札幌の旅人

2026/02/01

大雪狂騒曲【1】

 本来なら先週の日曜日には、秋の旅の記事をアップするつもりでいたのだが、ニュース等での報道のとおり北海道、特に札幌近郊はなかなかひどい状況になっていて、私も少なからずそこに巻き込まれることになった。


 予兆はあった。さかのぼること2週間、1月とは思えない暖かな日が続いた岐阜の実家に帰っていた私は、1月20日朝、搭乗する予定だった中部国際空港17時発のJAL3117便が、北海道の暴風雪予報のあおりで欠航との情報を受け、泡を食って空きのあった13時20分発のJAL3107便に予約を変更した。この便とて状況によっては羽田空港に着陸するとの条件付き運航であったが、天気が相手では気を揉んでも仕方がない。私は当初予定より3時間早く、10時前には実家を出た。普段なら使わない特急「しなの」まで使い、名鉄「ミュースカイ」の乗り継ぎのために階段を奪取し、かつ実家から最寄り駅までの絶妙なバスがあれば、実家から空港までわずか1時間半でたどり着けることを初めて知った。


 結果的にJAL3107便は羽田へ引き返すこともなく、ほぼ定刻の15時には新千歳空港に到着。暴風雪の懸念も杞憂に終わったのだが、翌21日、発熱のため学校の寮を追い出された下の坊主が、インフルエンザB型のおまけとともに自宅へ戻ってきた。22日から26日まで、今度は嫁が所用で東京・大阪へ行くことになっており、自宅で一人悠然と週末を過ごす予定だった私の計画は脆くも崩れ、古い友との飲み会の予定もキャンセルせざるを得なくなった。


Img_6995  そして日曜日の朝である。前日までかすかにアスファルトの色が見えていた自宅の駐車場には、長靴の深さほどの白い雪が積もっている。自分一人だったら昼頃からのんびり除雪をするところだが、復調した坊主を旭川へ送り返すためにはまず車で札幌駅まで送らなければならない。すでに午前の時点で、道央自動車道は新千歳空港-札幌-江別東間で通行止めになっており、JRも無ダイヤ状態になっていた。高速バスの運休情報は出ておらず、とにかく早めの便に乗せるのが必要と、私はあわただしく除雪をして坊主を乗せて自宅を出て、途中昼食をとりつつ札幌駅へ向かった。


Img_6997  ところが市内中心部に近づくにつれて、さほどでもなかった雪の降り方が激しくなり、道路の状況が一変した。除雪が間に合わない道路は車線が狭まり、残った部分も車が踏み固めた雪でボコボコのガタガタである。トラックがそこらじゅうでスタックして動けなくなっている。
 14時近くに札幌駅に到着すると、無情にも午後の高速バスは全便運休が決まったとの情報。JRも運休列車が続発しており当てにならない様子である。あとは今日中の帰寮を断念するか、そのまま車で旭川まで向かうかの二択しかなくなった。市内の状況を見る限り、普段なら1時間足らずの江別東インターまでどのくらいかかるか予想もつかないが、ともかく行ける所まで行ってみようと画策した。


Img_7001  旭川方面への国道12号を敬遠して、南郷通から国道274号経由で北広島市・南幌町を経由するルートをとったのだが、私の車は16時になってもまだ地下鉄南郷18丁目駅付近をのろのろと走っていた。2時間かけて10km進んでいない。ボンネットの上には10cm近く雪が積もっている。そこからさらに1時間かけ、17時ごろにようやく札幌市を抜けて北広島市に入ったが、国道274号も車の流れはきわめて遅い。ここまで来ると、引き返そうにも反対車線も同様の状況を呈しており、家に帰るのにもまた3時間かかったりするのだろうと思うと、この際意地でも旭川までたどり着いてやろうという気持ちになる。


 北広島市の市街地の手前で国道を外れるとようやく交通量が少なくなり、南幌町に入る頃には雪もほぼ止んでいた。結局江別東インターから道央自動車道に乗ったのは18時30分過ぎ。札幌駅から4時間半を要した。19時過ぎ、岩見沢パーキングエリアで休憩。駐車エリアには道北バスの「高速なよろ号」が休憩中。喫煙所にいた乗客に話を聞くと、札幌発14時10分の便とのこと。おそらく国道12号を走って来たと思われるが、ちょうど私たちと同じくらいの時間を要してここまでたどり着いている。要はどこを走っても同じ状況だったということである。


