日常の旅人

2026/02/01

大雪狂騒曲【1】

 本来なら先週の日曜日には、秋の旅の記事をアップするつもりでいたのだが、ニュース等での報道のとおり北海道、特に札幌近郊はなかなかひどい状況になっていて、私も少なからずそこに巻き込まれることになった。


 予兆はあった。さかのぼること2週間、1月とは思えない暖かな日が続いた岐阜の実家に帰っていた私は、1月20日朝、搭乗する予定だった中部国際空港17時発のJAL3117便が、北海道の暴風雪予報のあおりで欠航との情報を受け、泡を食って空きのあった13時20分発のJAL3107便に予約を変更した。この便とて状況によっては羽田空港に着陸するとの条件付き運航であったが、天気が相手では気を揉んでも仕方がない。私は当初予定より3時間早く、10時前には実家を出た。普段なら使わない特急「しなの」まで使い、名鉄「ミュースカイ」の乗り継ぎのために階段を奪取し、かつ実家から最寄り駅までの絶妙なバスがあれば、実家から空港までわずか1時間半でたどり着けることを初めて知った


 結果的にJAL3107便は羽田へ引き返すこともなく、ほぼ定刻の15時には新千歳空港に到着。暴風雪の懸念も杞憂に終わったのだが、翌21日、発熱のため学校の寮を追い出された下の坊主が、インフルエンザB型のおまけとともに自宅へ戻ってきた。22日から26日まで、今度は嫁が所用で東京・大阪へ行くことになっており、自宅で一人悠然と週末を過ごす予定だった私の計画は脆くも崩れ、古い友との飲み会の予定もキャンセルせざるを得なくなった。


Img_6995  そして日曜日の朝である。前日までかすかにアスファルトの色が見えていた自宅の駐車場には、長靴の深さほどの白い雪が積もっている。自分一人だったら昼頃からのんびり除雪をするところだが、復調した坊主を旭川へ送り返すためにはまず車で札幌駅まで送らなければならない。すでに午前の時点で、道央自動車道は新千歳空港-札幌-江別東間で通行止めになっており、JRも無ダイヤ状態になっていた。高速バスの運休情報は出ておらず、とにかく早めの便に乗せるのが必要と、私はあわただしく除雪をして坊主を乗せて自宅を出て、途中昼食をとりつつ札幌駅へ向かった。


Img_6997  ところが市内中心部に近づくにつれて、さほどでもなかった雪の降り方が激しくなり、道路の状況が一変した。除雪が間に合わない道路は車線が狭まり、残った部分も車が踏み固めた雪でボコボコのガタガタである。トラックがそこらじゅうでスタックして動けなくなっている。
 14時近くに札幌駅に到着すると、無情にも午後の高速バスは全便運休が決まったとの情報。JRも運休列車が続発しており当てにならない様子である。あとは今日中の帰寮を断念するか、そのまま車で旭川まで向かうかの二択しかなくなった。市内の状況を見る限り、普段なら1時間足らずの江別東インターまでどのくらいかかるか予想もつかないが、ともかく行ける所まで行ってみようと画策した。


Img_7001  旭川方面への国道12号を敬遠して、南郷通から国道274号経由で北広島市・南幌町を経由するルートをとったのだが、私の車は16時になってもまだ地下鉄南郷18丁目駅付近をのろのろと走っていた。2時間かけて10km進んでいない。ボンネットの上には10cm近く雪が積もっている。そこからさらに1時間かけ、17時ごろにようやく札幌市を抜けて北広島市に入ったが、国道274号も車の流れはきわめて遅い。ここまで来ると、引き返そうにも反対車線も同様の状況を呈しており、家に帰るのにもまた3時間かかったりするのだろうと思うと、この際意地でも旭川までたどり着いてやろうという気持ちになる。


 北広島市の市街地の手前で国道を外れるとようやく交通量が少なくなり、南幌町に入る頃には雪もほぼ止んでいた。結局江別東インターから道央自動車道に乗ったのは18時30分過ぎ。札幌駅から4時間半を要した。19時過ぎ、岩見沢パーキングエリアで休憩。駐車エリアには道北バスの「高速なよろ号」が休憩中。喫煙所にいた乗客に話を聞くと、札幌発14時10分の便とのこと。おそらく国道12号を走って来たと思われるが、ちょうど私たちと同じくらいの時間を要してここまでたどり着いている。要はどこを走っても同じ状況だったということである


 そこから先の高速道路は、路面のアスファルトも出ていてすこぶる快適だった。普段ならこの時期、しばしば吹雪で通行止めになったり視界が遮られる美唄付近は、この日は速度制限すらかかっておらず、結局高速道路に乗ってから1時間半弱で旭川鷹栖インターまで到達した
 晩飯を食わせて坊主を寮まで送り届けたのが20時40分頃。これから札幌へ戻る。この時間になっても江別東インターから先、札幌方面への高速道路は通行止めが続いており、帰路はいくらか交通量も減っているだろうと踏んで、岩見沢インターで高速道路を降り、国道12号を走った。


