2022/03/28

いかさまトラベラーの10年

 前回記事の中で少しだけ触れたが、当ブログ「いかさまトラベラー」は今年2月で満10歳を迎えた。


 2012年2月19日、ある人に自分の文章を読んでもらいたい、と言う不純な思惑と、当時閑職ともいえる部署・立場にいた私の暇つぶしの手段として、このブログはスタートした。それから10年、40代一歩手前だった私は50代一歩手前となり、小学生と幼稚園だった子供たちは、この春高校と中学校の卒業を迎えた。


 思い立って読み返してみると、この間10年に渡り、まさに成長のない駄文を重ねてきているわけだが、そうは言ってもやはりさまざまな思い出が凝縮している。4年間の単身赴任をはさんでの生活の変化はもちろんだし、鉄道についてもちょうど乗りつぶしの集大成と言う時期と重なっており、家族の迷惑も顧みず相当あちらこちらと徘徊していたのがよくわかる。
 2018年に日本の鉄道全線を完乗してしまうと、乗り鉄に関するネタがなくなった代わりに、北海道を中心にローカル線の動向を巡る話題がにわかに増えてきた。ここ2年は新型コロナウィルスの影響で乗り歩きもままならず、ネタ切れの様相を呈しながらも、なんとかここまでたどり着いた、という感がある。


 カウンターが正しければ、この10年間で書いた記事は771件、当ブログを訪問してくださった方は、延べ55万人近くになる。最初の5年間、とりわけ元気と暇があって記事数も多かった3年目から5年目あたりまでと比べるとペースは鈍ったが、今も1日100人前後の方が覗きに来ていただいていることになり、ただただ感謝の一言に尽きる。
 

 ブログを始めて半年後あたりから、ココログ利用者のコミュニケーションツールとして存在していた「ココログ広場」を通じて、いろんな方がブログを訪問してくださり、コメントを残していただけるようになった。正確な件数はつかめないが、ざっと1,800件ほどではないかと思う。まだブログに閑古鳥が鳴いていた頃からたくさんコメントをいただいた華凛さんtutatyanさんと~まの夢さんbuzzっちさんなどは今も強く印象に残っている。


 特にbuzzっちさんは、コメントが実に軽妙で、私のくどすぎる文章をしばしば中和していただいた。関西に乗り鉄に行く、という話になった際、半ば社交辞令と受け取っていた失敬な私を何度も誘ってくださり、ついには夜の京都で食事をごちそうになった。文章から受け取るイメージと違わぬ温厚な人柄に甘え、ブログのリンクでお互いの記事に飛ばしあっこ状態になったり、地元の特産品を頂いたり送ったり、ついにはその2年ほど後に家族まとめて京都でご接待を受けることになった。
 本業の方がお忙しいようで、ブログはお休みになられて久しいが、昨年の暮れ、喪中はがきを出したところ、久しぶりにLINEでメッセージを頂いた。メッセージの文章から伝わる優しい人柄はお変わりなく、安心した。


 この他にも何人かの方と実際にお会いする機会を得た。SNSを通じた出会いに危険が潜んでいることは、この10年間世の中で起きたあらゆる事件が語っているが、幸い、私はそうした目に遭うことはなく、ブログから伝わる印象のままの素敵な方々とお話しすることができたことは幸運であったと思う。ささやかかもしれないが、これもブログが取り持つご縁なのだろうと思っている。
 もちろん、実際にお目に掛かることはなくても、当ブログを訪問いただいているすべての皆さんとも、このブログがなければ交流することはなかったと思うし、それだけでも10年間続けて来た価値はあるのかなあ、と思っている。


 冒頭にも書いたとおり、このブログを始めた当時と比べると、私も、私の周囲の環境も大きく変わった。この先また10年続けられるか、と聞かれると、精神的にも体力的にもネタ的にも自信はないが、私自身の安らぎの場として、また、私の知らないいろんな世界をテリトリーとする方々のブログを覗きに行くためのツールとして、マイペースで続けていけたら、と思う。


 皆さま、ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。



ランキング参加中です。みなさまの「クリック」が明日への糧になります。よろしかったら、ポチッとな。

にほんブログ村 鉄道ブログへ にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ 鉄道コム

| | | コメント (2)

2022/03/07

西村京太郎氏を悼む

 前回に引き続き、公私そして雪の相手で忙しい日々を送っている。
 なかなか休日にパソコンに向かう気力が生まれず、次回も雪の話だなあ、と思って細々と準備を進めていたところへ、西村京太郎氏が亡くなったというニュースが飛び込んできた。


Brue_train  鉄道好きの私にとっては、西村京太郎氏のトラベルミステリーは私を鉄道の世界の深みに誘い込んだ素材のひとつである。このあたりについては、以前にも詳しく書いたので、多少重複する部分もあるとは思うが思い出を綴る。

 本棚:西村京太郎の世界  その1 ・ その2 ・ その3


 1979年の「寝台特急殺人事件」を嚆矢とする西村氏のトラベルミステリーに私が最初に触れたのは、1982年刊行の「特急さくら殺人事件」である。ちょうどこの時期から十津川警部シリーズのトラベルミステリーは加速度的に刊行されるようになる。年間10~15冊、多い年には20冊近くの作品を書き下ろし、積み重ねたオリジナル書籍は630冊を超えるという。90歳に達してなおそのペースが衰えることがなかったというのは驚くべきである。雪との格闘を理由にブログすら書かなくなった私とはひどい違いである。