 そこから先の高速道路は、路面のアスファルトも出ていてすこぶる快適だった。普段ならこの時期、しばしば吹雪で通行止めになったり視界が遮られる美唄付近は、この日は速度制限すらかかっておらず、結局高速道路に乗ってから1時間半弱で旭川鷹栖インターまで到達した。
 晩飯を食わせて坊主を寮まで送り届けたのが20時40分頃。これから札幌へ戻る。この時間になっても江別東インターから先、札幌方面への高速道路は通行止めが続いており、帰路はいくらか交通量も減っているだろうと踏んで、岩見沢インターで高速道路を降り、国道12号を走った。


 岩見沢市から江別市に入ると一気に雪の量が増え、路面状況も悪くなった。市街地を抜けたあたりから札幌市内に入るまで断続的に渋滞に見舞われたものの、交通量はさすがに減っており、約3時間、23時40分頃には南区の自宅に帰り着いた。ものの1時間ほどで坊主を札幌駅まで送り届けて戻るつもりが11時間のロングドライブになった。途中の雪の降り方や道路状況からして、私が不在の間にどれほどの雪が降ったものかと戦々恐々としていたが、自宅前を覆う雪は10cm足らずで、私は30分ほどでその雪を片付けて家に入った。翌日は仕事だったのだが、家では洗濯や掃除など、やらねばならないことが待ち構えており、布団に入るまではさらに2時間ほどを要した。


 この日の降雪は札幌市の中央部から北部・東部と周辺の市に集中しており、次回詳しく書くが鉄道・バスの混乱はその後もしばらく尾を引いている。飛行機の便も当日から翌日にかけて相当乱れた。前週の私と同様、26日の月曜日に大阪から帰ってくる予定だった嫁の搭乗予定便も当日午前に欠航が決まり、翌日1席だけ残っていた関西空港発の便をかろうじて押さえられたと連絡がきた。私の独身のんびり時間は坊主の発熱と予期せぬドライブと全身疲労のために消費され、さらに無駄に1日伸びることになった。



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2023/10/02

さようなら「札幌エスタ」

 何度も書いたが、私が初めて札幌駅に降り立ったのは1991年2月24日のことである。
 当時のL特急「ライラック」で到着した札幌駅は、1988年に高架化されたばかりで、ホームから改札・コンコースにかけては真新しかったが、まだ仮普請のような風情がそこかしこに残っていた。


 高架ホームの下に位置する西改札口を出て南口へ進むと、動く歩道も設置された連絡通路があった。札幌駅の高架化工事は既存ホームを避けて進められたため、全体的にホームが北側に寄る形になり、ぽっかりと空いた旧ホームの空間はアスファルトで舗装された更地になっていた。当時、この空きスペースは将来的に新幹線を迎え入れるための駅用地だというまことしやかな噂が流れたが、現在この場所には大丸百貨店とステラプレイスが建っている。


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  (開店当時のそごう)       (閉店直前のエスタ)

 連絡通路の先が JR北海道本社も入る青い旧駅舎で、改札口こそなくなったものの札幌駅の「顔」としてまだ健在だった。この駅舎が解体されて再開発工事が本格化するのは1996年頃からのことである。
 この駅舎から出てすぐ左手、真っ先に目に飛び込んでくる大きな建物が、「ESTA」(エスタ)であった。1991年当時のキーテナントは「札幌そごう」。現在「アピア」と呼ばれる、当時の札幌駅名店街と地下街で結ばれた駅前一等地の巨大な百貨店は、田舎からやって来た私にとって最初のインパクトであった。道路を挟んだ南向かいの東急百貨店や五番舘西武とともに、大通エリアの丸井今井・三越とせめぎ合っていた。


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 札幌駅南口の再開発が本格化した1990年代後半、バブル崩壊後の不景気の中でそごうグループの経営悪化が表面化、2000年に民事再生法の適用を申請、札幌そごうも運営会社の破産宣告を受けて閉店した。同じころ、明治以来の伝統を持つ五番舘西武も札幌西武へ衣替えしている。
 キーテナントを失い、一時期は地下1階の食料品売り場、10階のレストランだけが営業する事態となったエスタには、翌2001年7月にビックカメラ札幌店が1階から5階に入居して新たなキーテナントとなり、空いていたその他のフロアにもユニクロやナムコなどが入居。2003年に開業したステラプレイスとは連絡通路で結ばれて、エスタには再び活気が戻った。


 札幌で私を迎えた初めての大きな建物であるエスタにはいろいろと縁がある。
 駅に近いという利便性で買い物によく足を運んだ。3階と4階の間に池をしつらえた吹き抜けがあり、さすが大都会のデパート、と感心したものである。11階には「プラニスホール」と呼ばれる多目的ホールがあって、今思い返すと私はJR北海道の採用試験をここへ受けに行った。JR北海道は私を受け付けてくれなかったが、拾ってくれた今の会社での最初の配属先が札幌駅前だったこともあり、10階のレストラン街には頻繁に足を運んだものである。


