船の旅人

2021/09/26

帰省百態【7】クルマとフェリーの旅(5) 商船三井フェリー「さんふらわあ」

 積み残しネタと言えばもうひとつ、2年ほど前に書き始めてやはり中途半端で終わっていた札幌~岐阜間の帰省の話がある。

  帰省百態【0】岐阜・札幌間の小さな旅
  帰省百態【1】名古屋・札幌 空の玄関の28年
  帰省百態【2】50時間のクルマ旅
  帰省百態【3】クルマとフェリーの旅(1) 新日本海フェリー
  帰省百態【4】クルマとフェリーの旅(2) 東日本フェリー
  帰省百態【5】クルマとフェリーの旅(3) 太平洋フェリー その1
  帰省百態【6】クルマとフェリーの旅(4) 太平洋フェリー その2


 前半はクルマとフェリーの組み合わせでの帰省の話が中心になり、利用した航路もおおむね上記の3航路に集中しているが、最後にもうひとつ、これ以外で一度だけ利用した、苫小牧-大洗間の商船三井フェリーの話を書いておく。
 北海道と関東をダイレクトに結ぶ航路は、かつては釧路-東京、苫小牧-東京、室蘭-大洗などが存在したが、1999年から2002年にかけて相次いで廃止、あるいは休止となり、苫小牧-大洗が唯一の存在となっている。


 当時も現在も、この航路には夕方便、深夜便が各1往復運航されており、所要時間は18~19時間。私が利用したのは2007年12月29日、苫小牧発18時30分の夕方便、「さんふらわあふらの」である。ちなみにこの船は2017年に更新されており、現在の就航船は2代目。私が乗船した初代は、もともと東日本フェリーが「へすていあ」の船名で室蘭-大洗航路を運航しており、「へるめす」「はあきゆり」の姉妹船である。2017年に引退してインドネシアへ売却されたようである。


 当時、私たち一家は岩見沢に住んでおり、上の坊主は4歳、下の坊主は1月に生まれたばかりの0歳児であった。
 早くから子供を連れて札幌の実家に帰っていた嫁は、一足先に下の坊主とともに東京に住む叔父の家へと飛んでいた。28日まで岩見沢で仕事をこなした私は、29日の15時半頃、嫁の実家の両親に連れられてやってきた上の坊主と、苫小牧港フェリーターミナルで合流した。ここから坊主とふたりの船旅&クルマ旅である。


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 坊主は初めての船旅が待ち遠しくてしょうがないようで、ターミナルの外から、出航を待つ「さんふらわあふらの」と、仙台へ向かう太平洋フェリー「きたかみ」の姿を見て「ねぇはやくおふねにのろうよぉ」とはしゃぎ気味。16時半過ぎに車とともに乗り込み、カジュアルルーム(2等寝台)に荷物を置いて船内をひとまわりすると、目を丸くしながら走り回っている。
 この日はちょうど国内各地に雪をもたらした気圧の谷が通過した日であった。わが船も相当の揺れが予想されたため、レストランでの食事前に酔い止めのアンプルを親子ともども流し込むが、案ずることもなく坊主は、あれもこれもと皿に乗せてきたバイキングの料理をぺろりと平らげ満足気である。


 食後は大浴場へ。船が外海に差し掛かったようで、風呂の湯が大きく波打っては浴槽からこぼれている。大きなお風呂が大好きな坊主は、それもまた楽しかったようで、またまたおおはしゃぎ。風呂を上がった後も、船内を所狭しと駆け回り、船の大きな揺れで通路に何度もひっくり返るが、まったく平気である。


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 そんなこんなでやっと寝付いたのが22時過ぎ。つられてお父さんもそのままお休み。夜更かしすると絶対に早起きできない坊主が、翌朝7時にはピシッと目を覚まし、利口なことに一人で便所の場所を探し当てて用を足してきたらしく、眠くてしょうがないお父さんを必死でゆすり、
ぼくえらいでしょ、ね、ね、だからはやくあさごはん~
と猛アピール。お父さんも起きないわけにはいかず、手をひかれるままにレストランへ。朝食もいつもの3割増ほどの量をあっさりと胃に流し込み、再度浴場へ足を運ぶが、揺れのせいか浴槽の湯が半分以下しか残っておらず、入浴は断念となる。


 あとはキッズルームで見知らぬお友達と遊んだり、展望デッキで海を眺めたりと、大洗まで20時間程の船旅を全く飽きることなく、また船酔いすることもなく、元気で大洗に降り立った。坊主は「すご~くゆれたねぇ。でもたのしかったね。またおふねにのろうね」とニコニコしながら語り、車が東京ヘ向けて走り出すとほどなく、助手席でぐっすりおねむになってしまった。


 ところで私はこの航海の途中、車のカギを一瞬紛失して、坊主を連れてあちらこちらを探し回ることになった。30分近くかけて結局、展望デッキのソファの間にはまり込んでいたのを発見し、ほっとしたのであるが、よほどその出来事が印象に残ったらしい。以来、坊主が何か失くし物をすると「ちゃんと整理しておかないからだ!」と叱りつけるのであるが、そのたびに奴はニーッと笑って、「お父さんもフェリーの中でカギ失くしたよねえ」とのたまうので、二の句が継げない私は何の説得力も持たなくなる
 そんな坊主も18歳。誰かに似て受験票を忘れて受験に行くのではないかと、今から心配でならない。