 岩見沢市から江別市に入ると一気に雪の量が増え、路面状況も悪くなった。市街地を抜けたあたりから札幌市内に入るまで断続的に渋滞に見舞われたものの、交通量はさすがに減っており、約3時間、23時40分頃には南区の自宅に帰り着いた。ものの1時間ほどで坊主を札幌駅まで送り届けて戻るつもりが11時間のロングドライブになった。途中の雪の降り方や道路状況からして、私が不在の間にどれほどの雪が降ったものかと戦々恐々としていたが、自宅前を覆う雪は10cm足らずで、私は30分ほどでその雪を片付けて家に入った。翌日は仕事だったのだが、家では洗濯や掃除など、やらねばならないことが待ち構えており、布団に入るまではさらに2時間ほどを要した。


 この日の降雪は札幌市の中央部から北部・東部と周辺の市に集中しており、次回詳しく書くが鉄道・バスの混乱はその後もしばらく尾を引いている。飛行機の便も当日から翌日にかけて相当乱れた。前週の私と同様、26日の月曜日に大阪から帰ってくる予定だった嫁の搭乗予定便も当日午前に欠航が決まり、翌日1席だけ残っていた関西空港発の便をかろうじて押さえられたと連絡がきた。私の独身のんびり時間は坊主の発熱と予期せぬドライブと全身疲労のために消費され、さらに無駄に1日伸びることになった



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2025/12/29

2025年の鉄道と私

 札幌では12月に入ると、最高気温は5度を下回り、日に日に寒さが増していくのが常なのだが、12月1日に10月下旬並みの14.7度を叩き出すなどおかしな天気が続いている。8日から14日にかけて、この時期としてはまとまった降雪があり、気温もぐっと下がって、札幌市内の積雪は一気に平年の倍以上、48cmまで増えたのだが、その後再び気温が上がり、積雪は15cmまで減った。
 そうかと思うと、26日夕方から27日午前にかけて、旭川市では猛吹雪となり、12時間降雪量は過去最大の36cmに達した。私はこの日、旭川の寮で暮らす下の坊主の回収に旭川へ行っていたのだが、深夜、飲み屋街から宿泊先のホテルまでの間であやうく遭難しかけ、翌朝はタイヤの3分の2ほどまで雪の中に埋まった車を掘り出すのに難儀した。

 そんな2025年もまもなく暮れようとしている。今年は鉄道路線の改廃については比較的動きの少ない年ではあったが、新たに2つの路線が開業している。
 ひとつは、先般惜しまれつつ閉幕した大阪・関西万博の会場への輸送機関として大活躍した、大阪メトロ中央線・コスモスクエアー夢洲3.2kmである。もうひとつは、広島電鉄の路面電車をJR広島駅ビルへ乗り入れさせるための、広島電鉄本線・(新)広島駅ー稲荷町0.6km、皆実線・稲荷町ー比治山下0.6kmである。


 新しい路線の開業は非常に喜ばしいことであり、お祝いに駆けつけなければならない。また同時にそれは、7年前に鉄道全線を完乗した自分にとっては、その栄誉を保持し、「きれいな体で年を越す」ための必須条件となっている。もともと経済的な事情から、私の鉄道旅行は1年に1回か2回の制約を受けているが、ここ7年間はこのために行先まで制約を受けるようになった。限られた自由時間であるはずの旅の目的とはいささか矛盾しなくもないが、鉄道だけにこだわらない旅の楽しみ方を少しずつ覚えてきたこともあり、そのこと自体はあまり苦になるものではない。


 私は今年の2月に部署異動があり、もともと高かった精神的負荷が倍増どころでは済まない業務を受け持つことになった。夏から秋にかけてはメンタル不調の淵を断崖の上から覗き込むにまで至った。本来ならまとまった休みを取って、さっさと旅に出るのもよいのだが、いっときはそういう気分もやや喪失気味であった。せめて出張の機会くらいあれば気分転換にもなるのだが、その機会さえめっきり減り、2月以降、一度だけ東京に1泊出張したのを除くと、仕事における私の行動半径は、会社から1.3km圏内をはみ出すことがない状況にあった。そのこともストレスに輪をかける、大変良くない状況となっていた。


 そうは言ってもやはり「きれいな体」で年を越したいという思いはあり、タイミングと行程をいろいろと考えるうち、今年が我が家の結婚25周年に当たることに気が付いた。一緒に暮らせばいろいろと不満も多い相手ではあるが、四半世紀にわたって至らぬ自分を支えてもらったことについては感謝せねばならない。


 一方で、嫁は私と「鉄道旅」をすることを好まない。一度、札幌から岐阜の実家に一緒に帰る際、夜行急行「はまなす」~特急「白鳥」~「こまち」~「ひかり」で、約20時間かけて地べたを這って帰ったことがあるが、この時嫁に「二度とあなたとは列車で旅しない」と言われた。その数年後、上の坊主が嫁のお腹の中にいた時に、まだ始まったばかりだった飛行機の「バーゲンフェア」を使い、2泊3日で長崎・別府を回った。嫁は「白いかもめ」に感動し、「ゆふいんの森」に感激したものの、ハイパーサルーンには興味を示さず、元祖「ソニック」に至っては「座り心地が悪い」と酷評であった。この分野において、全く興味のない人と価値観を分かち合うのは非常に難しい。