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 その後、旭川・岩見沢と転勤して「エスタ」とは疎遠になったが、2009年、札幌に戻ってきて南区に居を構えると、エスタ1階のバスターミナルにずいぶんお世話になった。3つのレーンに各6か所、計18か所のバス乗り場が設けられており、3つのレーンが遮断機付きの横断歩道で平面移動できる構造が珍しかった。
 私はしばしば9番・12番乗り場からじょうてつバスに乗って家路についたし、2014年から4年間の単身赴任では、旭川へ向かう高速バスもここで乗り降りした。仕事終わりでバスに乗る前、エスタ地下1階のドトールでコーヒーを飲みながらこのブログを書いていたのも懐かしい思い出である。
 

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 それから20年が過ぎ、今度こそ北海道新幹線を迎え入れるにあたり、エスタは新たなビルに建て替えられることとなった。地下に設置されたカウントダウンの看板が「0日」を指した8月31日、1978年以来45年間の商業施設としてのエスタは多くの市民に見守られながら営業を終了した。ビックカメラなど一部の店舗は向かいの東急百貨店など周辺ビルへ移転した。
 バスターミナルの供用は続けられたため、一部の通路は残されたが、閉鎖された地下1階の「エスタ大食品街」はフェンスが立てられて通行できなくなり、この1か月間で店舗内の撤収・整理が進められた。


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 エスタのテナントエリアと結ぶ階段のシャッターが閉じられた後もバスターミナルは1か月間、普段通りにその役目を粛々とこなし、9月30日をもってお役御免、供用終了となった。バス乗り場は10月1日から札幌駅南口周辺の路上に分散設置された仮設乗り場に移る。
 集中時には10台近いバスが一斉に吐き出されて行く壮観なターミナルの風景も過去のものになった。出発最終便となったじょうてつバスは車体横に「さようなら 札幌駅バスターミナル」と掲示し、市民やバスファンに見送られてターミナルを出て行ったそうである。


 新しいものを迎える代わりに古いものが消えていくのは当然の摂理であるけれども、その古めかしさが日常に溶け込んで、長年私の中で札幌駅南口のアイデンティティーとして存在した建物の最後を見送るのは誠に寂しいものである。
 札幌エスタの閉鎖により、JR北海道は貴重な収入源のひとつを失うことになるが、5年後に完成する複合ビルは関連事業の新たな「核」となるはずである。建設費の高騰により計画の縮小もうわさされているが、札幌エスタ同様に札幌市民に愛される素晴らしい施設になってくれることを切に願ってやまない。




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2021/02/24

30周年記念。【1】

 またまた多忙につき大変ご無沙汰をいたしました。かろうじて元気です。いかさまです。


 2021年2月24日。この日は、私が北海道に初上陸してからちょうど30年の記念すべき日である。


Hokkaido01_2  1991年2月24日、翌日の大学入試を控えた私は、名古屋空港(小牧)から飛行機で千歳空港へ飛んだ。当時の搭乗券の半券は今も手元に残っており、ANA705便、座席は1Gとある。北海道も初めてならば飛行機に乗るのも初めてで、この時私はささやかな遺書を書いて飛行機に乗った。 その遺書はその後何度か再利用されたが、どこかへ行ってしまった。誰かに読まれていたら実に恥ずかしいレベルの内容しか書いていなかった記憶がある。


 当時の記録を紐解くと、13番スポットからバスで移動して搭乗した705便は、9時47分に移動を始め、その10分ほど後に滑走路を猛然と走り出した。背中を押し付けられるような強い力を感じながらふわりと宙に浮くと、地面から伝わる震動はなくなったものの小さくゆらゆらと揺れ、不思議というか気持ち悪いというか、そんな印象を受けたようである。「到着地、千歳空港の天候は曇り、気温は氷点下3度との報告を受けています」という、とんでもない所へ来てしまった感の強い機内放送は今でも覚えている。



199003106 千歳空港着は11時20分。まだ現在の新千歳空港ターミナルが完成する前の小さなターミナルから、長い通路を歩いて千歳空港駅(現・南千歳駅)へ行った。そこから11時54分発のL特急「ライラック13号」で札幌へ向かった。温かみのある781系電車の車内は飛行機からの乗り継ぎ客で混雑しており、座席には観光バスのような補助席まで付いていた。現在のような快速列車による航空アクセス体系はまだ確立しておらず、本線上を走るすべての列車が千歳空港駅に停車し、乗客は運賃+100円の「エアポートきっぷ」で特急列車に乗ることもできた。


