1995最後の長い汽車旅

2025/12/14

1995年・最後の長い汽車旅【31】そしてさようなら、九州。

 前回の続き。


1995020503 1995020591 
 阿蘇駅前13時34分発の別府行き「あそ登山号」は、定刻より遅れて13時45分、阿蘇駅前バスターミナルに入ってきた。朝8時40分に別府を発ち、阿蘇駅前から阿蘇山西駅まで往復して戻って来たバスである。先客は30歳前後と思われる夫婦だけで、入口ドア直後の「展望席」に並んで腰を下ろしていた。私も最前列、運転手後ろの席に座る。「禁煙席」の表示があり、どうやら全車禁煙ではなさそうである。運転手に「煙草の吸える席は…」と尋ねると、お客が少ないので禁煙席で吸ってもらって構わないとのことである。隣の夫婦も揃っておいしそうに煙を燻らせている。おおらかな時代である。


1995020552 1995020583 
 バスは、起伏に富んだ草原の中をゆったりとしたスピードで走る。「やまなみハイウェイ」と呼ばれるこの道路は、前年無料化されたばかりで、完全2車線で舗装もしっかりしている。小粒の雪は相変わらず降り続いている。路面は溶けた雪で濡れている。
 途中、八本松のドライブイン「雲海」で、10分あまり休憩。この間に運転手は、バスの左後輪にチェーンを装着した。一応スタッドレスタイヤを履いているが、ブレーキの効きがかなり違うとのこと。ここから湯布院までの道路は、午前の段階で部分的に凍結している状態だったそうで、九州でも山地では道路が凍結するのか、スタッドレスタイヤという概念も存在したのか、などと変に感心した。


 運転手の言葉どおり、九重連山の中を抜けて湯布院へ下る道は、うっすらと道路が白く、圧雪状態になっている。そのうえ、これまでとはうって変わったカーブの連続で、運転手の緊張が伝わってくる。岡山から来たという夫婦も、緊張して前方を見つめていた。
 バスが左曲がりの急カーブに差しかかった時、下から登ってきた赤い乗用車が、カーブで横滑りして、私たちのバスの目の前でガードレールにぶつかった。一瞬、あっ、と思ったが、バスは乗用車の直前でなんとか停止した。先ほど巻いたチェーンが効いたようで、4人揃って、ほっと安堵の息を漏らす。乗用車の傷はさほどでなく、乗っていた人間も無事だったようで、幸いであった。


 付近が別荘地のような雰囲気の山下湖バス停で夫婦が下車すると、乗客はついに私ひとりになった。運転手に話を聞くと、夏休み中などオンシーズンは乗客が殺到するらしい。この時期はいつもこんなもんだよ、と教えてくれた。雪のせいで30分ほど遅れたバスは、16時頃、湯布院バスターミナルに到着。ここで下車する。私を降ろしたバスは運転手だけになって走り去っていった。
 JR由布院駅のコインロッカーに荷物を預ける。漢字がややこしいが、由布院町と湯平村が合併した際、双方の顔を立てて湯布院町としたためである。駅名や温泉名として「由布院」は残ったが、湯布院町は周辺町村と再合併して由布市湯布院町となり、一層ややこしくなっている。


1995020554 1995020555 
 先ほどの山の中とは別世界のようによく晴れた湯布院の町を20分ほど歩いて、以前何かの雑誌で読んで記憶していた「下ん湯」へ行った。小さくて簡素な造りの外湯だが、わずか100円(現在は200円)で入浴できるというところである。辿り着いた「下ん湯」は、木造の古びた小さな建物で、入口に料金を入れる小さな柱のようなものが立っている。野菜の無人販売所のような、信用商売らしい。100円玉を入れて中に入ると、洗い場もなく粗末な造りだが、露天風呂もある。お世辞にもあまり綺麗とは言えない湯にじっくり浸かって、九州1週間の疲れを流した。タオルを持ってくるのを忘れて、仕方なく脱いだシャツで濡れた身体を拭いた。


1995020504  今日はじめての列車となる由布院17時33分発の大分行き普通列車は、JR九州が久大本線用に新製投入した黄色い軽快ディーゼルカー、キハ125形単行のワンマン列車であった。島原鉄道でお目にかかったキハ2500形ディーゼルカーと似た風貌である。大分で切符の経路にめでたく復帰し、同じキハ125形1両の日豊本線亀川行きに乗り換えて、別府には19時17分に着いた。


 別府から港へ向かって歩く間に、「駅前高等温泉」を発見した。ただの銭湯かと思ったのだが、2階の部屋で宿泊も可能で、1泊1,500円、個室利用でも2,500円と掲示されている。一瞬、ここに泊まって、明日あらためて四国を目指そうか、とも考えたが、温泉はさっき由布院で浴びてきたし、もしここに泊まってしまったら、もう少し九州に居たくなるに違いない。自分で下した決断をあっさりと転換するのが憚られたので、唇を噛むようにして港へ向かう。 途中見かけた地上17階、高さ60メートルの別府タワーに200円(現在は800円)の展望料を払って上り、展望台のレストランで遅い夕食をとりながら、1週間の旅の記録を整理した。


 22時を過ぎて、折からの強風の中、港への道を歩く間、もっと行かなければならないところがあったような気もしたし、九州で時間を使い過ぎたような気もする。この次はいつ来られるのだろうかと、ただそんなことを考えていた。
 別府港のターミナルビルで1時間あまり過ごし、23時半、乗船開始となった。このまま乗船してしまって本当にいいのか、という思いが再び去来するが、この時間に至ってはもう選択の余地はない。八幡浜を目指すフェリー「べっぷ2」の2等船客は20人ほど。23時55分の出航を見届けた後、隣で「ンビー」「フンゴー」と凄まじい鼾を奏でるおやじを気にしながら、横になって目を閉じた。


 「1995年・最後の長い汽車旅」前半戦にていったん中断。



ランキング参加中です。みなさまの「クリック」が明日への糧になります。よろしかったら、ポチッとな。

にほんブログ村 鉄道ブログへ にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ 鉄道コム

| | | コメント (4)

2025/12/08

1995年・最後の長い汽車旅【30】阿蘇山近辺散歩

 前回の続き。


 2月5日、朝7時半、爺さんの合図で目が覚める。窓の外は今にも泣き出しそうな天気である。朝食は8人全員揃ってトースト・コーヒー・コーンフレークをとる。実はこの年になって、コーンフレークというものを食べるのは初めてである。「まあ食べてみろよ」と周囲から言われ、牛乳をかけて口に運んでみたが、びしゃびしゃしていてあまりうまいものだとは思わなかった。8時半前後から、みな思い思いの行き先に向けて出発していった。私は、大阪ビジネスマン氏と一緒に、ユースホステル前バス停で阿蘇山を目指すバスを待った。