 それでも、こういう機会は滅多にないことでもあるし、私はとにかく大阪の3.2kmと広島の1.2kmだけが片付けば、極端な話、後の部分はどうなってもかまわない。同行の意思を確認してみると、嫁から「尾道に行ってみたい」という発言が出た。これは決行のサインである。
 他に行きたいところは、と尋ねれば、とくにこれといった希望はなさそうであったが、あとは私の独壇場である。私の趣味の要素をいくらか交えつつも、今回はむしろベタに観光することにしてコースをつくり、きっぷを手配して、11月、旅立つことになった。
 以下、当ブログとしては大変珍しい、嫁とのふたり旅の記録である。


 とりあえず年内の更新はここまで。皆様、今年も大変お世話になりました。



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2025/03/24

雪との戦い、パソコンとの戦い

 この冬、札幌では、年明け以降積雪量が平年を大きく下回る状況が続き、札幌市中心部の1月の降雪量は、平年と比較して57cmも少なかった。それでも月間で80cmは降っており、中心部から離れた我が家の場合はこれよりもう少し多くなるのだが、それでも除雪の肉体的負担が例年と比べて軽くなっているのは間違いなかった。


 ところが、2月10日以降になって急に降雪量が増えた。私は2月7日から11日まで岐阜の実家に帰っていたのだが、帰りの飛行機は新千歳空港の吹雪のため欠航含みの状況になった。幸い、新千歳からの折り返し便は3時間遅れで到着し、私の搭乗便も同じく3時間遅れて無事新千歳空港に着いたのだが、自宅に帰るとわずか4日の間に30cm以上の降雪があり、除雪後の雪山がうず高くなっていた。2月下旬になると積雪量は平年値を上回った。それでも比較的軽い雪がコンスタントに降っているうちは、除雪作業もさほどのことではなかった。


 3月になって気温が高くなり、意地の悪いことに週末になるとまとまった雪がドカッと降るようになった。この時期の雪は重い。それがひと晩の間に20cmとか30cm積もる状態が3週間ほど続いた。その結果、私の休日は数時間にわたって拘束され、体は悲鳴を上げることになる。
 今週末は幸いさほどの降雪はなく、気温も上がったために道路の雪解けは進んだ。その代わり、駐車場や道路に残った雪をよけてやらないと、シャーベット状になって走りにくく、夜間に気温がマイナスまで下がるからおかしな形で凍って走るのも歩くのも一苦労になる。


 そういう状況で疲労が蓄積したところに、先週日曜日、急に自宅のパソコンが不調を来たした。スイッチを入れると、windowsマークの下で白い輪っかがくるくると2回ほど回って画面が真っ黒になる。何度やっても同じ状況である。緊急避難で「セーフモード」で起動すると、こちらは何とか立ち上がる。


 私のパソコンはいわゆる「自作機」である。もう今から四半世紀前に最初に購入した時、パソコンに強い友人がいて、今後の拡張性のために自作がいいと勧めてくれたものである。以来、一定期間ごとにパーツを入れ替えながら現在に至っている。パーツの故障や、パーツ間の「相性」でしばしばトラブルが起こるため、ある程度のトラブルの修復には慣れていたつもりだった。けれども、ここ5年ほどパーツの入れ替えをしておらず、動きも安定していたために、久々のトラブルで手順を踏み誤った


 画面が映る、映らないのトラブルだったのだから、私はまずディスプレイかグラフィックボード(ディスプレイに映像を映すためのパーツ)の不良を疑うべきだったのである。それなのに私は真っ先にシステム自体のトラブルを疑ってしまい、何度も同じ症状を繰り返した結果を踏まえて、OS(windows10)を再インストールする、というところから入ってしまったのである。しかし、結果は同じで、やはり立ち上げると同じ症状が繰り返されるだけであった。


 私が「ひょっとしてディスプレイ側の故障では?」と疑うに至ったのは、その翌日であった。試しにDVI-DケーブルでつないでいたものをHDMIケーブルに取り替えてつないでみると、それまでが嘘のようにwindowsの画面がディスプレイに映し出された。1日かけてOSの再インストールをした作業はほぼ無駄になったようである。おまけに、OSを再インストールすると、個人用のファイルはそのまま保管することが可能だが、パソコン上に置いていたさまざまなアプリケーションは消えてしまう。それを再びかき集めてパソコンに再度インストールしていく作業が生じる。


 不調の原因がディスプレイなのかグラフィックボードなのかはわからないが、少なくともHDMI接続すれば普通に使えることはわかった。ただ、私のパソコンのモニターのHDMI端子はDVDレコーダーとつないでTV兼用になっており、こちらが使えなくなると少々具合が悪い。悩んだ結果、HDMI端子が2つ以上ついたディスプレイに買い替えることにした。今のディスプレイは、もはやディスプレイ製造から撤退した三菱電機の品物で、もう14年使っている。当時より少し大きく、機能も少しいい程度の商品なら2万円台で十分手に入る。ネットでポチっとした商品が届いたのが日曜日。ようやく一息つPCの前に座っていられるようになった。


 これがブログの更新が2週間開いてしまった理由である。
 スマホで更新することも可能だったのではないか、と言われればそれまでなのだけれど。



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2025/01/06

2025 あけましておめでとうございます。

 ご挨拶が遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。
 本年も変わらぬお付き合いのほど、よろしくお願い申し上げます。


 この年末年始は、久しぶりに家族で岐阜の実家へ帰省した。
 わが社の仕事納めは12月30日なのであるが、月曜日にあたるその日はお休みをいただき、旭川から帰っていた下の坊主と嫁を伴い、飛行機で中部国際空港へと飛んだ。その日の夜には大阪から上の坊主も合流し、1月4日まで滞在した。


