2024/09/08

2023 いい日旅立ち・西へ【番外-1】近鉄特急「ひのとり」

 5日間の鉄道旅行を満喫した私は、実家に2泊し、12月1日に息子の住む大阪へ向かった。大学合格直後にアパート探しに同行して以来である。



Img_5825  名古屋からの移動には、近鉄特急「ひのとり」を利用した。
 名古屋-新大阪間を50分足らずで結び、自由席で5,940円の新幹線に対し、近鉄特急は2時間~2時間半を要するが4,790円と安い。ひと昔前ならば金券ショップへ行けば回数券がばら売りされており、3,200円ほどで利用できた。


 だから私は、この区間の移動となると近鉄特急を利用するのが学生時代からの習性のようになっている。回数券の廃止で運賃・料金の格差は縮小傾向にあるが、近鉄特急は「快適さ」というもうひとつのアドバンテージを持っている。当時の近鉄特急は乗車してすぐにおしぼりサービスがあったし、インテリアには余裕と気品が感じられた。名阪ノンストップ特急に運用されていた「アーバンライナー」のデラックスシートは、400円ほどの追加投資でJRグリーン車並みの3列シートを利用でき、私のお気に入りだった。


 現在、近鉄の名阪特急は、津・鶴橋・大阪上本町に停車する「甲特急」が2020年に登場した「ひのとり」、途中主要駅に停まる「乙特急」が「アーバンライナー」でそろえられており、大変贅沢なラインナップである。「ひのとり」に乗車するためには、レギュラーシートで200円、プレミアムシートで900円の追加投資が必要になるが、せっかくの機会でもあり、「ひのとり」のプレミアムシートを体験してみたい。早い段階で私は近鉄名古屋発16時の特急券を購入し、最前列の席を確保しておいた。


Img_5822 Img_5819 
 近鉄名古屋駅の雰囲気が私は大好きである。行き止まり式の地下駅の雰囲気は、他の私鉄のターミナルとは一線を画しており、特急専用の4・5番ホームにはひっきりなしに特急電車が出入りする。15時30分に大阪難波行き「アーバンライナー」が、ウェストミンスターの鐘と「ドナウ川のさざなみ」に送られて発車すると、37分には鳥羽から、49分には大阪難波からの「アーバンライナー」が到着、乗客を降ろすと車庫へ引き上げていく。50分には鳥羽行き「サニーカー」が、ウェストミンスターの鐘と「八十日間世界一周」に送られて発車。この光景だけでも旅立ちのワクワク感が高揚する。


Img_5832 Img_5833 
 鳥羽行き特急が発車した後の5番線に、いよいよ「ひのとり」が入線する。深いメタリックレッドをベースにした塗装は気品があり、これまでの近鉄特急とは全く趣が違う。「ひのとり」のエンブレムも孤高の印象である。
 8号車後ろ寄りのドアから乗車すると、デッキのすぐわきにロッカーが並んでいる。その奥には、コーヒーやお菓子の自販機、おしぼりなどが置かれたサービスコーナーがある。乗務員による車内販売やおしぼりサービスはなくなったが、セルフサービスで残されている。このあたりが近鉄らしい配慮である。


Img_5826 Img_5834 
 階段を登ったハイデッカーになっている座席は、車体幅を一杯に使った大柄な3列座席が並ぶ。プレミアムシートの座席間隔はそれでなくても130cmと新幹線グランクラス並みに広いが、座席を一杯に倒しても後ろの人に迷惑が掛からない「バックシェル型」になっており、贅沢である。最前列の一人掛けに腰掛けると、大きな窓からの展望は素晴らしい。隣の二人掛けには、女性二人と小さな男の子が座っている。発車後、地下から地上へと駆け上がると、すぐに米野車庫の横を通る。「ひのとり」や先ほど引き上げていった「アーバンライナーnext」が休んでいる。男の子が嬉しそうな歓声を上げる。


 私も普段ならば車内の探索に出掛けるところであるが、前面展望の楽しさとシートの掛け心地の良さに、すっかり動く気力をなくしてしまった。「伊勢志摩ライナー」「ビスタカー」そして「観光特急しまかぜ」と、次々にすれ違う列車に退屈している暇もない。伊勢中川の短絡線を渡って大阪線に入る頃には、興奮し疲れたのか隣の男の子は爆睡である。そして私もうとうととしたらしい。気が付くと外は薄暗くなっており、列車はラストスパートに掛かっていた。


Dscn5928  大阪市内に入り、鶴橋、大阪上本町と停車し、18時05分、地下駅の大阪難波に到着した。列車は乗客を降ろすとすぐ、西方にある引き上げ線へ移動していく。発車も到着もあわただしいが、これもまた名阪特急のいつもの姿である。
 近鉄名古屋-大阪難波間で「ひのとり」のプレミアムシートを利用すると5,690円となり、新幹線との差は数百円レベルとなる。国鉄運賃が安かった時代にはこれで新幹線に旅客が逃げ、一時近鉄名阪特急は瀕死の状態だったのであるが、国鉄運賃の度重なる値上げにより息を吹き返した。
 運賃格差は再び縮小傾向にある現在だが、近鉄特急は価格差以上に快適性を指向しているように見える。よほど急ぐのであればともかく、グランクラス並みの車両に新幹線より1時間余計に乗れるだけでも十分に値があるように思う。
 



ランキング参加中です。みなさまの「クリック」が明日への糧になります。よろしかったら、ポチッとな。

にほんブログ村 鉄道ブログへ にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ 鉄道コム

| | | コメント (1)