 バスは、定刻8時39分のところ、6分ほど遅れて来た。貸切タイプのバスの乗客は少なかった。阿蘇山へ登る道路は有料道路になっており、車内には観光名所などの案内放送が途切れることなく流れるなど、純然たる観光路線バスである。
 広大な草千里の風景に魅かれて、草千里・阿蘇火山博物館バス停で下車。このまま山上を目指すビジネスマン氏とはここでお別れである。バスを降りると、細かい雪が降ってきた。雪に見舞われるのは、5日目の益田以来1週間ぶりである。九州に入ってからずっと、気温こそかなり低い感じがしていたものの雪は降らなかった。遠く離れた札幌では、雪祭りが始まっている頃である。


1995020501_20251124215901 道路を隔てた向こう側に広がる草千里の光景は、起伏に富んだ広がりを持っており、のびやかである。残念ながら鈍色の空の下だが、天気が良かったらとても気持ちが良いに違いない。夏の陽射しの下で馬が走り回る姿が目に浮かぶ。
 バス停の目の前にある火山博物館の建物の中でコーヒーを飲み、土産物屋で手頃な品物をいくつか実家へ送っておく。10時25分のバスで山上を目指す。韓国人の旅行団体が乗車しており、和気あいあいと観光を楽しんでいる様子である。そう言えば、ユースホステル内に掲示してあったいろんな注意書きにも、日本語、英語と並んでハングル文字の標記があった。


 山上の阿蘇山西駅から阿蘇山の火口まではロープウェイが通っているが、火山活動が活発になったとかで運休中。11時05分のバスで阿蘇駅へ戻る。昨日と同じ国道沿いの「イースト」へ2日連続で立ち寄り、クリームハンバーグで昼食をとりながらこの先の予定を考えた。すでに九州入りして1週間が過ぎ、名残は惜しいが、そろそろ九州を脱出するタイミングではある。となれば、次の目的地は別府である。阿蘇から別府へは、JR豊肥本線が豊後竹田・大分を経由して通じているが、この時間帯は接続が悪く、普通列車だけの乗り継ぎだと別府着は19時になる。特急なら16時前には着けるが、それはそれでもったいない気がする。


1995020580 1995020581 
 長崎-熊本-阿蘇-湯布院-別府とつなぐ九州屈指の観光ルートには、当時、九州国際観光バスの「九州横断バス」が走っていた。1995年時点では、長崎-別府「やまなみ」1往復、熊本-別府「あそ」2往復、「くじゅう」3往復、別府-阿蘇山ー別府と折り返す「あそ登山」1便に加え、長崎-熊本「ながさき」2往復があった。直行便の「くじゅう」以外は阿蘇山や天草観光を盛り込んだダイヤになっており、長崎便は熊本・三角-島原でフェリーにも乗った。九州横断バスは、その後九州産交バスが引き継いだが、現在は熊本-別府1往復、熊本-湯布院2往復で、ロープウェイが廃止された阿蘇山にも立ち寄らず、当時の面影は少ない。


 阿蘇から別府に向かうバスは、この時間からでもまだ4本あり、所要時間は2時間40分ほどと手頃である。バスの性格上予約制だが、空席があれば当日飛込でも乗れるらしいので、まずはこのバスに狙いを定めることにした。




ランキング参加中です。みなさまの「クリック」が明日への糧になります。よろしかったら、ポチッとな。

にほんブログ村 鉄道ブログへ にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ 鉄道コム

| | | コメント (0)

2025/11/30

1995年・最後の長い汽車旅【29】駅内温泉と楽しきユースホステルの一夜

 前回の続き。


1995020422 1995020404 
 駅前にSLが鎮座する高森からは南阿蘇鉄道の列車に乗って、JR豊肥本線の立野へ向かう。時刻表によると次の列車は14時45分までない。春から秋にかけては、13時36分発の臨時トロッコ列車「ゆうすげ号」があるのだが、この季節では当然運休中。どこかで昼食でも取ろうかと考えていると、13時45分に発車する回送列車に乗車できるというありがたい情報が得られた。立野発14時37分の列車に充当する車両の送り込みだそうで、「ゆうすげ号」運休の際に列車間隔が開いてしまうための便宜措置なのだろう。走らないはずの列車の世話になるのは、鳥取以来2度目である。


1995020481 1995020491 
 きっぷを買うために駅の窓口を覗くと、「阿蘇下田城ふれあい温泉駅」の新築記念乗車券を売っていた。もとは単に阿蘇下田と名乗っていた駅を、1993年8月、駅内に温泉を引いて浴場を設置し、駅舎を改築した記念の乗車券で、高森-阿蘇下田城ふれあい温泉、同駅-立野の2枚の乗車券に、1回200円の入浴券2枚が付いてちょうど1,000円。南阿蘇鉄道と地元・長陽村(現:南阿蘇村)のタイアップで、入浴料がいくらか値引きになっているらしい。高千穂峡で汗をかいたことでもあり、また予定より早い列車に乗れるようになったことでもあり、温泉駅を試してみようと、記念乗車券を購入してレールバスに乗った。


1995020423 1995020424 
 MT2000型という小振りなレールバスの乗客は少なかった。それでも運転士は、肉声で丁寧な案内放送をする。南阿蘇鉄道は阿蘇山と外輪山の間を縫うようにして走る路線で、景色はよく、遥かに阿蘇の噴煙を望むこともできた。途中の中松で下り列車と行き違い、「南阿蘇水の生まれる里白水高原」という日本で一番長い名前の駅を過ぎて、14時08分、阿蘇下田城ふれあい温泉に到着。駅舎はその名の通りお城のような造りになっている。下車したのは私ひとりだった。


1995020405  浴場のカウンターで入浴券を取り出していると、後から来た地元客らしいめざといおばちゃんが、
「あんたそれ記念乗車券やろ。あんたが使った残りの入浴券、売ってくれんか」と言う。こちらも2枚持っていても仕方がないので、即商談成立。200円を受け取って券を渡し、自分はもう1枚の券をカウンターのおばちゃんに渡して、更衣室へ入る。お風呂にはすでに何人かの先客がいた。浴槽は石で囲まれていて、なかなかゆったりしている。洗い場も広く、快適である。出たり入ったりしながらゆっくり時間を過ごす。


 湯から上がって待合室へ戻ると、「ぜんざい200円」という張り紙の横で、おばちゃんが餅を焼いている。小豆のいい香りにつられて注文したところ、餅を焼くのに時間がかかるので次の立野行き列車には間に合わないかもしれないという。すると、近くに座って餅の焼き上がりを待っていた老夫婦が、「せっかくですから、お先にどうぞ」と順番を譲ってくれた。この老夫婦は列車待ちではないらしい。厚意をありがたく受け取り、焼きたての餅が入った甘いぜんざいを堪能する。まさに「ふれあい温泉」である。残念ながらこの入浴施設は、南阿蘇鉄道ともども2016年の熊本地震で被災し、そのまま閉鎖された。駅名も、2023年の路線復旧に際し、「阿蘇下田城」に変更されている。