 子供の受験やら何やらで、ここしばらくは札幌で年を越すことが多く、家族そろって岐阜で年末年始を過ごすのは7年ぶりであった。実はその間、2020年から21年の年末年始にもその予定はあったのだが、新型コロナの影響で見送らざるを得なかった。自粛と緩和が繰り返されていた中で、ちょうどいくらか緩和の時期に入っており、「Go To トラベル」を活用して航空券とプチ旅行の宿泊予約までしていたのだが、父の体調不良も重なって、万一のことがあってはまずい、となったのである。皮肉なことに実家に私たち家族が揃うのはその4か月後、父の葬儀の時となった。


 それから4年が過ぎ、新型コロナが掻き回した生活はほぼ元通りになった。その一方でコロナの感染は今も続いており、加えてインフルエンザも猛威を振るっている。実家に集まる予定だった妹家族も、子供三人のうち一番下の男の子がインフルエンザに感染して自宅謹慎となり、妹と子供二人だけが1月1日・2日にやって来た。それでも普段母がひとりで住んでいる家に計8人が集まり、ひとしきりにぎやかな時間になったのは、ちょっとした親孝行になったかな、と思う。


 私の子供の頃からの風習であるが、1月2日の朝は、自然薯をすりおろしてとろろを作り、家族みんなで食べるのが決まりごとになっていた。すりおろしの作業は代々男子の仕事で、普段は仲が良いとも思えない父と祖父が共同作業でそれをやっていたのは今も覚えている。
 家族が少なくなり、そして自然薯自体が希少品になった最近は途絶えていたらしいが、8人も集まれば伝統行事は復活せねばならない。とはいえ、作業の中心だった男手二人はすでに亡く、言い出しっぺの私が作業にあたることになる。貴重な男手である坊主二人には、前夜、明日は早起きするように、と申し伝えてあったが、予想どおり布団の中から出てくる気配はなく、母と私の二人作業となった。


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 地元名産であるすり鉢の中で自然薯をおろし、擂り粉木で粘りがMAXになるまで時間をかけて擂る。玉子を落としてさらに擂り、だし汁で薄めていく。ご飯にとろろが浸透していかない程度の濃さまで薄めていくのが我が家の流儀で、最終的には元の芋の倍以上のボリュームになる。ここまで作業時間はおよそ1時間である。


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 家族の人数が多いため、炊飯には久々にガス釜が活躍した。最大8人家族だった我が家では、毎朝常に7合から8合のご飯をガス釜で炊いていた。今となってはこんな機会でないと登場場面はほとんどないようだが、私が物心ついた頃から存在したものが今も現役で働くのは感慨深い。絶妙の火加減で炊かれた北海道産「ゆめぴりか」は、白飯だけで食べてもふんわりとして非常においしいけれど、長芋とはちょっと違う土くさいコクのある自然薯のとろろとの相性は抜群であった。



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2024/11/04

ひそやかなる楽しみの果て その2

 衆議院議員総選挙から1週間あまりが過ぎた。結果は、自民・公明を合わせて過半数を割り込むという、与党に対して相当厳しい結果となった。小選挙区制を基本とする日本の衆議院議員選挙においては、今の制度が導入されて以降、これまで与党か野党、いずれかに「過振り」する傾向が顕著だったが、今回、比較第1党と第2党がかなり接近するという状態になったことは非常に興味深い。与党はダメ、けれども野党も全面的に頼りにするには足りない、という状況を如実に表した結果だということができるだろう。


 この選挙の結果についてとやかくいうつもりはないが、毎回恒例、私は今回も投票が締め切られる午後8時をもって一斉に各テレビ局が報じる議席予測の精度を調べていた。普段ならばテレビのチャンネルをいじりながらすべてをメモするのだが、今回は諸事情で自宅にいなかったため、BDレコーダーとリアルタイム配信を駆使しての調査である。

【各局の午後8時段階の議席予測と最終結果】
  自民 公明 立民 国民 維新 共産 れいわ 社民 参政
NHK 153-219 21-35 128-191 20-33 28-45 7-10 6-14 1 0-4  
日テレ 174 24 157 28 37 10 15 1 3 16
(115-236) (19-32) (110-206) (15-42) (25-55) (6-17) (2-17) (0-2) (0-4) (11-18)
テレ朝 200 27 142 27 35 8 8 1 3 14
テレ東
184 25 161 27 36 9 7 16
(154-225) (21-30) (127-188) (22-30) (25-41) (7-10) (7-9) (12-19)
TBS 181 27 159 27 35 10 7 1 3 15
フジ 184 25 161 27 37 9 8  
結果 191 24 148 28 38 8 9 1 3 15

 赤字はピタリ賞、青字は10議席以上外したところを示している。また、前回の全局揃って討ち死に状態を反省したためか、NHK・日本テレビに加えて、今回はテレビ東京も予測幅の提示を始めている。選挙結果は3局とも予測レンジの中に収まっており、いずれも前回ほど手ひどく外した印象はない。


 今回は各局とも「自民・公明合計で過半数割れ」という見方は一致しており、数字の差こそあれ結果とも合致している。議席を伸ばす党、減らす党の振り分けもぶれていない。ただ、このあたりが非常に興味深いところなのだが、今回も前回と同様、どちらかというと「右寄り」の報道の多い局が自民党の議席数を低く見積もっている傾向がみられる。