2024/08/25

2023 いい日旅立ち・西へ【28】結ばれなかった鉄路~阿佐線の夢

 前回の続き



Dscn5917  岬ホテル前バス停で待つこと5分あまり、14時58分にやって来た安芸営業所行きバスに乗り込むと、またしても車内は空。海岸に沿って国道55号を少し走ってから右へ分かれ、住宅街の中を走っていく。28年前に運転手が交代した室戸営業所前バス停も素通りで通過する。ここからほぼ真西に200mほどの海岸には「海の駅とろむ」があり、土曜・休日に限り阿佐海岸鉄道のDMVが1往復乗り入れてくる。
 再び国道に戻り、途中、ところどころで国道を外れて集落へ入るが乗客はない。校舎の目の前に立派なロータリーが整備された室戸高校も、玄関の目の前にバス停のある室戸診療所も乗客なしで通過である。


Img_5792  私が乗ってから15分近く走った新村バス停でようやくひとり乗客があり、そこからパラパラと乗客があって、最終的には5人ほどが乗って16時ちょうど、奈半利駅に着いた。私はここで下車する。土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線の終点で、立派な高架駅に来たのは12年ぶりである。ここから高知方面へは列車に乗って向かう。


 ごめん・なはり線は、もともと国鉄阿佐西線として建設された。その名のとおり、阿佐海岸鉄道阿佐東線とは対をなしており、本来は阿佐線として、室戸経由で一本につながるはずだった。しかし、奈半利-甲浦間は工事に着手されないまま国鉄は解体され、工事が進んでいた海部-甲浦間は徳島県を中心とする阿佐海岸鉄道が1992年に、後免-奈半利間は高知県を中心とする土佐くろしお鉄道が2002年にと、それぞれ第三セクターが引き受けて開業した。中間を結んだのが高知県交通(現:高知東部交通)バスで、時刻表1995年2月号によれば高知市内-室戸岬-甲浦を直通するバスが1日5往復、安芸-甲浦間4往復(休日2往復)の区間便も設定されている。


 私がこの区間を初めて通過した1995年2月の時点でも、乗客数を見る限り、阿佐線が1本で結ばれる可能性はほぼゼロだった。
 阿佐東線の列車は小学生の社会学習でなんとか体裁をつくり、甲浦から室戸経由で後免町までのバスは、貸切タイプの立派な車両に乗客が10人を超えたのは、夕方通過した安芸付近からのわずかな区間だけだった。それから28年、阿佐東線はDMVという大量輸送性を半ば放棄した形態に代わり、甲浦~室戸~奈半利のバスは大半の区間で私ひとりだけを乗せて走った。


Img_5795 Img_5796    
 奈半利16時03分発の高知行き快速列車に乗ったのは、私の他に2人ほど。たった1両の車内はいっそう侘しい。それでも途中、安芸から学生が大量に乗車して、車内はにわかに活気づいた。沿線にはビニールハウスが連なっている。
 土佐くろしお鉄道は路線ごとの輸送密度を公表していないのではっきりわからないが、ごめん・なはり線と中村-宿毛間の宿毛線を合わせた輸送密度が2019年度で848人。輸送人員はごめん・なはり線の方が宿毛線の倍程度あることから考えても、ごめん・なはり線の輸送密度は1,000人を超えていると思われる。決して安泰な数字ではないが、阿佐東線から比べれば一桁多い


Dscn5919 Dscn5920 
 少し時間に余裕があるので、16時48分着の夜須で下車。高校生も10人ほどが一緒に降りた。高架式のホームからは、海岸に面して建つ「海の駅やす」が見える。一帯は「ヤ・シィパーク」と称される公園として整備されている。国道55号は線路を挟んだ内陸側を走っており、道路よりも駅からのアクセスの方が近いという珍しい立地である。ごめん・なはり線の駅には、各駅ごとにやなせたかし氏の描いたキャラクターが存在するが、夜須駅前にも「やす にんぎょちゃん」と名付けられた艶めかしい人魚のキャラクターが鎮座している。「ヤ・シィパーク」で毎年夏に行われる「ミスマーメイドコンテスト」にちなんだものだとか。


Dscn5921 Img_5800 
 直売所を軽く眺めてから、16時56分発の奈半利行き快速列車で安芸まで少し戻る。2両編成で、こちらも学生がよく乗っている。
 安芸駅の周辺は、前年仕事の関係で訪問しているが、駅に降り立つのは初めてである。駅前では「あき うたこちゃん」が出迎えてくれる。三角屋根の大柄な駅舎は、駅名とともに「ぢばさん市場」と掲げていて、駅舎内には野菜や食品の直売所がある。お土産物もあるが、比較的普段使いの野菜なども置かれており、地元客が立ち寄って買い物をしている姿も見受けられる。


Img_5802 Img_5803 
 最後は安芸17時40分発の高知行き快速。時刻表上は安芸始発だが、実際は奈半利から1両でやって来た列車にここで1両増結する形である。帰宅の高校生で、2両編成の座席はほぼ埋まり立ち客も出た。駅ごとに少しずつ乗客が減っていき、18時07分着ののいちで下車。ここで5日間続いた乗り歩きの旅は締め括りである。駅前ではピエロのような「のいちんどんまん」が出迎えてくれる。


 私はこれから、高知空港19時30分発のFDAの飛行機で実家に近い県営名古屋空港(小牧空港)へ飛ぶが、のいち駅と空港を結ぶ「空港乗合タクシー」を予約してある。1乗車500円と、高知駅からのバスよりも安い。指定された乗り場へ行くと、普通のタクシーが待っており、私ひとりを乗せて空港まで10分あまりで運んでくれた。あとは飛行機に身をゆだねて、これも20年ぶりぐらいとなる小牧空港から実家を目指すのみである。



ランキング参加中です。みなさまの「クリック」が明日への糧になります。よろしかったら、ポチッとな。

にほんブログ村 鉄道ブログへ にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ 鉄道コム

| | | コメント (2)