 1時間弱をのんびり過ごし、15時01分発の列車で立野へ。20分の待ち合わせでJR豊肥本線宮地行き普通列車に乗り継いで、16時02分着の阿蘇で下車。シーズンオフのせいか人影の少ない駅前から歩いて3分ほど、国道57号線沿いにあったレストラン「イースト」で、ビーフカレーの遅い昼食を取りつつ、今夜の宿の物色に掛かる。ビジネスホテルがあるような町ではないので、ターゲットを公共の宿に絞り、タウンページを見て何軒かに電話をかける。最終的に決めたのが「阿蘇ユースホステル」。一般にユースホステルは会員証がないと泊まれないことが多いのだが、電話をしてみると、町営ユースホステルなので会員証がなくても大丈夫だとのことである。


1995020482  阿蘇ユースホステルは、阿蘇山方面へ向かって歩くこと15分ほどのところにあった。受付には年の頃60代半ばと思われる、やや性別不詳気味の人懐っこそうな爺さんが座っている。どことなく100歳ツインズの片割れ、きんさんを思わせる風貌である。宿泊料は2,000円、他に朝食代が400円と安い。夕食は麓のレストランまで18時ごろ、連れて行ってくれるとのことである。


 荷物を指定された部屋に置いた後食堂へ行き、既に来ていた先客に挨拶し、しばらく歓談。そのうちに、後から到着したグループも合流。東京から来た22歳のカップル、大阪出身・香港在住の20代後半と思われるビジネスマン、福岡のバイク便に勤める男2・女2の全員26歳の4人組、そして私の総勢8名である。福岡の4人組は、明日近くで行われるレースに参加するために来ているらしい。香港のビジネスマンは、旧正月で実家に帰ってきたが、阪神大震災の後始末で家族に相手にしてもらえず、休みを消化するために仕方なく旅行中だと自虐的に笑った。


 足のあるバイク便チームが自力で食事を求めて出掛けた後、残った4人で、ユースホステルの車に乗って麓のレストランへ行く。800円の焼き肉定食にありついた。ほんの2時間前にビーフカレーを食べたばかりだというのに、ボリュームのある定食はあっという間に腹の中へ入った。帰りはレストランのマスターがユースホステルまで送ってくれた。風呂を浴びて、コインランドリーで洗濯。あとの3人は早寝を決め込んだ模様である。


 食事から帰って来たバイク便の4人と、食堂で歓談する。管理人の爺さんも、会話に入るでも入らないでもなく、ふらりと食堂に現れて、笑顔で何か終始もごもごとしゃべっている。バイク便の兄さんのひとりが、「おばさん」と呼びかけて、「わしゃ男じゃ」と怒られていた。兄さんが言い訳がましく「でも…」と続けると、今度は、「デモもストライキもにゃあ!」と一蹴。見ているこちらも吹き出す。後になって聞けば、ユースホステル愛好家の間では知る人ぞ知る名物爺さんだそうで、乾燥機の調子が良くないからと、本来100円で20分なのに、知らないうちに200円ほど追加してくれていたりと、善意の人でもある。


 結局、バイク便組とは、北海道や九州のローカルテレビ番組やCMの話で盛り上がり、23時過ぎまで爆笑の一夜を過ごした。当時のユースホステルは、夕食後、宿泊者(ホステラー)が集まってミーティングとよばれる集まりを催していたり、22時には消灯となる規律正しいところが多かったが、この緩さは当時のユースホステルとしては非常に珍しかった。札幌を出て11日、久し振りに他人とゆっくり語り合った一夜であった。残念ながらこの阿蘇町営ユースホステルは、これも熊本地震による建物の損傷と、利用者数の減少により、2016年に廃業となっている。



ランキング参加中です。みなさまの「クリック」が明日への糧になります。よろしかったら、ポチッとな。

にほんブログ村 鉄道ブログへ にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ 鉄道コム

| | | コメント (2)

2025/11/24

1995年・最後の長い汽車旅【28】結ばれるはずだったレール~高千穂鉄道

 前回の続き。


 きっぷのルートから外れた寄り道旅行は、2月4日、高千穂鉄道805列車からスタートすることにした。8時51分の発車に照準を合わせるべく、7時半に起床してシャワーを浴びようとしたらお湯が出ない。フロントのおばさんに申し出ると、「基本的にお風呂は夜のうちに浴びていただくんですよ」とぶつぶつ言いながら、それでもボイラーを動かしてくれた。それならそうと、初めから言って欲しいと思う。


1995020401 平成元年にJR高千穂線が転換されてスタートした第三セクター、高千穂鉄道の列車は、他の第三セクターと同じくレールバス。車内では沿線の観光案内なども放送されているが、ひととおり見渡したところ、乗客はみな地元の用務客ばかりのようである。川水流と書いて「かわずる」と読む美しい名前の駅で、延岡行き「たかちほ12号」と行き違う。イベント用に特別に用意された立派な車両を使っている向こうの列車は、転換クロスシートを装備していて乗り心地がよさそうである。こちらは普通のクロスシートである。


1995020452 列車は、日本で一番高いところに架けられた鉄道橋、高千穂鉄橋を渡る。以前聞いた話では、見下ろすとぞっとするようなこの鉄橋の上を通過する時、わざわざご丁寧に停車のサービスをしてくれる運転士もいたと言うが、今日は停車こそしなかったものの、そろりそろりと通過した。単なるサービスなのか、強風に煽られないようにそう決められているのかは分からない。余部鉄橋のときと同じように、覗き込むようにして下を見たが、確かに高い。遥か下の方を綺麗な川が流れているのが見えた。余部は下が民家だったが、いずれにせよ、高いところは怖い。


 延岡-高千穂間ジャスト50kmを1時間20分余りで走破し、10時14分、終点の高千穂に到着。小振りな駅舎の正面の階段を上がったところにあった喫茶店に入って遅めのモーニングコーヒーを飲みながら、新聞に目を落とす。
 11時過ぎに喫茶店を出て、その道路をまっすぐ10分ほど歩いたところに、高千穂バスセンターがあった。宮崎・熊本の県境を越えて阿蘇外輪山の麓、高森まで向かうバスは12時ちょうど発。まだ40分余り時間があるので、荷物を置いて高千穂峡へ散歩に向かうことにした。案内板によると、距離にして1.5kmほどだから、何とか行って帰って来られるだろう。


