日常の旅人

2024/08/14

流行遅れの。

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 私の会社は、仕事の性質上、お盆のまとまった休みは設定されていないが、今年は周囲の協力もあり、短い盆休みと有給休暇を組み合わせて1週間の休みをひねり出した。これを使って、大阪の坊主のところと実家に顔を出してくる予定であった。お盆に実家に帰るなど、十数年ぶりのことである。久しく会えていない友人たちに会うこともできる。


 はずであった。


 8日までびっちり仕事をこなし、自宅に帰った私は、その夜、寝苦しさで目が覚めた。札幌でもこのところ気温の高い夜が続いている。そのせいで深夜に目が覚めることもしばしばであったが、この日は少し様子が違った。全身にだるい感じがある。熱を測ってみると37度8分。それが朝を迎える頃には38度5分まで上がった。自宅にあった、少々期限の切れた新型コロナウィルスの抗原検査キットでテストしてみると、説明書に書かれた15分を待つまでもなく、陽性を示すラインがくっきりと浮かび上がった


 これまで家族がかかってもぴんぴんしていた私だが、疲労がウィルスを受け入れやすくしていたのか、いずれにしても5年目にして初めての新型コロナウィルス感染である。再流行中とはいえ、ずいぶん乗り遅れた初体験である。病院へ連絡すると、簡易検査で陽性だったことと症状から疑いの余地はなく、PCR検査は不要、重症でなければ高価な専用の薬も不要でしょう、とのことで、とりあえず出向いて症状の確認と薬の処方をしてもらうことにする。


 この間、当日乗る予定だった大阪・伊丹行きの航空券をキャンセルする。JAL・ANAの場合、感染症等の診断書を提出すれば無手数料で払い戻しを受けられるようだが、今回購入した航空券の払戻手数料は4,500円。診断書をもらうために検査を受ければそれ以上の金額がかかるだろうから、余計なことは考えず、粛々とキャンセル作業を進める。
 それから、当日から2泊する予定だった大阪の坊主への連絡と、3件の飲み会のキャンセルである。ここしばらく会っていない仲間とのものを中心に、楽しみにしていたものばかりであるが、これとて無理押しして周りに迷惑をかけるわけにもいかない。


 加えて、大阪から岐阜の実家へ向かうに際しては、少し遠回りをして、3月に開業したばかりの北陸新幹線・敦賀-金沢間にも足を記そうとひそかに考えていた。また、大阪でも、北大阪急行・千里中央-箕面萱野間が3月に開業しており、そこへも足を伸ばすつもりであった。してみると1週間の間にずいぶん盛りだくさんでいろいろしようとしていたわけだが、すべてパーである。


 不幸中の幸いといえば、規制のために休みを取っていたおかげで、仕事に突然穴をあけることにならなかったことだろう。だが昨年の旅行もそうだったが、今回も連続して日程の変更を余儀なくされ、払わなくてもよいキャンセル料を払って来た。ふらりと休みをとれるような仕事だったら最高なのだがそれほど高等な仕事ではなく、早割やバーゲンでなく通常運賃・料金でふらりと旅に出られるほど懐が潤っているわけでもない。仕方のないことだが、何のために仕事をしているんだろうなあ、という不毛な疑問だけが残る。


 私の初コロナは、幸い熱は11日の昼頃には平熱まで戻り、体のだるさも幾分取れて、咳が少し出る程度まで回復するなど、症状としては軽かったといっていいだろう。することのなくなった休みはあと1日である。



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2024/04/07

愛すべき怪物番組「笑点」への思い【episode-4】

 さて、今日はもうこの話しかないだろう(笑)


 私が物心ついた頃から、ずっと「笑点」で与太郎を演じ続けて来た林家木久扇師匠が、昨年夏の24時間テレビで勇退を表明し、放送歴58年を迎える怪物番組は、3年続けて大喜利メンバーが交代するという、かつてない新陳代謝を迎えた。

愛すべき怪物番組「笑点」への思い【episode-3】+α

 前々回、そして前回のメンバー交代は、幾らかのヒントがあり、しかも若手実力者の目星もある程度ついていたから、後任の推理も理論的にできた(外れたが)。今回は皆目見当がつかなかった。
 まず大前提として、木久扇師匠の与太郎キャラは誰がどうやっても引き継ぐことは不可能である。だとすればわざわざ息子に引き継いで世間の批判を浴びるのは政治家のようでつまらない。それに、与太郎に代わるポンコツキャラが定着しつつあることもある。


 所属団体については、前々回が三平(落語協会)→宮治(落語芸術協会)、前回が円楽(円楽一門会)→一之輔(落語協会)とあまり考慮されていないから参考にはならないが、人数のバランスからすれば落語芸術協会のメンバーが入ることは今回も考えにくい。となると、今回も「成金」メンバーが入る可能性は低く、私が前回予想した4人を軸に他の可能性も探ることになる。ここから絞り込むのは困難である。