2024/08/18

2023 いい日旅立ち・西へ【27】念願の室戸岬灯台へ

 前回の続き


Dscn5891 Dscn5893 
 海の駅東洋町で1時間弱を過ごし、12時20分発の室戸営業所行き高知東部交通バスに乗った。中型のバスに乗客は私ひとりである。
 28年前、はじめてこのルートをたどったときは、甲浦駅前から室戸経由高知行きの直通バスに乗った。終点の高知まで3時間余りをかけて走る非常に長い路線バスに10人足らずの乗客が入れ替わりながら乗っていたことを思い出す。海岸沿いを走るバスからの景色は美しいが、途中の停留所でもまったく乗降はなく、寂しい。


Dscn5896 Img_5774 
 13時04分着の室戸ジオパークセンターで下車。2011年にユネスコの世界ジオパークに選定された室戸エリアの地形や文化・風土に関する展示がある立派なセンター内に他に客の姿はなく、わずかに建物内のカフェで3人ほどの地元客と思しき人々が談笑している。
 13時25分発の安芸営業所行き高知東部交通バスは、先ほどよりさらに小さい小型のバス。折り返しの始発便で、やはり乗客は私ひとりである。甲浦発の便が室戸市内で内陸の室戸高校を経由するのに対し、こちらの便は海岸沿いに室戸岬を経由する、28年前と同じルートをたどる。


Dscn5899 Img_5782 
 10分ほどで到着した室戸岬バス停で下車。28年前はここを素通りで駆け抜けたが、道路を挟んだ山の上にある室戸岬灯台の姿が印象的だった。バス停に降り立つと、その灯台の姿は山陰に隠れて見えない。代わりに、目の前には中岡慎太郎の銅像が立ち、その斜め上方に小さな展望台の姿が見えた。
 5分ほどかけてその展望台へ上る。「恋人たちの聖地」と書かれているが、私には何の縁もない。おだやかな海が180度以上開けている。右下の方には、先ほど見上げた中岡慎太郎の後頭部が見える。


Dscn5911 Img_5783 
 それから海岸へ降りて、海辺の遊歩道をしばらく歩いてみたが、やはりどうしても山の上にある室戸岬灯台が気にかかる。次のバスまではまだ1時間ほどあり、案内看板には灯台まで20分とあるから、行って帰ってくることは可能だろう。そう思った私は、登山道のような灯台までの道を登り始めたが、ほどなく後悔の念に駆られた。登山道は想像以上に険しく、無造作な石段が延々と続いている。足はがくがくするし、呼吸も乱れる。そのうえところどころに、得体のしれない獣の糞も転がっている、時々木々の間から見える海岸線は間違いなく遠ざかっているが、二度休憩をはさんでも灯台にたどり着く気配はなかった。


Img_5784 Img_5785 
 20分近く歩いて、分岐点に着いた。左へ行けば100mほどで室戸岬灯台、右へ向かえば最御崎寺(ほつみさきじ)とある。せっかくなのでそちらを先に訪問しておく。最御崎寺は四国八十八箇所の、高知県へ入って最初、第24番札所である。23番が日和佐の薬王寺だから、その間約75kmと非常に長い。歩いて巡礼して、最後の最後にこの登山道とはなかなかの苦行である。めったに来る機会のない場所だろうから、念入りに参拝しておいた。


Dscn5912 Img_5789 
 そこから室戸岬灯台は、軽い下り坂を歩いて5分ほどだった。間近に見る灯台はそれほど大きなものではなかったが、ここまで登って来たという満足感が景色をより美しく見せた。雲の加減で時々色合いの変わる灯台と、そこから見下ろす太平洋の景色に、私はしばらく見惚れた。


Dscn5916  下りの登山道は息切れこそしなかったが、足はパンパンになった。途中、一組のお遍路さんとすれ違った。私がはあはあ言いながら登った登山道を、私より明らかに年配のお遍路さんは淡々と登っていった。
 登山道を降りたところにある岬ホテル前バス停で、安芸方面へのバスを待つ。11月も末だというのに私は汗びっしょりで、バス停脇にべったりと座り込んだ。喉も乾いていたが、バス停のすぐ前にあったホテルは廃墟のようになっている。バスを待つ途中、実家からLINE電話がかかってきたが、電波が悪くてまったく会話にならない。スマホを見ると、電波の表示は「3G」になっていた。


 続く





ランキング参加中です。みなさまの「クリック」が明日への糧になります。よろしかったら、ポチッとな。

にほんブログ村 鉄道ブログへ にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ 鉄道コム

| | | コメント (1)

2024/08/14

流行遅れの。

Img_6123

 私の会社は、仕事の性質上、お盆のまとまった休みは設定されていないが、今年は周囲の協力もあり、短い盆休みと有給休暇を組み合わせて1週間の休みをひねり出した。これを使って、大阪の坊主のところと実家に顔を出してくる予定であった。お盆に実家に帰るなど、十数年ぶりのことである。久しく会えていない友人たちに会うこともできる。


 はずであった。


 8日までびっちり仕事をこなし、自宅に帰った私は、その夜、寝苦しさで目が覚めた。札幌でもこのところ気温の高い夜が続いている。そのせいで深夜に目が覚めることもしばしばであったが、この日は少し様子が違った。全身にだるい感じがある。熱を測ってみると37度8分。それが朝を迎える頃には38度5分まで上がった。自宅にあった、少々期限の切れた新型コロナウィルスの抗原検査キットでテストしてみると、説明書に書かれた15分を待つまでもなく、陽性を示すラインがくっきりと浮かび上がった


 これまで家族がかかってもぴんぴんしていた私だが、疲労がウィルスを受け入れやすくしていたのか、いずれにしても5年目にして初めての新型コロナウィルス感染である。再流行中とはいえ、ずいぶん乗り遅れた初体験である。病院へ連絡すると、簡易検査で陽性だったことと症状から疑いの余地はなく、PCR検査は不要、重症でなければ高価な専用の薬も不要でしょう、とのことで、とりあえず出向いて症状の確認と薬の処方をしてもらうことにする。