 カーブの多い道路を下って、高千穂神社のわきを通り、高千穂峡の入口に辿り着いたのは11時40分少し前。15分もあれば大丈夫だろうとの目論見は外れ、距離が長かったのか、こちらの足が遅かったのか、ずいぶん時間がかかった。高千穂ターミナル12時発のバスを逃がすと、次の高森行きは14時30分。何とか12時のバスに乗りたいのだが、ここまで来て高千穂峡の景観を愛でずに引き返すのも癪である。


1995020455 1995020421 
 延長600mという遊歩道を、本人曰く猛烈な勢いで走る。柱状節理の岩に挟まれて幅の狭まった五ヶ瀬川の峡谷は、わずかに差し込む日の光を受けて、不思議な美を醸し出している。せめて記念写真ぐらいは、と、すれ違った若いカップルに写真のシャッターを押してもらい、舗装道路に出た時にはすでに11時45分。高千穂神社を眺める余裕もない。高校時代には1,500mを5分あまりで走ったこともある健脚だが、大学時代はほほとんど運動しておらず、下がアスファルト、靴はスニーカー、背中には小さなリュック。しかも煙草のおかげで肺の中は真っ黒。これでは走れるものも走れない。最後には歩くのとほとんど変わらないスピードになって、ようやくバスターミナルに辿り着いたのは、わずかに発車1分前だった。身体中から一気に汗が噴き出すのを感じた。


1995020491 高千穂からのバスは、宮崎交通の中型乗合バス。客は10数人で、学生と老人が半々といったところである。おそらく県境までに大半の乗客が下車するだろうと踏んでいたのだが、田原中学校前というバス停までに、大半どころかひとり残らず下車してしまい、県境は運転手と僕の2人きりで越えることになった。バスは途中で時間調整しながらダイヤに忠実に走り、県境を越えて熊本県に戻ると再び幾人かの客を乗せて、13時24分、高森駅前に到着した。


 延岡から高千穂までの高千穂鉄道と、高森から立野までの南阿蘇鉄道は、いずれも旧国鉄線である。両線は県境を越える鉄道によって結ばれる予定になっており、日本鉄道建設公団によって工事は開始されたのだが、トンネル工事で異常出水が発生して工事は中断され、計画はそのままお蔵入りとなった。根元の鉄道は旅客の減少と災害に苦しめられ、熊本側の南阿蘇鉄道は、2016年の熊本地震による被災を乗り越えて2023年に全線復旧したが、宮崎側の高千穂鉄道は、2005年の台風14号による被災から復旧されることなく、2008年に全線の廃止が決定した。


 鉄道が通るはずだった高千穂-高森間には、1995年当時、1日5往復の路線バスが運行されていたが、現在では熊本と延岡を結ぶ「たかちほ号」1往復だけが行き来するに過ぎない。このバスが高千穂線・高森線が手をつないだ後のルートを具現化したものになるのだが、バス1往復分の需要しかないということは、仮に開通していたとしても鉄道は苦難の道をたどることになったに違いない。何が幸せで正解だったのか、考えれば考えるほどわからなくなってくる。



ランキング参加中です。みなさまの「クリック」が明日への糧になります。よろしかったら、ポチッとな。

にほんブログ村 鉄道ブログへ にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ 鉄道コム

| | | コメント (2)

2025/11/16

1995年・最後の長い汽車旅【27】大変貌をとげた5年ぶりの宮崎駅

 前回の続き。


 吉松で肥薩線の列車に乗り換え、終点の隼人で12時16分の宮崎行き快速電車「錦江8号」に乗り継ぐ。終点まで乗り通すつもりでいたのだが、乗客のおよそ3分の1が下車した南宮崎でなんとなくつられて下車。宮崎の市街地は、宮崎駅と南宮崎駅の間に広がっており、博多へ向かうL特急「にちりん」をはじめ、優等列車の多くは、宮崎よりひとつ鹿児島寄りのこの駅を発着駅としている。串間・志布志方面への日南線の分岐駅でもあり、バスのターミナルである宮交シティも南宮崎駅の近くにある。両駅の間は鉄道で2.6km。散歩にはちょうどいい距離である。


1995020355  橘通へ出て、ウィンドウショッピングをしながら歩く。道幅が広く、分離帯にフェニックスの植えられた通りは南国ムード満点である。天気がよいこともあって、開放的な気分に浸る。大きな橋でひと跨ぎにした大淀川は、河口に近いため川幅はかなり広く、ゆったりと流れている。洋服屋などを何軒か冷やかし、裏通りへ寄り道したりするうち、1軒の小さなカレー屋を見つけ、引き込まれるように入る。10席ほどのカウンターだけという簡素な造りのその店で、遅い昼食を取った。


1995020304  2時間余りで辿り着いた宮崎駅は、いかにも南国的なイメージを持つカラフルなデザインの駅舎に生まれ変わっていた。県都の玄関とは思えないほどオンボロな、閑散とした駅だった5年前の面影は微塵も感じられない。駅の裏手へ寂しい道を15分ほども歩いて銭湯へ行ったり、夜9時近くに開いていた数少ない店のうちの1軒に入り、誰もいない店内でわびしく食事をしたりといった当時の思い出と、今目の前にある近代的な駅前風景のイメージがどうも一致しない。周辺の風景までまるごと変わってしまったような印象を受ける。駅前をぐるりと見まわすと、一軒の土産物屋が目についた。この店には記憶があり、まだ頑張っていたのか、と何となくほっとした思いになる。


 近代的な駅舎の中のカフェスタンドでコーヒーを飲み、駅舎の改築とともに高架化されたホームへ上がると、18時24分発の小倉行きL特急「にちりん58号」の乗車位置には通勤客の長い行列ができている。25kmまで300円とお値打ちになっている特急券を買えば、定期券で乗車できる仕組みになっているためだろう。西鹿児島からやって来た「にちりん58号」は、JR九州のコーポレートカラーである真っ赤に塗られた485系特急電車の4両編成。全国どこででも見られる国鉄型特急電車の代名詞だが、塗装ひとつで全く別の車両という印象を受ける。昭和の高度成長期のまっただなかに登場した国鉄型特急電車は、九州では2011年の九州新幹線全通まで息長く活躍した。


1995020391  無事着席できたものの、どこまで行くかはまだ決まっていない。きっぷの経路は、日豊本線をまっすぐ進んで、別府から四国へ渡る予定になっている。このまま乗り続ければ21時49分には別府に到着、四国へ渡る深夜便への乗り継ぎも可能である。けれども今日はまだ10日目。切符の有効期間はまだ20日もある。少し考えて、第三セクター鉄道の乗り歩きと観光とを兼ね、まだ未訪の土地である高千穂峡、そして阿蘇山へと足を踏み入れることにし、高千穂へ向かう高千穂鉄道の乗換駅、延岡下車に決定する。