 だが大量生産に私の読書ペースが追い付かなくなったことや、ややパターンが固定化してきたことに飽きてきたこともあり、急速にトラベルミステリーの読書量を減らしていった。
 その一方で私は、トラベルミステリーを書く以前の西村氏の作品をよく読むようになった。以前の記事で私の好きな作品ベスト3に挙げた「D機関情報」をはじめ、聾唖者問題を扱った「四つの終止符」などの初期の社会派作品、十津川警部の初登場作である「赤い帆船」「消えたタンカー」などの海洋もの、明智小五郎、エルキュール・ポワロ、エラリー・クイーン、メグレ警部を主人公とするパロディ小説など、この頃までの作品は非常に幅広く、非常に丁寧な作りで読み応えのある印象である。


 日本のミステリー界を大きく変え、またリードした作家でもあり、私にとっては鉄道への深い造詣と飽くなき読書欲を高めてくれた人である。享年91歳。謹んでお悔やみを申し上げるとともに、心からお礼を申し上げたい、と思う。


 ところで、私が以前に西村京太郎氏に関する記事を書いたのは、2012年8月から9月にかけてである。実は今年2月は、私がこのブログ「いかさまトラベラー」を始めてちょうど10周年の節目であった。にもかかわらず、忙しさにかまけて1か月でたった1回しか記事を書かなかったとは恥ずかしい限りであるが、ここまで続けてくることができた。いろんな思いについては次回少し時間をいただいて綴ってみたいと思うが、取り急ぎ、ここまでお付き合いいただき、時に暖かいメッセージ・コメントをいただいた皆さんにお礼を申し上げたい。


 ありがとうございました。また、これからもよろしくお願いします。



ランキング参加中です。みなさまの「クリック」が明日への糧になります。よろしかったら、ポチッとな。

にほんブログ村 鉄道ブログへ にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ 鉄道コム

| | | コメント (6)

2022/02/06

誠に、誠におくればせながら

 気が付けば2022年も2月に入ってしまいました。
 大変遅ればせながら今年もよろしくお願いいたします。


 ここまで前回から間隔があいてしまったのにはいろいろ事情があったわけで、たかが個人のブログでその言い訳を重ねてみても仕方がないが、一応、こんな状況だったということを記しておく。

1.本業が非常に忙しい状況にあった
 以前にも書いたように記憶しているが、このところ私の部署では大きなプロジェクト案件を複数抱えていた。決してわが社がブラック企業だというつもりはないが、課内の脆弱な業務遂行体制に対して少々キャパオーバーの仕事が降って来る状況下で、仕事上PCに向かう時間が伸びれば伸びるほど、プライベートでPCに向かう気力は奪われる。粗雑で稚拙な文章であっても、それなりに頭は使っているわけで、私の限られた容積ではプライベートに振り向ける脳の余力がなかった、というのがここしばらくの状況であった。

2.部署異動があった
 そういう状況の中で、わが社では毎年2月に定期異動がある。前回、旭川での単身赴任を解かれて札幌に戻って来たのが4年前。前任地での勤務も4年だったし、年数的にはそろそろ、というところではあった。けれども、複数のプロジェクトが並行で進行中、今年中にはおおよそめどが立つという状況下で、正直まさか異動とは思っていなかった。しかも異動先は同じ部門の隣の課、いわゆる「スリッパ」である。
 けれども個人の抱える事情と組織の論理は、たとえその事情が組織を円滑に回すために不可欠なものであるとしても関係のないものらしい。あるいは私がそう自負していただけで、実際にはそれほどのものではなかったのかもしれない。いずれにせよ、私は至るところに仕事の風呂敷を広げた状態で異動の内示を受け、かたやでそれを前に進めながらかたやで引継のためにそれを畳んで整理するという局面に追い込まれた。

3.除雪作業に追われた
 前に挙げた二つが私の精神的な負荷であったとするならば、こちらは肉体的負荷である。
 札幌はここ4年ほど、累計降雪量が平年を下回る年が続いており、今シーズンも初雪が平年より半月以上遅れていた。ところが年末が近づくにつれて降雪量が増え始め、年明けの休暇中はほぼ毎日除雪をしていたような感じになった。
 中旬からは1日当たりの降雪量も増え始め、累計降雪量は久々に平年を上回って推移している。意地の悪いことに週末になると雪が降り、私の体力を奪う。そして昨日・今日の2日間で、札幌市中心部では24時間降雪量が60㎝に達した。1999年の統計開始以来最大だそうである。札幌市内でも地区によって降雪量には差があり、私の住むエリアはこの時期比較的少ないのだが、それでも朝から3回除雪に出た。
 田舎住みの私には直接関係ないが、札幌近郊のJR各線は除雪が間に合わず、明日7日は終日運休だという。これまた珍しいケースである。


 ざっとこんなような環境でブログの更新が停止していた(という理由付け)わけだが、何もしない放置しておくのも私の性分に合わない。実は昨年秋の北陸のネタもまだ完結していないし、JR北海道をめぐっては新たな動きも起こった。なるべく仕事の方もさっさと片付けて、多少は趣味に時間を使いたい。2022年のささやかな願望である。