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2019/11/04

帰省百態【6】クルマとフェリーの旅(4) 太平洋フェリー その2

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 私が初めて太平洋フェリーを利用したのは、1994年3月のことである。当日の運航船は「きそ」(初代)。私の2夜の宿はB寝台、2段寝台の下段だった。いたってシンプルなつくりの寝台だったが、ベッド幅は広く、貧乏大学生の寝床としては十分な広さがあった。
 出航を待たずにレストランへ行って食事を堪能した後、船内を散歩。カフェコーナーも設けられた広々としたラウンジとショーラウンジをつなぐプロムナードデッキには、テーブルとソファの席が並んでいたが、どこも先客がすでに思い思いに休んでいた。


 若くて色気も血の気も盛んな男の子時代には、まあいろいろとあるものである。もう時効だと思うので書くが、この時私には多少の下心がなかったわけではない。私は、若い女性がひとりで読書をしている一角へ行き、「相席よろしいですか?」と声をかけた。相手の女性は、「あ、どうぞ」と軽くうなずいて、再び本に目を落とした。
 けれども、元来が奥手で通っていた私に、この先の具体的な戦略があったわけではない。話しかけてみたところで、はかばかしい反応が得られなければ、乗船早々私の船旅は殺風景なものになるし、手ひどく撃退された暁には私は二度と太平洋フェリーに乗れなくなる。着席してからおよそ20分にわたって私はそういう葛藤と激戦を繰り広げた。


 そうは言ってもこのまま黙って時を過ごすのもそれはそれでつまらない。私は意を決して彼女に声をかけてみた。「ご旅行ですか」とか「何の本ですか」とか、そんな感じだっただろう。幸い退屈していたのか、彼女の反応は予想外に良かった。私より1つ年下の社会人の彼女は、某地まで彼氏に会いに行った帰りだと言った。

 想像以上に話が弾み、自然に話が弾み、1時間後には私と彼女はデッキに出て、暗い海をゆらゆらと照らす月明かりを、手をつないで眺めていた。


 仮に私がもう少し金と経験を兼ね備えていれば、船室を1等個室にグレードアップし、彼女を誘ってふたりの時間を堪能しただろう。間違いなくそれが許される雰囲気だった。しかし、貧乏にしてまだ奥手だった私にはそこまでの悪知恵さえなく、夜遅くまで一緒に過ごして、後ろ髪を引かれるように、私はB寝台へ、彼女は二等船室へと帰った。


 翌日の日中も、私は彼女とずっと時間を過ごし、16時30分、仙台港に到着。3時間の停泊中、宮城県の某市に帰る彼女とともに私は一時下船し、タクシーで多賀城駅前まで出て一緒に夕食を食べた。いよいよ時間となり、店を出た私の後ろから、彼女は私の体にぎゅっと腕を回して「もう行っちゃうの?」と言った。私も後ろ髪を引かれる思いではあったが、車も荷物も船の中にある私に選択肢は他になかった。お互い名前さえ知らずに別れたのだが、あの時連絡先を交換していたらどうなったかな、と、今でも思い出すことがある。



 その4か月後、就職も無事決まって実家へ帰る際、私は再度太平洋フェリーを利用した。この時は先代の「いしかり」で、当時「いしかり」のみに設けられていたカプセルタイプのA寝台だった。なぜ冬期割引のない最も高い時期に太平洋フェリーを利用したのか、そのお金はどうしたのかなど、今となってはなのだが、おそらくその前の体験からいくばくかの下心をもって乗り込んだに違いない。だが、家族連れで賑わう夏休みシーズンの船内に二匹目のどじょうはおらず、何をして約40時間を過ごしたかの記憶も残っていない


 そう言えば太平洋フェリーと言えばもうひとつ、間接的な思い出がある。
 以前に書いた、50時間陸路を走って車を岐阜の実家に置きに帰った、そのあとの話である。

 ⇒帰省百態【2】50時間のクルマ旅

 2か月間の実習を経て勤務地が札幌に決まった私は、実家に連絡を取り、車を太平洋フェリーで単独陸送してくれるようにお願いした。両親が車を名古屋港まで運び、2日後に私が苫小牧港まで引き取りに行く予定だった。
 ところが車が名古屋を出発するその日、母から電話があり「お父さんも一緒に乗ったから」と言われた。2日後の朝の苫小牧港には、見慣れた赤い車とともに見慣れた父の白髪頭があった。


 「車だけで運ぶのも、人が同乗するのも同じ運賃だったんで」と謎の理由を口にした父は、その週末を6畳に満たない私の独身寮に寝泊まりし、週明けに飛行機で帰って行った。「飛行機代は余計にかかってるはずだよなあ」という疑問は、口にし損ねた。



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2019/10/27

帰省百態【5】クルマとフェリーの旅(3) 太平洋フェリー その1

Taiheiyou_20191022232201  新日本海フェリー東日本フェリーの回にも書いたが、札幌と岐阜の間をクルマで移動する場合に、最も自走距離が少なくて済むのは、名古屋-仙台-苫小牧太平洋フェリーである。
 これを利用すると、自走距離は札幌-苫小牧西港の約70km、名古屋港-土岐の約70km、計140kmほどで済む。自分で運転しなければならない距離が短いのは精神的にも肉体的にも負担が軽くてよい。