 19時33分、延岡着。ホテルガイドブックを頼りに、駅前の公衆電話から電話をかけて、1泊4,300円のビジネスホテル「白扇」にチェックインした。食事を取ろうと町へ出るが、夜8時を過ぎた商店街はひっそりとしており、部活帰りらしき高校生と何人かの客がいる1軒の食堂へ入り、玉子丼の大盛りを食べてさっさとホテルへ帰った。部屋のテレビは今どき2時間100円のコイン式テレビ。100円玉を投入し、チャンネルを回してみるが、民放が2局しか入らないらしく、諦めて早寝を決め込んだ。




ランキング参加中です。みなさまの「クリック」が明日への糧になります。よろしかったら、ポチッとな。

にほんブログ村 鉄道ブログへ にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ 鉄道コム

| | | コメント (0)

2025/11/03

1995年・最後の長い汽車旅【26】ループ線とスイッチバックと急行列車

 前回の続き。


 6時少し前、ようやく改札が開始された。やっとの思いで暖かいところへ入れるとばかりに飛び乗った肥薩線人吉行き普通列車は、乗り慣れた急行形ディーゼルカーの2両編成。当然のごとく寝不足の状態であり、先刻までの疲れのせいか、せっかくの球磨川沿いの風光明媚な路線を、人吉までの1時間20分あまり、ぐっすりと眠って運ばれた。


1995020301 1995020381 
 人吉からは、旧国鉄湯前線転換の第三セクター、くま川鉄道のレールバスで湯前へ。よその第三セクター鉄道よりひと回り小振りな車両だが、朝のラッシュに備えてか、5両もつないでいる。路線の線形から考えて、朝の時間帯は線内から人吉への片方向輸送だろうという先入観があったので、編成が長いのは車両運用の関係だろうか、と考えていた。ところが乗りこんでみると、通学の高校生でほぼ満員状態。沿線に高校がいくつかあるようで、朝の下り列車の利用率は意外なほどいいようだ。その高校生たちは、肥後西村で若干が入れ替わり、免田で半分が、多良木で残りも全員下車してしまった。


 最終的には宮崎県の西都(妻)、佐土原と結ばれる計画だった湯前線は、1924年に湯前まで開通したっきり、第三次特定地方交通線に指定されて現在の形になった。湯前からバスに乗れば、宮崎県西米良村の村所乗り継ぎで西都へ抜けることができるが、始発のバスが12時ではどうしようもなく、人吉へ引き返す。折り返し列車も、5両編成のまま運転。車内は全くガラガラである。のどかな日の光の中、再び惰眠をむさぼる。


1995020302 1995020382 
 人吉駅近くの喫茶店でモーニングの朝食を済ませて、9時59分発の宮崎行き急行「えびの1号」に乗車。かつては博多と宮崎の間を最短距離で結んだ急行は、すっかりローカル色豊かな存在になっている。キハ58+65の車内は手が加えられてきれいになっているが、紺色のボディーに宮崎の新名所「シーガイア」のロゴをまとった車体は、この路線のイメージにあまりにも似つかわしくない。熊本・宮崎・鹿児島と立て続けに県境を越えて吉松へ向かうこの区間は、列車本数がかなり少なく、急行列車も各駅に停車する。それでも急行料金はしっかり取られる。


1995020391 Photo_20200523005201 
 列車は勾配をぐんぐん登りながらトンネルを抜け、進路を大きく左にとって進む。この区間は急勾配を緩和するために、山裾を1周して進むループ線になっている。5年前ははっきり確認できなかったが、1周して進む以上、どこかで線路が1回交差するはずで、それを見極めるために、今回は眠気を吹き飛ばし、車窓に注目する。 さらに勾配を登り続けた列車は、10数分で大畑に到着。「おこば」と読む難読駅である。ループ線の中間にあるだけでも十分に珍しい駅だが、この駅はこれに加えてスイッチバック式で、全国でもここだけである。宮崎からやって来た熊本行き急行「えびの2号」と併走しながらホームへ入る。


1995020303  3分停車の間に「えびの2号」の発車を見送り、こちらも発車。進行方向を変えて引き込み線に入り、さらに進行方向を変えて吉松への上りにかかる。空いた車内を巡回してきた車掌が、「もうすぐ下に線路が見えますよ」と教えてくれた。ほどなく「ループ線展望箇所」の看板が現れ、その先に、一瞬、先ほど通ったレールと大畑駅が小さく見えた。
  矢岳から先、列車は下りにかかり、宮崎県に入って、ここもスイッチバックの真幸に停車。下車駅の吉松は鹿児島県である。2駅間で2回県境を越えた「えびの1号」は、ここから吉都線に入って都城、宮崎を目指し、私は切符の経路に沿って、肥薩線隼人行きの列車に乗り換える。


 風光明媚な鉄道路線が災害に弱いのはいずこも同じである。2020年7月の豪雨により、肥薩線・八代-人吉-吉松間とくま川鉄道は甚大な被害を受けた。くま川鉄道は2021年11月に肥後西村-湯前間で運転を再開し、人吉温泉-肥後西村間も来年には復旧する見通しである。一方、肥薩線については、八代-人吉間が、路線保有主体を熊本県の指定する事業者とし、JR九州は運行のみを担う「上下分離方式」で復旧することが決まったが、時期は2033年頃と当分先になる。人吉-吉松間の扱いはまだ決まっていない。急行「えびの」も過去帳入りして久しい。数少ないループ線とスイッチバック駅の行く末が、気にかかる。



ランキング参加中です。みなさまの「クリック」が明日への糧になります。よろしかったら、ポチッとな。

にほんブログ村 鉄道ブログへ にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ 鉄道コム

| | | コメント (2)

2025/10/26

1995年・最後の長い汽車旅【25】未明の八代駅前で職務質問に遭う

 前回の続き。
 今回の話は以前にも一度、別記事で書いたことがあるが、ふたたび。


1995020283  博多駅みどりの窓口で、切符の区間外乗車となる博多―大牟田間の乗車券と、博多―八代間の自由席特急券を購入し、夜行特急「ドリームつばめ」9号車の人となった。この列車のルーツは、門司港―西鹿児島間の夜行急行「かいもん」で、5年前の九州旅行では、博多―西鹿児島間を大分・宮崎経由で結ぶ急行「日南」ともども大変お世話になった。3泊続けての車中泊だとか、下り→上りの折り返し乗車だとか、宿代を浮かすためにずいぶんタフなこともしたものである。機関車が2両の寝台車と5両の座席車を引っ張っていた2本の夜行急行は、1993年3月に、車両を昼間の特急と共通化して、座席車のみの特急「ドリームつばめ」、「ドリームにちりん」となった。