ランキング参加中です。みなさまの「クリック」が明日への糧になります。よろしかったら、ポチッとな。

にほんブログ村 鉄道ブログへ にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ 鉄道コム

| | | コメント (4)

2021/11/28

2021年秋・北陸路の小さな旅【3】城端線・水田と線路がある風景

 前回の続き。


 さて、氷見線に挨拶して高岡まで戻れば、城端線を無視して立ち去るわけにはいかない。
 高岡は旧北陸本線と氷見線・城端線が十字に交わる交通の要衝だが、北陸新幹線の開業で旧北陸本線は第三セクター化されており、氷見線と城端線だけがJR線として残されている。厳密には新高岡で北陸新幹線と接続するものの、立派な体躯たる新幹線が貧相なローカル線に乗り入れるわけもなく、離れ小島のような存在である。


Dscn2364  9時03分発の城端行き普通列車は、タラコ色のディーゼルカーを2両つないでいるが、乗客は全部合わせても10人ほどで閑散としている。発車してすぐに左へ大きくカーブを取り、砺波平野を突っ切るように南へと向かう。北陸新幹線の高架下にひっそりたたずむ新高岡でも目立った乗降客はない。あとは車窓の左右に水田が広がる。コメの収穫は終わっているはずだが、ところどころ濃い緑色に彩られている。緑肥か後作の麦だろうか。砺波付近ではチューリップの球根栽培も盛んだと聞く。農地の向こうには立山連峰もうっすらと見える。


 だが、ひたすら砺波平野の真ん中を走る列車の風景は単調である。駅ごとに小さな集落が現れるほかは起伏も大きなカーブもない。私は32年前の夏を思い出していた。
 高校の同級生と3人、名古屋から夜行の臨時急行「くろよん」に乗って白馬、糸魚川、富山と辿り、富山港線を往復してから、城端線の列車に揺られた。当時から鉄道好きだった私をもってしてもこの単調な風景はいかんともしがたく、特に城端からの帰り道はひたすら眠るしかなかった。高岡へ戻り、氷見線へ乗り継ごうとした際、鉄道にさしたる思い入れのない友人二人から「疲れたからひとりで行って来て。俺たちはここで待ってるから」と言われた。決して険悪な雰囲気ではなかったのだが、私も彼らに殉じて氷見線をあきらめ、高岡駅ビルのゲームセンターで時間をつぶして、その日の宿泊地である和倉温泉へ向かった。


Dscn2368_20211122225201 Dscn2370_20211122225201    
 時を経て、今日の印象もあの頃とさほど変わらない。わずかに、水田の真ん中にある「油田」駅に驚いた程度である。「あぶらでん」と読むのだが、決して石油が出るわけではなく、かつて荏胡麻や菜種などの燃料作物が栽培されていたことに由来するようである。福野から福光と、反時計回りに大きな半円を描くようにして、9時55分、終点の城端に到着。降り立ったのは、明らかにその筋の人とわかる2人のおっさんと私だけである。


Dscn2372_20211122225201 Img_4414_20211122225201     
 駅前をひとまわりして、10時04分発の高岡行きで折り返す。このままこの列車に揺られれば、10時59分に高岡着、あいの風とやま鉄道・IRいしかわ鉄道の普通列車で11時44分に金沢に着く。新高岡で北陸新幹線に乗り継げば11時36分着である。
 私は10時11分発の福光で列車を降りた。駅前のバス停から10時15分発の加越能バス南砺ー金沢線、金沢行きのバスに乗った。貸切タイプの車両は、私と一緒に乗り込んだ8名ほどの客を含めて20人ほどの乗りである。城端線列車よりはるかに混んでいる


Jouhana_20211122225201 Dscn2374_20211122225201  
 地図を見ると、福光から金沢はほぼ真西の方向に位置している。間には県境の峠が控えているが、県道金沢井波線の道路状況はよい。山あいの道に暖かな日差しが落ち、つい居眠りが出る。気が付くと山の中に忽然と立派な建物群が現れた。金沢大学である。こんな山の中に大学なんて気の毒に、と一瞬思ったが、キャンパスが途切れるとほどなく市街地に入った。金沢駅西口着は11時10分。鉄道を乗り継ぐよりも20分以上早い。乗り継ぐ列車の時間までの余裕が長くなり、私は金沢駅構内の吉野家で牛丼を胃袋に流し込んだ。


 続く。



ランキング参加中です。みなさまの「クリック」が明日への糧になります。よろしかったら、ポチッとな。

にほんブログ村 鉄道ブログへ にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ 鉄道コム

| | | コメント (2)

2021/11/22

フリーきっぷの残り滓〜あてのない小さな旅

Img_4513  先日、道内某都市へ出張に行った際、「HOKKAIDO LOVE 6日間周遊パス」を利用した。特急を含めたJR北海道の在来線全線が6日間乗り放題で、国の補助を受けて12,000円。出張だけで元は取れているのだが、有効期限は明日、22日まである。どこへ行くあてもないのだが、使わずに流してしまうのもいささか勿体ない。

 