 だが私が太平洋フェリーを利用したのは、これまで4回で、新日本海フェリーと東日本フェリー直江津便を合わせた日本海航路利用回数の半分である。それも名古屋行き1回、苫小牧行き3回と、帰省の帰路に集中している。行きは多少疲れても安く、帰りはできるだけ楽に、という気持ちの現れだが、利便性の割に利用回数が少ないのには理由がある。


 その第1は所要時間である。1995年当時の時刻表を見ると、苫小牧発18時30分、仙台に3時間ほど寄港して名古屋着は翌々日の10時となっている。所要時間は39時間30分である。このダイヤは現在でもほとんど変わりはない。
 この便に乗るためには札幌を遅くとも15時30分頃には出る必要があり、実家への帰着は翌々日の昼過ぎになる。室蘭-直江津航路利用ならば札幌発は19時近くても大丈夫で、実家には翌日深夜には到着できた。


 理由の第2は運賃である。5m乗用車+2等運賃で苫小牧-名古屋間は当時50,990円。12月~6月は35%の冬期割引で33,100円になったが、それでも室蘭-直江津航路の倍近い運賃だった。自走距離が短く燃料代が少なく済むことを考えても、簡単に「乗ります」と言える価格設定ではなかった。ただし、現在では最繁忙期でも43,200円と当時と比べて安くなり、早割などの割引を利用すれば、時期によっては25,000円程度で利用できる。新日本海フェリーの苫小牧東-敦賀は現在32,770円で、場合によっては逆転することになる。


Dscn1667 太平洋フェリーは、名古屋・仙台・苫小牧それぞれにゆかりのある川の名前をとった「きそ」「きたかみ」「いしかり」の3船で運行されている。名古屋-仙台-苫小牧を「きそ」「いしかり」が隔日運航し、その合間を埋めて「きたかみ」が仙台-苫小牧を運航するのが基本ダイヤであり、毎年1~2月に各船がドック入りするための変則運航期間以外は「きたかみ」は名古屋へは入らないことになっている。


 したがって私が利用したのも「いしかり」「きそ」だけなのだが、「いしかり」が2011年、「きそ」が2005年に新造船に交代した関係で、4回の利用はすべて別の船ということになっている。1994年3月に初代「きそ」、1994年7月に2代目「いしかり」、2008年1月が2代目「きそ」、2013年1月が3代目「いしかり」といった具合である。


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 太平洋側を航行し時間的ハンデがある太平洋フェリーだが、その分貨物より旅客に軸足を置いたサービスが展開されていた。広々として明るい雰囲気を持つエントランスやレストラン、ほぼ終日利用できるカフェコーナーや大浴場、毎晩歌や音楽、手品などのショーが開催されるシアターなど、フェリーにしてほんの少しクルーズ船の気分を味わえる航路である。雑誌「CLUISE」の読者が選ぶ「クルーズ・シップ・オブ・ザ・イヤー」のフェリー部門では、2代目「いしかり」・2代目「きそ」・3代目「いしかり」の3船で1992年の賞創設以来27年連続で受賞しているのがその証左でもある。


 2013年1月に「いしかり」を利用した際は、家族4人での初めての(そして今現在唯一の)家族での船旅であった。これについては以前にもブログでご紹介した。

 ⇒船旅ざんまい【3】太平洋フェリー「いしかり」【その1】 【その2】 【その3】

 この時の「いしかり」と、2008年1月に利用した「きそ」が、現在も運航中のフェリーである。
 2008年の正月の帰省は、仕事の関係で、岐阜の実家に嫁と子供を残して、単身「オデッセイ」とともに乗り込んだ。生まれて初めて1等船室を利用したが、窓こそ外を向いていないものの、ビジネスホテルのちょっと狭めのツインルーム、と言った感じで、非常に快適だった。エントランスも先代よりも洗練されておしゃれになり、正月明けで活気に満ちた船内のサロンでは、ピアノの演奏に耳を傾ける家族連れの姿が目立った。


 利用時期や航路の性質からか、新日本海フェリーの時のようにライダーと乗り合わせることはあまりなく、家族連れの船客が多い傾向があったように思う。また、大人になって個室利用の機会が増え、部屋に引きこもって過ごす時間が多くなったことで、他の先客と交流する機会も減ったのではないかと思う。
 だがしかし、これは船旅だけに限らず鉄道旅行でもそうなのだが、私がまだ若かった頃には、豊富なフリースペースで過ごす時間が多く、それ故にちょっとした楽しい出会いもしばしばあった。そんな話も含めて、太平洋フェリーの話、もう1回続く。




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2019/10/21

帰省百態【4】クルマとフェリーの旅(2) 東日本フェリー

 本州と北海道を結ぶ長距離フェリーには当時様々な選択肢があったが、所要時間・運賃ともに優位性があったのは日本海航路である。新日本海フェリーの話は以前にも書いたが、大学時代、金はないが時間があった私は、たいてい日本海航路を利用した。その中でも大学時代に私が好んで利用したのが、室蘭-直江津東日本フェリーであった。