 下車予定は途中の八代であり、あまり熟睡するわけにはいかない。通路を挟んだ隣に座って窓下の壁に落書きをしている非常識な若い女を睨みつけながら、寝るまいぞ、寝るまいぞ、と自分に暗示を掛けつづけた。
 日付が変わって2月3日、早朝2時25分の八代で下車。肥薩線人吉方面へ向かう始発列車は6時01分発で、およそ3時間半をこの駅で過ごさなければならない。夜行列車が深夜に発着する駅だから、待合室ぐらい開いているだろうと見当をつけていたのだが、真っ暗な待合室のドアには鍵が掛かっていた。数年前からホームレス対策のため、深夜は閉鎖しているとのことである。


 事情は分かったが、九州とはいえ、2月初めの深夜は身体に吹きつける風も冷たい。ベンチの上で迂闊に横になろうものなら凍死しそうである。ライダーとおぼしき輩が、すでに軒下で寝袋にくるまって寝息を立てていたが、こちらは何の防寒対策も立てていない。
 じっとしていても寒いだけなので、とりあえず国道まで出て10分ほど歩くと、右手にコンビニエンスストアを発見。時間を潰そうと立ち読みを試みるが、他に客はなく、居心地が悪くなって早々に退散する。


 さらに少し歩くと、「リンガーハット」というファミリーレストランを見つけた。今でこそ札幌市内に3店舗ほどあるが、当時は北海道民には全く縁のないチェーン店だった。営業時間を見ると午前4時までとあり、ずいぶん中途半端だが、それでも1時間ぐらいは時間が潰せそうなので、文句を言っている場合ではない。とりあえずチャンポンを流し込み、腹の中を満腹の状態にして来るべき時を待つ。


 午前4時、予定どおり閉店の準備に掛かった店を追い出されるようにして駅へ戻れば、同じように始発を待つらしく、40歳前後とおぼしきサラリーマンが所在なげにベンチに座って煙草をプカプカ。私も隣のベンチに座って、釣られたように煙草をふかす。そこへ、1台のパトカーがやって来て目の前に止まった。中には警官が2人乗っていたが、そのうちの片方がパトカーを降りてこちらへやって来た。


「ちょっといいかい?ボク」自分に向けた呼びかけだと理解するのに若干の時間を要する。
「恐れ入りますが、どちらへ?」物腰は柔らかいが、目は笑っていない。
「旅行中です。始発の列車で人吉の方へ。」
「身分証明書、持ってるかい?」
 嫌な気分ではあるが、特段やましいところはあるわけでもないので、ポケットの中から学生証を出すと、警官はそれをじっくり眺めた後、こちらの顔を覗き込むようにして言った。
「家出じゃあないですよね」


 元来薄いが若干の不精髭も生えた22歳の成年男子を捕まえて家出少年呼ばわりときた。今まで何度も旅をし、夜の町をふらついたことも1度や2度ではなかったが、人生初の職務質問、しかも家出人の捜索である。あっけにとられて隣を見ると、サラリーマン氏も何やら見せながら必死で弁解中である。こちらはさしずめ、家出中年というところだろうが、風体からしてどう見ても勤労中年の単なる寝過ごしである。


「ちょっと確認しますから」
 こちらの警官は私の手から学生証を取り上げ、パトカーへ戻ると、無線でどこかに照会している様子である。しばらくすると戻ってきて、私に「ありがとうございました」と言って学生証を返した。問題なし、と分かったようである。問題があってはたまったものではない。隣の勤労中年始も無罪放免と相成ったようでなによりである。


 パトカーが走り去った駅前のベンチで、勤労中年氏としばらく話した。福岡市内の区役所に勤める公務員で、3人の子供のお父さん。職場からの帰宅途中、羽犬塚で降りるつもりが寝過ごしてしまったらしい。およそ1時間半の豪快な寝過ごしである。せめて2時前に目が覚めていれば、熊本で下車して、折り返し博多行きの「ドリームつばめ」で引き返すことも可能だったのだが、気付いたのが八代の手前ではしょうがない。博多行きの「ドリームつばめ」は、無情にも当方の到着5分前に八代を出発して熊本へ向かっている。


 「阪神大震災の後処理の手伝いで大阪に行っていたりして、多忙だったからねえ」
とは氏の弁である。昼間は仕事の鬼、夜は優しいお父さん、といった感じの氏は、「福岡へ来ることがあったら連絡しなさい」と、連絡先を教えてくれた。5年前の旅ではこうしてすれ違った多くの人とのご縁が生まれたが、時期のせいか、今回の旅ではほぼ初めてのご縁である。せっかくなのでお言葉に甘えたいところだったが、結局、その後福岡は通らずじまいで四国に渡ってしまったから、もう一度お会いできなかったのがすこぶる残念ではある。


 時を経て現在、「リンガーハット熊本八代店」は健在だが、営業時間は24時まで。もっとも「ドリームつばめ」は、九州新幹線が部分開業した2004年に熊本以南が廃止されており、深夜に八代を徘徊することはこの先も含めて、たぶん、ない。


 ⇒別記事「いかさまトラブラー【7】珍トラブル編(1)」



ランキング参加中です。みなさまの「クリック」が明日への糧になります。よろしかったら、ポチッとな。

にほんブログ村 鉄道ブログへ にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ 鉄道コム

 

| | | コメント (2)

2025/10/19

1995年・最後の長い汽車旅【24】島原半島から福岡へ

 前回の続き。


1995020281  島原外港からは、島原観光汽船の高速船に乗って三池港を目指す。この航路は、1997年に島原鉄道が譲受して直営事業として運航していたが、旅客減少による経営難から2015年にやまさ海運(軍艦島クルーズを運営している会社)に譲渡したものの、新型コロナウィルスの影響による旅客大幅減からの回復が見込めず、今年7月から運航休止となった。1995年当時、三池、熊本、三角と3方面へのフェリーが出ていた島原港に残るのは、2社合わせて最大17往復の熊本航路だけになっている。



1995020203  15時30分発、三池港行き島原観光汽船は、前向きの座席がずらりと並んだ高速船。出入口を挟んで前部が喫煙可能な席になっており、そちらに陣取る。喫煙席の客は自分も含めてたった2人である。15時20分に到着した三池港からは、観光バスタイプの西鉄バスで大牟田駅へ向かう。
 切符のルート通りなら、ここから熊本方面へ向かうが、西鉄大牟田線(現:天神大牟田線)をはじめ、未乗の私鉄路線が多く残っているこのあたりの路線に顔を出しつつ博多までいったん戻ることにする。


1995020282  大牟田駅で西鉄電車の無料時刻表を入手した。西鉄が駅で配布している時刻表は、発着時刻が並んだ一般的なものではなく、「ダイヤグラム」と呼ばれる、いわゆる列車の「スジ」が表されたものである。これが一般の客向けに配布されているのは非常に珍しい。デジタル化の進展により、駅での無料配布は終了したようだが、西鉄では現在も有料で同様の時刻表を発行していると聞く。大牟田線は、大手私鉄の幹線としては珍しく、西鉄久留米以南の区間で複線と単線が混在しており、その割に毎時4~8往復と列車本数が多いから、行き違いや追い抜きの様子をこのダイヤグラムとにらめっこしながら眺めるとわかりやすく、面白い。