 Img_4475 日付が変わったので昨日になるが、21日、札幌10時ちょうど発の旭川行き特急「ライラック」に乗った。何のあてもない時は,選択肢が多い方向に向かうに限る。この方面であれば、岩見沢から室蘭本線、滝川から根室本線、深川から留萌本線、さらに旭川では3方向の選択肢がある。このうち根室本線、留萌本線方面は、2年前、似たような状況下で乗りに出掛けた記憶がある。いろいろ考えたが、結局最後まで乗り通し、11時28分、3分遅れて旭川駅の4番ホームに到着した。


 旭川からの選択肢は、名寄方面の宗谷本線、上川方面の石北本線、そして富良野線である。どの方向へも比較的接続はよいが、1時間ほど後の稚内行き特急「サロベツ1号」が、観光用車両のキハ261系「はまなす編成」で運転されるという情報を得て、目標を宗谷本線に定めた。


Img_4483 Img_4478  
 離れた6番ホームに、新鋭ローカル気動車、H100系が停まっているのが見えた。11時31分発の名寄行き普通列車だとわかり、衝動的に乗車。ブラックフェイスが近代的な小さな車両である。初登場は2018年、この区間への投入は昨年からだが、乗るのは初めてである。2人用と4人用のボックスシートにロングシートを組み合わせた車内は4割ほどの乗車率である。比較的近郊の利用が多いという予想は外れ、永山、比布など市街地での乗降も少ない。


Dscn4973 Dscn4975  
 蘭留を出ると塩狩峠にかかる。見た目にも線路の勾配はきつくなるが、キハ40系が激しく唸りながら登った峠道を、馬力・加速度・最高速度いずれも改善された新型気動車は淡々と登っていく。3年前の時刻表と比べると、この列車の旭川-名寄間の所要時間は16分短縮されている。
 ややスピードを落として右に左にカーブを切り、ほどなく下りに差し掛かって塩狩着。線路敷にはうっすらと雪が残っている。車で立ち寄ったことはあるが、列車で途中下車したことはない。いずれ降りてみたいと思うものの、今日も車内からホームを眺めるだけで素通りである。


Img_4486 Img_4485  
 13時14分着の和寒で下車。駅構内を跨ぐ歩道橋を渡って8分ほど歩いたところにある「大勝食堂」へ。ここは20代後半と40代前半の旭川時代、仕事の途中によく立ち寄ったラーメン屋である。魚系のダシの匂いが立ち込める昭和然とした食堂で、経営者は何度か代わっているが、味は健在。20年前は500円でメニューは醤油ラーメンとライスのみだったが、値段が700円に上がった代わりに、塩・味噌もラインナップに加わっている。定番の醤油ラーメンで体を温めて、駅へ戻る。


Dscn4981 Img_4487  
 和寒14時04分発の特急「サロベツ1号」は、情報に反してキハ261系の通常編成。2日前の悪天候による運休などでダイヤが変わったらしい。乗ったことのない車両に巡り合えるとなれば、どちらかと言えば郷愁列車派の私とてワクワクする。その機会を逃したとなれば残念である。
 しかも追い打ちをかけるように、名寄での折り返し時間にカツ丼を食べようと思っていた駅前の食堂は、「サロベツ1号」が到着した14時30分から昼休憩で「準備中」の札。和寒でラーメンを食べているから空腹にさいなまれることはないが、旭川を出たあたりから「名寄のカツ丼」が脳内を支配しつつあったので、これまたやるせない気分になる。


Img_4488 Img_4490  
 結局、私は15時48分発の旭川行き特急「サロベツ4号」を待つことなく、14時44分発の快速「なよろ8号」で旭川へ引き返した。行きと同じH100系1両の列車は、車番をよく見ると旭川から乗った普通列車と全く同じ車両だった。旭川からは16時発の「カムイ32号」指定席。このところ「ライラック」に当たることが多かったので、掛け心地のよい「カムイ」の指定席は実に快適だった。ちなみにこの列車、岩見沢から札幌へ向かってのラストスパート中に鹿をはねて緊急停止。札幌着はおよそ30分遅れた17時55分頃であった。



ランキング参加中です。みなさまの「クリック」が明日への糧になります。よろしかったら、ポチッとな。

にほんブログ村 鉄道ブログへ にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ 鉄道コム

| | | コメント (0)

2021/11/08

2021年秋・北陸路の小さな旅【2】氷見線・海と線路がある風景

 前回の続き。


 富山地方鉄道の路面電車100mに乗って私の今回の旅の目標は達成したわけだが、せっかくはるばる富山までやって来て、このまま実家を目指すのは少々もったいない。そこでもう少し、ここしばらく乗車していない路線を乗り歩いてみることにしようと考えている。


Hokuriku 富山から福井にかけては、氷見線、城端線、七尾線、越美北線とJR西日本のローカル線が4本、ひげのように伸びている。今から32年前の夏、私は高校時代の同級生二人とともにこのエリアを訪れた。当時まだJR西日本富山港線だった富山ライトレールも含めて一気に乗りつぶす予定だったのだが、城端線の単調な景色で疲労がピークに達した「非鉄」の友人二人が、その後氷見線の列車に乗ることを拒否した。私は熱情よりも友情を優先し、氷見線往復にあてるはずの1時間あまりを彼らとともに高岡駅ビル内のゲームセンターで過ごした。乗り損ねた氷見線に乗ったのはその5年半後である。