 そろそろ女流、と考えれば、蝶花楼桃花師匠が筆頭候補だが、本人はわりと最近の独演会の制作発表会で強く否定していた。もっとも、宮治師匠も一之輔師匠も加入の際はかなり強い箝口令が敷かれていたというから、100%信用するわけにはいかない。ただ、女流だとしても、最近では林家つる子師匠とか立川小春志師匠とか元気のいい真打も増えてきている。そういうわけでいろいろ考えてはみたものの、しまいに面倒くさくなって考えるのをやめることにした。


 で、結果、新メンバーは立川晴の輔師匠となった。私が前回予想した5人のうちの一人であるが、正直今回はないと思っていた。なにしろまさかの落語立川流である。入るのならば前回、または前々回に入っていてもおかしくなかった。そういう意味では私は、「笑点」は立川流をメンバーに加えるつもりはないのだろうと勝手に合点していたのである。
 「笑点」を立ち上げたのは故・立川談志師匠である。けれどもブラックユーモア路線を走る談志師匠とそれ以外のメンバーとの対立によりメンバー総入れ替え、そして談志師匠の司会降板を経て、以降一門の落語家は笑点の大喜利メンバーにはなっていない。


 そうした中、立川生志師匠と晴の輔師匠が、「BS笑点」を中心に若手大喜利のメンバーとして、番組との縁を細くとも保ってきた。特に晴の輔師匠は、若手大喜利での宮治師匠との共演も多い。そして今回の起用である。司会を除けば大喜利メンバーは、落語協会2、落語芸術協会2、円楽一門会1、落語立川流1と、東京の4協会のメンバーが揃った。バランスもいい。ルックスも若々しくて良い。


 とはいえ晴の輔師匠は私と同じ1972年生まれ。「キムタク・マツコ世代」である。元気者の宮治師匠を最年少の位置に置いたまま、風貌フレッシュな先輩を新メンバーを入れたというのはなかなか絶妙である。私は高座を見たことはないが、立川志の輔門下で育てられた腕と実力は確かなものなのだろう。
 そして何より、私と同い年ということは、当然ながら私と同じ時代を歩き、同じ視線で「笑点」と触れ合って来た世代である。そういう人が大喜利のメンバーに座るということは、年齢や経験年数がさらに若い一之輔師匠・宮治師匠が加入した時とはまた違った、深い感慨と根拠のない期待感を私に与えてくれている。


 さて、56年の笑点出演歴を持って勇退した木久扇師匠。「新メンバーは誰ですか」との問いに「山田隆夫じゃないですか」とすっとぼけ、最終出演となった3月31日の最後には「また来週!」と大ボケをかましたと思いきや、新メンバーの案内役と称してちゃっかり今週も黄色い着物で登場するという、過去の勇退メンバーにはなかった離れ業を演じた。恐るべき与太郎、とてつもない人である。

 



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2024/01/04

2024年の始まりに。

 当ブログを訪問していただいたみなさま、あけましておめでとうございます。
 このところ毎年「今年はブログをまじめに」云々と書いては途中で実行不可能となることが続いておりますので、今年はあえて書きません。私も本業もあれば当面守らなければならない家族もあるもので、どちらが優先かと言われれば答えはひとつしかありません。
 「ブログは鉄道旅行の次。」今年もよろしくお願いします。


 さて、2024年はのっけから大災害・大事故で幕を開けることになった。
 1月1日は石川県能登地方で震度7を記録する大規模地震が発生した。時が経過するにつれて被害の状況が徐々に明らかになってきており、4日夜の時点で亡くなられた方は84名、安否不明の方も179名おられるという。発生から3日以上が経過し、今日も何度か震度4の余震が起こる中、捜索活動が続けられ、ライフラインを確保するために尽力している方々がいる。被災された方々にお見舞いを申し上げ、亡くなられた方のご冥福と、安否不明の方々の無事、捜索や救護活動に当たられる方々の無事をお祈りする。


 その被災地に救援物資を運ぶための海上保安庁の航空機と、新千歳発羽田行きJAL516便が滑走路上で衝突、炎上というショッキングな事故が発生したのが翌日のことである。海保機は原形をとどめないほどに損傷して乗員6名のうち5名が亡くなられたが、炎上して胴体部分がほぼ焼け落ちたJAL機の300名以上の乗員・乗客は、客室乗務員の適切な判断・誘導と乗客の協力により全員の命が守られた。35年前に多くの犠牲者を出した日本航空の安全教育が垣間見える出来事と受け止めたのは私だけだろうか。助け出せなかったペットの扱いをめぐっていろいろと議論が交わされているがここでは触れない。


 X(Twitter)やYahoo!のコメントなどを見ていると、断片的な情報から原因を特定しようとする動きに対して、偏った世論が形成される恐れをたしなめるようなポストが目立っているのが印象的である。双方の機体から回収されたボイスレコーダーやフライトレコーダーの解析、関係者の聴取が進めばいずれ原因は判明する。原因が特定できなければ対策は講じられない。
 ネット上では、原因特定によって「特定の人に責任を負わせてはならない」というコメントも多かったが、原因が絞り込まれてくれば誰も無傷ということにはならない。大切なことはその当事者になった人たちを「吊るし上げる」ことではなく真の原因究明に向けて「協力を求める」ことだと思う。事故を起こしたくて飛行機を操る機長も管制官も存在しない。現実に事故が発生したことで彼らはすでにとてつもなく重い責任と後悔を背負ってしまったであろうことは想像に難くない。