 16時53分発、西鉄福岡(現:西鉄福岡(天神))行き特急に乗る。西鉄には転換クロスシートを備えた特急用車両があるが、この列車はロングシートの通勤型電車での運用である。大牟田からしばらくの間は複線区間で、この間に大牟田行の特急とすれ違う。向こうは白い車体に赤い帯を巻いた特急用車両である。いささか羨ましい。続けて普通ともすれ違う。複線区間が終了する開で、先行の普通を追い抜き、単線区間に入る。途中の中島信号場・西鉄柳川で普通と行き違い、蒲池と大溝の間の一部複線区間で特急とすれ違う。再び単線に戻って試験場前(現:聖マリア病院前)で普通と交換と実に目まぐるしい。手品のようである。


1995020291  試験場前から先は複線となり、17時22分着の西鉄久留米で後続の普通に乗り換えて西鉄小郡で下車。電車を降りた客が列をなして移動する流れに乗ると、ほんの1、2分で甘木鉄道の小郡駅に着いた。JR鹿児島本線の基山から小郡を経て甘木を結ぶ甘木鉄道は、第1次特定地方交通線の国鉄甘木線を前身とする第三セクター鉄道である。やって来た列車は小さなレールバスだが、通勤・通学帰りの乗客が満載の盛況である。


 国鉄甘木線の1977年度~79年度の輸送密度は653人/km/日と、特定地方交通線の中でも少ない方で、国鉄時代は1日わずか8往復の運転だった。甘木鉄道に転換された際、運転本数は一気に4倍の32往復に増やし、西鉄小郡から600mほど離れていた筑後小郡駅を移転させて西鉄との乗り換えの便を図るなどの施策を打った。った。この結果、2019年度実績で輸送密度は2,026人/km/日とほぼ3倍になり、運転本数は平日ベースで42往復まで増えている。赤字額も比較的少なく推移している。福岡近郊ということもあり、もともと需要のある地域だったはずなのだが、それにしても何の施策もなく、赤字だからといって簡単に廃止対象に挙げてしまった国鉄の対応のまずさが窺われる。


 終点の甘木へは18時10分着。甘木からはもう1本、西鉄甘木線が久留米方面に向かって伸びている。西鉄の甘木駅は踏切を渡って100mほどのところにある。西鉄甘木線の列車本数は、全線を直通する列車で37往復、昼間は綺麗な30分ヘッドダイヤになっている。運転本数は互角だが、運賃の安さもあり、乗降客数は今も西鉄の方が甘木鉄道の倍ほどと優位に立っている。18時30分発の花畑行き電車は2両編成のワンマン列車である。すでに日はとっぷりと暮れており、窓の外の景色は見えない。


 19時02分、大牟田線との接続駅、宮の陣に到着。先行する福岡からの各駅停車に乗り換えて西鉄久留米まで運ばれた。ここからJR久留米駅まで歩こうと試みたが、距離・方向ともにはっきりせず、途中でタクシーを拾った。料金は600円。後で調べると、西鉄久留米駅とJR久留米駅は2km以上離れていた。歩けない距離ではなかったとも思うが、スマホもない時代、地図も持っておらず、無計画ではいかんともしがたい。
 久留米発19時53分の快速電車で基山まで移動し、甘木鉄道に乗り換えて小郡で下車。甘木鉄道の完乗を果たし、先ほどとは逆のルートで西鉄小郡駅へ戻り、急行電車で西鉄福岡へ向かった。


 今日はこの後、博多発23時59分の西鹿児島行き特急「ドリームつばめ」を仮の宿に定めている。「天神あたりでもうまいラーメンは食えるよ」と誰かが言っていたのを思い出し、西鉄福岡駅近くの屋台で1杯450円のラーメンをすすった。時刻はまだ21時過ぎで、「ドリームつばめ」までは時間がある。天神の交番でコインランドリーの所在を尋ねると、3人の警官が顔を突き合わせて相談し、歩いて15分ほどのところにあるコインランドリーを紹介してくれた。そこで1時間ほどかけて洗濯し、やや生乾きの洗濯物を鞄に突っ込み、タクシーを拾ってJR博多駅へ移動した。話し好きな個人タクシーの運転手は、昭和36年まで札幌の自衛隊にいたとのことで、短い時間ながら会話が弾んだ。




ランキング参加中です。みなさまの「クリック」が明日への糧になります。よろしかったら、ポチッとな。

にほんブログ村 鉄道ブログへ にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ 鉄道コム

| | | コメント (2)

2025/10/05

1995年・最後の長い汽車旅【23】途切れたレールの行方

 前回の続き。


 9日目、2月2日の朝は、ぐっすり眠って8時過ぎにすっきりと目覚めた。朝食と朝湯を満喫して、9時半にチェックアウトと、今日もまたのんびりした出発になった。天気の方はあまりぱっとしないが、どんよりと重いわけでもなく、雨の心配はなさそうである。小浜郵便局に立ち寄った後、小浜温泉バスターミナル内の喫茶店で、島原鉄道の終着駅、加津佐方面へ向かうバスを待った。


1995020291  11時10分発の長崎県交通局バスは、加津佐の少し先、口之津行き。ちょっとそこまで、といった感じのおじさん、おばさんで、そこそこの乗車率になっているが、ほとんどの乗客は途中の停留所で下車していった。長崎、諫早へは半島西岸を北上するバスが早く、島原方面へも雲仙経由の方がはるかに速い。島原鉄道は、加津佐から島原半島をほぼ4分の3周して諌早へ向かう線形で、しかも途中区間が不通になっている。


 11時45分頃、加津佐バス停で下車。島原鉄道の加津佐駅へ歩く。時刻表を見ると次の列車は13時11分発でしばらく時間がある。昼食を求めて街を彷徨うが、なかなか食堂やレストランの類が見つからない。いい加減諦めかけた頃、国道から少し外れた商店街の中に、どうもこの街には似つかわしくない、おしゃれな感じのレストラン「鴻助」を見つけた。ハヤシライスと食後のコーヒーを注文する。他に客はいない。店内には、テレビでおなじみの「フレンチの鉄人」坂井宏行からの年賀状が貼ってあったりする。少し待って出てきたハヤシライスは、意外と量もあり、たいそうおいしかった。