Dscn2344 Dscn2345  
 32年ぶりないし26年ぶりとなるこの辺りの路線を久々に列車で揺られてみたいと考えているのだが、1日でこの4線すべてに乗るのはダイヤ構成上不可能なため、この中から2線、あるいは3線を選ぶことになる。
 富山6時30分発のあいの風とやま鉄道普通列車は、「とやま絵巻」と銘打ち、黒を基調にしたラッピング塗装をまとった国鉄型電車3両編成。高岡方面への通学客でほどよく混雑している。小杉付近で濃霧に巻き込まれて徐行運転となり、5分ほど遅れて高岡に到着。ここからまずは氷見線の普通列車に乗り換えた。


 あいの風とやま鉄道の普通列車からの乗り継ぎも合わせ、5両編成の氷見行き普通列車は立ち客も出る混雑で、その大半は高校生である。越中中川でそのうちの3分の1ほどが下車し、車内はいくらか空いた。単調な市街地が続くが、貨物専用の新湊線が分岐する、広い構内を持つ能町付近は大小の工場が並び雰囲気が変わる。


Img_4409 Dscn2347  
 約5分遅れの7時12分に到着した越中国分で下車。車内の高校生も半数以上がここで下車し、ホームの高岡寄りにある出入口から大挙して学校へと向かっていった。待合室ひとつしかないホームの氷見方向を眺めると、ホームの少し先で左カーブを描く氷見線の線路は、右手の林の奥から忽然と現れた富山湾の中に吸い込まれるようにして消えている。これはなかなかに味わい深い景色である。私は26年前にも氷見線に乗車しているはずだが、この景色の記憶はない。季節と天気が違うせいもあるのだろうが、よほど乗ることばかりに気を取られていたとしか思えない。


Dscn2350 Img_4411  
 ホームの氷見寄りにも出口があり、駐車場に降りることができた。その駐車場の先にある「越の庭」は、早朝営業もしている入浴施設である。私は前日、仕事が終わった後に新千歳から羽田へ飛び、新宿から夜行バスに乗ってせわしなくここまでやって来た。鉄道に乗りたいのはもちろんだが、出来ればその前に身ぎれいにしておきたい。ここの通常の入浴時間は朝10時からだが、朝5時30分から8時まで「朝風呂営業」をしていることをインターネットで知った。4線のうちの一番最初に氷見線を選んだのはこのためである。


 朝風呂の入浴料金は550円。受付のおじさんに有料のタオルはないかと尋ねると、「きれいに洗ってあるからこれを使いなさい。使い終わったら浴室のかごの中に入れておいてくれたらええ」と白いタオルを貸してくれた。
 体を洗って露天風呂に出ると、これまた絶景である。露天風呂は海に面しており、すなわち線路にも面している。感覚的には露天風呂の足元すぐ下を線路が走っており、そのすぐ下が海になっているような感じである。その足元を高岡行き列車が通過していく。写真を撮れないのが非常に残念な景色である。


Dscn2354 Dscn2361  
 上り列車の通過を合図に風呂から上がり、手早く着替えて駅へ戻って7時58分発の氷見行きに乗る。越中国分を出た列車は次の雨晴までの1駅間、富山湾にほぼ寄り添って走る。海の向こうやや後方には、薄い雲のあいまに立山連峰の姿がうっすらと見える。雨晴の先で氷見線はやや内陸に入ってしまうので、ハイライトはこの1区間だけだが、この海岸の美しさのインパクトは強い。


Dscn2358 Dscn2359  
 住宅街に埋もれた終点の氷見から、折り返し高岡行きの列車に乗り、もう一度雨晴海岸の風景を堪能した私は、前夜からの強行軍とお風呂の心地よさですっかり眠ってしまった。高岡で運転士に声を掛けられて目を覚ました私は、危うく次の列車に乗り遅れるところだった。



 続く。



ランキング参加中です。みなさまの「クリック」が明日への糧になります。よろしかったら、ポチッとな。

にほんブログ村 鉄道ブログへ にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ 鉄道コム

| | | コメント (2)

2021/11/03

ひそやかなる楽しみの果て

 以前にも書いたことがあるが、私は国会議員の選挙がおこなわれるたびに、投票が締め切られる午後8時をもって一斉に各テレビ局が報じる議席予測の精度を調べるのをひそやかな楽しみとしている。
 どこの党がいいとか悪いとか、あるいは好きとか嫌いとかはさておき、今回の結果は以下のようになった。

【各局の午後8時段階の議席予測と最終結果】
  自民 公明 立民 国民 共産 維新 社民 れいわ NHK
NHK 212-253 27-35 99-141 7-12 8-14 34-47 0-2 1-5 0 9-13
日テレ 238 31 114 12 10 45 1 2 12
(205-274) (25-34) (82-143) (8-17) (7-16) (33-51) (1-2) (1-5) (8-15)
テレ朝 243 32 113 12 12 39 2 12
テレ東 240 30 110 13 11 45 16
TBS 239 30 115 13 12 40 1 3 0 12
フジ 230 31 130 7 14 39 1 1 0 12
結果 261 32 96 11 10 41 1 3 0 10

 赤字はピタリ賞、青字は10議席以上外したところを示している。ただしNHKは毎回、レンジを設けて議席予測をしているので、厳密な意味でのピタリではない。また、今回は、日本テレビが一発予測と合わせて予測幅を提示していたので、こちらも参考記録としている。