 私は正月早々、下の息子と某家電店の初売にまだ暗いうちから並んで目当ての品をゲットし、有料駐車場の機械トラブルで駐車料金がロハになったささやかな幸運から「今年はいい年になる」と根拠のない期待を呑気に抱いていた。けれどもそんな気分は最初の2日間の出来事で吹っ飛んだ。
 とにかく、今年はいい年になってほしい。これは希望である



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2023/08/28

愛すべき怪物番組「笑点」への思い【episode-3】+α

 夕方5時半になると反射的にテレビの前に座り、5チャンネル(STV=日テレ系)を入れるのが習慣になっている。昨日は年に1度の24時間テレビだった。昨今、24時間テレビを観ることなど稀になっているが、この時間チャンネルを合わせれば、生放送の「チャリティー笑点」の時間である。この中で、「大喜利終了後に木久扇さんから重大なお知らせがある」と聞いた瞬間、ああ、勇退だな、と直感したのは私だけではなかったと思う。



 人に寿命がある以上、長年続けてきた仕事でも退かなければならない瞬間は必ず訪れる。ここ何年かで「笑点」はそういう局面を何度か迎えてきた。桂歌丸さんは50周年の節目に自らその大役を降り、二代目林家三平さんは周囲から力量不足を指摘されその座を退いた。六代目三遊亭円楽さんは病に倒れてなお復帰を目指して懸命に戦ったがメンバーのまま昨年の秋亡くなった。
 こうした状況を見届けつつ、木久扇さんご本人が自身の進退についていろいろと考えたであろうことは想像に難くない。勇退時期を来年3月としたのも、円楽さんの急逝から新メンバーの決定までに半年余りを要したことが念頭にあったのだろうと思うし、笑点得意の情報の堅固なガードのためにも生放送となるこの日を発表日に選び、リード期間をみるという周到な準備もあったのだろうと思う。


 今日まで57年間にわたって続いている「笑点」だが、初代司会者である立川談志さんがブラックユーモア路線を目指したことで、番組開始から3年の1969年春に、それに異を唱えたレギュラー解答者が全員揃って一時降板し、メンバー総入れ替えとなった時期がある。五代目圓楽さんも歌丸さんも三遊亭小圓遊さんも出演しない「笑点」は視聴率の低下を招き、わずか半年間で本人の選挙出馬を理由として談志さんが降板、司会が前田武彦さんに交代して再度メンバーが大幅入れ替えとなった。この時、歌丸さんや三遊亭小圓遊さんの復帰とともに新メンバーとして加入したのが木久扇さんである。以来54年間の出演は、歌丸さんを超えて番組最長となった。


 笑点メンバーの人気は、そのキャラ付けの確立に比例するところがあるが、木久扇さんの与太郎キャラは他の追随を許さない。54年間これを一貫して演じ続けてきたということは意義深い。そのキャラクターの周辺を、売れないラーメン屋、答えを客に奪われる、いやんばかーん、ミネソタの卵売り、宇宙人ぼよよよーんといった小ネタやエピソードが絡み合って、まずいと言われるラーメンをはるかに凌ぐ濃厚な美味のキャラクターを確立させて来た。AKB48やKaraなど当時流行(を若干過ぎた)の新しい小ネタを挟んできたのは、ご本人の意欲の表れに他ならないと思う。余談だが、木久蔵ラーメンは以前羽田空港売店でよく売られており、何度も買って帰ったが、決してまずくはない


 木久扇さんが卒業すれば、おそらく新たなメンバーが来春から参入することになると思うが、ここまでにキャラが確立した人の後任は相当プレッシャーもかかるだろう。視聴者もそれなりの期待をするだろうからめったな人選はできない。すでにネット上では後任を巡ってさまざまな予想が飛び交っているが、私は今この段階ではこれに触れないことにする。近くなったらやっぱりいろいろ予想してしまうのだろうと思うが、なにしろ過去2回、偉そうに理屈をこねくり回しながら後任予想を外した前科がある。口は禍の元である。


 番組では、木久扇さん卒業発表の後、谷村新司さんの病気についても伝えられた。わざわざアリスのメンバーである堀内孝雄さんや矢沢透さん、昨年コンサート活動を引退した加山雄三さんが出演してコメントしたことで、決して軽い病状ではないことを感じさせられた。
 「サライ」は私が北海道へ来た翌年、1992年の曲で、当時の私の立場とも相まって心にしみた曲だった。「陽はまた昇る」などはいまだにしばしばカラオケで歌う。考えてみれば谷村さんも私の父と同じ年。元気になって再び渋くも甘い歌声を聞かせていただけることを祈って止まない。