Higashinihonf  1995年当時の直江津便は、室蘭発着便と岩内発着便が隔日で運航されていた。13,000tクラスの「へるめす」「はあきゆり」のフェリー2隻が就航し、主に「へるめす」が室蘭便、「はあきゆり」が岩内便に使用されていた。いずれも特等から二等までの客室客室を持ち、レストラン・カフェスタンドなど、中~長距離フェリーの標準的な設備をひととおり揃えていた。運航日の関係で岩内便を利用したことはなく、もっぱら室蘭便、それも直江津行きの南行便ばかり4度利用した記録が残っている。


Ferry1  この航路の最大の魅力はコストにあった。2等船室利用ならば、乗用車5m未満航送で17,610円。新日本海フェリーだと小樽-新潟と同料金で、敦賀-小樽の25,230円と比べるとはるかに安かった。
 加えて所要時間の面でも優位だった。当時、敦賀-小樽航路の約29時間に対して、室蘭-直江津航路は約17時間。自走距離が敦賀-小樽便の約180kmに対して約420kmと長くなり、直江津から土岐市までは国道18号線~国道19号線経由で7時間近くを要したが、札幌を夜に出発して翌日の深夜までに実家に帰り着けるのはこの航路を利用する場合だけだった。


 私の手元の記録では、1993年7月、1994年3月、1995年12月、1996年12月と4回この航路を利用している。いずれも室蘭発直江津行き「へるめす」で、北行便は一度も利用していない。室蘭出航が深夜23時55分と遅いため、室蘭市内で夕食を取ってから乗り込み、1時ごろまで利用可能だった大浴場でひと風呂浴びて昼近くまで眠り、レストランで昼食を取った後バーコーナーでコーヒーを飲む、という行動パターンが定着していた。直江津到着は16時55分、そこからのんびり走っても岐阜の実家に24時前後には到着できた。


 私にとっては非常に便利な航路だったのだが、最大700人乗船できる「へるめす」は常に空いていた記憶しかない。トラックドライバーの姿はそこそこ見かけたが、実際の利用状況がどの程度だったかはわからない。ランチタイム後から直江津入港前まで営業するカフェスタンドは、4回中3回は最初から最後まで私ひとりだけで、係員も完全に手持無沙汰な感じだった。


 1990年に就航した室蘭-直江津航路は、1998年、1996年に就航した合弁会社の九越フェリー・直江津-博多航路の「れいんぼうべる」「れいんぼうらぶ」が乗り入れる形で博多-直江津-室蘭の長距離航路となった。「へるめす」は岩内-直江津航路へ移ったのち1998年にギリシャへ売却され、岩内航路自体も1999年をもって運航休止となった。バブル崩壊後の需要減少や競合の激化により、多数の不採算航路を抱えた東日本フェリーは2003年に事実上倒産する。


 業績悪化の最大の要因とも言われた博多-直江津-室蘭航路は、2001年に貨物重視の新船に再度置き換えられたものの利用状況は芳しくなく、東日本フェリー倒産後も運航は継続されたものの2006年廃止。その他の航路も2008年には廃止され、東日本フェリーは現在の津軽海峡フェリーに吸収されて消滅した。
 この時点で室蘭を発着するフェリーはすべて廃止となり、室蘭港フェリーターミナルは閉鎖。次に室蘭に定期航路が開設されるのは、2018年、シルバーフェリーによる室蘭-宮古航路まで待つことになる。




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2019/09/08

帰省百態【3】クルマとフェリーの旅(1) 新日本海フェリー・その1

 札幌と岐阜をクルマ+フェリーで行き来するのに初めて利用したのは、「新日本海フェリー」である。


Shinnnikkai  平成4年、実家で使っていた550ccの軽自動車「ミニカ」を頼み込んで譲り受け、北海道へ持って行くことになった。
 岐阜から札幌へフェリーへ行く際、一番自走距離が短くて済むのは、名古屋~仙台~苫小牧の太平洋フェリーだが、当時の夏期間の太平洋フェリーは非常に運賃が高く、4m未満の軽自動車航送+二等でも40,000円以上を要した。新日本海フェリーの小樽~敦賀ならば21,320円。2,470円の差額を払って二等寝台を利用しても、太平洋フェリーの半額ですんだ。


 岐阜から敦賀までは中央・名神・北陸自動車道を使用して約3時間。今ならば当たり前に走る距離だが、免許を取って約半年、ここまでほぼペーパードライバー同然の私に運転させるのは危険だと判断した家族がついてきた。父の運転する車に妹、私の運転するミニカの助手席には母が乗る。やれアクセルの踏み方が乱暴だの飛ばし過ぎだの、高速で走っているときは窓を開けるなだの、教習所の教官並みに小うるさいが、愛情の発現と受け止めなければ罰が当たる。


 21時過ぎに敦賀港フェリーターミナルへ到着。家族と別れ、小樽行きフェリー「ニューすずらん」に乗り込む。ユースホステルの相部屋のような雰囲気の二等寝台に荷物を置いて、デッキで出発の時を過ごす。23時30分出発。ターミナルの灯りに見送られて、暗い日本海へと出ていく。船室へ戻って就寝。ぐっすりと眠った記憶がある。


 初めてのフェリーの旅は穏やかな天候にも恵まれて快適だった。船内は北海道のツーリングを楽しむライダーが多く、盛況。朝食のレストランで相席になった、愛知の社会人の男性ライダー、それと京都の社会人女性ライダーと親しくなった。1週間あまりの休暇を利用して北海道のツーリングを楽しむとのことで、小樽到着までの時間をほぼ3人で過ごした。