 この間、当日乗る予定だった大阪・伊丹行きの航空券をキャンセルする。JAL・ANAの場合、感染症等の診断書を提出すれば無手数料で払い戻しを受けられるようだが、今回購入した航空券の払戻手数料は4,500円。診断書をもらうために検査を受ければそれ以上の金額がかかるだろうから、余計なことは考えず、粛々とキャンセル作業を進める。
 それから、当日から2泊する予定だった大阪の坊主への連絡と、3件の飲み会のキャンセルである。ここしばらく会っていない仲間とのものを中心に、楽しみにしていたものばかりであるが、これとて無理押しして周りに迷惑をかけるわけにもいかない。


 加えて、大阪から岐阜の実家へ向かうに際しては、少し遠回りをして、3月に開業したばかりの北陸新幹線・敦賀-金沢間にも足を記そうとひそかに考えていた。また、大阪でも、北大阪急行・千里中央-箕面萱野間が3月に開業しており、そこへも足を伸ばすつもりであった。してみると1週間の間にずいぶん盛りだくさんでいろいろしようとしていたわけだが、すべてパーである。


 不幸中の幸いといえば、規制のために休みを取っていたおかげで、仕事に突然穴をあけることにならなかったことだろう。だが昨年の旅行もそうだったが、今回も連続して日程の変更を余儀なくされ、払わなくてもよいキャンセル料を払って来た。ふらりと休みをとれるような仕事だったら最高なのだがそれほど高等な仕事ではなく、早割やバーゲンでなく通常運賃・料金でふらりと旅に出られるほど懐が潤っているわけでもない。仕方のないことだが、何のために仕事をしているんだろうなあ、という不毛な疑問だけが残る。


 私の初コロナは、幸い熱は11日の昼頃には平熱まで戻り、体のだるさも幾分取れて、咳が少し出る程度まで回復するなど、症状としては軽かったといっていいだろう。することのなくなった休みはあと1日である。



ランキング参加中です。みなさまの「クリック」が明日への糧になります。よろしかったら、ポチッとな。

にほんブログ村 鉄道ブログへ にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ 鉄道コム

| | | コメント (10)

2024/08/04

2023 いい日旅立ち・西へ【26】DMV・行ったり来たり(その3)

 前回の続き


Dscn5870 Dscn5871 
 道の駅宍喰温泉から、低い民家が並ぶ住宅地を抜けて10分ほど歩くと、阿佐海岸鉄道の高架橋にぶつかる。そこを左折して、小学校に沿って歩き、宍喰駅に着いた。28年前の初乗車の際には、当時牟岐-甲浦を直通運転していた阿佐海岸鉄道の列車に、阿波海南から小学生の校外学習らしき38人の団体が乗り込んできて、宍喰で降りて行った。当時のメモには「子供たちが将来、鉄道のよき利用者になってくれればいいのだが。」と残してあるが、残念ながらそうなった気配はない。駅舎内においてあるDMVのパンフレットは、英語・韓国語・中国語の繁体・簡体と取り揃えられ、観光客向けにPRされている。


Dscn5872 Img_5766 
 宍喰駅は路線唯一の有人駅で、高架下の駅舎の窓口には係員が立っている。その窓口の前には、「駅長室」と札の貼られた水槽が置かれており、中で1尾のえびがじっとこちらを見ている。「伊勢えび駅長」だそうである。人間の駅長がいるのかどうかは知らないが、窓口に立っている駅員は、このえびの部下ということになる。


Dscn5874 Dscn5875 
 ホームに上がり、あらためて駅構造を観察する。改札からの階段を登った付近が境界線となり、鉄道用の旧ホームから甲浦方向に向かって下りスロープの先がDMVの甲浦行きホームになっている。ホームの先端には踏切があり、反対側に設けられた阿波海南行きホームにつながっている。
 ホームには1組の老夫婦がおり、数少ない乗客かと思って声をかけてみると、DMV見物だけだという。もったいないことである。もっとも私も、先ほど、「ドンコドンコ」を外から眺めたいばかりに阿波海南で乗らずに見物していたから、他人のことは言えない。

Dscn5876 Dscn5879 
 11時01分発のDMVは、またも緑の車両。ずいぶんよく働くことである。今度は予約をしていないので、前方の空席に座る。中国人と思しき女性団体が10人ほど乗っているが、キンキンと響く声で一斉に喋っているからうるさいことこの上ない。
 再び長いトンネルを抜けて甲浦のインターチェンジでドンコドンコをし、スロープを下ってバス停に着いた。私が降りようとすると、団体が我れ先にとドアに突進して私の道を塞ぐ。添乗員らしき女性がここじゃない、とそれを静止すると、またザワザワと席に戻る。その様子を見て,私はうんざりしながらDMVを降りた。


Dscn5883 Dscn5884 
 高架脇の可愛らしい旧甲浦駅舎は、駅機能は失ったものの健在で、売店が営業していた。ポスターやパンフレットが賑やかなのはここも同じである。駅の外の階段から旧ホームに上がることができ、阿波海南同様、DMVのモードチェンジを間近で眺められるようになっている。
 28年前は駅舎の目の前、今スロープが設けられたあたりにバス停があり、青春時代の私はここで室戸岬方面へ向かうバスを待った。今この駅に入ってくるのは、DMVだけである。


Dscn5887 Dscn5888 
 甲浦駅から川沿いに10分ほど歩き、国道55号に出た。右折して室戸岬方面に向かうと、赤いDMVとすれ違った。乗客が乗っている。時刻表にはない便で、団体客対応の特発便らしい。それを見送ると左手に「海の駅東洋町」がある。地元農水産物の直売所と食堂が併設された施設で、私がさきほど乗ったDMVは下車客もなく素通りしたが、駐車場にはたくさんの車が停まっており、盛況の様子である。


