1995年・最後の長い汽車旅【4】新日本海フェリー「フェリーしらかば」19時間
前回の続き。
10時頃、案内放送に促されて乗船開始。そういえばいつもは車と一緒に乗り込むので、ターミナルから乗船するのは初めてである。長い通路を歩いた先に待っている本日の就航船は「フェリーしらかば」である。私は2012年の暮れに、苫小牧-秋田-新潟-敦賀便に転配されていた「フェリーしらかば」にもう一度乗船する機会を得ることになるのだが、この時の「フェリーしらかば」は、就航からまだ半年余りの新造船だった。
⇒船旅ざんまい【1】新日本海フェリー「フェリーしらかば」(1)
入口で乗船券のチェックを受け、桟敷の2等船室区画へ向かう。10室以上ある2等船室は、2室を除いて鍵が掛かり、閉鎖されている。乗船客が少ないからだろう。2室の客を比べて、放浪の旅、といった風情の若者がまったりとしている方を敬遠し、老夫婦と、受験生とおぼしき娘とその父親らしき組み合わせという二組が入っている客室を選ぶ。二組は四隅の窓側に陣取っているので、一番離れた入口側の一隅に荷物を下ろす。出航間際になるとどちらの船室も10人ほどの入りになったが、それでも閑散としている。
10時半の出航を待って船内の観察に出かける。広いエントランスロビーは適度な照明で、ふわふわのソファに腰を埋めると、そのまま寝てしまいたい衝動に駆られるほど居心地が良い。船客の少なさに比例するかのように乗組員の数もオフシーズン体制らしく、レストランの営業中は売店は閉まっている。小奇麗な喫茶コーナーも営業しておらず、コーヒーも飲めない。ゲームコーナーには数年前に流行った、今となっては時代遅れのゲームと脱衣麻雀ゲームが置かれている。暇つぶしに挑戦してみたが、たちまち1,000円近く飲み込まれた。
列車と比べても気ままに歩き回れるゆとりの空間だが、何しろすることがない。真冬の日本海を航行中のフェリーのデッキに出る理由も勇気もない。船室に戻って横になり、雑誌などに目を落とすうち、再び睡魔が襲ってくる。列車と違って寝過ごしの恐怖も降り間違いの心配もない。うとうとのつもりがぐっすりになって、次に目が覚めたのは17時過ぎだった。
18時、レストラン営業開始の放送が入る。朝食も昼食も抜いており、猛烈に腹が減っている。カフェテリア方式のレストランで、肉じゃが、タンシチュー、サーモンマリネ、サラダ盛り合わせ、ライス(大)、フレッシュミルクを盆に乗せ、しめて2,090円。窓際の席に陣取って味わったあと、食後のコーヒーを追加。食事と同じ要領で会計を済ませ、席に戻って一口飲んだところで、ウェイターが現れて、「少々ぬるいかもしれませんので、お取替えいたします」と、熱いコーヒーと取り替えてくれた。さっきのコーヒーもさほどぬるかったようには思えないし、大体猫舌なのだからどっちでもいいのだが、結構なサービスだと思う。
ひと息つきながらレストラン内を見渡すと、意外とテーブルが埋まっている。2等寝台や1等船室にはそれなりに客がいるのだろう。トラックのドライバーとおぼしき客も多い。関西方面より西へは日本海航路の利便性が高く、貨物トラックの利用が多いようである。さらにこれが夏休みシーズンともなると、北海道を目指すライダーやドライバーの若者で2等船室も芋洗いのような様相を呈する。
1時間ほど過ごして船室へ戻り、明日の予定を大まかに立てるべく時刻表を眺める。新潟着予定は明朝5時。まずはきっぷのルートに忠実に、新潟から会津若松、只見、小出、長岡と進むことにする。問題は、会津若松から小出までを結ぶ閑散路線の只見線で、直通列車の本数が少ない。ムダのない行程が組めるのは会津若松発6時02分、12時47分、16時20分の3本しかない。このいずれかに乗らないと、途中で足止めを食ったり、何時間もの乗り継ぎ時間を持て余したりすることになる。とりあえず12時47分の列車に照準を定めておく。
21時半、一日の疲れを落とすべく浴室へ行くが、なんと21時で営業終了している。明日は早朝の到着で船客の大半が早寝だろうとは思うが、いくらなんでも早すぎる。太平洋フェリーでは仙台停泊中の数時間を除き、深夜も含めてほぼ一日中入浴できるのに、なんともせこい。仕方なく部屋に戻って横になる。22時、消灯。
続く。
ランキング参加中です。みなさまの「クリック」が明日への糧になります。よろしかったら、ポチッとな。














1995年3月17日12時半過ぎ、札幌市東区のアパートを出発した。当時のクルマは、























最近のコメント