 当時の敦賀~小樽便は、船中2泊を要し、翌々日の早朝4時着だった。ライダー二人と別れて私は1時間余り走って札幌へ到着した。幸い事故に遭うこともどこかにこすることもなく、順調なドライブだったが、油断は危ない。この1週間後、私はミニカを札幌市内で電柱とバックで交尾させることになる。

 ⇒ 「いかさまマイカー列伝【その1】『へたくそ』のための入門車」

Ravender  2度目の新日本海フェリーはその2年後、1994年8月である。この時は岐阜から大阪へ走って高校時代の友人と会い、中国道・舞鶴道経由で舞鶴フェリーターミナルから23時30分発の「フェリーらべんだあ」に乗った。おそらく2等寝台を利用したはずだが、この時の記憶はほとんど残っていない。おそらく日中も含めて、船内で眠り呆けていたと思われる。


 3度目は社会人になって2年目の1997年1月だった。1年前に購入した「CR-V」とともに、敦賀発小樽行きの「すずらん」に乗った。初めての時に利用した「ニューすずらん」は1996年に退役しており、その後継として導入された新造船である。高速化によって、敦賀23時30分発、小樽翌日20時30分着と所要時間が大幅に短縮された代わり、急行料金と称して800円が余計にかかることになった。


 ところがこの日の日本海は大時化。折り返しとなる小樽からの便が2時間以上遅れて到着したため、敦賀港出発が深夜2時過ぎとなった。海上が時化ればレストランが閉鎖になることも考えられ、私はとりあえず乗船前にがっつりと夜食を食べて乗船した。それがいけなかったらしい
 2時間半ほど遅れて出航した「すずらん」は、時化を避けるために蛇行しながら北上したが、とにかくひどい揺れに遭った。二等寝台に横になっていても体が勝手に右へ左へとローリングし、私は3度にわたって便所へ駆け込む羽目になった。
 小樽着は日付を跨いで翌朝4時を過ぎ、急行料金800円は払い戻しになったが、船酔いでフラフラの私は小樽から当時住んでいた手稲の寮に戻り、荷物を置いて着替えてそのまま会社へ出勤することになった。


 これ以降、クルマとフェリーで帰省する機会が減少したこともあり、新日本海フェリーとはやや疎遠になった。次にクルマとともに新日本海フェリーを利用するのはそれから約16年後、2012年末の苫小牧東~新潟航路、「フェリーしらかば」でのことになる。これについては過去に記事を載せているのでそちらをどうぞ。

 ⇒船旅ざんまい【1】新日本海フェリー「フェリーしらかば」(1)
  船旅ざんまい【2】新日本海フェリー「フェリーしらかば」(2)

 小樽発着がメインだった新日本海フェリーは、1999年の苫小牧東港(周文フェリーターミナル)の開設以降、そちらへの転移が進み、現在は小樽~敦賀便は定期運航していない。「フェリーらべんだあ」は2004年、「すずらん」も2012年に新船に置き換えられたとのこと。世代交代のたびにゴージャス化が進んでいるようだが、私は新日本海フェリーと聞くと、レストランや売店、浴室、各船室などひととおりの設備がそろっていながらどこか安っぽい造りだった、初めて乗った時の「ニューすずらん」を今も思い出す。

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2019/09/01

帰省百態【2】50時間のクルマ旅

 大学2年の夏に車を手に入れて以来、フェリーを利用して車とともに帰省する機会が増えた。
 通常は太平洋、あるいは日本海を回る長距離フェリーの利用が多く、その場合地上の走行時間は前後合わせて長くても10時間程度なのだが、28年間でたった一度だけ、津軽海峡だけをフェリーで越え、延々と車を走らせて実家に帰ったことがある。


 就職を目前に控えた大学4年生の3月のことである。
 私の会社は4月の入社と同時に1週間の受入教育を札幌でおこない、その後約2か月にわたって地方での実習となる。6月以降の配属先の決定は5月下旬で、それまで勤務地がどこになるのかは全くわからない。札幌配属の保証もないからアパートはいったん引き払うことになる。荷物は札幌の運送会社に預けたが、車は置き場に困って、いったん岐阜の実家に預けることになった。


Arashi043  1995年3月17日12時半過ぎ、札幌市東区のアパートを出発した。当時のクルマは、大学時代を共に謳歌した赤いファミリアである。
 普段だと函館方面へ向かうときは、国道230号線を南へ走り、喜茂別町・留寿都村を経て豊浦町へ抜け、国道37号線から5号線に入るルートを使うことが多いのだが、確かこの時は国道5号線をひたすら走り、小樽市から倶知安町、長万部町を経て函館へ向かった記憶がある。函館港フェリーターミナルまでは263km、途中休みながらゆっくり走っても、18時半前には到着していたはずである。


 函館から青森へは東日本フェリーを利用する。本州と北海道を連絡するフェリー会社の代表格だったこの会社も懐かしい。2003年に会社更生法を申請して新法人に引き継がれたのち、最後まで残った函館-青森・大間の2航路をもともと子会社だった道南自動車フェリーに譲渡して消滅した。今の津軽海峡フェリーにあたる。
 20時10分発の24便の使用船は「べえだ」。当時の東日本フェリーは、頭文字が「V」から始まるものが多かった。5,000t級の船なので、長距離フェリーと比較すればひとまわり以上小さいが、それでも1等・2等寝台・2等とひととおりの設備がそろっていた。