 まだ青い旧ビル時代の札幌駅西通り南口から踏み出した記念すべき北海道での第一歩で、私は凍った路面に足を取られてめでたく転倒、華麗な北の大地デビューであった。宿泊は駅近くの札幌ハウスユースホステルだったのだが、ここの入口階段でも私は転倒した。悪いことはまだ続く。受験会場の下見に行った際、翌日の受験票の他に本来持参しなければならないセンター試験の受験票を自宅に忘れたことに気付いた。


 通りがかりの学生に教えてもらった担当部署で、当日申告すれば大丈夫と言われて安心した私は、その後、当時恒例にしていた受験前のゲン担ぎのため、駅前のパチンコ屋へ行き、汽車ポッポDXという台で1時間ほど遊んでドル箱1箱いっぱいにした。ところが景品カウンターへ向かう途中で椅子につまずいた私は2,000発あまりの玉をフロアにぶちまけ、挙句の果てにユースホステルへの曲がり角でみたび滑って転倒し、手のひらから血を流すことになった。


 記録に頼るまでもなく、初めての北海道、初めての札幌のことは鮮烈な印象となって私の脳裏に焼き付いている。あれから30年、旧千歳空港ターミナルも青い札幌駅舎も跡形もなく、L特急も781系電車も姿を消して久しい。「ゴールデンレジャー」から「パーラー時計台」と名を変えたパチンコ店も10年ほど前に閉店した。私にとってはつい最近のことのように感じるのだが、子供たちや昨今の若者にこんな話をしたところで大昔の話と一笑されるに違いない。私たちが人生の大先輩から街頭テレビで見た力道山の空手チョップの話を聞かされるに等しい。



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2015/11/24

札幌市電ループ化 12月20日開業に向けて

 今から3年半前、「広報さっぽろ」に「路面電車とこれからの札幌」という特集が掲載された。この中で、市電の活性化策として、新型低床電車の導入と環状運転の実施の2点が示されている。このことは、当時このブログの中でも触れた。


 ⇒(過去記事)「札幌市電の将来像」はこちら。


Img_0591 このうち、新型低床電車は、A1200形(通称「ポラリス」)として、2013年から24年にかけて3編成が順次導入された。今後2018年度までにさらに7編成が増備されて旧型車両を置き換え、低床電車比率は30%まで上昇する。他都市の市電から比べれば出遅れている感は否めないが、ホーム側の改良も含め、着実にバリアフリー化は進行することになる。


Image1そしてもうひとつの環状運転については、11月5日の市長記者会見で、今年12月20日に開業することが公表された。西4丁目-すすきの間わずか0.4kmの延長開業だが、1973年に廃止された西4丁目線の42年ぶりの復活であり、札幌市電にとっては実に51年ぶりの路線延長となる。


 当初今年春とされた延長開業は、ここ数年の建設工事費の高騰や人手不足の影響による入札不調などによって延期されたが、現在では工事もほぼ終盤となり、開業に向けた準備が着々と進んでいる。11月11日には試運転も開始されたという。
 旭川の単身赴任先から札幌の自宅に帰る途中、追い込みを迎えた工事の状況を確認してみた。11月12日夜の様子である。


Dscn5080 地下鉄大通駅に近い西4丁目停留所。外回り線の停留所は以前と同じく、南1条通上に設けられる。今回の開業に当たり、リニューアルされている。現在、西4丁目停留所はこの写真の少し先、西5丁目に仮設されている。元は単線だったが、新たに内回り用の線路が敷かれている。ただし停留所はここには設けられていない。


Dscn5083 内回り線の西4丁目停留所は、角を曲がる手前、南北に走る駅前通上に設けられた。一瞬地下街への階段かと錯覚するような停留所のつくりである。
 4丁目プラザのすぐ目の前にあり、商業施設に囲まれた立地である。大丸百貨店が駅前にできて以来、大通周辺が寂しくなったといわれているが、復活の糧となるか。


Image2 新設の西4丁目-すすきの間は、全国的にも珍しい「デュアル・サイド・リザベーション」と呼ばれる方式で敷設された。外回り・内回りの線路が道路の両端に敷かれるスタイルである。電車の乗降に道路横断をする手間が減少する反面、タクシーの客待ちやトラックの荷卸しができなくなる。多少の混乱も予想されるが、実際のところは開業してみないとわからない。