Img_5772 Img_5769 
 食堂では、地元産の刺身類を中心に食事ができる。「数量限定1,000円 当店一番人気 日替お刺身定食」と書かれた置き看板に惹かれて注文。店舗の外のデッキに出て、海岸を正面に見ながら食べる。
 日によって異なる刺身の本日のラインナップは、キハダマグロ、モンズマのたたき、ビンチョウマグロ。珍しいのはモンズマで、徳島・高知のこの界隈だけのものらしい。サバ科の魚らしいが、脂のよく乗った刺身はカツオとマグロの間のような食味で非常に美味しかった。ボリュームも看板を裏切っていない。かすかな風は12月が近いというのにほんのりと温かく、旅の終盤にゆったりとした時間が流れた。


 DMVに関する感想は別の機会にまとめたい。

 続く。



ランキング参加中です。みなさまの「クリック」が明日への糧になります。よろしかったら、ポチッとな。

にほんブログ村 鉄道ブログへ にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ 鉄道コム

| | | コメント (0)

2024/07/28

2023 いい日旅立ち・西へ【25】DMV・行ったり来たり(その2)

 前回の続き。


Dscn5851 Asakaigan_20240714230901 
 さて、無事鉄道モードになったDMVは、9時34分、阿波海南を発車。車体前方が持ち上がっている感覚は、遊園地の乗り物ほど強烈ではないにせよ感じられる。レールの上を滑るように、といいたいところだが、ディーゼルエンジン特有のびりびりと小さく震える感覚と、車体が軽いせいか横揺れも伝わってくる。阿佐東線を以前走っていた軽量ディーゼルカーのASA-100形の自重27トンに対し、マイクロバス使用のDMVの自重はわずか5.85トンである。しかも乗客はたったの2人である


Dscn5853 Dscn5854 
 周囲に山もない、世にも珍しい短いトンネルを抜けて、海部着。高架上の駅である。鉄道仕様の旧ホームの手前側がDMV用に一段低くなっている。もともとは線路2本・ホーム2本の駅だったはずだが、反対の山側のレールとホームが一部撤去されて、そこに、阿波海南方面行きの、基本がバス仕様で進行方向左側にしか扉のないDMV用の低いホームが短く新設されている。予約客がひとり乗ってきた。駅の先には、お役御免となったASA-100形ディーゼルカーが、すすけた様子でぽつんと置かれている。

Dscn5856 Dscn5859 
 ここからは1992年に開業した新しい区間である。線形は比較的よく、短いトンネルが数珠つなぎになって、海岸線の少し内側を抜けていく。トンネルとトンネルの間では、いくつかの小さな島を伴った複雑な海岸の地形を垣間見ることができる。
 最後のトンネルを抜けて、左手に小学校が見えると宍喰。阿波海南から乗ったひげ面の若者が下車する。ここはもともと単線だったが、海部同様、ホームの反対側にDMVの上り列車用のホームが新たに設けられている。ここも駅の先にかつての車両がとまっている。ASA-301形といい、廃線となった九州の高千穂鉄道から移籍してきた車両だとのこと。


Dscn5878 Dscn5862 
 宍喰を出ると、長いトンネルで一気に徳島県と高知県の県境を抜け、甲浦に着く。鉄道用の古いホームの前でいったん止まるが、このホームは現在使用されていない。ホームの先にインターチェンジが設けられており、ここで鉄道モードからバスノモードへの切り替えがおこなわれる。再びドンコドンコというBGMとともに、持ち上がっていた車体の頭が少しずつ下がりゴムタイヤが地面に接する感触がわずかに伝わって来た。もともとは高架橋がこの先でぶっつりと切れていたのだが、そこにハーフループのスロープが設けられ、DMVはそれを下って、駅舎の目の前に設置されたバス停にとまる。海部から乗った客が下車し、再び車内は私ひとりになった。


Img_5765 Dscn5865 
 再び普通のバスに戻ったDMVは、甲浦駅周辺の住宅地の中を抜けて、国道55号に出る。海の駅東洋町での乗り降りはない。土曜・休日には1日1往復だけが、この海の駅東洋町で折り返して室戸岬方面へ運行されるが、あいにく今日は最も運転本数の少ない火曜日である。
 トンネルを抜けて、国道沿いに設けられた道の駅宍喰温泉で終点となる。10時04分着。阿波海南から34分の旅であった。DMVは6分ほど停車して、阿波海南へ引き返していく。乗客はわずかだった。


Dscn5867 Dscn5866 
 道の駅には地元の名産品を中心にお土産品が並んでいるが、その中に、DMVを置いたジオラマがある。DMVの先頭には小型カメラが搭載されており、吹き抜けに面した2階に置かれたシミュレーターのようなものを操作すると、カメラの映像が正面に映し出される仕組みになっている。
 土産物売り場で、阿南のホテルで受け取った地域クーポンを使ってDMVのクリアフォルダなどお土産を購入する。ポスター、のぼり、土産物と、沿線はDMV一色である。DMVにかける期待の高さの現れだと思うが、一方で気になることもある。今日は時間に余裕もあり、もう少しDMVの様子を見てみようと思う。



ランキング参加中です。みなさまの「クリック」が明日への糧になります。よろしかったら、ポチッとな。

にほんブログ村 鉄道ブログへ にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ 鉄道コム

| | | コメント (0)

2024/07/21

2023 いい日旅立ち・西へ【24】DMV・行ったり来たり(その1)

 前回の続き。



Dscn5840 Dmv01 
 阿波海南駅でぶらぶらしていると、DMVがやって来て止まった。4年前、京都鉄道博物館で特別展示されていたものと同じ、緑色の車体である。8時09分発の甲浦経由、道の駅宍喰温泉行き103便には、私と同じ牟岐線の列車から降りたその筋の人が2人乗り込んだ。ここまでの風景はただのバスである。私はこの便には乗らず、道路から線路へのモードチェンジの様子を外から眺める。
 扉を閉めて発車したバスは、道路と線路の境目に当たるインターチェンジへと進む。数年前までつながっていたはずの牟岐線のレールとこの先のレールは切り離されている。当然のことだが一般の鉄道とはまったく別のシステムであることを再認識する。