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2023/06/05

上岡龍太郎さん…尊敬する「奇才」

 上岡龍太郎という名前が報道に大きく出るのは相当久しぶりのことだったと思う。その久しぶりの報道は本人が亡くなったというものだった。


 上岡龍太郎が「横山パンチ」の名前で、横山ノック(故人)、青芝フックと「漫画トリオ」を組んでいたということは、かなり後になって知った。私が物心ついた頃はすでに上岡龍太郎として人気司会者の地位にあった。全国的には「探偵!ナイトスクープ」や「EXテレビ」で爆発的に有名になったのではないかと思うが、私が住んでいた岐阜県(東海広域圏)では、当時から関西エリアの番組が多数放送されていたために、目にする機会が非常に多かった。「ラブアタック!」「花の新婚!カンピューター作戦」「ノックは無用!」など、小学生・中学生の頃はよく観ていた記憶がある。


 さらに、名古屋ローカルのラジオ昼番組「ばつぐんジョッキー」を長年担当するなど、名古屋自体との縁も深かった。この番組は以前に触れたレイルウェイライターの種村直樹も一時担当していたが、木曜担当の上岡龍太郎と月曜担当の板東英二との「阪神・中日対決」が名物だった。平日昼間でそれほど聴く機会が多かったわけではないが、「芸は一流、人気は二流、ギャラは三流、恵まれない天才、阪神タイガースのオーナー、上岡龍太郎です。」という口上は印象深い。17年続いたこの番組で、最初から最後までパーソナリティを務めたのは上岡龍太郎ただ一人である。


 とにかく「立て板に水」という言葉がピッタリくる、しゃべくりの「奇才」であったと思う。当時のことを思い出してみると「えー」とか「あのー」とかいったムダな言葉は一切挟まないし、とにかく噛まない。「体脂肪率ゼロの喋り」と評した人がいたとかだが、実に的を射ている。子供心にその凄さは感じていたが、高校・大学と進み、人前でしゃべる機会が増えてくるにつれ、これはとんでもない人だ、という思いを私は強くしていった。「EXテレビ」や「鶴瓶上岡パペポTV」など、動画サイトで今も観ることができるので、興味のある方はぜひ検索してみていただきたい。


 「鶴瓶上岡パペポTV」は、高校時代、「ながら勉強」で毎週観ていた。二人でただトークをするだけなのだが、例によってたどたどしい喋りの笑福亭鶴瓶に上岡龍太郎が容赦なく突っ込みを入れ、感情的になる鶴瓶を上岡が理論でねじ伏せる図式は、いつ見ても新鮮で、とにかく面白かった。北海道へ渡ってこの番組が見られなくなるのが非常に残念だったが、のちに北海道でもネットされるようになった。


 「ゴルフは嫌い」「マラソンは嫌い」と豪語しながらその後両方にストイックに取り組む「ぶれた姿勢」とそれをまた屁理屈で弁明するのもまた面白かったが、「僕の芸は20世紀までのもの」と言う姿勢だけは崩さず、2000年の3月にきれいにテレビの世界から退場していった。
 確かに、21世紀に入ってからテレビの世界はコンプライアンスが厳しくなり、ネットの普及もあってちょっとした言葉尻を捕えて炎上させる風潮が強まっていった。上岡龍太郎の喋りのテクニックが錆び付くことはなかったと思うが、窮屈になっていったことは間違いないように思える。


 上岡龍太郎の最後の「しゃべり」として今もネット上に存在し、逝去の報道の際にも流れていたのが、2007年に亡くなった元相方・横山ノックを「送る会」での献杯挨拶である。これもまた名作である。毀誉褒貶さまざまある横山ノックを、時にしんみりと、時に笑わせて送る言葉は、上岡龍太郎の「話芸」の終着点となった。一瞬、感極まったように声が高くなる瞬間があるのはとても珍しい。


 5月19日に亡くなったことは葬儀終了まで伏せられ、6月2日に公表された。
 ご子息である小林聖太郎氏の「とにかく矛盾の塊のような人でした。父と子なんてそんなものかもしれませんが、本心を窺い知ることは死ぬまでついに叶わなかったような気もします。弱みを見せず格好つけて口先三寸……。運と縁に恵まれて勝ち逃げできた幸せな人生だったと思います。」というコメントもまた、とても心に響く。


 会社員としてはおそらく問題ありだろうと思うが、私が強く憧れた人のひとりである。



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2023/05/14

春のできごと【2】部屋探し始末記

 前回の話と関連するが、引っ越しに伴う諸手続や準備に関しては、経験豊富な私の出番である。けれども、私の時と坊主の時とでは、時代の違いで戸惑ったり驚かされることも多かった。また、後期で学校が決まった坊主の場合、入学式までわずか2週間足らずしかなく、勝手が違うことも多かった。


 ともあれ、まずは部屋探しである。合格通知が届いた2日後の3月24日、坊主と二人、飛行機で大阪へと飛んだ。春休みのせいか、行きの直行便の値段が恐ろしく高く、仙台経由で伊丹へ飛ぶという謎の行程になった。
 最初に大学生協を訪れて物件を紹介してもらうことにしたが、事前の情報であたりを付けた物件は前期合格者で完全に埋まってしまっていた。手持ち物件数も少ないらしく、大学から5km以上も離れたアパートしか残っていない。私の経験上、大学からの距離と真面目に通学する意思は反比例の関係にある。ただでさえ環境と周囲に流されやすい坊主にとってはよろしくない。


