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2025/12/08

1995年・最後の長い汽車旅【30】阿蘇山近辺散歩

 前回の続き


 2月5日、朝7時半、爺さんの合図で目が覚める。窓の外は今にも泣き出しそうな天気である。朝食は8人全員揃ってトースト・コーヒー・コーンフレークをとる。実はこの年になって、コーンフレークというものを食べるのは初めてである。「まあ食べてみろよ」と周囲から言われ、牛乳をかけて口に運んでみたが、びしゃびしゃしていてあまりうまいものだとは思わなかった。8時半前後から、みな思い思いの行き先に向けて出発していった。私は、大阪ビジネスマン氏と一緒に、ユースホステル前バス停で阿蘇山を目指すバスを待った。


 バスは、定刻8時39分のところ、6分ほど遅れて来た。貸切タイプのバスの乗客は少なかった。阿蘇山へ登る道路は有料道路になっており、車内には観光名所などの案内放送が途切れることなく流れるなど、純然たる観光路線バスである。
 広大な草千里の風景に魅かれて、草千里・阿蘇火山博物館バス停で下車。このまま山上を目指すビジネスマン氏とはここでお別れである。バスを降りると、細かい雪が降ってきた。雪に見舞われるのは、5日目の益田以来1週間ぶりである。九州に入ってからずっと、気温こそかなり低い感じがしていたものの雪は降らなかった。遠く離れた札幌では、雪祭りが始まっている頃である。


1995020501_20251124215901 道路を隔てた向こう側に広がる草千里の光景は、起伏に富んだ広がりを持っており、のびやかである。残念ながら鈍色の空の下だが、天気が良かったらとても気持ちが良いに違いない。夏の陽射しの下で馬が走り回る姿が目に浮かぶ。
 バス停の目の前にある火山博物館の建物の中でコーヒーを飲み、土産物屋で手頃な品物をいくつか実家へ送っておく。10時25分のバスで山上を目指す。韓国人の旅行団体が乗車しており、和気あいあいと観光を楽しんでいる様子である。そう言えば、ユースホステル内に掲示してあったいろんな注意書きにも、日本語、英語と並んでハングル文字の標記があった。


 山上の阿蘇山西駅から阿蘇山の火口まではロープウェイが通っているが、火山活動が活発になったとかで運休中。11時05分のバスで阿蘇駅へ戻る。昨日と同じ国道沿いの「イースト」へ2日連続で立ち寄り、クリームハンバーグで昼食をとりながらこの先の予定を考えた。すでに九州入りして1週間が過ぎ、名残は惜しいが、そろそろ九州を脱出するタイミングではある。となれば、次の目的地は別府である。阿蘇から別府へは、JR豊肥本線が豊後竹田・大分を経由して通じているが、この時間帯は接続が悪く、普通列車だけの乗り継ぎだと別府着は19時になる。特急なら16時前には着けるが、それはそれでもったいない気がする。


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 長崎-熊本-阿蘇-湯布院-別府とつなぐ九州屈指の観光ルートには、当時、九州国際観光バスの「九州横断バス」が走っていた。1995年時点では、長崎-別府「やまなみ」1往復、熊本-別府「あそ」2往復、「くじゅう」3往復、別府-阿蘇山ー別府と折り返す「あそ登山」1便に加え、長崎-熊本「ながさき」2往復があった。直行便の「くじゅう」以外は阿蘇山や天草観光を盛り込んだダイヤになっており、長崎便は熊本・三角-島原でフェリーにも乗った。九州横断バスは、その後九州産交バスが引き継いだが、現在は熊本-別府1往復、熊本-湯布院2往復で、ロープウェイが廃止された阿蘇山にも立ち寄らず、当時の面影は少ない。


 阿蘇から別府に向かうバスは、この時間からでもまだ4本あり、所要時間は2時間40分ほどと手頃である。バスの性格上予約制だが、空席があれば当日飛込でも乗れるらしいので、まずはこのバスに狙いを定めることにした。




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