Dscn5084 新設区間の中間に設けられる狸小路停留所は、その名もずばり、狸小路商店街の出口すぐにある。停留所そのものは、西4丁目停留所と同じような構造である。駅前通を挟んで反対側の道路端にも停留所がつくられたのが見える。
 深夜だというのに続けられている工事は、配管の埋設中。ロードヒーティングではないかと推察する。


Dscn5090_2 すすきの停留所は、これまでと同じ南4条通の上に、西4丁目停留所とは異なり対面(若干千鳥配置だが)で設置された。南1条通と比べても道幅が広く余裕があるためかと思う。
 ここも元々は単線の停留所であり、その改良も含めて工事がおこなわれた。現在、すすきの停留所はこの写真の先、西5丁目に仮設されている。


Dscn5087 すすきの停留所で仲良く並ぶ2本の線路は、南4条通と駅前通が交差するすすきの交差点で内回りと外回りが大きく分かれる。年末には、このまばゆいネオンサインの下を路面電車が行き来することになる。その風景を想像していたら、急に一杯飲みたくなってきた。明日からは嵐のコンサート、少しぐらい夜更かししてもバチは当たるまい。



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2013/12/21

【札幌市】共通ウィズユーカード廃止へ

札幌市は、市営地下鉄・市電および市内バス路線で使用できるプリペイド式乗車カード、「共通ウィズユーカード」について、平成26年5月末で発売を停止し、27年3月末をもって利用を終了すると発表した。

⇒札幌市HP「共通ウィズユーカードの発売停止について(Q&A)」

Withyoucard「ウィズユーカード」の登場は1992年。当初は地下鉄専用で、JRの「オレンジカード」と同様、券売機で乗車券を購入するためのカードであった。直接改札機に投入できる「ストアードフェア(SF)方式」となり、市電・市営バスで使用できるようになったのは、2年後の1994年である。1997年には、JR北海道バス・北海道中央バス・じょうてつバスにも使用できる「共通ウィズユーカード」に発展した。

しかし、2000年代に入ると世間の流れはIC乗車カードへと向かう。地方のバスなどで1997年頃から始まったIC乗車カード化の流れは、2001年のJR東日本「Suica」の導入以降一気に加速した。札幌市も2009年、市営地下鉄からIC乗車カード「SAPICA」の導入を開始し、今年6月からは市電およびバス3社に利用範囲を拡大した。

偽造防止や廃棄物排出抑制の観点から、IC乗車カードの導入後数年で磁気式カードを廃止する流れも定着しており、JR東日本ではSF方式の「イオカード」の販売を2005年に停止、JRグループ全体としても、「オレンジカード」の発売を今年3月で終了している。札幌市でも「SAPICA」の登場当時から、将来的に「ウィズユーカード」の販売を停止することを示唆しており、今回の決定はこれに沿ったものとなる。

「ウィズユーカード」は、1,000円~10,000円まで4種類のカードが発売されていたが、1,000円カードでも10%のプレミアムが付いているのが特色で、10,000円カードでは11,500円分利用することができた。
こうした背景から、「SAPICA」は、交通機関利用時に運賃の10%を「SAPICAポイント」として還元し、運賃分を超えるポイントがたまると、次回乗車時に自動的に運賃に充当される仕組みになっている。

もっとも、私を含め、バス・地下鉄を通勤で利用する客は、プレミアム率の高い10,000円カードを愛用しているから、今回の廃止には文句のひとつも言いたくなる。
けれども、IC乗車券でこのようなプレミアムポイントを設定している事例は各地に存在するが、1乗車ごとにポイントがたまるシステムは珍しい。還元率も比較的高い部類に位置する。全国的な傾向を考えると、むしろ感謝すべき制度であり、文句を言えるような立場にはなさそうである。

「SAPICA」のもうひとつの課題は、汎用性、すなわち「Suica」「Kitaca(JR北海道)」などとの相互利用である。システムやポイント制度の違いなどから、現状はSuica系の「片乗り入れ」(=SAPICAはJRで使用できない)となっているが、こちらは相互利用に向けた協議をJRとの間で始めたと報じられている。

なお、余談だが、「Suica」使用開始よりも早く、1999年から2004年にかけて、札幌市営地下鉄で「S.M.A.P.カード」と呼ばれるIC乗車カードの実証試験が行われていたことは、札幌市民以外にはあまり知られていない事実である。