 議席予測は、世論調査の動向や、期日前投票や当日の出口調査の結果などをもとに、各選挙区の動向をもとに分析して求められるという。今回は、与党第1党・野党第1党ともに党首が交代して状況が読みづらく、野党候補の乱立、選挙日直前の「2,000万円問題」による投票行動への影響など難しい状況が重なった中で、比較的精度としては高かったように思う。それでも結果は御覧のとおりで、数字をピタリと読み当てることが非常に困難であることを証明している。


 「当選確実」の報道も然りで、各局がそれぞれの情報分析をもとに「当確」の報道をするわけだが、このタイミングについても数時間単位で各局の間に差があった。当の候補者たちがどのタイミングで「バンザイ」をするかというと、たいていはNHKが当確を報じたあとであると聞いた。拙速な報道は信用を与えないのである。もっとも、私は過去に(といってもずいぶん昔のことだが)、NHKが当確を打ち出した後でそれをひっそりと取り消すという場面に遭遇したこともあるので、正直あまりお好きでない候補者に当確が出ると、誤報であってくれ、とけしからん願いをかけることもないわけではない。


 前回私は、この議席予測について、「あくまで予測である、と言われてしまえばそれまでだが、お詫びをしろとまでは言わないものの、ここまで大きく外したことに対するコメントが聞かれないのが不思議である。」と書いたが、その思いは変わらない。数字の打ち出すインパクトは大きいが、私たちが知りたいのは大枠での結果がまず第1であって、当たらない予測数値ではない。私の楽しみは半減するが、それでも全く構わない。お祭り騒ぎのような選挙バラエティをみんながみんな繰り広げる必要はない気がする。世の中には選挙が終わってしまえば日本シリーズの結果が気になった人も多かったはずで、某局は中途半端な二元中継などするくらいなら、選挙結果はテロップ表示で十分だったのではないだろうか、とも思う。


 あくまで私見です。


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2024/08/14

流行遅れの。

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 私の会社は、仕事の性質上、お盆のまとまった休みは設定されていないが、今年は周囲の協力もあり、短い盆休みと有給休暇を組み合わせて1週間の休みをひねり出した。これを使って、大阪の坊主のところと実家に顔を出してくる予定であった。お盆に実家に帰るなど、十数年ぶりのことである。久しく会えていない友人たちに会うこともできる。


 はずであった。


 8日までびっちり仕事をこなし、自宅に帰った私は、その夜、寝苦しさで目が覚めた。札幌でもこのところ気温の高い夜が続いている。そのせいで深夜に目が覚めることもしばしばであったが、この日は少し様子が違った。全身にだるい感じがある。熱を測ってみると37度8分。それが朝を迎える頃には38度5分まで上がった。自宅にあった、少々期限の切れた新型コロナウィルスの抗原検査キットでテストしてみると、説明書に書かれた15分を待つまでもなく、陽性を示すラインがくっきりと浮かび上がった


 これまで家族がかかってもぴんぴんしていた私だが、疲労がウィルスを受け入れやすくしていたのか、いずれにしても5年目にして初めての新型コロナウィルス感染である。再流行中とはいえ、ずいぶん乗り遅れた初体験である。病院へ連絡すると、簡易検査で陽性だったことと症状から疑いの余地はなく、PCR検査は不要、重症でなければ高価な専用の薬も不要でしょう、とのことで、とりあえず出向いて症状の確認と薬の処方をしてもらうことにする。


 この間、当日乗る予定だった大阪・伊丹行きの航空券をキャンセルする。JAL・ANAの場合、感染症等の診断書を提出すれば無手数料で払い戻しを受けられるようだが、今回購入した航空券の払戻手数料は4,500円。診断書をもらうために検査を受ければそれ以上の金額がかかるだろうから、余計なことは考えず、粛々とキャンセル作業を進める。
 それから、当日から2泊する予定だった大阪の坊主への連絡と、3件の飲み会のキャンセルである。ここしばらく会っていない仲間とのものを中心に、楽しみにしていたものばかりであるが、これとて無理押しして周りに迷惑をかけるわけにもいかない。


 加えて、大阪から岐阜の実家へ向かうに際しては、少し遠回りをして、3月に開業したばかりの北陸新幹線・敦賀-金沢間にも足を記そうとひそかに考えていた。また、大阪でも、北大阪急行・千里中央-箕面萱野間が3月に開業しており、そこへも足を伸ばすつもりであった。してみると1週間の間にずいぶん盛りだくさんでいろいろしようとしていたわけだが、すべてパーである。


 不幸中の幸いといえば、規制のために休みを取っていたおかげで、仕事に突然穴をあけることにならなかったことだろう。だが昨年の旅行もそうだったが、今回も連続して日程の変更を余儀なくされ、払わなくてもよいキャンセル料を払って来た。ふらりと休みをとれるような仕事だったら最高なのだがそれほど高等な仕事ではなく、早割やバーゲンでなく通常運賃・料金でふらりと旅に出られるほど懐が潤っているわけでもない。仕方のないことだが、何のために仕事をしているんだろうなあ、という不毛な疑問だけが残る。


 私の初コロナは、幸い熱は11日の昼頃には平熱まで戻り、体のだるさも幾分取れて、咳が少し出る程度まで回復するなど、症状としては軽かったといっていいだろう。することのなくなった休みはあと1日である。