Dmv02 Image4 
 インターチェンジで停止して待つことしばし、バスの躯体が前側から持ち上がり、車体の下から鉄道用の車輪が出てきた大きくのけぞった車体の運転席から運転士が出てきて足回りを点検し、再び乗り込んで発車となる。この間約2分。思ったよりも所要時間は短い。
 DMVはのけぞったまま、阿佐海岸鉄道の鉄道線に入って走っていく。その姿は、今までにいろいろな鉄道の姿を見てきた私から見ても、ユーモラスというよりは何とも場違いな雰囲気で、言葉にならない。


Dscn5843 Img_5760 
 DMVを見送って、駅から北の方へ10分ほど歩き、国道55号から少し東へ外れたところにある、阿波海南文化村に向かう。DMVの始発はここである。郷土博物館としてはずいぶん立派なたたずまいの施設の手前、駐車場の一角に、DMV乗り場が設けられている。次の便の出発は9時30分といくらか時間があり、9時の開館を待って文化村の中をくるりとひと回りする。地元の出土品や名産である海部刀などが展示されている博物館、「関船」と呼ばれる地元の祭りに出る船形だんじりの展示館などがあるが、気持ちはすでにDMVに向かっている。


Dscn5846 Dscn5847 
 9時20分頃に到着したDMVは、先ほど阿波海南駅で見た緑色の車両である。1時間ほどで1往復して戻って来たらしい。乗り込んだのは私ひとりである。予約優先のDMVに乗れなかったらまずいと、事前に乗車予約をしてやって来たけれども、これならば予約の必要はなかった。車内は普通のマイクロバスと同じであるが、運転席まわりにはこれでもかというほど機器類が詰め込まれている。9時30分、発車。


Dmv03 Dmv04 
 阿波海南駅で、遍路笠をかぶったヒゲの若者が一人乗車。予約はなかったらしく、「1列目以外で」と運転士に言われて車両中ほどに腰掛けた。すぐに発車して、インターチェンジにかかる。今度は車内からモードチェンジを体験する。
 「モードチェンジ、スタート」の自動アナウンスの後、トンコトンコと鼓を叩く音に合わせて車体前方が持ち上がっていく。このBGMも京都鉄道博物館で聴いた記憶がある。「フィニッシュ」と乾いた放送で終了である。写真を見比べると、こころもち視点が上がっているのがわかるだろうか。ここから、この奇怪なマイクロバスもどきがレールの上を走っていくのである。


 続く。



ランキング参加中です。みなさまの「クリック」が明日への糧になります。よろしかったら、ポチッとな。

にほんブログ村 鉄道ブログへ にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ 鉄道コム

| | | コメント (2)

2024/07/15

2023 いい日旅立ち・西へ【23】細かい話ですが(3) 阿佐海岸鉄道の0.1km

 前回の続き


Img_5752 Img_5755 
 11月29日、水曜日。この日もホテルを朝6時台に抜け出して、阿南6時22分発の牟岐線阿波海南行き普通列車に乗った。JR四国オリジナルの1500形ディーゼルカー1両の車内には10人ほどの乗客が揺られている。暗かった空が徐々に明るくなっていき、6時51分着の由岐で7分停車。上り徳島行き普通列車の到着を待って発車すると、左手の窓にようやく海が近づいてきた。


Dscn5834 Dscn5832 
 7時09分着の日和佐で22分の大休止となる。反対側のホームに、牟岐線にたった1往復だけ残った特急「むろと2号」が到着し、10人ほどの乗客を乗せて7時13分発に発車していった。日和佐の大浜海岸はウミガメの産卵で名高く、夏のシーズンだったら到着が多少遅くなっても阿南ではなくここに泊まっただろうと思う。残念ながらウミガメの産卵シーズンは5~8月である。海岸に向かってこんもりと張り出した城山の上には天守閣らしきものが見えるが、城跡ではあるものの当時の遺構をほとんど残しておらず、建物も昭和50年代に立てられた模擬天守らしい。


Img_5758 Dscn5837 
 駅周辺を少し散策して戻ると、わずかながら高校生が集まってきて列車に乗りこんでいる。反対側の徳島方面行のホームにも学生が並んでおり、ほどなく到着した徳島行きの普通列車に吸い込まれた。7時31分発車。線路は再び内陸に入り、7時48分着の牟岐で高校生の多くが下車すると車内は閑散とした。8時03分に終点の阿波海南で列車から降りたのは5人ほどだった。


 ここまで来たのにもまた理由がある。
 2020年まで、JR牟岐線の終点は阿波海南のひとつ先、海部だった。海部からは第三セクターの阿佐海岸鉄道阿佐東線がさらに2駅先の甲浦まで伸びている。ここも私は1995年に乗車している。この路線は、甲浦から室戸を経由してと高知と結ぶ壮大な計画線だったのだが、この先の工事は凍結され、阿佐東線は行き止まりの閑散路線となった。開業当時から厳しい経営が予測された阿佐東線の2019年度の輸送密度は、開業時の3分の1、135人/km/日まで減少している。


1995021002 Dscn19432 
 並みの路線ならば命脈尽きて廃止、となるところだが、阿佐海岸鉄道は、JR北海道が研究・実用化を目指していたDMV(デュアル・モード・ビークル)の導入に活路を見出すことになった。線路と道路を両方走れる車両を導入し、鉄路のないエリアへの直通運転をおこなうことで利用の拡大を目指すものである。本家のJR北海道は、経営悪化による「選択と集中」の結果、実用化を断念したが、その技術は遠く離れた徳島県で花開くことになったのである。