 そこで大学生協をあきらめ、大学近くにある別の不動産屋を訪ねた。ここは近在の物件を多数押さえており、さすがに築浅でコスパのいい物件は残っていなかったが、3軒ほど紹介してもらって内覧した結果、大学から徒歩15分程度の1Kの物件に決めた。家賃も手頃で、建物は古いが鉄骨造で程度は悪くない。私が大学入学時に住んでいた7畳ワンルームよりはよほど空間に余裕があり、バス・トイレもセパレートで使い勝手はよさそうである。洗濯機の置き場がベランダというのには驚かされたが、これは大阪のこのレベルの部屋では当たり前らしい。


Img_5092  翌日曜日は家財の品定めのため、初体験となったIKEAへ出向いた。JR難波駅からバスで15分ほど揺られて着いたIKEAのアイテムの充実ぶりや、カフェまで入っている店舗形態にはびっくりさせられた。
 その場で購入せず、札幌へ戻ってからネットで発注することにしたのだが、この時期は需要が最も集中する時期で、注文はしたものの品物が即座には揃わなかった。特に寝具類の届けは4月下旬まで待たされたようである。引っ越しと入学式に同行し、段ボールの上に寝る羽目になった嫁からさんざん文句を言われたが、これは私だけの責任ではない。なければ有り合わせで間に合わせようという発想もないからそうなるのだが、言えば喧嘩になるだけだし黙っておく。


 もうひとつ驚いたのが電気である。これまでの私の経験上、電気は入居してブレーカーを上げれば使えるはずで、電力会社との手続はそのあとでいいと思っていたのだが、最近は電力自由化の関係もあって電力計がスマートメーターというものに更新されており、アパートによっては電力会社の手続がないと電気の開通すらできないらしい。入居申込書に「入居日前までに電気とガスの手続を」と書いてあったのを見落としており、4月1日の昼過ぎに坊主から連絡が来てそのことが判明した。すぐに関西電力の窓口に電話をしたのだが、土日は電話を受け付けておらず、ネットでの手続だと開通が翌日になるという。


 まさか暗闇の中で一夜を過ごさせるわけにもいかず、不動産屋や家主とも連絡を取って対応策を相談したのだが、やはりこちらの手続漏れなので何ともならない。幸いなことに、大阪ガスが電気も取り扱っており、土曜日も電話受付していることをネットで見つけた。こちらも引っ越し集中日で混雑していたのだが、何とか無事に連絡が取れ、多忙な中、夕方には無事に電気・ガス揃って開通させてくれた。


 この間、現地にいる嫁と坊主に解決能力はなく、坊主に至っては嫁に部屋の整理を任せて近隣に住んでいる高校時代の友人のところに遊びに行って不在という体たらくである。32年前、ネットもない時代ですら、私は書店でひとり暮らしに関する本を買って自分で情報を仕入れそうした手続関係は自力で調べたものである。見落としたのは私にも責任があるから強くは言えないが、実際に住む本人がこの程度の意識では、この先の一人暮らしが非常に思いやられる



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2023/02/06

愛すべき怪物番組「笑点」への思い【episode-2】

 一応鉄道ネタを用意していたのだが、さすがに今日はこれに触れないわけにはいくまい


 私が当ブログで、「笑点」という国民的人気番組への思いを切々と綴ったのが2016年5月。番組50周年にして、司会者が春風亭昇太に代わり、大喜利メンバーとして林家三平が登場したときである。

 ⇒【過去記事】愛すべき怪物番組「笑点」への思い

 あれから7年近くになる。この間、この番組は私の想像とはかなり違う道を歩んだ。三平の加入を機にメンバーの入れ替えを進めるという私の浅はかな読みは見事に外れ、年配メンバーの入れ替えは進まず、逆に三平が先に交代するに至った。「卒業」という表現をご本人は使われているが、「更迭」という言葉がしっくりくる。


 昨年から三平に代わってメンバーに加入した桂宮治は、この番組において私より歳が若い初めてのレギュラー出演者である。
 とはいえ40代半ばなのだが、一般企業のセールスマンを経て落語家になった変わり種で、若手でもトップクラスの人気を誇っている。BS放送「笑点特大号」の若手大喜利にも出演しており、元気と貧乏をキャラクターに活躍していた。時々見せる悪そうな笑顔も味があり、本家「笑点」でも場をにぎやかす役回りを積極的に演じている。


 宮治の加入からわずか放送2回ののち、六代目三遊亭円楽が病に倒れた。円楽の復帰を見込んで、空席は週替わりで東西老若の落語家が代役を務めた。8月、リハビリ中の円楽の高座復帰が報じられたが、その姿を見て、残念だけれども本格復帰は遠いと感じたのは私だけではないと思う。円楽は9月30日に容体が急変して亡くなり、番組は再び後任メンバーを探さなければならなくなった。代役が週替わりで盛り上げる大喜利もそれはそれで楽しかったけれども、そこに安定感を求めたのも私だけではないと思う。


 「新メンバー2月5日発表・過去1年の出演者の中から」という予告の後、新メンバーは誰かという予測が盛り上がった。私もその中の一人であり、勝手にもろもろの条件から新メンバーの予想をしていた。以下に書き記しておく。今となっては完全に結果論だが、批判は受け付けない


