると、「ぜんざい200円」という張り紙の横で、おばちゃんが餅を焼いている。小豆のいい香りにつられて注文したところ、餅を焼くのに時間がかかるので次の立野行き列車には間に合わないかもしれないという。すると、近くに座って餅の焼き上がりを待っていた老夫婦が、「せっかくですから、お先にどうぞ」と順番を譲ってくれた。この老夫婦は列車待ちではないらしい。厚意をありがたく受け取り、焼きたての餅が入った甘いぜんざいを堪能する。まさに「ふれあい温泉」である。残念ながらこの入浴施設は、南阿蘇鉄道ともども2016年の熊本地震で被災し、そのまま閉鎖された。駅名も、2023年の路線復旧に際し、「阿蘇下田城」に変更されている。


 1時間弱をのんびり過ごし、15時01分発の列車で立野へ。20分の待ち合わせでJR豊肥本線宮地行き普通列車に乗り継いで、16時02分着の阿蘇で下車。シーズンオフのせいか人影の少ない駅前から歩いて3分ほど、国道57号線沿いにあったレストラン「イースト」で、ビーフカレーの遅い昼食を取りつつ、今夜の宿の物色に掛かる。ビジネスホテルがあるような町ではないので、ターゲットを公共の宿に絞り、タウンページを見て何軒かに電話をかける。最終的に決めたのが「阿蘇ユースホステル」。一般にユースホステルは会員証がないと泊まれないことが多いのだが、電話をしてみると、町営ユースホステルなので会員証がなくても大丈夫だとのことである。


1995020482  阿蘇ユースホステルは、阿蘇山方面へ向かって歩くこと15分ほどのところにあった。受付には年の頃60代半ばと思われる、やや性別不詳気味の人懐っこそうな爺さんが座っている。どことなく100歳ツインズの片割れ、きんさんを思わせる風貌である。宿泊料は2,000円、他に朝食代が400円と安い。夕食は麓のレストランまで18時ごろ、連れて行ってくれるとのことである。


 荷物を指定された部屋に置いた後食堂へ行き、既に来ていた先客に挨拶し、しばらく歓談。そのうちに、後から到着したグループも合流。東京から来た22歳のカップル、大阪出身・香港在住の20代後半と思われるビジネスマン、福岡のバイク便に勤める男2・女2の全員26歳の4人組、そして私の総勢8名である。福岡の4人組は、明日近くで行われるレースに参加するために来ているらしい。香港のビジネスマンは、旧正月で実家に帰ってきたが、阪神大震災の後始末で家族に相手にしてもらえず、休みを消化するために仕方なく旅行中だと自虐的に笑った。


 足のあるバイク便チームが自力で食事を求めて出掛けた後、残った4人で、ユースホステルの車に乗って麓のレストランへ行く。800円の焼き肉定食にありついた。ほんの2時間前にビーフカレーを食べたばかりだというのに、ボリュームのある定食はあっという間に腹の中へ入った。帰りはレストランのマスターがユースホステルまで送ってくれた。風呂を浴びて、コインランドリーで洗濯。あとの3人は早寝を決め込んだ模様である。


 食事から帰って来たバイク便の4人と、食堂で歓談する。管理人の爺さんも、会話に入るでも入らないでもなく、ふらりと食堂に現れて、笑顔で何か終始もごもごとしゃべっている。バイク便の兄さんのひとりが、「おばさん」と呼びかけて、「わしゃ男じゃ」と怒られていた。兄さんが言い訳がましく「でも…」と続けると、今度は、「デモもストライキもにゃあ!」と一蹴。見ているこちらも吹き出す。後になって聞けば、ユースホステル愛好家の間では知る人ぞ知る名物爺さんだそうで、乾燥機の調子が良くないからと、本来100円で20分なのに、知らないうちに200円ほど追加してくれていたりと、善意の人でもある。


 結局、バイク便組とは、北海道や九州のローカルテレビ番組やCMの話で盛り上がり、23時過ぎまで爆笑の一夜を過ごした。当時のユースホステルは、夕食後、宿泊者(ホステラー)が集まってミーティングとよばれる集まりを催していたり、22時には消灯となる規律正しいところが多かったが、この緩さは当時のユースホステルとしては非常に珍しかった。札幌を出て11日、久し振りに他人とゆっくり語り合った一夜であった。残念ながらこの阿蘇町営ユースホステルは、これも熊本地震による建物の損傷と、利用者数の減少により、2016年に廃業となっている。



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コメント

阿蘇YH、いかさまさんの7年前に宿泊しました!
まだ夕食付でしたね。
壮大な阿蘇の内輪山に位置してるんですものね、なかなかのロケーションでした^^

投稿: キハ58 | 2025/12/15 09:37

キハ58さん、ありがとうございます。
お返事遅れて申し訳ありません。

1995年の阿蘇YHの食堂は、朝食と歓談のためだけの設備になってしまっていましたが、いかにも昭和のYHという感じて居心地はよかったです。
ところで、あんなに素敵な立地条件にもかかわらず、YHの景色がまったく記憶にないのです。しょうもない話ですが、こういうところがよくも悪くも私らしかったりします。

投稿: いかさま | 2025/12/29 23:41

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