 線路・道路の接続地点には新たに信号場とモードチェンジ設備を導入する必要がある。ところが、阿佐海岸鉄道は、海部・宍喰・甲浦とすべての駅が高架上にある。
 終点の甲浦は、駅の南側にスロープを設置して線路と道路を接続した。一方、海部駅は周辺の状況からスロープの設置が難しいため、接続地点は1駅手前の阿波海南に設けられることになった。これにより、JR牟岐線の阿波海南-海部間1.5kmが、JR四国から阿佐海岸鉄道に移管され、2020年から運休してDMV導入に向けた工事が始まった。


Asakaigan  阿佐東線がDMVに衣替えして新装開業したのは2021年12月のことである。阿波海南-甲浦間の阿佐東線の営業キロは10.0kmで、DMV化前と変わらない。ところがよく見てみると、阿波海南-海部間は1.4kmと0.1km短くなり、宍喰-甲浦間は2.5kmと0.1km逆に長くなっている。
 この事実に私が気付いたのは2023年初めのことである。鉄道と道路のモードチェンジがおこなわれる阿波海南信号場・甲浦信号場が、いずれも駅の南側に新設された結果、見かけ上、阿佐海岸鉄道の鉄道としての区間が全体的に南へ0.1kmずれた形になったのである。


 もとより、海部・宍喰の2駅はDMV化前の駅ホームをそのまま流用しているから、両端の区間だけ営業キロが変更になったわけだが、このことは、1995年に私が乗車済みである阿波海南-海部間のうち0.1kmが廃止され、阿佐海岸鉄道阿佐東線が南へ0.1km延長された分が未乗区間となったことを意味している。


 私が九州・中国と駆け巡った挙句に四国のここまで流れ着いたのは、DMVそのものに興味があったことももちろんではあるが、この0.1km区間を成敗するためなのである。今回は、西九州新幹線を除けばそんなところばかりを目指してきた。非鉄系の方々から見れば実に馬鹿馬鹿しい話であるが、誰にも理解されなかろうと、これが乗り鉄たる私の矜持である。


 続く。



ランキング参加中です。みなさまの「クリック」が明日への糧になります。よろしかったら、ポチッとな。

にほんブログ村 鉄道ブログへ にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ 鉄道コム

| | | コメント (2)

2024/07/07

2023 いい日旅立ち・西へ【22】芸備線から伯備線、そして一気に四国まで

 前回の続き


Dscn5812 Dscn5811 
 備後落合駅に集った3本の列車は、いずれもキハ120形ディーゼルカー1両だが、芸備線三次方面が広島、新見方面が岡山、木次線が出雲と担当が異なるため、それぞれに違う塗装をまとっている。芸備線新見行きはオレンジと赤の帯を巻いた「岡山色」である。
 この普通列車で備後落合に別れを告げる。この先再度訪れる機会があるかどうかはわからない。木次線が存続を巡って揺れていることは前回書いたが、備後落合を挟んだ芸備線・備後庄原−備中神代間もまた存亡の危機にある


 JR西日本が公表した2022年度の平均通過人員によると、備後落合−東城間は20人/km/日とJR西日本で最も低い。東城-備中神代間も89人と100人に満たない。備後庄原−備後落合間が75人、木次線の出雲横田−備後落合間が54人と、3方向いずれも惨憺たる成績である。このままでは10年後には備後落合駅自体が鉄道路線図から消滅する可能性もある。陰陽連絡の拠点としての過去は儚くもかすみつつある。


Img_5745 Dscn5817 
 新見行き普通列車には10人ほどの乗客があるが、いずれもその筋の人で、地元客と思われる人の姿はない。28年前にタクシーを呼んだ小奴可、立派な駅舎を持った東城と、比較的まとまった集落での乗り降りもゼロである。備中神代から伯備線に乗り入れて、16時02分、新見に到着。昭和の香りがぷんぷんとする駅舎を出ると、また霧雨が降っていた。


Dscn5822 Dscn5823 
 16時38分発の岡山行き特急「やくも22号」は、定刻より5分ほど遅れて到着した。自由席は半分以上が埋まっており、通路側の席を確保して、しばし睡眠にあてる。
 381系元祖振り子式電車のデビューは、半世紀前の1973年である。第1陣の中央西線「しなの」からはもう20年以上前に引退し、後継の383系電車も置き換えが決まっている。1982年の伯備線電化時に増備された車両が中心の「やくも」も40年選手で、国鉄型特急電車最後の定期運用となっていたが、今年春には新型車両に置き換えられて、先日、定期列車から引退したところである。


Dscn5825 Dscn5826 
 終点の岡山にはやはり遅れて17時45分頃着。あわよくば乗り継ごうと思っていた17時42分発の快速「マリンライナー51号」には間に合わず、18時12分発の後続「マリンライナー53号」に乗って瀬戸大橋を渡り、19時11分、高松着。19時17分発の徳島行き特急「うずしお27号」に乗り継ぐと、わずか2両の列車は、16席だけの指定席を除く自由席は通勤客でほぼ満員である。途中駅での下車が想定以上に多く、20時27分に徳島に着く頃には乗客は半分以下になっていた。


Dscn5827 Geibishikoku 
 もう時間も遅く腹も減っているが、もう一息。徳島20時30分発の阿南行き普通列車で先へ進む。芸備線以来のキハ47形2両編成である。初日から毎日、どこかでキハ47形が現れる。最終製造が1981年だからもう40年以上が経過しており、JR東日本・JR東海ではすでに全車が廃車となっている。JR西日本以西の3社では経年の高い車両から徐々に置き換えが進んでいるものの、まだ健在である。
 車内は、意外と言っては失礼だが、この時間にしては混雑している。徳島県の人口は約71万人で、その3分の1超の25万人が徳島市に集中しており、人口7万人弱の阿南市がそれに次いでいる。