 2022年2月13日から2023年1月29日まで円楽の代役を務めたのは、桂文珍・春風亭小朝・笑福亭鶴光・柳亭市馬・月亭八方・桂竹丸・桂米團治・桂南光・桂米助・立川志らく・橘家文蔵・鈴々舎馬るこ・桂三度・月亭方正・立川晴の輔・柳家わさび・桂文枝・瀧川鯉昇・春風亭昇也・蝶花楼桃花・立川生志・三遊亭白鳥・春風亭一之輔・林家菊丸・桂雀々・桂文治・瀧川鯉斗・月亭八光・三遊亭王楽・林家木久蔵・柳亭小痴楽の31人に上る。この中から新メンバーは選ばれる。座布団運びの山田隆夫とアシスタントの三遊亭愛楽は含めない。


 まず第一に、番組の性質上、上方落語家をレギュラー解答者にすることは考えにくい
 第二に、現メンバーの子息と親子出演というのはそれはそれで悪くないが、番組の継続性を考えると今ではない気がする。
 第三に、番組の若返りを図る必要性と、加入から1年足らずの宮治をもっと活かす視点から、新メンバーは宮治と同世代かそれより下でなければならない。
 そうなると、宮治がかつて属していたユニット「成金」のメンバーが有力ということになるのだが、第四の視点として所属協会のバランスの問題が立ちはだかる。実力本位とはいえ物事を円滑に進めるためにはそれなりのバランスも必要である。円楽を除く大喜利メンバーは、落語協会所属が木久扇・たい平の2人、円楽一門会が好楽1人。落語芸術協会は小遊三・宮治に司会の昇太を含めて3人だから、落語芸術協会所属の成金メンバーが入ることは考えにくい。


 ここまでで鈴々舎馬るこ・立川晴の輔・柳家わさび・蝶花楼桃花・春風亭一之輔と5名に絞られた。いずれ劣らぬメンバーである。
 あとは好みと予想、補足情報の問題だが、私はこの中から大本命を蝶花楼桃花と予想した。ジェンダーレスの時代、桃花は唯一の女性出演者として新世代を印象付けることができる。昨年真打になったばかりだが大人気の落語家であり、若手大喜利の出演経験も豊富であるというのが理由である。加えて、桃花の正月の寄席にテレビカメラが密着していた、というヨネスケちゃんねるの情報に踊らされた結果でもある。


 2月5日の放送で登場した新メンバーは春風亭一之輔であった。私は可能性はゼロではないとは思っていたが、年間900本の高座をこなす人気の実力派というから、収録スケジュールを合わせるのが困難ではないかと思われたし、今更笑点でもないだろう、とも思っていたから正直意外だった。けれども、その後のインタビューなどを見ていても、今の落語ブームが一過性のものにならないよう、番組を通じて寄席に足を運んでもらう人を増やすために、あえて多忙な中、また円楽の後任というある種荷の重い立ち位置を自ら拾いに行ったのかな、という印象を受けた。


 7年前、今回と同じように私は生意気にも後任司会者の予想についてベラベラと述べ立てた。そして今回と同じように本命・円楽という予想を見事に外したわけだが、その後の展開を見ると、回答者としての円楽の立ち位置は絶妙だった。この人が6人の中にいることで、バラバラの個性を持った個々がうまく結合した。
 今回の後任選びは、歌丸や昇太が司会者となった時とは大きく状況が異なる。それぞれのキャラクターが定着した現在のメンバーに円楽の役回りを演じさせるのは難しい。単純に若手を入れて解決するものでもない。番組としてはそれをふまえての一之輔への打診だったのだろうし、それを理解したうえで受け入れた一之輔の「男気」であるようにも思う。


 少々毒気の強いキャラクターと一匹狼的な印象もあるが、本人が「自然体」と語った丁丁発止のやり取りへの参加も見ごたえが十分にあった。普段から親交の深い宮治との関係も今後新たな名物を生み出しそうな予感もある。ネット上での評価も上々だったようで、まずは安心である。
 今度こそ、というわけでもないが、今回の入れ替えを踏まえて、おそらくは近いうちに1名ないし数名のメンバーの入れ替えがあるのだろうと私は読んでいる。一之輔が定着し、若手に軸足が移っていくようになれば、自然と桃花の出番もやって来るような気がする。柳亭小痴楽の出演回も面白かった。この先がいよいよ楽しみな番組である。


 それにしても、この件に関する日本テレビはじめ関係者の口の堅さには恐れ入る。三平・宮治の時も同様ではあったが、一之輔本人はもちろん、他の出演者・スタッフや番組関係者、さらには観客(おそらく公開ではなく関係者なのではないかと思っているが)も含めて情報管理が徹底している。放送開始後のネットニュースの状況などを見る限り、マスコミには直前にはリリースされていたようだが、公表のタイミングは見事に守られた。
 一之輔本人は家族に「老人ホームに落語をしに行くと言って出てきた。あながち嘘でもなかった」と冒頭のあいさつで笑いを取った。どちらもどちらで見事である。



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2023/01/05

あけましておめでとうございます

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 新年あけましておめでとうございます。
 旧年中は拙いブログにお付き合いいただきありがとうございました。