 2等船室でゴロリと横になることおよそ4時間弱、24時ちょうど頃に青森港へ到着。ここから国道4号線をひたすら南へ向かう。沿道に点在するコンビニは、「サークルK」が多い。あれは中部エリアにしかないと思っていたので、新鮮な発見である。
 途中給油を経て、4時少し前に入った盛岡市で、車を止めて4時間ほど睡眠。それからまた国道4号線を走る。12時頃にたどり着いた仙台には高校時代の鉄道仲間の方が住んでおり、そこに立ち寄って午後の時間を過ごす。


 夕方5時頃に仙台を出発し、みたび国道4号線を南へ。夜も更けた宇都宮市内で2度目の給油後、車を止めてまた4時間ほど仮眠。うっすらと空が白み始めた頃、荒川にかかる大きな橋を渡り、皇居のお堀端までやって来た時には2度目の夜明け。青森からここまで約740kmである。


 東京からは国道1号線。この旅唯一の有料区間、箱根新道を抜け、温泉にもわき目を振らずひたすら西へと向かう。浜松市で国道1号を離れて国道257号線へ入り、かなり深い山道を抜けて愛知・岐阜の県境を越え、東京から約380km、実家へたどり着いたのは15時近くであった。宇都宮で満タンにしたガソリンは、ほぼ空に近い状態になっていた。札幌を出ておよそ50時間、自走距離は約1,390km。当時22歳の私をもってしても、なかなかしんどい行程だった。体力はあるが金のない学生時代ならではの帰省とも言える。当時の私はそう思っていた


 もっとも、のちになってよくよく計算してみれば、使用したガソリンが約80リットルで約10,000円。これに青函フェリーが16,200円で計26,200円となる。いずれ紹介する東日本フェリーの室蘭-直江津便なら17,610円で自走距離は前後合わせて420kmほどでガソリン代は4,000円足らずと、はるかに安上がりになる。所要時間も30時間かからない。身体は疲弊し、時間もたくさんかかり、費用も実は高いことに気付いた私が、以後同様のルートで帰省することはなかった。

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2013/01/21

船旅ざんまい【6】船旅のお値段

ここしばらく船旅の話を続けていて、友人を始めたくさんの方から、
「で、フェリーの料金っていくらくらいかかったの?」
という質問をいただいた。せっかくの機会なのでまとめておこうと思う。

ただし、昨今はどの交通機関でも利用時期や形態によって料金にかなりの幅がある。よって、かなりざっくりとした話になることをご了承いただきたい。

まず、最も皆さんの興味を引いた、帰路に家族で利用した太平洋フェリー
利用時期によって3段階の料金に分かれており、年末年始はちょうど真ん中のB期間になる。この時期の1等料金は、3~4人用和洋室利用の場合、大人24,000円、子供12,000円。幼児は無料なので、わが家4人では60,000円となる。
実際にはこの他に乗用車1台の航送料金が+26,000円。各料金はインターネット割引で5%安くなる。2等船室やA・B寝台で我慢できればさらに安く済む。

私が行きに利用した、苫小牧東~新潟間の新日本海フェリー
こちらを家族4人でステートB(1等船室相当)を利用したとする。こちらはオフシーズン料金のA期間で、大人12,600円、子供6,300円で、計31,500円、プラス乗用車5m未満1台14,600円と相当安い。ただし太平洋フェリーとは客室設備において天地の差があり、新潟-名古屋間を自力で移動しなければならない労力と別料金を伴う。

飛行機の場合、「先得割引」などを利用しても年末年始は運賃が高いのが定説であるが、幸いなことにわが家で帰省する場合、年末の本州行き、年始の北海道行き、と、通常混雑する方向とは真逆の流動になる。
このため、安い運賃も用意されていて、仮に1月6日の昼前後の便で帰って来たとして、わが家の場合、ひとり15,500円である。幼児でも3歳以上は運賃が必要となるから、4人分で、計62,000円案外安い。逆方向の流動となると、家族4人での旅費合計は10万円を超える。しかも所要時間はわずか2時間で、前後のアクセスを含めても4時間あれば十分である。

これが私の大好きな鉄道を利用するとどうなるか。
最速パターンの、名古屋→(のぞみ)→東京→(はやぶさ)新青森→(スーパー白鳥)→函館→(スーパー北斗)→札幌、と乗り継ぐとする。年末年始は指定席が繁忙期料金となり、大人31,380円、子供15,670円、78,430円。所要11時間。いかに私が鉄道好きであっても、家族揃っての帰省手段にはちょっとなりにくい

こうして比較してみると、わが家の帰省に関する限り、飛行機のコストパフォーマンスが最も優れていると言えそうだが、1等船室利用で、ホテルに2泊したと考えれば、フェリーも皆さんのイメージほど高くないのではないかと思う。
ただし、所要時間が長く、外界から隔離される船旅においては、途中で複数回の食事を必ず挟まなければならない。すべての食事を陸上で買った弁当やカップラーメンで済ませるというなら別だが、船中での飲食にかかる費用もそれなりになる、ということを事前に計算に入れておかないと、後で財務大臣たる嫁と揉めるもとになる

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2013/01/17

船旅ざんまい【5】太平洋フェリー「いしかり」(3)

