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2025/12/14

1995年・最後の長い汽車旅【31】そしてさようなら、九州。

 前回の続き


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 阿蘇駅前13時34分発の別府行き「あそ登山号」は、定刻より遅れて13時45分、阿蘇駅前バスターミナルに入ってきた。朝8時40分に別府を発ち、阿蘇駅前から阿蘇山西駅まで往復して戻って来たバスである。先客は30歳前後と思われる夫婦だけで、入口ドア直後の「展望席」に並んで腰を下ろしていた。私も最前列、運転手後ろの席に座る。「禁煙席」の表示があり、どうやら全車禁煙ではなさそうである。運転手に「煙草の吸える席は…」と尋ねると、お客が少ないので禁煙席で吸ってもらって構わないとのことである。隣の夫婦も揃っておいしそうに煙を燻らせている。おおらかな時代である。


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 バスは、起伏に富んだ草原の中をゆったりとしたスピードで走る。「やまなみハイウェイ」と呼ばれるこの道路は、前年無料化されたばかりで、完全2車線で舗装もしっかりしている。小粒の雪は相変わらず降り続いている。路面は溶けた雪で濡れている。
 途中、八本松のドライブイン「雲海」で、10分あまり休憩。この間に運転手は、バスの左後輪にチェーンを装着した。一応スタッドレスタイヤを履いているが、ブレーキの効きがかなり違うとのこと。ここから湯布院までの道路は、午前の段階で部分的に凍結している状態だったそうで、九州でも山地では道路が凍結するのか、スタッドレスタイヤという概念も存在したのか、などと変に感心した。


 運転手の言葉どおり、九重連山の中を抜けて湯布院へ下る道は、うっすらと道路が白く、圧雪状態になっている。そのうえ、これまでとはうって変わったカーブの連続で、運転手の緊張が伝わってくる。岡山から来たという夫婦も、緊張して前方を見つめていた。
 バスが左曲がりの急カーブに差しかかった時、下から登ってきた赤い乗用車が、カーブで横滑りして、私たちのバスの目の前でガードレールにぶつかった。一瞬、あっ、と思ったが、バスは乗用車の直前でなんとか停止した。先ほど巻いたチェーンが効いたようで、4人揃って、ほっと安堵の息を漏らす。乗用車の傷はさほどでなく、乗っていた人間も無事だったようで、幸いであった。


 付近が別荘地のような雰囲気の山下湖バス停で夫婦が下車すると、乗客はついに私ひとりになった。運転手に話を聞くと、夏休み中などオンシーズンは乗客が殺到するらしい。この時期はいつもこんなもんだよ、と教えてくれた。雪のせいで30分ほど遅れたバスは、16時頃、湯布院バスターミナルに到着。ここで下車する。私を降ろしたバスは運転手だけになって走り去っていった。
 JR由布院駅のコインロッカーに荷物を預ける。漢字がややこしいが、由布院町と湯平村が合併した際、双方の顔を立てて湯布院町としたためである。駅名や温泉名として「由布院」は残ったが、湯布院町は周辺町村と再合併して由布市湯布院町となり、一層ややこしくなっている。


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 先ほどの山の中とは別世界のようによく晴れた湯布院の町を20分ほど歩いて、以前何かの雑誌で読んで記憶していた「下ん湯」へ行った。小さくて簡素な造りの外湯だが、わずか100円(現在は200円)で入浴できるというところである。辿り着いた「下ん湯」は、木造の古びた小さな建物で、入口に料金を入れる小さな柱のようなものが立っている。野菜の無人販売所のような、信用商売らしい。100円玉を入れて中に入ると、洗い場もなく粗末な造りだが、露天風呂もある。お世辞にもあまり綺麗とは言えない湯にじっくり浸かって、九州1週間の疲れを流した。タオルを持ってくるのを忘れて、仕方なく脱いだシャツで濡れた身体を拭いた


1995020504  今日はじめての列車となる由布院17時33分発の大分行き普通列車は、JR九州が久大本線用に新製投入した黄色い軽快ディーゼルカー、キハ125形単行のワンマン列車であった。島原鉄道でお目にかかったキハ2500形ディーゼルカーと似た風貌である。大分で切符の経路にめでたく復帰し、同じキハ125形1両の日豊本線亀川行きに乗り換えて、別府には19時17分に着いた。


 別府から港へ向かって歩く間に、「駅前高等温泉」を発見した。ただの銭湯かと思ったのだが、2階の部屋で宿泊も可能で、1泊1,500円、個室利用でも2,500円と掲示されている。一瞬、ここに泊まって、明日あらためて四国を目指そうか、とも考えたが、温泉はさっき由布院で浴びてきたし、もしここに泊まってしまったら、もう少し九州に居たくなるに違いない。自分で下した決断をあっさりと転換するのが憚られたので、唇を噛むようにして港へ向かう。 途中見かけた地上17階、高さ60メートルの別府タワーに200円(現在は800円)の展望料を払って上り、展望台のレストランで遅い夕食をとりながら、1週間の旅の記録を整理した。


 22時を過ぎて、折からの強風の中、港への道を歩く間、もっと行かなければならないところがあったような気もしたし、九州で時間を使い過ぎたような気もする。この次はいつ来られるのだろうかと、ただそんなことを考えていた。
 別府港のターミナルビルで1時間あまり過ごし、23時半、乗船開始となった。このまま乗船してしまって本当にいいのか、という思いが再び去来するが、この時間に至ってはもう選択の余地はない。八幡浜を目指すフェリー「べっぷ2」の2等船客は20人ほど。23時55分の出航を見届けた後、隣で「ンビー」「フンゴー」と凄まじい鼾を奏でるおやじを気にしながら、横になって目を閉じた。


 「1995年・最後の長い汽車旅」前半戦にていったん中断。



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コメント

今日は、こんにちはです。

 ずっと拝見してきました。いよいよ次は四国ですね。北海道と違って、九州は車で平尾台へしか行かなかったので、へぇ~の話しで興味深かったです。
 佐田岬の三崎には、半世紀も昔に写真部で合宿したことがありましたが、ここ10年ほどは、川之江まで頻繁に往復してきました。その途中も、アチコチ歩いたので、どこが出てくるか、楽しみです。

投稿: 南太郎 | 2025/12/16 13:14

こんにちは!
しばらくご無沙汰してしまいました。
とりあえず、復活?です。

九州、縦断されたのですね。
羨ましいな。
小倉出身の私でさえ、宮崎はほとんど行ったことがありません。
では、最初から拝見しますよ。

投稿: FUJIKAZE | 2025/12/29 15:55

南太郎さん、ありがとうございます。
お返事が遅れて申し訳ありません。1年近くかけて、ようやく半分ほど進んだことになりました。ご興味を持っていただけて大変ありがたいです。
この先は四国になりますが、なにしろ行程の大半を列車の中で過ごしていましたので、果たして南太郎さんのご期待に沿えるかどうか、どうにも自信がありません。

投稿: いかさま | 2025/12/29 23:43

FUJIKAZEさん、ありがとうございます。
復活ですね。そちらのブログへもお伺いさせていただきます。
昭和の鉄道を知る方からすれば、鉄道旅行の楽しみもずいぶん減ってしまったものですが、それでもまだこの頃は、当時の残り香が少しあったように思います。
駄文ですがまたお付き合いいただき、ご感想を聞かせていただければ幸甚です。

投稿: いかさま | 2025/12/29 23:46

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