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2013/03/15

3月14日、北海道新聞。

世間一般の北海道民の例に漏れず、わが家では北海道新聞を毎朝読んでいるが、昨日、3月14日の北海道新聞は、どうかと思うほど鉄道がらみの記事が満載だった。

前日、3月13日が、青函トンネル開業25周年だったことから、2面には大きく青函トンネルの特集記事が出ている。
開業初年度こそ306万人が利用した青函トンネルだが、その後輸送人員は減少を続け、2011年度は東日本大震災の影響もあり135万人にまで減少した。新幹線の開業で347万人にまで回復するとの試算があり、地元経済団体は北東北との交流による経済活性化に期待を寄せる。トンネルの老朽化対策に今後30年で1,107億円を要するとの試算もあり、新幹線開業による収入増が課題になっている。
新幹線を迎えるためのレール敷設工事は終了。トンネルを新幹線と共用するJR貨物は2月に新型電気機関車の試作車を配置、現在走行試験を行っている。

新幹線がらみの記事としては、函館市議会が新幹線新駅の名称を、仮称どおり「新函館」とするよう求める決議案を可決したとの記事が載っている。
新函館駅(仮称)は、現在の函館本線渡島大野駅の位置に建設され、所在地は函館市ではなく、隣の北斗市になる。北斗市議会では昨年6月、新駅の名称を「北斗函館」とするよう求める決議案を可決しており、新駅の名称を巡る自治体バトルが本格化する。

直接的に鉄道の話題ではないが、新幹線開業に伴う経済効果の一層の波及を目指し、北海道銀行が東北6県の地方銀行10行と業務提携を結ぶという話題。経済団体の交流支援や取引先の相互地域への進出支援、などにより、「新幹線効果」を東北・北海道全域に波及させることが狙いだという。

経済欄には、JR北海道社長の定例記者会見の記事。同じく新幹線がらみで、開業を3年後に控えて、4月1日付で機構改革を実施、「新幹線推進本部」と「観光開発室」を設置。新幹線開業準備と、道南の観光ルート開発を本格化させる。
同じ記者会見で、JR北海道の今冬の節電実績が2010年度との比較で13%の減少となったことを伝える。券売機の一部停止、駅・列車の減灯の他、苫小牧-室蘭間の普通列車を電車からディーゼルカーに切り替えたことで、節電目標の6%を大きく上回る節電を実現した。

一方、札幌地域版には、今年5月からデビューする新型市電の写真が掲載されている。
http://response.jp/article/2013/03/15/193671.html
3連接車体、超低床型電車のお値段は2億6千万円。2014年度にもさらに2編成を導入し、同年度中に予定される市電のループ化(西4丁目~すすきのを駅前通り経由で接続)に花を添える形になる。
翌日(つまり今日)の新聞では、これに加えて、ICカード「SAPICA」のバス・市電での利用開始日が6月22日になったと伝えた。同時にSAPICAエリアでのKitaca・Suicaの利用も可能になるらしいが、逆にKitaca・SuicaなどのエリアでSAPICAは利用できない。このあたりが「互換性」という感覚が欠落している札幌市らしいところではある。

開業まで3年となった北海道新幹線を中心に、この先も鉄道に関する話題は尽きることがないと思われるが、いずれにしても1日の紙面にこれほど鉄道がらみの記事が、それも大きく扱われていると、つい嬉しくなって記事に見入ってしまう。おかげでこの日、私は出勤のバスに1本乗り遅れ、あやうく会社に遅刻しそうになった。

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2013/03/10

卒園式、3月の札幌

Dscn1738入学、あるいは卒業、卒園などといった区切りのシーンに立ち会うと、親として、子供の成長をより強く実感することになる。
今日、下の坊主が、3年間通い続けた幼稚園の卒園式を迎えた。3つ違いの上の坊主も、1年通っているので、親としても4年間何度も訪れた幼稚園とのお別れである。

私は元来、非常に涙腺がゆるい。
喜怒哀楽も激しいし、極度の「感動屋」でもある。そのレベルは「ドラえもん」映画のエンディングで毎回目を赤くし、「白い巨塔」を見るたびに、唐沢寿明演じる財前五郎の「無念だ」というセリフのシーンで号泣する、といった感じである。

Dscn1744そんなわけで、私は式の最中にうっかり涙をこぼしてしまわないように必死で我慢していた。幸い、卒園式そのものは綿密な練習に基づいて淡々と進行し、坊主が証書授与の際に「出」のタイミングを間違えた程度の粗相はあったものの、私が感極まるようなできごともなく、無事終了した。

Dscn1773その後、子供たちを迎えるため、私たちは教室へ入った。子供たちが先生から証書やプレゼントを渡されている間、私は壁一面に張られた写真を見ていた。
その中に、坊主が年中児2人と一緒に写った写真を見つけた。坊主は、小さな年中さんの手を、気遣うように優しく引いていた。
そこにいるのは、いつも上の坊主にピッタリくっついて離れず、時に末っ子モード全開でダダをこねつつべそをかく坊主の姿ではなく、お兄さんらしく振る舞う、私の知らない坊主の姿であった。私はその写真を眺めながら、不覚にもこみ上げてくるものを感じた。