 最大のポイントは、自民・立憲民主の議席数であるが、今回は各局がものの見事に外した。民放すべてが両党の議席数を10議席以上見誤り、NHKですらレンジの中に収められていない。日本テレビの予測値の幅の中にはすべて収まっているが、一発打ち出しの数字は悲惨である。フジテレビに至っては「自民党過半数割れへ」と大々的に報じた。日頃どちらかというと与党批判をする側にいる局が自民党単独過半数を早々と報じたが、それでも議席数は18議席~23議席も外している。
 各党の議席数がこういう結果になった原因はいろいろ報じられているが、それを分析するのは私の役目ではない。私は投票にも必ず行くし、自分なりの信念に基づいて1票を投じるが、その結果と議席予測云々とは別の話である。


 議席予測と結果の答え合わせは、私にとっては数年に1度のある種のゲームである。議席予測は世論調査や各地の動向、当日の出口調査や投票率などから分析して求めるのだという。各社の情報収集力の見せどころである。これまで私は選挙のたびに何度か似たような遊びをしてきたが、今回ほど各社の差が大きく出たことはなかった。それだけでも今回の選挙の予測が困難だったことが窺われるが、揃いも揃って討ち死にレベルの結果になるというのも見たことがない。日本テレビがレンジで予測幅を打ち出したのは、こういう情勢をふまえてある種の予防線を張ったものだともいえる。
 これまでの情報収集・分析手法が通用しなかったということなのだろう。あるいは選挙期間中を通じて、例のごとく候補者や応援弁士の失言が飛び出す中で、情報にバイアスがかけられたということもあるのかもしれない。 


 毎回、当選確実の報道が先走りとなり、誤報と騒がれることが話題になるが、今回はこの議席予測自体がかなりの誤報だったと言える。あくまで予測である、と言われてしまえばそれまでだが、お詫びをしろとまでは言わないものの、ここまで大きく外したことに対するコメントが聞かれないのが不思議である。選挙特番も一部の局では出演者の失礼な態度が話題になっている。バラエティー番組同然になった選挙特番や意味のない議席予測なら、もはや不要なのではないか、とも思う。



ランキング参加中です。みなさまの「クリック」が明日への糧になります。よろしかったら、ポチッとな。

にほんブログ村 鉄道ブログへ にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ 鉄道コム

| | | コメント (0)

2021/11/01

2021年秋・北陸路の小さな旅【1】「富山の100m」で完乗復帰

 緊急事態宣言が明けた10月、延び延びになっていた実家への帰省を果たすことにした。墓掃除を筆頭に実家でやることはいろいろあるのだが、コロナ下で抑圧されてきたストレスも支障のないレベルで発散してやりたい。特に公私ともに忙しかったここ1年、心身ともにズタボロである。


Img_4397 Img_4396  
 10月13日水曜日、仕事を早々に切り上げて、19時05分発のJAL便で羽田へ飛び、バスタ新宿22時発の金沢行き夜行バス「グランドリーム金沢1号」に乗った。コロナの影響でこの区間のバスも減便が続いているが、「グランドリーム金沢1号」の乗客も2桁に満たない。最後部窓側に座った私の隣席、最後部中央席の若者は、早々に8列目あたりの窓側席に移動して眠りに入った。ネットで購入すれば中央席と窓側席では運賃が1,000円以上違うからこれはルール違反なのだが、運転手を含めて誰も咎める者はいない。


 早朝5時着の富山駅南口で下車したのは私ひとり。明けた10月14日は「鉄道の日」である。そういえば4年前のこの日も私は富山にいて、黒部峡谷鉄道のトロッコ列車に揺られていた。そして4年後のこの日、私は「日本の鉄道全線完乗」の栄誉を取り戻すために富山にいた。


Toyama  富山駅の南側を走る富山地方鉄道の軌道線と、富山駅から北へ向かう富山ライトレールを、高架化された富山駅の下を貫通させて接続する計画が実現したのは昨年3月のことである。これと前後して富山ライトレールは富山地方鉄道に吸収合併され、線路を富山市が保有し、富山地方鉄道が運行を担う「上下分離方式」がとられることとなった。富山ライトレールはもともとJR(国鉄)富山港線であったが、戦時買収で国鉄線となる以前には富山地方鉄道の路線であった。運営が76年ぶりに「里帰り」した珍しい路線である。


 始発の時間まではまだ間があるので、富山駅北口からレールに沿って歩いてみた。4年前に乗車した区間である。かつて富山駅北電停のあった場所のホームは撤去されて整地が進められており,その代わり、と言うわけでもないが,信号を渡って少し先のホテル前に、岩瀬浜方面行きだけの電停が新たに設けられている。インテック本社前から橋を渡って奥田中学校前電停に至る頃には空も明るくなった。


Img_4404 Dscn2343  
 奥田中学校前で5時47分発の富山大学前行き始発電車を捕まえる。早朝の割に立ち客も出る車内で、先頭に立って前を眺める。歩いてきたルートを逆にたどり、駅北口広場に入ったあたりからが、この時点で唯一未乗となっている区間。電車は高架のJR富山駅の下へするすると潜り込んでいき、あっという間に富山駅電停に着いた。この間営業キロで0.1km、実距離90mである。「富山の0.1km」と自嘲気味にこれまで語っていたが、1年半越しで「日本の鉄道全線完乗」を堂々と語れるきれいな体になった。