 13時11分発の深江行き列車は、昨日と同じキハ20形の単行である。進行方向右手、最前部の席は、運転士のほぼ横に当たる「展望席」になっており、ここに陣取る。学生も乗っており、なかなか混雑しているが、やはり1駅ごとに下車して、車内が空いてゆく。少しうとうととして目が覚めると、お客は数えるほどしか残っていなかった。加津佐から1時間弱で深江に到着。ここから先の島原鉄道は普賢岳災害の影響で不通となっており、島原外港のひとつ先、南島原(現:島原船津)までがバス代行区間となる。


1995020201  深江駅前で待っていた列車代行バスは、バスとは名ばかりの8人乗りのワゴン車。正面ガラスに「列車代行 南島原駅←→深江駅」の張り紙がある。車体横には「島鉄タクシー」と記してあり、運転手も島鉄タクシーの人だった。乗客はたったの4人で、深江までの列車の運転士と車掌も乗り込んで発車する。島原外港で1人降ろし、14時20分頃、南島原に到着した。何台かで不通区間をピストン輸送しているようだが、昼間の閑散時間帯とはいえ、乗務員まで含めて8人乗り1台で用が足りてしまうとは、高架化工事を進めて、数年後の再開を期している不通区間の今後に不安が残る。


1995020202  南島原のホームで島原外港行きの列車を待っていると、鮮やかな黄色に塗られたディーゼルカーが目の前に入ってきた。「島原の子守唄」をイメージしたイラストが大きくかかれたこの車両は、1ヶ月半ほど前にデビューしたばかりの新車、キハ2500形である。つい誘われるようにふらふらと乗り込んでしまったが、この列車は逆方向の諫早行きである。まだかすかに新車の香りが残るデビューしたての車内には、運賃箱や運賃表が設備されているが、まだカバーが掛けられていて使われていない。近々ワンマン化に踏み切るということなのだろう。合理化のためのワンマン運転は、JRのローカル線も含めて当然の風潮になっており、鉄道維持のためには仕方のない施策になっている。


 島原で列車を降り、1kmほど離れたバスターミナルまで歩いて、島原外港へ戻るバスを探すが、しばらくない様子。ぼんやりと待つのも癪なので、タクシーを拾って港へ向かう。600円だった。港のターミナルでお土産を買い、実家宛てに宅配便で送っておいた。


 島原鉄道は島原外港ー深江間の復旧工事が1997年に完成し、およそ4年ぶりに全線での運転を再開した。けれども、そこから10年の間に、島原外港-加津佐間の沿線の大半を占める南島原市の人口は1割近く減少した。長期間にわたった運休は旅客離れを加速させ、皮肉なことに、復旧区間の設備にかかる固定資産税の負担が経営を圧迫した。南島原市の自家用車保有率は世帯当たり2.3台と県内トップクラスに高く、利用者の増加が見込めない状況にあった。島原外港-加津佐間は2008年、災害復旧からわずか11年で廃線となった。先を見る目がなかったと言ってしまえばそれまでだが、鉄道の存続にこだわり続けた人々のことを思うと、非常に複雑な気持ちになる。



ランキング参加中です。みなさまの「クリック」が明日への糧になります。よろしかったら、ポチッとな。

にほんブログ村 鉄道ブログへ にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ 鉄道コム

| | | コメント (2)

2025/09/23

1995年・最後の長い汽車旅【22】温泉を求めて島原半島横断

 前回の続き。


1995020104 ホテルが密集して建つ雲仙公園バス停でバスを降りて、細かい雨が降り出す中、しばらく散策。もうもうと湯気の吹き出す地獄谷は、スケールでいけば登別温泉それにはかなうべくもないが、なかなか壮観だった。
 続いて雲仙観光協会の建物を訪ね、宿の値段についてお伺いを立ててみると、1泊2食付きで10,000円から12,000円前後だとのこと。確かに立派な温泉街だからお値段もそれ相応どころか、かえって安いぐらいかもしれない。けれども、この旅で私は、宿泊は素泊まり5,000円以内、という原則を掲げて旅を進めて来た。旅はまだ全体の4分の1ほどであり、懐具合を考えても、長崎で臨時ボーナスを得たとはいえ、贅沢をするにはまだ早い。


 立ち並ぶ立派なホテルの中の1軒、九州ホテルに入り、1階ラウンジで1杯500円のコーヒーをすすりながら、空いているのを幸い、カウンターのお姉さんにいろいろ話を聞いてみた。雲仙の温泉街は普賢岳噴火の直接的な被害は受けておらず、影響は軽微だったとのことである。むしろ今回の阪神・淡路大震災の方が問題で、地震への警戒と交通機関の寸断などの影響で、関西・関東地区から九州はじめ西を志向する旅行者が激減しているのだという。昨日のガラ空きの寝台特急といい、震災の間接的な被害はわれわれの想像もつかないところまで及んでいるようである。


1995020191 1995020105 
 雲仙は断念したものの、一度沸き上がった温泉への思いはいかんともしがたく、島原半島の西岸にある小浜温泉を目指してみることにした。西入口バス停から16時51分の長崎行き特急バスに乗る。長崎県交通局の真っ赤なボディーのレトロ調バスは立派だが、乗客は私を含めてたったの3人である。くねくねとカーブを繰り返しながら、およそ25分で山を下り、海沿いの小浜温泉ターミナルに到着したのは17時15分頃。何とかここで泊まるところを探さないと、あとはバスで、島原か長崎のいずれかへ引き返すより他なくなる。


 国道を隔てた小浜温泉観光案内所へ行くと、本日の業務はたった今終了しました、という雰囲気だったが、幸いカウンターに座っていたおじさんが対応してくれた。雲仙温泉のときと同じように価格のお伺いを立ててみると、ご予算はいくらですか、と逆に問い返された。
 私はおずおずと、「いや、あのう、安ければ安いほどいいんですけどね…」と言ってみたが、 無理を承知で聞いてみるものである。協会のおじさんが紹介してくれたのは、1泊2食付き6,330円の国民宿舎「望洋荘」。素泊まりなら3,605円なのだから、原則は守られている。もっとも、わざわざ素泊まりにして外へ食事に出る気にもならないので、2食付きで予約する。


1995020155  海沿いの道を口之津方面へ向かった。道端の側溝にはめられた蓋の隙間から湯気が上がっていた。
 「望洋荘」は温泉街の南の外れにあり、バスターミナルから歩いて10分ほどだった。多少古びてはいるものの、なかなかの構え。2025年現在、宿泊は扱っていないようだが、入浴施設としては健在である。食事は食堂で取ることになっており、おかずの量もちょうどよく、まず満足だった。肝心の風呂も、滝湯や、小さいながら露天風呂もあって、これも十分に満足。広い湯船にゆったりと浸かり、身体の疲れを落とした。

 



ランキング参加中です。みなさまの「クリック」が明日への糧になります。よろしかったら、ポチッとな。

にほんブログ村 鉄道ブログへ にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ 鉄道コム

| | | コメント (0)

より以前の記事一覧