 例年、1月の年始になると、「今年はまじめにブログと向き合って」云々と大上段に構えて固い決意を刻み込み、結局12月になって目標に遠く未達のまま終わり、「本業が忙しくて」云々としみったれた言い訳を刻み込むのがここ数年の恒例行事になってしまっている。
 今年の1月、私は何を書いていたのだろうと思って過去記事を確認してみると、なんと1月に1本も書いていない。それどころか前年の11月28日から2か月以上もほったらかしである。今年最初となる2月6日のブログには、例によって本業が忙しかった云々に加え、1月に札幌で大雪が降ったので除雪が忙しかったので、などと書いてある。


 むろん、それはそれで事実であり、異動前の大仕事と異動後の慣れない仕事、さらには苦手な忖度に振り回されて1年が終わった。諸事情があって鉄道旅行にも出られず、出張ついでにほんのりと鉄旅気分を味わうのが関の山だったという、精神衛生上よろしくない状況でもあった。1年間で書いた記事の本数は15本。ブログを始めて以来最低である。


 ではパソコンに向かう時間が減ったのかというとむしろ逆で、前任の部署にいた時と比べると帰宅時間は1時間から2時間早くなった。寝る時間は変わらないから、その分余力は捻出されているはずなのだが、筆は進まない。Youtubeだったり、録りためた番組を観ている時間だけは増えている。その動画も、以前のようにドキュメンタリーやドラマなどは減り、頭を使わなくてよいバラエティー番組ばかりである。昨年の4月に「BSよしもと」などというチャンネルが開局し、大昔のベタベタな吉本新喜劇や花王名人劇場などが放送されるようになって、その傾向は一層強まった。


 考えてみれば私ももう50歳である。人生の折り返し点はとうに過ぎ、あと10年で役職定年になる。引き続き仕事をしようとすれば給料は半分以下に下がる。役員にでもなれば話は別だが、初夢ですらそんなに都合のいい夢は見せてもらえない。充実した人生を送るためには、ここからの10年の過ごし方をきっちり考えなければならない。ブログと鉄道旅行は私の人生の潤滑油である。もう少し真剣に向き合っていきたい。


 というようなことを書いていて、ふと、今年もやっていることは同じだよなあ、と残念な気持ちになった。それでは、と手始めにブログのデザインやトップの写真を入れ替えてはみたものの、よく考えればこれも私の「形から入る」よくない習性の発現である。忙しい日々は今年も続きそうだが、あまりそれを言い訳にしたくもない。毎日、とは言わないが、せめて週1回はしょうもない文章をつらつらと書く、という健康的な習慣だけは何とか守っていきたいなあ、と思っている。


 というしょうもない文章から今年も始まることになった
 皆さま、懲りもせず、本年もよろしくお願いいたします。


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2022/07/04

激動の春でした【2】仕事編

 私が今の会社に入って今年の春で27年になった。会社名や具体的な仕事の内容についてはそれなりに差し障りもあるので触れないが、北海道に拠点を置く企業である。


 ここで私は27年のうち20年以上、某事業本部で営業と営業企画の仕事をしてきた。そこから管理部門の仕事に移ったのが4年前、旭川の単身赴任から札幌に戻った時である。馴染みのないメンバーに馴染みのない仕事に悪戦苦闘すること4年、ほうぼうに広げた仕事があと1年もあればようやく区切りを付けられそうだ、と思った矢先に、現在の部署に異動になった。後任は顔なじみでいくらか気分的には楽だが、広げたままの風呂敷を畳む仕事はすべて彼に託すことになった。


 私に与えられた新しい仕事は「総務」である。これまでの諸先輩方の動きを見たり、あるいは前任者から受けた引継の内容からも、この部署が社内の「なんでも屋」であることは知っていたが、それにしてもいろんな案件が持ち込まれる。そのひとつひとつは、これまでの私の仕事の経験がほぼ役に立たない案件である。


 もちろん、イレギュラーに持ち込まれる雑用ばかりではない。定例的な会議やイベントのセッティングもある。その最たるものは定時総会である。
 わが社の定時総会は、新型コロナウィルスの影響下にあった2020年・2021年の2年間、Web出席と実出席のハイブリッドでおこなわれてきた。過去に事例のない開催方法に振り回された先輩方のご苦労はひとしおであったろうと思う。その2年間の間に我が課のメンバーは大半が入れ替わり、完全実開催で多くの人々を迎える総会を経験した人間もわずかになった。四苦八苦しながらようやく乗り切ったのが先週である。これで楽になるわけではないけれども、ひと山は越えたことになるのだろう。


 管理部門の仕事が私に向いているかどうかはわからない。人によっては「適任だ」と薄笑いを浮かべながら言ってくれたりする。その表情が多少気に入らないのだが、あながち冗談で言っているようにも見えないので、これもひとつの評価だと納得することにしている。