 富山駅からさらに1区間電車に乗り続けて、新富町電停で下車。プラプラと歩いて富山駅まで戻った。4年前、停留所ホームの向こうで壁に塞がれていた電車の通り道は、4年の時を経て壁が取り払われた。仮普請感満載だった駅北口側もすっかりきれいになった。
 JRのローカル線だった富山港線は、ライトレール化に伴う大増発と均一運賃の採用で乗車人員が5割増しとなった。南北直通により、富山駅北側地区から南側の繁華街へは、電車を2本乗り継いで420円かかったものが、乗り換えなしの210円で結ばれるようになった。自治体の補助によりかろうじて黒字を保っているなど厳しい状況には違いないが、たった100mのレールは街の形と人の流れを変える効果を生み出すはずである。



≪2017年10月当時の富山駅電停(南)と富山駅北口≫
Dscn6708 Dscn6875




ランキング参加中です。みなさまの「クリック」が明日への糧になります。よろしかったら、ポチッとな。

にほんブログ村 鉄道ブログへ にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ 鉄道コム

| | | コメント (2)

2021/10/04

「さいとう・たかを」と総理大臣の椅子

Img_0160  先日亡くなった劇画家、さいとう・たかを氏の代表作と言えば「ゴルゴ13」だが、残念ながら私はこれをほとんど読んだことがない。けれども氏の隠れた名作のひとつに「歴史劇画・大宰相」がある。1945年、敗戦国となった日本が復興していく過程の中で起きた政治家たちの権力争いをダイナミックに描いた作品である。原作は戸川猪佐武の「小説吉田学校」であり、劇画の初出時のタイトルも「劇画・小説吉田学校」であったが、のちにタイトルを変えて文庫化された。私が所蔵しているのは2000年前後に出版された文庫版全10巻である。以前にも書いたことがあるが、田中角栄という人物に興味を持ったところからアプローチしたこの本は、私が戦後政治史にのめりこむバイブルとなった。


 「歴史劇画・大宰相」は、原作者の戸川が急死した1983年から少し後、田中角栄が脳梗塞で倒れて政治の表舞台から姿を消した1985年で終わっている。時の首相は中曽根康弘で、「三角大福中」と称された自民党実力者の最後の一角である。


 この時代、衆議院は中選挙区制で、同一選挙区内で複数の自民党候補が立ち、互いにしのぎを削っていた。本来政党という志や政策を同じくする者の集まりの中で、「派閥」というさらに小さなグループに細分化される理由ともなったのだが、一方で派閥は次世代を担うたくましい政治家を育ててリーダー(領袖)とし、そのリーダーを総理大臣の椅子に座らせるための「軍団」でもあった。1955年結党時の初代総裁・鳩山一郎以来、竹下登までの12人の総裁はすべて派閥領袖であった。


 「三角大福中」に続くニューリーダーと呼ばれていた竹下・安倍晋太郎・宮澤喜一の「安竹宮」のうち最初に総理総裁の座を射止めた竹下がリクルート疑惑の渦中で退陣を余儀なくされ、後継と目された安倍・宮澤の両名も疑惑の渦中にいた1989年にその潮目は変わる。宮澤は後に総理総裁となるが、キングメーカーとなった竹下派による院政と、その流れを汲む当時の新進党が仕掛けた小選挙区・比例代表並立制の導入により、派閥の地位は相対的に低下した。
 今の派閥を見渡すと、かつての軍団の面影は少なく、領袖の顔触れも総理総裁を目指すというよりは闇将軍を目指しているか、もしくは単なる雇われマダム的な印象が強い。竹下氏の後、14人が自民党総裁となったが、就任時に派閥領袖となっていたのは宮澤・小渕恵三・森喜朗・麻生太郎の4氏だけである。


 そういう視点で見ると、派閥そのものの功罪は別として、候補者中唯一の領袖である岸田氏が総理総裁になったということは、そこに様々な駆け引きがあったにせよ自然の流れに思えてくる。派閥領袖が総理総裁となるのは麻生氏以来、宏池会からは宮澤氏以来の総理大臣である。岸田派宏池会は池田勇人を源流とする保守本流の伝統ある派閥であるが、権力闘争に弱く「公家集団」と揶揄された派閥でもあった。自民党の下野により総理大臣になれなかった2人の総裁はいずれも宏池会に籍を置いていた。


 総裁選の経過や、その後の党人事・閣僚人事を見る限り、権力の二重構造の香りがぷんぷんと漂ってくるが、まずはこのコロナ禍をどう乗り切り、疲弊した経済と財政を立て直していくのか。主権者国民の選択は間近に迫っているようである。




ランキング参加中です。みなさまの「クリック」が明日への糧になります。よろしかったら、ポチッとな。

にほんブログ村 鉄道ブログへ にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ 鉄道コム

| | | コメント (0)

2021/09/26

帰省百態【7】クルマとフェリーの旅(5) 商船三井フェリー「さんふらわあ」

 積み残しネタと言えばもうひとつ、2年ほど前に書き始めてやはり中途半端で終わっていた札幌~岐阜間の帰省の話がある。

  帰省百態【0】岐阜・札幌間の小さな旅
  帰省百態【1】名古屋・札幌 空の玄関の28年
  帰省百態【2】50時間のクルマ旅
  帰省百態【3】クルマとフェリーの旅(1) 新日本海フェリー
  帰省百態【4】クルマとフェリーの旅(2) 東日本フェリー
  帰省百態【5】クルマとフェリーの旅(3) 太平洋フェリー その1
  帰省百態【6】クルマとフェリーの旅(4) 太平洋フェリー その2