Dscn1615船内から船外の風景へ目をやる。
19時ちょうどに名古屋港を出港する太平洋フェリーでは、出航後すぐに名古屋港の河口付近に架かる「名港トリトン」をくぐる。ライトアップされた3基の斜張橋が闇の中に浮かび上がる。幻想的な姿が、長旅の門出を祝ってくれる。

Dscn1629複雑な日本列島の海岸線をふんわりと囲むようにして運航されるフェリーからは、陸地が遠くに見え隠れする。日頃陸地側からしか見ることのない風景を、海側から眺めるというのもなかなか趣があってよい。
通常ダイヤであれば8時20分前後、房総半島の先端、犬吠埼に接近する。小高い丘の上には、風力発電の風車がにょきにょきと立っている。

Dscn165013時40分ごろ、進行方向左手遠くに、高い塔を3本持つ施設群が見える。
東京電力福島第一原子力発電所である。細部まで見ることはできないが、テレビのニュースで見慣れた建屋の雰囲気は伝わってくる。大平洋フェリーは、震災発生後、一時当該区域では海岸線から30km以上離れて迂回していたが、現在はそれほど離れてはいないようである。
ちなみに、「いしかり」は、2011年3月13日のデビュー予定であったが、震災による運休でデビューが遅れる波乱の船出であった。

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ところで、現在、大平洋フェリーは、名古屋-仙台-苫小牧間を3隻体制で運航されている。基本パターンは、「いしかり」「きそ」の2隻で名古屋-苫小牧間を隔日運航し、これに苫小牧-仙台の折り返し便「きたかみ」を加えて、仙台-苫小牧間では毎日運航となる。
名古屋便同士のすれ違いは、出航2日目の14時40分頃で、場所はおおむね宮城県相馬市付近の沖合である。4年前に乗船した「きそ」が、名古屋へ向けて、「いしかり」の左(西)側をしずしずと通り抜けていく。ちなみに、「きたかみ」とのすれ違いは深夜で、残念ながら確認できなかった。

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出航から21時間40分、16時40分に、「いしかり」は仙台港に入港する。エントランスホールへ様子を覗きに行くと、予想外に多くの乗客がここで下車するようである。係員の方に伺うと、本船の乗客は、名古屋-仙台間368名、仙台-苫小牧間380名だが、このうち名古屋-苫小牧間の通し客はわずか52人だという。
仙台港下船の客を降ろした船内では、清掃員が縦横無尽に走り回って船室やパブリックスペースの清掃に取り掛かる。この時間帯は大浴場、売店などはすべて休止。ちょうど日中時間帯のホテル・旅館のような雰囲気になる。

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さて、揺れもなく順調な航海を続けていたこの日の「いしかり」だったが、3日目の早朝、津軽海峡に近づくあたりでいくらか揺れた。窓の外を見ると風雪が強まり、下の方には波が白く跳ねているのが見える。
午前8時近くなって朝食を取りに行こうと誘ったが、嫁と長男は食欲を喪失して軽い船酔いモードに突入。鈍感きわまりないお父さんと下の坊主だけが6デッキのカフェでモーニングセットの朝食をとる。部屋に帰ると、酔い止め薬の包みが破かれて、錠剤が3錠ほど減っていた

Img_0525 Dscn1715
名古屋を発って40時間、1月6日の11時、定刻通りに、「いしかり」は苫小牧港に到着した。私は車両甲板に降りて2日ぶりに車のエンジンをかけ、ブリッジを通って下船した家族をターミナルで拾って札幌へと向かった。自宅まではものの1時間あまりであった。

このフェリーの感想がどのようなものであったか。
たいていこの手の体験をした後家族に感想を聞くと、お父さんだけが一人で盛り上がり、家族、特に嫁は特段の感慨も抱かない、というパターンが多いため、今回も何となく面と向かって感想を聞くのがためらわれていた。
けれども、先日友人が遊びに来た際、フェリーの写真を見せて、
これはみんなで乗ったら絶対に楽しいと思うよ。いつかフェリーで遊びに行こうよ
などと話しているのを見て、意外に好評だったことが判明した。
お父さんとしてはひとまず胸をなでおろす展開だったのだが、一方で子供たちの間ではさほど話題にならなかったことが若干残念なのであった。

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2013/01/14

船旅ざんまい【4】太平洋フェリー「いしかり」(2)

名古屋~苫小牧の所要時間は40時間翌々日11時の苫小牧到着までを、逃げ場のない環境で過ごすことになる。このため、「いしかり」の船内にはさまざまな設備や、イベントが用意されている。

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乗船初日、船室で持ち込みの夕食を済ませ、何はともあれ入浴
「いしかり」の大浴場は、浴場こそ行きの「フェリーしらかば」と同等かやや大きいくらいだが、脱衣場が広々としてゆったり。先客5~6人ほどと空いた浴場で、たっぷりと体を温める。
大浴場は、各港入港の30分前まで利用することができ、もちろん深夜・早朝もOK。1日に2度、3度と風呂につかるのも、また贅沢な時間である。

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入浴後は、家族そろって「ラウンジ・ミコノス」へ。
ここでは、初日・2日目ともに、20時頃から1時間程度のショーが開かれる。この日のショーは3人組のバンドによるジャズ演奏。100人以上も入れるラウンジは、8割方席が埋まるにぎわい。演奏曲は、定番のジャズナンバーからポピュラーソングのアレンジまで幅広い。ショーの内容は、当然だが便によって変わる。