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2024/04/07

愛すべき怪物番組「笑点」への思い【episode-4】

 さて、今日はもうこの話しかないだろう(笑)


 私が物心ついた頃から、ずっと「笑点」で与太郎を演じ続けて来た林家木久扇師匠が、昨年夏の24時間テレビで勇退を表明し、放送歴58年を迎える怪物番組は、3年続けて大喜利メンバーが交代するという、かつてない新陳代謝を迎えた。

愛すべき怪物番組「笑点」への思い【episode-3】+α

 前々回、そして前回のメンバー交代は、幾らかのヒントがあり、しかも若手実力者の目星もある程度ついていたから、後任の推理も理論的にできた(外れたが)。今回は皆目見当がつかなかった。
 まず大前提として、木久扇師匠の与太郎キャラは誰がどうやっても引き継ぐことは不可能である。だとすればわざわざ息子に引き継いで世間の批判を浴びるのは政治家のようでつまらない。それに、与太郎に代わるポンコツキャラが定着しつつあることもある。


 所属団体については、前々回が三平(落語協会)→宮治(落語芸術協会)、前回が円楽(円楽一門会)→一之輔(落語協会)とあまり考慮されていないから参考にはならないが、人数のバランスからすれば落語芸術協会のメンバーが入ることは今回も考えにくい。となると、今回も「成金」メンバーが入る可能性は低く、私が前回予想した4人を軸に他の可能性も探ることになる。ここから絞り込むのは困難である。


 そろそろ女流、と考えれば、蝶花楼桃花師匠が筆頭候補だが、本人はわりと最近の独演会の制作発表会で強く否定していた。もっとも、宮治師匠も一之輔師匠も加入の際はかなり強い箝口令が敷かれていたというから、100%信用するわけにはいかない。ただ、女流だとしても、最近では林家つる子師匠とか立川小春志師匠とか元気のいい真打も増えてきている。そういうわけでいろいろ考えてはみたものの、しまいに面倒くさくなって考えるのをやめることにした。


 で、結果、新メンバーは立川晴の輔師匠となった。私が前回予想した5人のうちの一人であるが、正直今回はないと思っていた。なにしろまさかの落語立川流である。入るのならば前回、または前々回に入っていてもおかしくなかった。そういう意味では私は、「笑点」は立川流をメンバーに加えるつもりはないのだろうと勝手に合点していたのである。
 「笑点」を立ち上げたのは故・立川談志師匠である。けれどもブラックユーモア路線を走る談志師匠とそれ以外のメンバーとの対立によりメンバー総入れ替え、そして談志師匠の司会降板を経て、以降一門の落語家は笑点の大喜利メンバーにはなっていない。


 そうした中、立川生志師匠と晴の輔師匠が、「BS笑点」を中心に若手大喜利のメンバーとして、番組との縁を細くとも保ってきた。特に晴の輔師匠は、若手大喜利での宮治師匠との共演も多い。そして今回の起用である。司会を除けば大喜利メンバーは、落語協会2、落語芸術協会2、円楽一門会1、落語立川流1と、東京の4協会のメンバーが揃った。バランスもいい。ルックスも若々しくて良い。


 とはいえ晴の輔師匠は私と同じ1972年生まれ。「キムタク・マツコ世代」である。元気者の宮治師匠を最年少の位置に置いたまま、風貌フレッシュな先輩を新メンバーを入れたというのはなかなか絶妙である。私は高座を見たことはないが、立川志の輔門下で育てられた腕と実力は確かなものなのだろう。
 そして何より、私と同い年ということは、当然ながら私と同じ時代を歩き、同じ視線で「笑点」と触れ合って来た世代である。そういう人が大喜利のメンバーに座るということは、年齢や経験年数がさらに若い一之輔師匠・宮治師匠が加入した時とはまた違った、深い感慨と根拠のない期待感を私に与えてくれている。


 さて、56年の笑点出演歴を持って勇退した木久扇師匠。「新メンバーは誰ですか」との問いに「山田隆夫じゃないですか」とすっとぼけ、最終出演となった3月31日の最後には「また来週!」と大ボケをかましたと思いきや、新メンバーの案内役と称してちゃっかり今週も黄色い着物で登場するという、過去の勇退メンバーにはなかった離れ業を演じた。恐るべき与太郎、とてつもない人である。

 



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2024/01/04

2024年の始まりに。

 当ブログを訪問していただいたみなさま、あけましておめでとうございます。
 このところ毎年「今年はブログをまじめに」云々と書いては途中で実行不可能となることが続いておりますので、今年はあえて書きません。私も本業もあれば当面守らなければならない家族もあるもので、どちらが優先かと言われれば答えはひとつしかありません。
 「ブログは鉄道旅行の次。」今年もよろしくお願いします。


 さて、2024年はのっけから大災害・大事故で幕を開けることになった。
 1月1日は石川県能登地方で震度7を記録する大規模地震が発生した。時が経過するにつれて被害の状況が徐々に明らかになってきており、4日夜の時点で亡くなられた方は84名、安否不明の方も179名おられるという。発生から3日以上が経過し、今日も何度か震度4の余震が起こる中、捜索活動が続けられ、ライフラインを確保するために尽力している方々がいる。被災された方々にお見舞いを申し上げ、亡くなられた方のご冥福と、安否不明の方々の無事、捜索や救護活動に当たられる方々の無事をお祈りする。