Img_5748 Dscn5829 
 21時14分着の阿南駅に降り立つ。28年ぶりの駅舎は橋上型の立派なものに建て替わっていた。ホテルまでは徒歩10分ほどで、小さな居酒屋がぽつんぽつんと店を開けている寂しい通りを抜けていく。県道との交差点近くに「コメダ珈琲店」の看板が見えたが、夕食をとりに入る気分でもない。近くのコンビニエンスストアで弁当を物色してホテルにチェックインし、テレビをかけ流しながらぼんやりと食事をとった。明日の朝も早い。


 続く。



ランキング参加中です。みなさまの「クリック」が明日への糧になります。よろしかったら、ポチッとな。

にほんブログ村 鉄道ブログへ にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ 鉄道コム

| | | コメント (2)

2024/06/30

2023 いい日旅立ち・西へ【21】「奥出雲おろちループ」と木次線

 前回の続き


Dscn5764 Kisuki 
 駅前で少し待つと、「奥出雲交通」の文字をまとったワゴン車がやって来た。12時53分発の八川線・三井野原行きのバスである。車内には誰も乗っておらず、乗車したのも私一人だけ。運賃は1乗車200円と安い。民間資本も入っているが実質奥出雲町営のようである。
 小さな車内にはアナウンス放送もなく、次々と停留所を通過していく。乗客の気配はない。運転手によると「おろち号の運転日はそれなりに乗客もいたんですがねえ」とのこと。20分ほどで国道314号に張り付くように立つ出雲坂根駅前を通過し、「奥出雲おろちループ」へ向かう。


Dscn5783 Dscn5775 
 トンネルを抜けると、バスは緩やかに左カーブを描きながら、道路の下をくぐる。さらに一つトンネルを抜けると、先ほどの道路をまたぐ。右側にかすかに木次線の線路を望み、「道の駅 奥出雲おろちループ」をやはり乗客なく通過し、線路からもくっきりと見えた赤い三井野大橋を渡る。木次線はこの区間を大きな迂回と三段式スイッチバックで抜けたが、こちら国道314号はぐるりぐるりと円を2回描いて同じ標高差を登ったことになる。


Dscn5779 Dscn5778 
 13時22分、三井野原駅入口で下車。木次線の列車は八川から出雲坂根を目指して登っている頃である。列車なら15分あまりかかる出雲坂根-三井野原間を、バスは6分ほどであっさり駆け抜けた。民家のような瓦屋根の三井野原駅で、40分後にやってくる備後落合行きの列車を待つつもりだったが、時間をつぶすには、スキーのオフシーズンという条件を差し引いても、三井野原駅周辺はあまりにも何もなさ過ぎた。営業開始までまだ間のあるスキー場のゲレンデにはフィルムをはがしたパイプハウスが立っており、駅周辺のレストハウスと思しき店も当然のように休業である。


 居場所がない感じで外に出てふらふらしていると、先ほどのバスが戻ってきた。駅の少し先にある集落まで行って折り返してきたらしい。13時22分発のそのバスに乗り、再びおろちループを抜ける。今度も客は私一人である。


Dscn5790 Dscn5795 
 13時33分に出雲坂根駅前に着くと、備後落合行きの列車がちょうど入ってきたところだった。出雲横田で21分停車し、タラコ色の1両を切り離して1両編成でやって来た列車は、運行終了前の「奥出雲おろち号」との行き違いがあった関係で出雲坂根でも18分停車する。
 何人かの乗客が、出雲横田で消えたはずの私を見て不思議そうな顔をしている。彼らが列車に乗り続けている間に、私は「奥出雲おろちループ」を1往復してきたのだぞ、と自慢したくなる。


Dscn5794 Dscn57912 
 出雲坂根駅は、三段式スイッチバックとともに、「延命水」と呼ばれる湧水でも知られている。泉源が駅構内にあり、28年前に来た時には宍道方面行ホーム上で湧水が飲めたのだが、自動車での来客が増えたために駅舎の横に取水場所を移したらしい。道路を隔てた下にも取水場所がある。列車の乗客も、待ち時間の間にのどを潤している。


Dscn5798 Dscn5810 
 13時50分、発車。再び三段式スイッチバックを抜けて出雲坂根の駅舎を上から望み、さきほど往復した「奥出雲おろちループ」を眺めながら、何もない三井野原を過ぎ、14時33分、備後落合に到着した。この時間は木次線・芸備線新見方面・三次方面の3方面の列車が一堂に会する、山峡の閑駅唯一の「ラッシュアワー」である。木次線からの列車の乗客は、半々ほどの割合で三次方面・新見方面に分かれて向かう。


 JR西日本でも一二を争う閑散線区の木次線は、2022年度の平均乗車人員が全区間で171人/km/日。出雲横田-備後落合間に限ればわずか54人/km/日である。JR北海道ならとうに廃線になっている。もともと薄かった陰陽連絡の役割は、広島方面との直通急行が廃止になった時点で消え、国鉄末期の廃止を免れた理由である「並行道路が未整備」も、1992年の「奥出雲おろちループ」開業をはじめとする道路整備の進捗で、その大義名分を失って久しい。「奥出雲おろち号」に代わって今春走り始めた観光列車「あめつち」は、出雲横田-備後落合には入線しない。


 先日、JR西日本はこの区間について、「地域の利用実態に応じた持続可能な交通体系を地元と相談したい」との意向を表明した。廃止を前提としたものではないと強調しているが、額面通りに受け取る人は少ないだろう。地元自治体は警戒感をあらわにしている。
 なお、私が今回実行した「出雲三成(列車)出雲横田(バス)三井野原(バス)出雲坂根」の往復堪能コースは、今年春のダイヤ改正で列車の出雲坂根停車時間が短縮されたこと、木次線ダイヤの修正に合わせてバス時刻が改正されたことから、現段階では成立しない。もし同じことを考えた人がいたとすれば、ご注意いただければ幸いである
 


 

にほんブログ村 鉄道ブログへ にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ 鉄道コム

| | | コメント (2)

«2023 いい日旅立ち・西へ【20】出雲三成の「奥出雲そば」