いつもならばここで目を真っ赤にして、ツツツと涙を流すところだが、今日のところはじっとこらえた。というか涙が出てこなかった。

Img_0571多分私が我慢強かったわけではない。おそらく、卒園式に出掛ける前に、昨夜から今朝にかけて積もった、30cmを超え、かつ部分的に吹き溜まっている雪を、汗をかきつつ泣きながら除雪したせいではないかと思う。
卒園式で流す予定の涙は、その際に出し切ってしまったようである。

最近、週末ごとに大荒れの天気になっていて、そのたびに私の体力は著しく消耗される。いい加減、さっさと春になってくれよ、と思うのだが、一方で深刻な健康被害をもたらす黄砂とかPM2.5が降るよりはいいか、と、自分を慰めている。

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2013/03/05

「優先席」と「専用席」

電車やバスに必ず設けられている「優先席」。私たちの世代は「シルバーシート」などと呼んでいた。今から40年前の1973年、旧国鉄が優先席を導入するに当たり、当時大半が青色だった普通列車の通常座席と区別するために、シルバーグレー色のモケットを使用したことに由来するのだという。ちなみにこのモケットは、「団子鼻の新幹線」0系の古い座席に使用されていた布地の予備を活用したものなのだとか。
その後時代は変わり、列車の座席色もバリエーションが増え、優先席のカラーも必ずしもシルバーグレーではなくなった。最近では吊り革の色もオレンジ色にして、優先区画を明確に識別し、携帯電話オフを呼びかけている会社もある。

Img_0443そんな中、札幌市営地下鉄では「優先席」ではなく「専用席」と称している。
全国的にも札幌の地下鉄だけらしいが、一般の乗客は座らない前提なのが「専用席」で、あくまで「優先」であって、一般の乗客が座ることを妨げない「優先席」とはその意味合いが異なる。

Img_0444実際に地下鉄電車に乗ってみると、立ち客が出るような状況でも、「専用席」だけは空いていることが多い。これはラッシュ時も同様である。また、地下鉄に接続する市内の路線バスは、各社とも「優先席」としているが、地下鉄の「専用席」が浸透しているためか、こちらも混雑時でも誰も座っていないことが多い。

「優先席」のあり方は、今も昔も議論の対象となっている。
本来、高齢者や身障者、妊婦などに座席を譲ることは、個々人の良識に属することであって、強制力をもって行うべきではない。そういった「性善説」に立って考えれば、「専用席」はおろか「優先席」も必要ないのであるが、実際のところはそううまくはいかない。私自身、短時間であれば席を譲るのをためらうことはない。けれども疲れているときや腰の調子が悪いときなど、気持ちはあっても腰が上がらないことがある。

1999年に阪急電鉄・能勢電鉄などが「全席優先席」という方針を打ち出し、横浜市営地下鉄も追随したが、阪急・能勢電では2007年に優先席制度を再導入した。「席を譲ってもらえない」という苦情が多かったためだという。

ルールはモラルの低下した部分に対して発動され、改善が見られない環境で強化される。「優先席」の復活はまさにその典型であって、札幌市営地下鉄で「専用席」が導入された背景には、「優先席」だけではモラルが確保できないという当局の判断があったのだろう。
ラッシュの車内で、誰も座らずデッドスペースになっている「専用席」を見ると複雑な気持ちになるが、そのリスクも考慮してなお「専用席」制度を続けていることに対しては、ある種の寂しささえ感じる。
けれども、「専用席」の概念が定着した一方で、混んだ車内でも大股開きで2人分の座席を占拠して罪悪感のかけらも示さない若者や年配サラリーマンの姿を見ていると、それも仕方のないことなのかなと思えてくる。

高齢者・身障者向けの座席に「専用席」を導入している一方で、全国の都市部で導入が進んでいる「女性専用車」については、札幌市営地下鉄では「女性と子どもの安心車両」として、「専用」の言葉を用いていない。子供や身障者の付き添い乗車を考慮した結果だということだが、世の男達は粛々とそのゆるいルールに従っている。