 けれども率直に言うと、私はこの仕事が好きではない。実際に現場に入って、お客様に怒られながらも商売をする方が楽しいに決まっているし、わが社の本分でもある。20年近くその道で過ごしてきた私にとって、今の仕事は決して楽しいものではない。
 加えて、私の若い頃は管理部門というのは、会社の中でも特別に偉いところである、という雰囲気があった。事実、仕事を取り進めていく上で管理部門の人にはよく叱られたし、時には居丈高に私の神経を逆なでしてくる人もいた。今そんなことをすれば仕事は回っていかない。それでなくてもコンプライアンスだのガバナンスだので、管理部門から現業部門にお願いすべき仕事は増えている。丁寧な説明と相手への敬意は円滑な仕事に欠かせない。
 

 私は元来人と接するのが決して得意ではない。自分の商品を理解してもらい、相手のニーズを把握しながら商売につなげていくというのは、それはそれで私にとってはしんどいことであった。だから私にとって営業の仕事が向いているかと言われれば、そうではないのだろう。楽しいことと向いていることは必ずしも一致しない。
 だが、バックオフィス業務たる管理部門では、組織の仕事を回していくために、私が想像していた以上にこのスキルが求められるのだということに、最近気付いた。ともすればそのスキルは、担当業務に関する一般的な知識以上に要求されることになる。そうして私は毎日、肉体以上に神経を摩耗させ、へとへとになって家に帰る。これはなかなかにきつい。


 他にもきついことはたくさんある。そのうちのひとつが、立場上、聞かずもがなの話題が自然と耳に入ってきてしまうことである。特に人間関係の話は、そのさわりの部分を聞くだけでもうんざりする。
 若い頃に聞くこの手の話は、単純に仲がいいとか悪いとかの話だが、このくらいの年になるとそれに嫉妬ややっかみが絡み、それぞれの社内的な立ち位置も絡めて話を複雑化する。いっとき「忖度」という言葉が流行したが、これも度を超すと、自己保身を通り越して誰かの足を引っ張ろうとしているようにしか聞こえなくなる。そうまでして偉くなって振り返ったら誰もついてこない、などと言うことになっては本末転倒ではないかと思うが、下から絶大な支持を受ける上司が偉くなるとは限らないのもまた事実である。


 組織の底辺とは言わないまでも海抜ゼロメートル付近を徘徊している私にとってはもはやどうでもいい話だが、この年になってまで、それまで多大な恩を受けて感謝している組織に対する絶望を味わいたくはないなあ、と言うのが正直な心情である。


 このブログは私の先輩方の何人かも読んでくださっているというから、これだけでも十分に差し障るのかなあ、などと思いつつ、終了。



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2022/06/02

激動の春でした【1】家族編

 気がついたらまた前回の更新から2か月以上が経過し、春どころかもはや初夏であるが、春の話である。
 お変わりありませんか。いかさまです。生きてます。


 前回の記事の中でも軽く振れたが、我が家の2坊主は今年の春、揃って進学の年を迎えた。
 進学といっても黙って上の学校へ行かせてくれるわけではない。それ相応の試験が必要である。私の漠然としたイメージの中では、道外志向が強い上の坊主は家を出て、甘え気分の強い下の坊主は地元、それも徒歩圏内の高校を受験して自宅で自堕落な生活を送る、という図式がなんとなく描かれていた。
 だがことは試験を伴う。それだけに周囲の想定通りには進んでいかない


 まず、下の坊主が昨年の夏頃から高専(工業高等専門学校)に興味を示し始めた。高専は札幌にはなく、自動的に親元を離れて寮生活となる。彼がそんなに学問的探究心がある方だと思ったことはないが、本人としてはいろいろと思うところがあったのだろう。あらゆる意味で楽ができる地元の普通高校との間で散々迷ったようであるが、結局自らイバラの道を選択、4月から旭川で寮生活を送っている。
 これまでの彼の言動から、環境への順応性はそれなりにあると踏んでおり、あまり心配はしていなかったのだが、予想以上に満喫している様子である。多少だらしない性格も強制されるのではないか、という期待感もある。


 一方、上の坊主は、志望校が定まり切らない状況が続いて散々右往左往した挙句、自信満々で受けたセンター試験でまさかの失敗を喫した。
 センター試験の失敗自体は私も経験しているので、彼を責めることはできない。だが、私が彼に幾度となく「二次試験にセンター試験の受験票を忘れて行った」という失敗談を語ったにもかかわらず、全く同じ愚を犯そうとしたあたりからどうも怪しい雰囲気が漂っていた。かくして不安は現実となり、道外志向の坊主は東京ではなく札幌の代々木に通うことになった。


 以上のように私の想定とは真逆の3人暮らしが始まった。俺様気質の下の坊主が家を離れたことで嫁の癇癪は幾分収まりつつあるが、経済的困窮による締め付けは少しずつ厳しくなっていき、仕事が変わったことも合わせて私の精神状況をいくらか悪くしている。つまらないことで言い合いになる状況も何度か発生しており、良くないことだと重々承知のうえだが、時に子供の前でもそれが出る。
 下の坊主がおそらく中学校で書かされたのであろう、両親宛ての手紙には、これまでの感謝の言葉に添えて「とにかく仲良くしてください」と書かれていた。彼が札幌を離れる決め手となった理由のひとつがそれだとしたなら、親としては猛省しなければならない。




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