 その被災地に救援物資を運ぶための海上保安庁の航空機と、新千歳発羽田行きJAL516便が滑走路上で衝突、炎上というショッキングな事故が発生したのが翌日のことである。海保機は原形をとどめないほどに損傷して乗員6名のうち5名が亡くなられたが、炎上して胴体部分がほぼ焼け落ちたJAL機の300名以上の乗員・乗客は、客室乗務員の適切な判断・誘導と乗客の協力により全員の命が守られた。35年前に多くの犠牲者を出した日本航空の安全教育が垣間見える出来事と受け止めたのは私だけだろうか。助け出せなかったペットの扱いをめぐっていろいろと議論が交わされているがここでは触れない。


 X(Twitter)やYahoo!のコメントなどを見ていると、断片的な情報から原因を特定しようとする動きに対して、偏った世論が形成される恐れをたしなめるようなポストが目立っているのが印象的である。双方の機体から回収されたボイスレコーダーやフライトレコーダーの解析、関係者の聴取が進めばいずれ原因は判明する。原因が特定できなければ対策は講じられない。
 ネット上では、原因特定によって「特定の人に責任を負わせてはならない」というコメントも多かったが、原因が絞り込まれてくれば誰も無傷ということにはならない。大切なことはその当事者になった人たちを「吊るし上げる」ことではなく真の原因究明に向けて「協力を求める」ことだと思う。事故を起こしたくて飛行機を操る機長も管制官も存在しない。現実に事故が発生したことで彼らはすでにとてつもなく重い責任と後悔を背負ってしまったであろうことは想像に難くない。


 私は正月早々、下の息子と某家電店の初売にまだ暗いうちから並んで目当ての品をゲットし、有料駐車場の機械トラブルで駐車料金がロハになったささやかな幸運から「今年はいい年になる」と根拠のない期待を呑気に抱いていた。けれどもそんな気分は最初の2日間の出来事で吹っ飛んだ。
 とにかく、今年はいい年になってほしい。これは希望である



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2023/08/28

愛すべき怪物番組「笑点」への思い【episode-3】+α

 夕方5時半になると反射的にテレビの前に座り、5チャンネル(STV=日テレ系)を入れるのが習慣になっている。昨日は年に1度の24時間テレビだった。昨今、24時間テレビを観ることなど稀になっているが、この時間チャンネルを合わせれば、生放送の「チャリティー笑点」の時間である。この中で、「大喜利終了後に木久扇さんから重大なお知らせがある」と聞いた瞬間、ああ、勇退だな、と直感したのは私だけではなかったと思う。



 人に寿命がある以上、長年続けてきた仕事でも退かなければならない瞬間は必ず訪れる。ここ何年かで「笑点」はそういう局面を何度か迎えてきた。桂歌丸さんは50周年の節目に自らその大役を降り、二代目林家三平さんは周囲から力量不足を指摘されその座を退いた。六代目三遊亭円楽さんは病に倒れてなお復帰を目指して懸命に戦ったがメンバーのまま昨年の秋亡くなった。
 こうした状況を見届けつつ、木久扇さんご本人が自身の進退についていろいろと考えたであろうことは想像に難くない。勇退時期を来年3月としたのも、円楽さんの急逝から新メンバーの決定までに半年余りを要したことが念頭にあったのだろうと思うし、笑点得意の情報の堅固なガードのためにも生放送となるこの日を発表日に選び、リード期間をみるという周到な準備もあったのだろうと思う。


 今日まで57年間にわたって続いている「笑点」だが、初代司会者である立川談志さんがブラックユーモア路線を目指したことで、番組開始から3年の1969年春に、それに異を唱えたレギュラー解答者が全員揃って一時降板し、メンバー総入れ替えとなった時期がある。五代目圓楽さんも歌丸さんも三遊亭小圓遊さんも出演しない「笑点」は視聴率の低下を招き、わずか半年間で本人の選挙出馬を理由として談志さんが降板、司会が前田武彦さんに交代して再度メンバーが大幅入れ替えとなった。この時、歌丸さんや三遊亭小圓遊さんの復帰とともに新メンバーとして加入したのが木久扇さんである。以来54年間の出演は、歌丸さんを超えて番組最長となった。


 笑点メンバーの人気は、そのキャラ付けの確立に比例するところがあるが、木久扇さんの与太郎キャラは他の追随を許さない。54年間これを一貫して演じ続けてきたということは意義深い。そのキャラクターの周辺を、売れないラーメン屋、答えを客に奪われる、いやんばかーん、ミネソタの卵売り、宇宙人ぼよよよーんといった小ネタやエピソードが絡み合って、まずいと言われるラーメンをはるかに凌ぐ濃厚な美味のキャラクターを確立させて来た。AKB48やKaraなど当時流行(を若干過ぎた)の新しい小ネタを挟んできたのは、ご本人の意欲の表れに他ならないと思う。余談だが、木久蔵ラーメンは以前羽田空港売店でよく売られており、何度も買って帰ったが、決してまずくはない