この辺が多少面白いな、と感じるところではある。世の中の女性が怖い、などと遠まわしに言うつもりは毛頭ないのだけれど。

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2013/02/20

変わりゆく札幌市営地下鉄南北線【2】

今朝、通勤のために最寄りの札幌市営地下鉄南北線・真駒内駅のホームへ上がると、昨日まではなかったホームドアが取り付けられていた。

Img_0563_2昨年7月21日のブログ(「変わりゆく札幌市営地下鉄南北線」)にも書いたが、昨年6月から南北線全駅へのホームドア設置工事が進められている。
工事は最北端の麻生から始まって、1か月に2駅のペースで進められてきたが、いよいよこれが最南端の真駒内まで達しようとしている。

Img_0566おそらく昨夜設置されたばかりのホームドアはまだ稼働しておらず、乗降口の部分がぱっくりと口を開けたまま、壁だけが仁王立ちしている状態。おそらくこれから点検やテストが実施されるのだろう。
まだ稼働していない旨注意を促す貼り紙のとともに、3月2日からホームドアが稼働する旨の貼り紙がある。

Img_0567南北線ではすでに昨年6月4日から自動運転が開始されており、真駒内駅を最後に全駅へのホームドア設置も完了する。車両への非常通報ボタンの設置改造もすでに終わっており、あとは4月1日からのワンマン運転を待つばかりとなっている。
これ以降、車掌が乗務する路線は東豊線だけとなり、少なくとも数十人という車掌が職を失うことになる。4月以降、彼らの処遇がどうなるのかは非常に気になるところだが、その一方で、昨秋来車掌の採用試験が行われていて、新たに6名の車掌が採用されている。そのあたり、どうもよくわからない。

Img_0565_2昨年3月の3000形電車の引退以降進められてきた南北線の近代化は、これで完了する。
ドア位置の異なる2種類の電車が走っていた名残、青と緑の乗車位置表示は、該当車両が消滅した緑の看板どころか、ホームドアにより看板そのものが不要になる。開業から40年、南北線の歴史はまた1ページめくられる。

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2013/02/11

ナイタースキー~この手ごろな冬のレジャー~

札幌・藻岩山と言えば、札幌市内の観光名所のひとつで、札幌市内の風景を一望できる展望スポットとして名高い。山麓から山頂へはロープウェイも通じている。

Img_0556この藻岩山の山腹にスキー場がある。昨夜、この「札幌藻岩山スキー場」へ家族でナイタースキーに出掛けた。

私はこのスキー場の、特にナイタースキーが大変気に入っている。その理由はいくつかある。

理由その1、近い。
冬の手軽なレジャーかつスポーツであるスキー。近年ではレジャーの多様化でスキー人口も減少気味だというが、それでも札幌近郊にスキー場は数多い。
ここは札幌市中心部から近く、足場が良いのが売りだが、なによりわが家からは車で5分の距離である。夜6時からのナイターに、5時半に行こうと思い立っても十分間に合うのである。

理由その2、安い。
日中は3時間券2,200円、7時間券3,200円の料金設定だが、ナイターになると16時から21時まで2,000円、18時以降になると1,100円の安さである(すべて大人・子供同額)。脇目もふらずに3時間も滑れば十分満足できるから、家族4人で4,400円でたっぷり滑ることができる。駐車料金もかからない。

理由その3、空いている。
Img_0558私がナイタースキーに行けるのは土曜日の夜くらいなのだが、それなりに客はいるものの、おおむねいつもほどよく空いている。リフトも待つ必要がないし、疲れればロッジで腰掛けて休むこともできる。ゲレンデも空いているうえ、今どきスノーボード禁止のスキー場なので、子供の練習にも最適なのである。

理由その4、コースが豊富。
平均斜度5~7度の初心者向けゲレンデから、最大斜度35度のコブ付上級者コースまでバラエティーに富んだコースがある。コースはいずれもやや短めで、全10コースはスキー場としては中規模程度だと思われる。
だが、ナイターとなると大半のコースを閉鎖してしまうスキー場が多い中、ここは10コース中8コースがナイター利用可能になっている。これは珍しい。

理由その5、山上からの絶景。
Img_0560ある意味、私がこのスキー場を気に入る最大の理由と言ってもいいかもしれないが、山上からの景色が抜群に素晴らしいのである。
リフト2本を乗り継いで到達するスキー場の最高地点は、山頂展望台よりもやや低い位置にあるが、それでも、これから滑降していく方向に向かって札幌市内の夜景が見事に広がっている。おそらく大都市の夜景がこれほど近くに望めるスキー場は他に例がなく、この時ばかりは、庭に鹿の出るようなところに住んでいてよかったなぁ、と感動するのである。

ただし、この絶景ポイントの下は、最大斜度35度のコブ付上級者コースである。
心おきなく夜景を堪能した後は、親子そろって時に宙を舞い、雪だるまのような状態になりながら転げ落ちていかなければならない。

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