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個室の船客には比較的必要性が薄いかもしれないが、フリースペースもふんだん。エントランスホールの脇に展望ロビー、1フロア上がった6デッキの階段周りもフリーのサロンになっている。食堂やラウンジへと向かう通路はプロムナードになっており、海に向いたカウンターテーブルもあって、読書にも最適。コンセントも用意されているので、手持ちのDVDプレイヤーやパソコンを使うこともできる。完全区分の喫煙コーナーもある。

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中央にはスケルトンのピアノも置かれており、午後になるとラウンジショーの出演バンドが、ここでミニコンサートを行う。
また、サロンの一角には、子供用の乗組員制服も用意されていて、自由に写真を撮ることができる。こういう服装をするだけで、日頃だらしない坊主どもがシャキッとして見えるから不思議である。

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朝・昼・夜の時間帯は、6デッキのカフェ「ヨットクラブ」も営業しており、飲み物や軽食をとることもできる。カウンターに置かれた給茶器は、「ヨットクラブ」の非営業時も利用することができ、飲み物にも困らない。

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2日目の昼、夜は、レストランで食事。いずれもバイキング形式になっている。昼は大人1,000円、子供800円、夜は大人2,000円、子供1,200円と、市中のバイキングよりやや高めで、とりたてておいしいわけではないが、好きな物を好きなだけ取って食べられるのは魅力的だ。好きでないものを食べなくてよいから、子供たちの食も進む


せっかくなので、今回利用できなかった船室も少し紹介。

Dscn1616長距離、長時間の船旅のせいか、「フェリーしらかば」など他航路の船に比べて、「雑魚寝」と通称される2等船室の比率が低いのが特徴である。4室、68名分の2等船室は、雑魚寝といえども荷物置き場で区画が区分されている。頭のあたりが軽く目隠しになっているのは、プライバシーに配慮した最近の船らしい感じがある。

Dscn16092等寝台相当のベッドは224台。うち124台は、2段式の「B寝台」である。単純二段式でなく、下段と上段を互い違いに組み合わせた構造は「おこもり感」が強い。就寝時にはブラインドを下ろす。残る100台は、1段式で寝台内にテレビが設けられた「A寝台」である。

この他、写真は撮れなかったが、ロイヤルスイート・スイートが各1室、セミスイートが2室、特等が和洋合わせて63室、1等が同じく80室と、計147室の個室がある。
船内の豪華な設備や数々のイベント、個室の比率の高さなどを考えても、フェリーというよりは、クルーズ船に近いような感覚で、まさに国内長距離フェリーの王様と呼ぶにふさわしいと思う。

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2013/01/11

船旅ざんまい【3】太平洋フェリー「いしかり」(1)

Dscn1583年末年始をのんびりと実家で過ごし、1月4日、今度は家族4人でドライブと観光の後、名古屋港フェリーターミナルへ向かった。
帰りに利用するのは、名古屋から仙台経由で苫小牧へ向かう太平洋フェリー「いしかり」である。


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この航路を利用するのは4度目になる。最初の2回は大学時代、前回は4年前、いずれも車を伴っての帰省である。
この航路に就航しているフェリーは、いずれも船旅専門誌「クルーズ」が毎年定めている「フェリー・オブ・ザ・イヤー」を受賞している。1992年の先代「いしかり」から始まって20年連続の受賞であり、国内最高峰のフェリーである。今回は、一昨年就航したばかりの新「いしかり」の1等船室を利用することにしている。

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車両甲板から客室へ上がると、中央の吹き抜け階段と、その中央を貫通するエレベーターの姿が目に付く。このあたりの造りは、行きに乗船した「フェリーしらかば」や、以前に利用した太平洋フェリーの各船とほぼ同じだが、就航からまだ2年足らずの真新しさと、全体に漂う気品が、上質感を醸し出している。

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徒歩乗船となる家族と、フロントの前で合流し、個室の鍵を受け取る。フロントの右方には売店が店開きしていて、すでに着替えてリラックスムードの船客が、土産物や飲み物、スナック菓子などを買い求めている姿が見える。

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今回利用する1等船室は、3~4人用の和洋室である。ツインベッドの奥に桟敷スペースを付けた構造になっており、くつろげる。客室内にはトイレ・シャワーもついていて、新日本海フェリーの1等船室よりも明らかに格上である。テレビでは衛星放送のほか、地上波デジタルも受信できる。1等船室はこのほかに2人用洋室、3~4人用和室があるが、設備はほぼ同等。2人用洋室以外は、外に面した窓も付いている。

私の嫁は、今から10年以上前に、日本海航路の小樽~敦賀便で、低層階の狭苦しい1等和室で小刻みな揺れに悩まされた経験を持っている。また、上の坊主は、4年前に苫小牧~大洗航路のフェリー「さんふらわあふらの」に私と一緒に乗ったことがあるが、出航の際、隣に停泊していた太平洋フェリーを見て、「あっちのおおきいふねがいい」と大騒ぎした経験を持っている。
この二人からしても、今回のフェリーの客室は好印象をもって迎えられたようで、まずはめでたいことである。

名古屋~苫小牧の船旅は、2泊、40時間の長丁場である。

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