 木久扇さんが卒業すれば、おそらく新たなメンバーが来春から参入することになると思うが、ここまでにキャラが確立した人の後任は相当プレッシャーもかかるだろう。視聴者もそれなりの期待をするだろうからめったな人選はできない。すでにネット上では後任を巡ってさまざまな予想が飛び交っているが、私は今この段階ではこれに触れないことにする。近くなったらやっぱりいろいろ予想してしまうのだろうと思うが、なにしろ過去2回、偉そうに理屈をこねくり回しながら後任予想を外した前科がある。口は禍の元である。


 番組では、木久扇さん卒業発表の後、谷村新司さんの病気についても伝えられた。わざわざアリスのメンバーである堀内孝雄さんや矢沢透さん、昨年コンサート活動を引退した加山雄三さんが出演してコメントしたことで、決して軽い病状ではないことを感じさせられた。
 「サライ」は私が北海道へ来た翌年、1992年の曲で、当時の私の立場とも相まって心にしみた曲だった。「陽はまた昇る」などはいまだにしばしばカラオケで歌う。考えてみれば谷村さんも私の父と同じ年。元気になって再び渋くも甘い歌声を聞かせていただけることを祈って止まない。



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2023/06/05

上岡龍太郎さん…尊敬する「奇才」

 上岡龍太郎という名前が報道に大きく出るのは相当久しぶりのことだったと思う。その久しぶりの報道は本人が亡くなったというものだった。


 上岡龍太郎が「横山パンチ」の名前で、横山ノック(故人)、青芝フックと「漫画トリオ」を組んでいたということは、かなり後になって知った。私が物心ついた頃はすでに上岡龍太郎として人気司会者の地位にあった。全国的には「探偵!ナイトスクープ」や「EXテレビ」で爆発的に有名になったのではないかと思うが、私が住んでいた岐阜県(東海広域圏)では、当時から関西エリアの番組が多数放送されていたために、目にする機会が非常に多かった。「ラブアタック!」「花の新婚!カンピューター作戦」「ノックは無用!」など、小学生・中学生の頃はよく観ていた記憶がある。


 さらに、名古屋ローカルのラジオ昼番組「ばつぐんジョッキー」を長年担当するなど、名古屋自体との縁も深かった。この番組は以前に触れたレイルウェイライターの種村直樹も一時担当していたが、木曜担当の上岡龍太郎と月曜担当の板東英二との「阪神・中日対決」が名物だった。平日昼間でそれほど聴く機会が多かったわけではないが、「芸は一流、人気は二流、ギャラは三流、恵まれない天才、阪神タイガースのオーナー、上岡龍太郎です。」という口上は印象深い。17年続いたこの番組で、最初から最後までパーソナリティを務めたのは上岡龍太郎ただ一人である。


 とにかく「立て板に水」という言葉がピッタリくる、しゃべくりの「奇才」であったと思う。当時のことを思い出してみると「えー」とか「あのー」とかいったムダな言葉は一切挟まないし、とにかく噛まない。「体脂肪率ゼロの喋り」と評した人がいたとかだが、実に的を射ている。子供心にその凄さは感じていたが、高校・大学と進み、人前でしゃべる機会が増えてくるにつれ、これはとんでもない人だ、という思いを私は強くしていった。「EXテレビ」や「鶴瓶上岡パペポTV」など、動画サイトで今も観ることができるので、興味のある方はぜひ検索してみていただきたい。


 「鶴瓶上岡パペポTV」は、高校時代、「ながら勉強」で毎週観ていた。二人でただトークをするだけなのだが、例によってたどたどしい喋りの笑福亭鶴瓶に上岡龍太郎が容赦なく突っ込みを入れ、感情的になる鶴瓶を上岡が理論でねじ伏せる図式は、いつ見ても新鮮で、とにかく面白かった。北海道へ渡ってこの番組が見られなくなるのが非常に残念だったが、のちに北海道でもネットされるようになった。


 「ゴルフは嫌い」「マラソンは嫌い」と豪語しながらその後両方にストイックに取り組む「ぶれた姿勢」とそれをまた屁理屈で弁明するのもまた面白かったが、「僕の芸は20世紀までのもの」と言う姿勢だけは崩さず、2000年の3月にきれいにテレビの世界から退場していった。
 確かに、21世紀に入ってからテレビの世界はコンプライアンスが厳しくなり、ネットの普及もあってちょっとした言葉尻を捕えて炎上させる風潮が強まっていった。上岡龍太郎の喋りのテクニックが錆び付くことはなかったと思うが、窮屈になっていったことは間違いないように思える。


 上岡龍太郎の最後の「しゃべり」として今もネット上に存在し、逝去の報道の際にも流れていたのが、2007年に亡くなった元相方・横山ノックを「送る会」での献杯挨拶である。これもまた名作である。毀誉褒貶さまざまある横山ノックを、時にしんみりと、時に笑わせて送る言葉は、上岡龍太郎の「話芸」の終着点となった。一瞬、感極まったように声が高くなる瞬間があるのはとても珍しい。


 5月19日に亡くなったことは葬儀終了まで伏せられ、6月2日に公表された。
 ご子息である小林聖太郎氏の「とにかく矛盾の塊のような人でした。父と子なんてそんなものかもしれませんが、本心を窺い知ることは死ぬまでついに叶わなかったような気もします。弱みを見せず格好つけて口先三寸……。運と縁に恵まれて勝ち逃げできた幸せな人生だったと思います。」というコメントもまた、とても心に響く。


 会社員としてはおそらく問題ありだろうと思うが、私が強く憧れた人のひとりである。



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