 前半はクルマとフェリーの組み合わせでの帰省の話が中心になり、利用した航路もおおむね上記の3航路に集中しているが、最後にもうひとつ、これ以外で一度だけ利用した、苫小牧-大洗間の商船三井フェリーの話を書いておく。
 北海道と関東をダイレクトに結ぶ航路は、かつては釧路-東京、苫小牧-東京、室蘭-大洗などが存在したが、1999年から2002年にかけて相次いで廃止、あるいは休止となり、苫小牧-大洗が唯一の存在となっている。


 当時も現在も、この航路には夕方便、深夜便が各1往復運航されており、所要時間は18~19時間。私が利用したのは2007年12月29日、苫小牧発18時30分の夕方便、「さんふらわあふらの」である。ちなみにこの船は2017年に更新されており、現在の就航船は2代目。私が乗船した初代は、もともと東日本フェリーが「へすていあ」の船名で室蘭-大洗航路を運航しており、「へるめす」「はあきゆり」の姉妹船である。2017年に引退してインドネシアへ売却されたようである。


 当時、私たち一家は岩見沢に住んでおり、上の坊主は4歳、下の坊主は1月に生まれたばかりの0歳児であった。
 早くから子供を連れて札幌の実家に帰っていた嫁は、一足先に下の坊主とともに東京に住む叔父の家へと飛んでいた。28日まで岩見沢で仕事をこなした私は、29日の15時半頃、嫁の実家の両親に連れられてやってきた上の坊主と、苫小牧港フェリーターミナルで合流した。ここから坊主とふたりの船旅&クルマ旅である。


Pc290529 Pc300536   
 坊主は初めての船旅が待ち遠しくてしょうがないようで、ターミナルの外から、出航を待つ「さんふらわあふらの」と、仙台へ向かう太平洋フェリー「きたかみ」の姿を見て「ねぇはやくおふねにのろうよぉ」とはしゃぎ気味。16時半過ぎに車とともに乗り込み、カジュアルルーム(2等寝台)に荷物を置いて船内をひとまわりすると、目を丸くしながら走り回っている。
 この日はちょうど国内各地に雪をもたらした気圧の谷が通過した日であった。わが船も相当の揺れが予想されたため、レストランでの食事前に酔い止めのアンプルを親子ともども流し込むが、案ずることもなく坊主は、あれもこれもと皿に乗せてきたバイキングの料理をぺろりと平らげ満足気である。


 食後は大浴場へ。船が外海に差し掛かったようで、風呂の湯が大きく波打っては浴槽からこぼれている。大きなお風呂が大好きな坊主は、それもまた楽しかったようで、またまたおおはしゃぎ。風呂を上がった後も、船内を所狭しと駆け回り、船の大きな揺れで通路に何度もひっくり返るが、まったく平気である。


2007123002 Pc300531   
 そんなこんなでやっと寝付いたのが22時過ぎ。つられてお父さんもそのままお休み。夜更かしすると絶対に早起きできない坊主が、翌朝7時にはピシッと目を覚まし、利口なことに一人で便所の場所を探し当てて用を足してきたらしく、眠くてしょうがないお父さんを必死でゆすり、
ぼくえらいでしょ、ね、ね、だからはやくあさごはん~
と猛アピール。お父さんも起きないわけにはいかず、手をひかれるままにレストランへ。朝食もいつもの3割増ほどの量をあっさりと胃に流し込み、再度浴場へ足を運ぶが、揺れのせいか浴槽の湯が半分以下しか残っておらず、入浴は断念となる。


 あとはキッズルームで見知らぬお友達と遊んだり、展望デッキで海を眺めたりと、大洗まで20時間程の船旅を全く飽きることなく、また船酔いすることもなく、元気で大洗に降り立った。坊主は「すご~くゆれたねぇ。でもたのしかったね。またおふねにのろうね」とニコニコしながら語り、車が東京ヘ向けて走り出すとほどなく、助手席でぐっすりおねむになってしまった。


 ところで私はこの航海の途中、車のカギを一瞬紛失して、坊主を連れてあちらこちらを探し回ることになった。30分近くかけて結局、展望デッキのソファの間にはまり込んでいたのを発見し、ほっとしたのであるが、よほどその出来事が印象に残ったらしい。以来、坊主が何か失くし物をすると「ちゃんと整理しておかないからだ!」と叱りつけるのであるが、そのたびに奴はニーッと笑って、「お父さんもフェリーの中でカギ失くしたよねえ」とのたまうので、二の句が継げない私は何の説得力も持たなくなる
 そんな坊主も18歳。誰かに似て受験票を忘れて受験に行くのではないかと、今から心配でならない。




ランキング参加中です。みなさまの「クリック」が明日への糧になります。よろしかったら、ポチッとな。

にほんブログ村 鉄道ブログへ にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ 鉄道コム

| | | コメント (0)

«特急「ニセコ」と「ノースレインボーエクスプレス」